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氷炎護リ人  作者: 有麻環
四章 アイシハイク編
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4章 18 だって疲れた

 ――およそ5年前。まだトラリアが副隊長の座に着いたばかりの頃。


「いいか?トラちゃん。ヤバいと思ったら直ぐに辞めるんだ。当たれば重畳、当たらなければいつも通り。それだけだからな」


 赤い髪に黒いメッシュを入れた男は、そう言って箱に入った真っ白な剣の()を渡してきた。


「大丈夫。お兄ぃは心配症だなぁ、試しにやってみるだけだよぅ」

 

「心配症になるのは当たり前だろ?たった一人の妹になんだから!何かあってからじゃ遅いんだ」

 

「はいはーい」


 周囲には師匠であるシアン、自身の上司である三番(ベルナイース)隊の隊長、そして赤い髪を揺らす兄。他にも何人もの隊長、副隊長立ちに囲まれていた。


「これが、『静寂』の神牙、純心(イノセンス)……」


 刃の無い剣。『静寂』の神の遺骸から造られたという神牙。長いこと使用できる者が見つからず、保管されていた骨董品。

 トラリアは検査の結果、『純心(イノセンス)』に適合できるのではないかと言われたのが数日前。それを確かめるためにバルフィレム城の近くの海で検証を始めることになった。


「よし。何があってもここなら人的被害は少なく済む。とりあえず魔力、流してみろ。ゆっくりな」

 

「わかった…………いくよぅ」


 師匠に促され、恐る恐る魔力を剣に集める。

 適合していれば何かが起こる。していなければ何も起こらない。ただそれだけの実験だった。


(と言っても、どこまで流せばいいのか……。流しすぎてもダメなのかな)


 まるで底も中も見えない容器に水を入れている気分。自身の魔力量は決して多くないため、溢れることはないであろうが、何事もほどほどが大切という……。いつまで経っても何も起きない虚無感に、邪念が頭に生まれては消えていく。


(ちょっとだけ流す量増やしてみようかな)


 この油断がいけなかった。

 グッと柄を握る手を強めた瞬間、神牙が白銀に光り輝いた。世界が一瞬にして赫々たる白に包まれた。

 皆が息をのみ、光に目を眩ませながらも、その様子をしかと伺う。


「うわっ……」


 急な発光に驚き、トラリアは思わず手を離そうとした。

 しかし、離すことはおろか、手を動かすこともできなかった。


「トラちゃん!それ…………手が、凍って……?」

 

「え?」


 震える兄の声に、なんの事かと自身の手を見れば、指先が握った武器と同化するように凍りついている。その氷は掌、手首、腕……とトラリアを飲み込むようにせり上がってくる。


「えっ、あれ?!ど……どうしよう…………取れない……動かない…………どうしよう!」

 

「トラ落ち着け、一旦魔力を止めるんだ」

 

「止めてる、止めてるよぅ!止めてるけど……!」


 ――冷たい、寒い、痛い、痛い痛い!!

 ついに氷は肘まで到達し、指はもう感覚を掴めなくなっている。このまま凍ってしまうのだろうか。不安と恐怖に心拍数が跳ね上がる。

 トラリアは必死に彼女を落ち着かせようと抱き締める兄の顔を見た。


「お、お兄ぃ……お兄ぃまで凍って……!」

 

「オレは大丈夫だから、自分のことだけ考えて!」


 自身に触れた兄の手まで、うっすら氷の幕が張っている。よく見れば辺りの壁や砂浜、海までも、全てが凍りつき始めているではないか。


「師匠……師匠どうしよう!このままじゃお兄ぃも、街も凍っちゃう!」


 こうなってはもはや、自分などどうなってもいい。せめて、大切な人達を自分のせいで失うのだけは避けたかった。

 最後の希望として、トラリアは師匠に縋り着いた。

 腕を組み、何かを悩んでいるような顔の彼女は、その言葉を聞き決意したように剣を取り出す。


「どいてろドラグア」

 

「待ってよシアンさん!何する気?!……ちょっと、離せって!」


 師匠の意図を汲んだのか、隊長が兄をトラリアから引き剥がした。兄はこれでもかと暴れ、必死にこちらへ手を伸ばしている。

 師匠が向かってくるのが見える。彼女も苦渋の決断だったのだろう。見た事もないくらい、眉間にしわを寄せている。

 

「悪い…………悪いトラリア!」


 師匠の剣が光ったように見えた。

 骨も、氷も、何に阻まれることなく、その剣閃はトラリアの腕を通り抜ける。痛覚も凍えてしまったのか、痛みも感じない。

 肩から下が、軽くなった。


 ☆。.:*

 

「ドラグア=ラルジィ。かつてバルフィレムを守る軍の一員でありながら、当時の幹部、大臣、騎士に至るまで何人もの人間を死に至らしめた謀叛を起こした重罪人。そうでしょう?トラリア=ラルジィさん?」

 

 柄を握る金属製の腕が僅かに震えた。冷気のせいか、義手と腕との境目が酷く痛む。


(だめだめ、動揺は自分の首を締めるだけだよぅ。平常心、へいじょーしん!)

