4章 11 救援到着
「誰かぁ……お母ぁ、お父ぅ。どこぉ〜…………」
搾り出した幼い声は、誰に届くこともなく無慈悲に雪へ吸い込まれた。
森を一人で探検なんてするんじゃなかった。
小さな頭は生まれて初めての後悔をした。
どこを見ても雪に埋もれた木々ばかり。どっちが家かもわからない。
日は傾き、寒さがさらに厳しくなる。
「お兄ぃ…………ぐすっ」
ぽろぽろ溢れる涙がマフラーを濡らす。濡れた側から冷えて、凍って、少女を襲う。
寒さで足が動かなくなってきた。手が悴んで感覚が遠くなっていく。
「ひっ」
不意に、すぐ側の茂みが音を立てて揺れた。
動物だろうか。兎ならまだしも、猪、熊…………少女の不安が駆り立てられる。
「こ、怖くない、怖くないよぅ……。トラリア、一人で戦えるもん」
護身用に家から持ち出したナイフを構える。
大丈夫だと己を鼓舞させながら、少女はじっと茂みを見つめた。
「…………」
たった数秒の沈黙が緊張によって引き延ばされる。体感では何分もそうしていたと錯覚する。
再び草木が揺れた。ナイフを持つ手に力が入る。
草を分けて現れたのは――子供用の手袋をぶら下げた枝だった。
『ニンゲン、泣イテル。痛イ、痛イ?』
枝に続いて、真っ白な雪の塊が顔を出した。それは少女の肩くらいの大きさで、小石や木のみで彩られた顔。
「あ……すのーまん。…………すのーまん!!」
少女の手からナイフが落ちた。震える足を必死に動かし、少女は小さな雪だるまに向かって走り出した。
ボフッと、思い切り抱きしめる。雪だるま――スノーマンは戸惑いながらも、その細くて頼りない枝の腕で少女を撫でた。
「うわぁぁぁぁん!誰も居ないがと思っだぁ、一人ぼっぢかど思っだぁ」
少女は滝のように涙を流した。暗い森に一人きりではなかったという安堵。仲の良いスノーマンが来てくれたという
抱きしめたままのスノーマンは雪の塊のはずなのに、どこか温もりを感じた。
☆。.:*
幸か不幸かライアの乱入により、渦潮のように乱れていたシアンの思考は正常なものになった。葉やトラリアも完全とは言わなくいが、会話が可能な程度には戻ってきたらしい。
しかし、現状最悪なことに変わりはない。眼前にはレディアとその仲間――フィルクル、冬と呼ばれた二人。彼女らが立ち塞がる目的は分からないが、敵であることは間違いない。
そしてライア。奴に関しては本当に分からない。正気を失っているのか会話は通じないが、いつものことと言われればそんな気もする。ただ一つ確かなのは、ライアが相手になるのであればシアンは葉とトラリアの援護に回ることが出来ないということだ。
戦闘能力において、シアンとライアは全くの互角と言っていい。お互いのコンディションやその場の状況にもよるが、決着がつかないことが殆どだった。
ギリっと奥歯を噛み締める。スノーマンの異変がレディアによるものであれば、一刻も早く根源を倒さねばならないと言うのに。
その本人はシアン達を楽しげに見つめた後、呑気に背後にいた仲間へ声をかけていた。
「フィルクル?そこにいるってことは神座との接続はおわったのね?」
「あ、やっべ途中だ……行ってきまーす!」
「全くあの子は……」
先程までの演技ぶった声とも、興奮の色を乗せた声とも違う、母親のような姉のような柔らかな声だった。
そんな彼女に諌められたゴーグルをかけた少女は、大慌てで森の奥へと走っていく。
――神座への接続。レディアによるスノーマンの核が目的という言葉を考えると、今の目的は恐らく眷属の支配か鏖殺か。何れにせよアイシハイク町民を助け出すまで余計な事をさせる訳には行かなかった。
「行かせるかっての!」
走るフィルクルを止めようと、シアンは一気に距離を詰めた。最悪足でも切り落とすつもりで、一切の容赦なく。並大抵の者であれば、防ぐことは出来ない速度だったはずだ。しかし今日、その攻撃で血が流れることはなかった。
「あっはは〜それはこっちのセリフだぜ、シアン」
骨をも容易く断ち切るシアンの一撃。予備動作なく振るわれたそれを、いとも簡単に防がれた。
目の前で、自身と同じ顔が笑う。なんと憎たらしいことか。単純なパワー勝負ならシアンに分があるが、スピード勝負ならライアに軍杯が上がる。大方、シアンの特攻は読めていたのだろう。
「よっし!ライア=ディアスタシア、そのまま止めといて〜」
「…………」
フィルクルが後ろも見ずに言葉を残し、走り去った。まるで初めから守られるのがわかっていたかのように。
その言葉を聞いた瞬間、ほんの一瞬ではあるがライアの顔が固まった。長年見てきたシアンにはわかる。あれは、何かが気に入らない時の顔だ。
しかし、ライアは特に何を言う訳でもなく、再び狂気的とも言える笑みを張りつけた。そして仰々しく演説でもするかのように腕を広げ、声高々に己の高揚を響かせた。
「さ〜あ戦闘だ、惨劇だ、そして殺戮だ!人間をどうこうするにしたって、まずはお前をどうにかしないとだよな!あっはは!!嗚呼そうだ。いつかは貴様と雌雄を決してみたかった」
「あぁそうかよ。生憎だけど、私は!今!忙しいんだ!!」
「あっはっは〜そう言うなって。私今とにかく誰かと戦いたいんだよ」
