5章 5 嵐の前
『夢を見せようか!哀れ悲しきお嬢様。愛されて、妬まれて、恨まれて生きた天使の供物。胡蝶の夢より儚い人生。その一幕を――』
☆
朧気な世界。
ただ印象深い景色や言葉だけが認識できる。それ以外は酷く靄がかかったような。
ぱたぱたと小さな足音が聞こえる。
マゼンタの髪をはためかせながら、少女が一つの扉に飛び込んだ。
「見て見ておかあさま、ひよこ!ひよこが出ましたの!ふふん、みーんな馬鹿にしますけれど私にだってできるのですわ!」
「えぇそうね、貴女はやればできる子よ。ただちょっと時間がかかるだけ」
スポットライトに照らされたように輝く自慢げな少女の顔。その両手には手のひらに収まるほどの小さな命がちょこんと座っていた。
鰐のような鱗を持ち、羽が生えたトカゲのようなそれ。
母親は少女と、少女がひよこと言い張る生命を愛おしそうに見つめ、柔らかい髪を撫でた。
「でもそれはひよこではなく、翼竜の子供ですよ」
「よくりゅー」
「そう。昔々、あなたのご先祖さまが契約を結んだ竜の末裔よ」
「けいやく……まつえい…………?」
「えっと……、あなたとその子のおじい様のおじい様の、ずっと昔のおじい様達がお友達になったって事」
分かったような分からないような顔をする少女。その手の中で、翼竜が彼女の手に頬を擦り寄せる。擽ったそうに、しかし小さな命を落とさないように、少女の口角が揺れる。そして、竜を高々と持ち上げ、踊るように母親の周りを駆け回った。
「おともだち…………そう、おともだちですわ!私達はこれからずっとずぅ〜っと、おともだち!そうでしょう、おかあさま!」
花が咲き、虹がかかった空のような暖かな笑顔。幸せを、未来を疑うことのない無垢な子供。その小さな楽園の記憶である。
☆。.:*
夕食が終わり湯浴も終え、「明日は早いぞ。はい、おやすみなさい」と布団に入って数時間。ささやかな月の光がカーテン越しに部屋を照らしていた。ぼんやりとした意識の中、なにか夢を見ていた気もする。
日頃の鍛錬の疲労。昼に聞かされた友人の今。心身共に葉の限界は超える寸前にあった。
明日のためにも直様二度寝をしようと布団を被るが、それを邪魔するひとつの気配。人間であれば誰しもが経験したことのあるだろう生理現象。
(…………トイレ行きたくなってきたかも)
寝る直前の尿意は快眠の天敵である。
望月の光あれといえど夜は夜。薄暗い部屋の中、手を伸ばしながら一歩一歩進み漸く扉にたどり着いた。途中、布団も敷かず床に倒れるシアンを踏みかけたが、起きる様子は全くない。
彼女は部屋を割り振られた後、「寝れないから外に出る」と言い張っていたところ、もう一人のルームメイトによって強制的に夢の世界へ落とされていた。
そっと起こさないように戸に手をかけようとしたその時、突然背後がぼんやり明るくなり、自身の影が扉に写った。
「ひうっ!」
「うぉっ……葉姉ってばそんなに驚く?」
急に背後を取られた気配に心臓が跳ねる。その後に続いた声に安堵しつつも、恐る恐る振り返った。
光源は指の先に灯された小さな炎。もう一人のルームメイト、即ちライアの魔法である。
「なんだ、ライアか…………びっくりさせないでよ」
「いや〜悪い悪い。お前がなんかモゾモゾやってるから明かりつけてやろうと思って……トイレ行くの?私も行こうかな」
ふわっと欠伸を噛み殺し、先に戸をくぐるライア。
葉は慌ててその手を掴んだ。
「行くなら一緒に行こう?貴女絶対迷子になるよ」
「あれ、葉姉まで私の事をバカにし始めている……?」
「バカにしてるんじゃなくて事実だし……」
「お前傷口に塩塗り込むタイプだよな」
そう言って意気揚々と逆方向へ進む彼女を引っ張り、夜の廊下を進む。
