4章 20 赤い世界
『純心』の形なき刃がレディアの首を貫く直前、物体に触れることが無いはずのそれが何者かに防がれた。
「おっと。迎えに来て正解だね」
「あん、お姉様♡」
そこに居たのは薄水色の短み髪の美人。レディアとはまた違った毛色の美しさを持つその人は、歌劇の男役を担うような、芯のあるかっこよさを兼ね備えている。
彼女は低すぎず、高くもない心地の良い声でその登場を飾った。
トラリアは一瞬、男か女か迷ったが「お姉様」と呼ばれたので女だろうと認識した。
閑話休題、魔法などの明確な形がないものを切るのが『純心』。物質、質量を持つ物には触れることすらできない代物である。
しかし、「お姉様」と呼ばれた彼女はその刃を素手で受け止めた。受け止めた片腕ごと、残酷なまでに美しく凍りついているが、本人気にする様子もない。
(そもそも、これは人が触れられるモノじゃないんだけど…………あの人、分身体か何かかな)
人が触れられずとも、魔法で作られた分身体なら話は別だ。それは魔法であり、魔力の塊であるのだから。
ほんの僅かな骨格を残した義手に力を込め、警戒を続ける。
この者を相手取るならば、義手そのものを落とすことまで考えないと勝機はないだろう。分身体とはいえそれだけの圧を感じる相手だった。
「お姉様」はトラリアと葉を順に見たあと、「しー」と人差し指を口に当てた。敵対する気はないようだ。
「冬、レディア、今日はもう帰ろう。フィルクルの怪我が酷いようだから、あの子は一旦バルフィレムに預けることにするよ」
「それって捕虜じゃないの?」
「そうとも言うね。けど、シアン=ディアスタシアとあの『調和の棘』がいるなら下手に連れて帰るよりも命の保証ができる。治癒した頃に迎えに行くとも」
「はぁい、全てはお姉様の仰せのままに♡」
先程まで嫌になるほどトラリアを精神的に追い詰めたレディアが、蕩けるような猫なで声を上げている。トラリアの目にはまるでホストに縋る中毒者にも見えた。あれに苦戦したと思うと、なんとも複雑な気持ちである。
対して冬は未だ真っ赤な顔をしているが、受け答えは淡々としている。葉の熱風爆弾が余程効いたらしい。
彼女らのやり取りを見るに、冬の崇拝先はレディア、レディアの依存先は「お姉様」であることは一目瞭然だった。組織なのか、家族なのかは定かでないが随分と歪に仲がよろしいことで何よりである。
「それじゃあレディ達、ワタシ達はこれで失礼するよ。妹達が随分世話になったみたいだ。これ以上迷惑をかける訳には行かない」
「ばいばい、小さな隊長さん。次会ったら、またその神牙をよく見せてくださいな」
「葉って言ったっけ?安心して、僕は二度とお前に会いたくない」
三者三様に言葉を残し、女たちは雪の中に姿を消した。冬の幻覚を利用したのだろう。足跡すら残さずにアイシハイクを後にしたようだ。
「トラリア隊長、行かせていいんですか?」
「うーん。悔しいけど深追いは禁物だよぅ。それに、元々わたしたちの役目はあの人たちを神座に行かせないための足止めだしね。一応最低限の任務は達成ってことで」
黙って見送るトラリアに葉が尋ねた。
本来であればこのまま捉えて色々聞き出したいところであるが、こちらもあまり余裕がない。何より今はスノーマンに閉じ込められた人を助けるのが最優先である。
トラリアは落とした義手の部品を拾い集めながら、戸惑う葉に次なる指示を出した。
「師匠とウィンくんのことだから、きっと神座……スノーマンの方は解決してるはずだよぅ。わたしたちはこのまま村に戻って住民のケアに当たるべきかな」
「住民のケアもですけど、隊長も手当しないとですよ。結構悲惨に血塗れです」
「あ、はは。確かに。服も着ぐるみも破けちゃったから……い、今になって寒くなってきたよぅ」
「じゃあ尚更急いで戻りましょう!途中でソラくんたちと合流できたらいいですね」
☆。.:*
――レディア達が去る数分前。
