4章 13 短詠唱
この世界に来て、怪我をすることはあった。血を見ることもあった。けれど、死を見ることはなかった。
それがたとえ人間でなかったとしても。
他人の手によって訪れる明確な意識の消失、機能の停止、永遠の眠り。神であっても取り返しのつかないその痕跡に、酷く恐怖を抱いた。
『けれど、それを乗り越えなければいつまでも足手纏いなのよ』
頭の中で自分によく似た知らない声が響く。それは淡々と、それでいて懇々と告げる。
『武器はそこにあるだけでは武器足りえない。人が利用してこそその真価を発揮する。いつだって引き金を引いてしまうのは人間だけれど、守る盾を構えるのも人間なの』
――と。
☆。.:*・゜
「それで……わざわざ足止めするってことはまだ何か目的が残ってるってことですよね?レッドファンドさん」
トラリアがそう訪ねた。腰を低く落とし、短剣を構える彼女はその異名の通り、獲物を狙う虎のようだった。
対してレディア=レッドファンドは、トラリアが握る白銀の短剣に目を奪われている。
「えぇ、勿論。ホントは秘密なのだけれど……そちらの優しいお嬢さんへの感謝としてトクベツに教えてあげる」
と、彼女は葉へウインクを飛ばした。敵対勢力の可能性が高いとわかる今でも、心臓を掴まれるような美貌に思わず頬を染めた。
その様子を満足気に眺めるレディアは、場を引き締めるようにスっと目を細めた。桜のような艶やかな唇が震え、トラリアへの答えを述べた。
「――わたくし達は神牙を造りたいの」
たった一言。言葉としては簡潔だが、行動としてはあまりに複雑。葉は昨日シアンとトラリアから聞いた知識を思い出し、首を傾げた。
「待ってください。一人を除いて神は死んだんじゃないんですか?」
「えぇそうよ。お嬢さん迷イ人なのによく知っているのね」
神牙――死んだ神の核から造られた武器。しかしその元となる神はもういない。唯一残った『狂熱』のカノを残して神牙に造り変えられたのだとか。
「カノを探して武器にでもするつもりなんです?だったらアイシハイクに来るのは見当違い甚だしいよぅ」
葉よりもこの話に詳しいであろうトラリアでさえ、同様に首を傾げている。
レディアはそんな2人を愛おしそうに見つめ、演説をするようにゆっくり歩き始めた。
「まさか!神殺しなんて無謀を犯すつもりは全くございませんわ。塵も積もれば山となりますでしょう?神はいなくとも、神に類するものはこんなに沢山いるのだもの。採取し、凝集すれば、神同等の力になりますわ」
レディアの背後にいる冬が熱心に頷いている。
葉が聞いた話では、神が死んだ後、死骸は神牙に、残った魔力が眷属になったとのこと。眷属――つまりはここで言うスノーマンである。
理想論とも思える話だが、葉にはどうも理屈が通っているように思えた。しかし、トラリアは静かに首を横に振った。
「それは……机上の空論だよぅ。神は、神牙はそんなに簡単なものじゃない」
「空論も実践してみなければ平面のままですのよ。実行することで空論も現実に変わる。トライ&エラーというやつですね」
前例がないのであれば、できないとも言いきれない。彼女の言うことは、以前戦った組織――フィブルのギルドー=ガンドのような学者じみたものだった。
「いい加減、話終わった?姉様。フィルクル手助けに行かないと、せっかくの計画も『神殺し』に邪魔される」
熱心に語るレディアを覚ますように、酷く冷たい声が響いた。先程まで真剣な話で相槌を打っていた冬と呼ばれた少女だ。
真っ白な短い髪。氷の如き冷たい目は、髪と同じく霜のを思わせる白く透き通った睫毛で縁取られている。じっとしていれば人形と見紛うほど精巧な顔。雪山に似合わぬ着物を着ているためか、その姿はまるで雪女のようであった。
「それもそうね。引き戻してくれてありがとう、愛しい冬」
「ふふん」
レディアから感謝の抱擁を受け取った冬は、花が咲くように頬を色着かせ、得意げに鼻を鳴らす。外見よりも人間らしい感性のようだ。
微笑ましくもある光景だが、忘れてはいけない。葉達の目的は彼女らの足止めである。
「い、行かせない!」
「お前…………」