 

 目の前に立ちはだかる女の魔法は恐らくその時抱いた感情を増幅させる精神異常。冷静に、平坦に、自身の思考に波紋を広げなければどうということもない。

 精神異常系の魔法はかかれば強力だが、強靭な精神力を持てば防げるのが欠点なのだ。

 深呼吸をするトラリアを、レディアは小動物か何かを慈しむような目で見つめていた。その顔は聖母ような柔らかな笑みにも思えるが、トラリアからは「どう虐めてやろうか」と企む嫌な継母のようにしか見えなかった。


「貴女のお兄さんが起こした事件は他の国でも有名ですのよ?あのバルフィレムが内部瓦解するなんて誰も思わなかったもの。お陰で最強と謳われた軍の幹部もほとんど入れ替え、今では幹部の平均年齢歴代最年少なんですってね」


 事実、彼女の口から告げられたのは慰めの言葉でも、愛を語る言葉でもなく、ただただ人の膿を抉る言葉だった。

 妖艶に口に手を当て嘲笑う女。

 恐らく彼女の狙いはトラリアの動揺を誘うこと。憤怒、悲嘆、驚愕。その種類は問わず、とにかく感情の湖をなみうたせたいのだろう。

 その言葉がどれだけの侮辱であろうと、彼女言ったことは全て変えようのない事実である。

 ――しかし、それがなんだというのだろう。

 

「で、何が言いたいの?貴女がバルフィレムのことをどれだけ知ってるつもりになってるか知らないけど、それらの情報は全部――過去だよね?」


 そんな言葉はもう嫌になるくらい聞かされてきた。

 首謀者の血縁であるトラリアだけではない。昔からの同僚であるスザクも、響も、リフレットも。あの時はまだ一般兵だったがウィンもそうだ。王女マリーシャを筆頭に、何度も、幾度も嘲笑の種にされてきた。


「確かに今の隊長、副隊長はわたし含めて年齢で見れば若輩者ばかりかもしれない。けれど、誰も弱いだなんて言ってないと思うよぅ」


 その度に、今ある武力を持って敵を叩きのめしてきた。

 そして、敵国や無法者にこう思わせてきた。


「一隊長として言わせてもらうけど、今のバルフィレム軍務は歴代最強だよぅ」


 

 ――『バルフィレム(最強の名)は健在である』、と。



 芯の通ったトラリアの声が雪山に響く。決して叫んだわけではないが、その確固たる矜持は確かにレディアに伝わった。

 

「あら…………。ふふ、うふふふふ、そうね!そうだったわね!全く失礼な人ねあたくしったら。大切なのはいまですものね、バルフィレムという国を侮っていたわ。ごめんあそばせ」


 くすくすと笑う女が優雅に会釈する。その笑いが妙に耳心地良くて気分が悪い。

 演技がかっているのがトラリアの癪に障るが、それらも全て彼女の罠なのだろう。気を緩めてはいけない。ここは戦場なのだから。

 

「でも、それはあくまでバルフィレムという国の話。貴女自身はどうなのかしら」

 

(ほらきた。絶対言うと思ったよぅ)


 女の口撃はまだまだ続く。否、飛ばす刃は言葉だけではないようだ。先程も見た血の針、レディア自身によって切り裂かれた掌から滴る赤。ドロっとした液体がビードロような、蜂の針のような奇妙な形に姿を変える。


「揶揄される原因は貴女のお兄様であることに変わりはない。貴女達が大変な思いをしているのは全て彼のせいなのよ?よくもまぁ、隊長だなんて目立つ位置に居られるものね!」


 言い切ると同時に、血液で作られた針がトラリアへ向かって投げ飛ばされる。

 瞬時に神牙に魔力を流し、その血を薙ぎ払う。魔力の刃に当たった血は、形を失い返り血のように飛びかかった。

 頬にべっとり付着した血。煩わしく拭いながら、これまた何度も聞かされた言葉に答えを述べる。


「それはそう、としか言えないかなぁ。あの人が何を考えて事件を起こしたのかはわたしだって知らない。むしろわたしが一番知りたいくらい……。でもね、あえて強気に言わせてもらうけど、()()()()?」


 ぐらりと心が揺れた。沸騰する直絶の水のように、平面を保ちながらも、その底には幾つもの起爆剤が眠っているかの如く。


「 あの人の罪はあの人のもの。それを誰にどう言われようと、わたしが国を守る側の立場にあることを責められる言われは無いはずだよぅ」


 女の口が弧を描いた。


「えぇそうね!誰も貴女を責められない。だって貴女は罪を犯していないもの。貴女はきっとそんな周りを見返したくて頑張ってきたんだものね」


 先程まで人を蔑み馬鹿にしていた女が、今度は何か励ますようなことを言っている。

 

 ――そう。確かにわたしは頑張った。


「だから隊長にまで成り上がって、腕を奪った神牙を使いこなせるようにして、恐怖も苦行も乗り越えてきたのでしょう?」


 視界が段々と狭まっていく。

 ただ、声だけが聞こえる。

 女の顔も、よく見えない。


 ――だってずっと痛かった。心も腕も……人の目も。


「もう誰もあなたを責めたりしないのよ。誰も貴女を傷つけられない。ゆっくり休んでいいのよ。――もう、疲れたでしょう?」


 急に体から力が抜ける。睡魔のような、抗い難く、心地よい倦怠感。


 ――疲れた…………?そう、疲れたんだ。頑張って、認められた。もう誰もわたしに兄のレッテルを貼らない。


「じゃあもうゆっくりおやすみなさい。その疲労も、貴女の感情による結果なのだから」


 トラリアの膝が雪に着く。その目はもはや何も写さず、ただ開いているだけにすぎない。そして耳にはレディアの言葉だけが残って、世界に無が広がった。

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