「あぁもう!お前らのせいで計画がだいっなし!!どうしてくれるわけ?!」
「どうしてもくれないけど……なんかごめん」
「そう!いう!態度が!一番腹立つ!!」
「えぇ…………」
ゴーグルをかけた少女がヒステリックに叫び散らしている。
それもそのはず、彼女の言う計画最終段階一歩手前のところでウィンが主電源に当たるコードを切り裂いたのだ。言うなれば苦労したゲームのラスボス戦、あと一手で勝てる時にゲームの電源を消された時の怒り。
自分でやっておいて、ウィンは少し同情した。かつてそれが原因で何度父親と乱闘したことか。もっとも、勝てた試しはないのだが。
化け物の動きを封じたシアンから冷たい視線が注がれている。あの目は「早くしろ」という目だ。何度も見たのでウィンはよく知っている。
事実、シアンの慧眼によってスノーマン暴走の原因が判明し、彼らの大元である神座への悪影響も排除した。この場でウィンたちができることは、この女、フィルクルを捕らえるだけである。さっさと終わらせて町の住民を助けることが先決だろう。
暴れられても困るので、威嚇のためにウィンは銃口を女に向けた。
「じゃあ、はい。キミにはまだ聞きたいことがあるから、大人しく着いてきてもらうよ。大人しく手を挙げて」
別に、撃つつもりは微塵もなかった。怪我なんて自分も他人も無い方がいいに決まっている。これはあくまで形だけの牽制だったのだ。
「はあ?キッモ。女の子に銃向けるとかありえないんだけど」
「は?」
が、つい女の顔スレスレに一発放ってしまった。勿論当たらないことを確信した上での威嚇射撃。
言い訳としては「だって女の言葉に酷く腹がたった」である。
奥のシアンが頭を抑えたのが見えた。しかし言葉は止まらない。
「どんな形であれスノーマンの感情利用してアイシハイクの町民を命の危機に陥らせたアンタに言われたくないよね」
女の言葉はあまりに無責任で、まるで加害者ではないような口ぶり。ウィンの頭は一周まわって酷く冷たく、ビビりで小心者の彼にしては珍しい、人を蔑むような目をしていた。
冷ややかな声がフィルクルを刺す。しかし、彼女も全く引く気はないようだ。
「今人数の話してないんだけど」
「性別の話もしてないでしょ。罪の重さの話だよ」
「別に私達が襲えって言った訳じゃないけど?」
「ならわざわざ感情増幅をつける意味が無いでしょ。異変を感じとった町の人に邪魔されたくなかった……違う?」
シアンの話を信じるならば、スノーマン暴走の一短は女の仲間にあり、それが人を襲うことまで予測できていたはずだと言う。であれば、今命の危機に瀕している町民は誰のせいかと問われた場合、その責はフィルクル達にあると言える。
「そもそも、男か女かで罪の重さが変わるわけないでしょ。あと、さっきから思ってたけど、ことある事にキモで済ますのやめた方がいい感じだと思うけど?語彙力ないの?」
「はぁぁぁ?『感じ』、ばっかりで断言できないアナタに言われたくねーし」
両者全く口が減らない。放っておけば延々と続くであろう口論に、再びシアンがため息をつき、こちらを睨むのが見えた。きっと今度の目は「いい加減にしろ」の意図だろう。師匠の射殺すような視線のせいでウィンの背筋が伸びた。目がいいのも考えものである。
しかし、フィルクルの舌は止まらない。パラパラと野鳥のように囀った後、氷で身動きが取れなくなった化け物へ叱咤を飛ばした。
「あぁもうウザったい!ほら、なにボサっとしてんの、早くあのくそキモいやつらどかしちゃってよ、雪だるま!」
ボロボロに崩れて、見るも無惨な形になった化け物がガタガタと震えた。土台となるスノーマンはシアンの神壊術によって形を失くしているが、残ったコードと機械の塊が最後の力を振り絞るようにうねり出す。
「このクソコード、まだ動きやがるか」