葉は腰に巻いたホルスターから、以前王都の老舗武器屋で購入した二丁の拳銃を手に取った。訓練での使用経験はあれど、実践はこれが初陣である。
冬がレディアを守るように前に出た。その顔は先程の満足感はどこへやら、不機嫌極まりない苛立ちを表していた。心做しか一段と空気が冷えた気がする。
「姉様の邪魔をするな。姉様に感謝されて、褒められて、挙句の果てにウインクまでされた果報者め!」
「えっ、そんな急に怒られても困るんだけど……」
「煩い黙れ!それ以上姉様に近づくな、そして視界に入るな!!」
「えぇ…………」
んな理不尽な。
ビシッと効果音がつくような勢いで指を刺された。貞淑さなどまるで感じられない。これでは妹弟ができて親に構って貰えなくなった子供である。
おもわず返答に困る葉。冬はそんな様子を気にすることなく、じっとり睨み、袖で口元を隠しこう言った。
「『水は水を映し、波紋を止め己を見つめる』」
☆
――アイシハイクに来る数日前。
「短詠唱?」
「そう。基本エインスカイに生きる人間は、魔法を使うのにいちいち詠唱なんか使わない。それはわかるね?」
「それは……はい。あたしも無詠唱?で、使ったことあるので」
「けれど、エインスカイとて詠唱が存在しない訳ではない。その種類の一つが短詠唱」
エルムがホワイトボードに「短詠唱」、「詠唱」、「複合詠唱」、「古代詠唱」と書き連ねる。
彼女は、葉が現在雑用として身を置く四番隊の副隊長である。軍務一の世話焼きと評される彼女は、魔法の基礎も知らない葉の為にわざわざ時間を取ってくれたのだ。
「通常魔法は体内に巡る魔力エネルギーを使用する。しかし、自身の許容を超える規模の魔法を使う時は、外気に混ざる魔力エネルギーを同時に利用するの。その指示として使うのが――」
「詠唱ってことですね」
「その通り。あと魔法陣も同様ね。けれど短詠唱っていうのは少し違う。これは、自分自身に対して喝を入れるための宣誓みたいなもの――つまり、体内へ呼びかける準備運動みたいなものだ。ここまでOK?」
「お、おっけー……?です」
「ホントにぃ〜?」
苦笑いでやり過ごす葉。理解ができていない訳では無いが、覚えられたかと言われると怪しいところ。授業で理解出来てもテストでできないのと一緒だ。
疑いの眼差しを向けるエルム。しかしその目はパッと笑みに変わった。
「ま、すぐ覚えろとは言わないけどね。正直、戦場で理屈を知っている必要は無いし。それに……」
「ん?」
エルムの視線は葉のさらに後ろへ向かった。ここは隊の執務室。一番奥にいるのは隊長であり、葉の師でもあるスザク・カケルだ。彼は未処理書類の山に囲まれながら、休憩時間を最大限読書に当てている。
「隊長ここまでのこと覚えてました?」
「覚えてないな」
「ほら、こんな感じだから。知識は覚えておいて損は無いけど実践で重要では無い、ってくらいだよ」
突如エルムに声をかけられ、即答したスザク。隊長である彼がこのレベルであると知り、葉は少しホッとした。
そのスザクはなんだなんだとホワイトボードを眺め「嗚呼思い出した」と呟いた。
「短詠唱か。葉も一つ作っておくといい。俺達迷イ人、特に魔法に今まで触れてこなかった人間にとって、『今から魔法を使うんだ』といういい自己暗示になるからな」
「へぇ、迷イ人だとそういう感覚なんですね」
スザクの言葉は、エインスカイ生まれのエルムには知り得ない感覚だったそう。彼女も勉強になったと関心している。
葉にとって魔法とは今まで使うどころか存在も知らなかった器官を使うこと。この世界に来て数ヶ月経ったといえど未だ手間取ることがある。スザクの言うようにスイッチ代わりになるのであれば、幾分か楽になるだろう。――と、納得しつつも、一つ気になることがあった。
「その……自分で決めるんですか、この言葉」
「嗚呼。なんかこう、自分が一番好きな言葉とか、やる気が出る言葉とか……そんな感じのやつ」
「あ、急にふわっとしてきた」
「まあなんだ。そのうち自然と見つかるよ。アタシも隊長も最初は毎回違うこと言ってたし」
スザクの回答にエルムがフォローした。否、残念ながらフォローにはなっていなかったが。
詠唱とは、葉の思った以上に感覚的というか、曖昧な定義であるそうだ。