足音以外何もなく、世界から切り離されたような静謐。初秋の空気が足元を撫で、薄ら寒い恐怖を煽る。一人ではないことが唯一の救いだった。
「じゃ、葉姉先に行ってきな。私外見てるから」
「…………絶対動いちゃダメだからね」
「な〜に〜?葉ちゃんってば一人でトイレ行くのが怖いのかな?」
「迷子になって困るのはライアだよ」
「うーん正論」
軽いやり取りをしながら手早く目的を済ませ、再び廊下に戻る。バトンタッチのため声をかけようとライアを見ると、彼女は窓の縁に腕を着き、何かを思案するように外を眺めながら月の逆光に縁取られていた。
常に巫山戯た行動で、どんな場面でも全てを知ったような余裕で嘲笑う。そんな彼女にしては珍しく、思い悩み、決意するような強い光を目に宿していた。
「ん?なんだ、出てたんなら声かけろよな〜。交代交代」
葉が声をかける前に気がづいた彼女は直ぐにいつもの笑顔を作り、今までの神妙な顔を消し去った。
扉の向こうに消えていくライアを待つ間、彼女と同じように外を眺める。
真っ黒い空に浮かぶ月のような衛星と、その明かりに負けじと輝く星々。遠く、空さえも繋がっていない世界。あれらは一つとして葉の知っている星ではないのだろうけれど、その景色はどこか懐かしさを覚えた。
そして白く瞬く斑点は空だけにあらず。遠く、屋敷の策を超えた向こう。この家と街を断絶するソウェル大草原にも星海のような光が見えた。
「なに、あれ…………遠くてよく見えないな」
「あぁあれか、あれは天使だよ。互いを識別するためか、暗くなると輪が発光するんだ」
「ひっ…………く、クロウドさん……様?」
「はは、様だなんて仰々しい。私のことは近所の爺だとでも思ってくれればいい」
遠方の光源を確かめようと集中していたため、すぐ側まで人がいることに気が付かなかった。
声の主は手にした灯りにぼんやり照らされた老人。屋敷の主として見回りでもしていたのだろう。
穏やかに微笑む彼だが、以前屋敷に来た時の事を思うと葉の心は緊張で落ち着かない。そうでなくても相手は辺境伯。失礼な態度を取る訳にはいかないのだ。一応、シャナやリザイアも公爵令嬢ではあるが、あれは友人なのでノーカウントである。
「葉さんと言ったね。疑っているかい?」
「えっ?!」
クロウドは幼子を見守る親戚のような視線で、唐突に葉の深層を貫いた。
「以前もこういう流れだったんだろう?私――すり変わった私が偽の救援を軍に寄越し、例の事件に巻き込まれたと聞いているよ」
「いや、その…………はい。失礼だとはわかっているんですけれど……」
「素直だね、君は。でもそれでいいんだ。疑念は保身の一つだからね」
「はぁ……」
否定も肯定もなし。リザイアを助けたいという気持ちは嘘でないと信じたいが、彼の言葉をどこまで信じて良いのか疑うのは無理もない事だった。
固まった葉の表情も想定のうちだったのだろう。クロウドは特別弁明をすることもなく空を見上げていた。
しかし、再び訪れた沈黙は陽気な声に塗りつぶされた。
「葉姉、心配しなくても今日こいつは嘘ついてないぜ。この私が保証する。私に嘘は通じないからな!だって私が嘘つきだから〜〜!」
全く信用ならない軽薄な笑い。用が済んだのであろうライアが廊下に出てきところだった。
それはフォローなのかそうではないのか。彼女の発言に葉もクロウドも困ったように眉を下げた。
「ライアさん……それではなんの信用もできないでしょう」
「あっはは!それはそう〜。でもな、これに関しては嘘つかないって約束したっていいんだぜ?」
――約束。
その言葉を聞いた瞬間、クロウドが息を飲んだのがわかった。そしてライアがそれを言う意味も既にシアンとソラから聞かされていた。