シアンが拳を構え、応戦の準備に入る。雪とコードの中心部分、思考回路を司るコンピュータが赤く光った。そして化け物のコードは死に悶えるタコのようにうねり、先端に氷でできた鋭利な針を携える。
しかし、魔力や霊力、人の目では本来見えないものを捉えるウィンの目には赤い発光の下に、黒い執念のような光が見えた。
『…………』
「まった、お前何する気……!」
その黒がなにか分かる間もなく、目の前に立ちはだかる女の腹から太い枝のようなものが生える。枝は赤く、べったりとした液体を滴らせている。
彼女が貫かれたのだと気づくのに、僅かに時間がかかった。
「は……?なに、アナタ……意味わかんないんだけど……げほっ」
肺に回った血を吐くフィルクル。解析・鑑定するまでもなく明らかに致命傷。このまま放置すれば、間違いなく幾許の猶予なく死に至るだろう。
「テメェ雪玉ぁ!!」
シアンがすぐさま氷で剣を作り出す。それは拳を覆う甲冑と同様、神を殺すための魔力の剣。そしてそのまま化け物の中枢に斬り掛かる。
「神壊術――氷刹!!」
「確定射撃」
と、同時にウィンも引き金を引く。狙うは核、ただ一点。シアンによって斬り開かれた機械の一箇所、最も魔力の集まる光点。一センチ四方にも満たない僅かな的でもウィンにかかればゼロ距離同然だ。
化け物の命とも呼べる小さな核が魔力弾によって爆ぜ、漸く動きを止めた。
ホッとしたのもつかの間、核の機能が消える瞬間、ウィンの目には魔力を通して醜悪な景色が映し出された。
『焔に自由を、世界に解放を、現実を超えて、第四の空を俯瞰する目を開け』
真っ黒い地獄のような世界。炎がチラつき、空は暗く、血潮が舞い、死の匂いがする。憎悪と、慟哭と、怨嗟を混ぜたような息苦しい世界。目を開けているだけで意味もなく涙が溢れ、喉を掻きむしりたくなる。
『人に自由を。海に自由を。天に自由を。風に自由を。自由、自由、自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由』
それは、ウィンだから見えた光景。ウィンだから見えてしまったかつての世界の終点。
耳を劈く地鳴りのような音が頭の中で響く。それまで黙りだったスノーマン達の死体が一心不乱に叫んでいるようだ。
これが幻覚なのか、現実なのかが分からない。しかし、ウィンの目には数多のスノーマンの中に収まる何かが、明確な殺意を持って吠えるのが確かに見えた。
頭が割れそうなほどの喧騒の中、トドメと言わんばかりに彼らの最後の言葉が鳴り響く。
『――――――――世界に自由を!!』
そして、呪いのような最後の鬼哭を耳にすると同時に、一人の生者の咆哮が鼓膜を揺らす。
「死なせるかよ。敵だろうとなんだろうと、私の前で人が死ぬのは許さねぇ!!」
その真っ直ぐな叫びに、視界を、正確には脳裏を占めていた真っ暗な幻覚は打ち砕かれた。
「ウィン!至急六番隊……リフレットに連絡!」
シアンだ。
己の師である白い髪の女が叫んでいる。
彼女は血塗れのフィルクルに駆け寄り、かろうじてまだ脈があることを確認していた。
しかしウィンは意識を直ぐに切り替えることができなかった。本当に今見えているのが現実か?ならば先程の地獄はなんなのか。未だ混乱が続いている。
「ボサっとするなウィン=ジートゥル!時間がない。マリーシャに空間転送使わせるように!」
「はぃぃいいい!ってアンタ王女様を足にする気?」
「人命かかってんだ早くしろ!」
「はい!ごめんなさい!!」
頭はまだ何が起きているのか理解できていないが、師匠の怒鳴り声に身体が反応した。もはや脊髄反射だ。
シアンが自身の腕を剣で裂き、滴る血を使って空間転送用の魔法陣を描く。今の彼女は、ウィンが未だかつて見たことがないほどに焦燥を抱き、必死に恐怖を押さえ込んでいるように見えた。
「人は絶対殺さない」と言い張る彼女にとって、自身の目の前で人が死ぬのは他の何よりも耐え難い苦痛そのものなのだと、今初めて知った。