『我が片割れながらアイツは平気で嘘をつく。裏切りも趣味の範囲のクソヤロウだ。けど、約束したことだけは必ず守る。そういう奴だぜ』
『そう。つまりライアになにか頼む時は必ず約束って言葉を本人の口から言わせるといいよ。それだけは絶対に、何があっても違えないからな』
――と。
「はは!そうか、そうですね。貴女には既にお見通しでしたか!」
嬉しそうに笑うクロウドの顔に、怪しいところなど何も無かった。ただ大切な孫の如く可愛がってきた子を想う親戚のように爽やかな笑みであった。
☆。.:*
「頭痛ぇ…………」
朝、まだ日が昇り始めている頃。小鳥が囀り、花々が朝露を落とす静かな時間。
頭に響くズキズキとした痛みがシアンを目覚めさせた。恐らく昨晩外に出ようとしたのをライアに止められ、思い切り頭を殴られたからだろう。人を寝かせる方法を一から学び直した方がいいのではないか、と悪態をつく。
「あ゙ぁ゙クソ。寝覚めが最悪すぎる…………」
部屋を見渡せば、穏やかな顔で眠る葉と魘されているライア。片割れの寝顔を見るのは実に久しい。普段がどうかは知らないが、馬の合わない相手であろうとこうも苦しげなのは流石にいただけない。
シアンは唸る妹を落ち着かせるように、宙を藻掻くその手を取った。
「ライア…………おい、おい起きろ!」
「うぅーん……いや、それは…………それはダメだろ、本当にぃ…………んぎゅぅ」
何がダメだと言うのか。
もう片方の手でムニムニと彼女頬を揉むが、全く起きる気配がない。仕方なしに眉間によった皺を広げてやると、ほんの僅かに落ち着いた。
「はぁ…………顔洗って来よ」
水場に着き蛇口をひねると、刺すような冷水が眠気を吹き飛ばす。漸く頭がすっきりした。
カルヴィテリアの家に行くまでまだ時間がある。朝食にだって早いだろう。どうしたものかと屋敷内をうろついていると、外の庭園に人がいることに気がついた。菫色の短い髪。サヴだ。
「おはようさん。何してんだ、こんな時間に」
「あっ、シアン。いやぁ〜、目が覚めちゃって……カエルがいたからつついてたんです。触ります?大人しい子ですよ」
「いや遠慮しとく」
「ちぇ、可愛いのに」
庭にしゃがみこむ彼女の周りには数匹のカエル。大小様々、種類も別々。しかし皆一様にサヴの手に張り付いている。
「すげぇな。めちゃくちゃ気に入られてるじゃねぇか」
「私カエル好きなので。ラブコール伝わっちゃいましたかね……なーんて!私が家にカエルたくさん飼ってるからかもですね」
そう冗談めかして言うが、冗談に見えない程にカエル側からのなつき度が高かった。
サヴがカエルを飼育している話は知っていたが、たくさんとは聞いていない。ペットがいるとこうも同種の野生に懐かれるものなのだろうか。
カエルまみれの腕を見て、微笑ましいと不気味の狭間に揺れる。彼らはシアンを見て「何メンチきっとんじゃワレェ」と言いたそうな顔をしている。さながら親衛隊である。
「あ、そうだ」
カエル相手にメンチを切り返していると、サヴが思い出したようにこちらを向いた。
「シアンとライアに隊長から伝言があります」
「ん?」
「『頼むからマジで余計なことするな』って」
「あっはは!それライア本人にも言っとけよ。まぁ、シュテルの言う余計なことってのがなにか知らないけど、多分無理だな」
「ですよね〜」
伝えたかっただけで、その後のことはどうでもいいのだと満足気にカエルを撫で始めたサヴ。
遠くの森で鶏が鳴いた。屋敷の中もバタバタと人が起きてきた気配がする。
色々不安なことはあるが、泣いても笑っても助ける機会は一度きり。準備をするのも、覚悟を決めるのも、残されたのはあと数時間。
シアンは手をグッと握りしめ、腹が立つくらい清々しい青天を見上げた。