こちらの焦燥を知った上で、だからどうしたと言わんばかりの顔。本当に腹ただしい。目の前の金髪は炎の様な橙色の目を見開き、闘志を顕にしている。普段であれば「怒りも殺意も何もかも、多大なる感情は相手に手の内明かすようなもんだって、本当に!」と言うような女が、だ。
これが人命をかけたタイムリミットの最中でなければ、シアンとて喜んで相手をしただろう。だが現実はそうでは無い。名残惜しくもあるが、ここは一旦別の者に任せるべきだ。
「そんなに言うならアイツに相手してもらえ」
「は?アイツ?」
例え『天焼の魔神』と名高いライアを相手取れる人間が、この世にひと握りしかいないとしても。自身と同じ不老不死たる存在であったとしても。決して戦闘不能にできない相手ではない。
それが出来る人間の気配を、シアンはしかと感じ取っていた。
「ど、い、て、ろ、シアン!!」
男の声がした。風を斬る音とプラズマのような弾ける音が追従する。空間を焼切るような熱量と共に、鋭い一閃が真正面からライアを穿つ。流石に直撃は防いだようだが威力は落とせないらしく、熱源とともにライアは一度森へ吹き飛ばされて行った。
「すまん。遅くなった」
そこには一匹の狼がいた。黒い毛と金色の目を持つ大きな獣。背には気絶しかけた情けない男が乗せられている。
「ソラくん……速すぎ……グロッキーになっちゃう、なっちゃった、帰る」
「帰るな帰るな」
狼は背に乗せていた情けない男が降りたのを確認し、ふるりと毛を揺らした。四足歩行の獣が二足歩行になり、黒曜の毛が吸い込まれるように縮み、よく分からない過程を経て骨格が人のそれへと変化した。
そこに立っていたのはシアンとライアの幼馴染にして、世間では『雷霆の人狼』と畏怖される存在――ソラ=ドラッド。数日前まで「気が向いたから」という理由で旅に出ていた男だ。
「ナイスタイミング。ソラなら来ると思ったぜ」
「来るつもりは全くなかったんだけどな」
「その気がなくともトラブルの渦中に巻き込まれる。お前はそういう星の元に生まれてんだよ」
「最悪すぎる」
バシッと背を叩くと「何すんだ」と頭を叩かれた。割と強めに。
本当に存在自体が頼りになる男だ。ソラの救援で軽口が叩けるほど余裕が出来た。トラリアと葉も完全に気を落ち着かせたらしい。顔色が戻っている。
喧しいライアは吹き飛ばされ、レディアと冬は突如現れた男達に呆気を取られている。あたりはひと時の間静寂に包まれた。――が、空気を読まないやつというのは大抵どこにでも存在する。
「んギャーー出たァァァァァ!師匠だ!鬼だ!なんで?!やぁだお家帰るぅ」
「お家ここだろ」
「王都にがえ゙る゙うううう」
そいつはシアンを見るやいなや、ライア以上にけたたましい絶叫を上げた。そして虫のように這いずり下がり、背後の木に頭を強打し気絶した。ソラの背に乗ってグロッキーになっていた情けない男だ。
「見ろトラリア。哀れな弟弟子の姿を」
「あ、はは……」
シアンは心底呆れた顔で彼の姉弟子にあたるトラリアの名を呼んだ。苦笑いをうかべるトラリアと、見知らぬ人間の突然の奇行に戸惑う葉や敵一行。額を押えたソラを横目に、シアンは「そろそろ醜態晒すのをやめろ」と殺気を放つ。すると、男は「うひぇっ」と珍妙な声を発し飛び起きた。
「えっ、あ、なんだブラフか……」
「ブラフじゃねぇよ。あと三秒遅ければ撃ってた」
「何を?!」
「えっと、トラリア隊長?この方は……」
シアンと師弟漫才を繰り広げる男について、恐る恐る葉がトラリアに問いかけた。
「そっか、葉ちゃんはわたしが担当してたから会ってないんだね。彼はうちの副隊長だよぅ」
自身の話をしていると察知した男は、漸くまともに立ち上がり、気だるげに葉と向き合った。
「はぁ、葉ちゃんですよね?噂はかねがね、三番隊副隊長、ウィン=ジートゥルです。葉ちゃん凄いね、よくこの鬼畜と一緒に行動できるよね」
「えっと……シアンのこと?」
「他に誰がいるの」
「ウィンくぅん?扱かれたりねぇか、随分余裕だな」
「余裕じゃないです!もう無理です!!」
「だったらもっと体力つけろ!!」
「えぇーん、どっちに転んでも地獄ぅ」
彼はシアンの弟子の一人でもある。要はトラリアの弟弟子。幼い頃からとにかくビビり、サボり魔、そして実に頼りにならない。それらの矯正のため父親に軍務へ放り込まれ、副隊長という肩書きを背負っても尚、悲しいかなその質は変わらなかった。
「にしてもウィンくん早かったね。もう少しかかると思ってたよぅ」
「連絡来た時、レンタル地竜パレット支店の視察に行ってたんですよ。したら、まーじでたまたまソラくんが通りかかって乗せてきてもらったって感じです。振り落とされて死ぬかと思ったけど」
思い出しただけで顔色が悪くなるウィンの肩に「悪かったって」とソラが手を置いた。狼姿のソラが本気で走れば、それは確かに速いだろう。
ウィンの奇行で緩んだ糸を張るように、ソラが手を叩いた。
「で、だ。状況はだいたいわかってるけど、細かい話は全部終わってから聞くことにする。どうせオレはすぐに理解できん」
「そうしてくれっとありがたい。取り敢えずソラはライアをどうにかしてくれ。私は神座を見てくるから」
「それじゃあわたしも……!」
神座という言葉にトラリアが身を乗り出した。この中の誰よりもスノーマンの身を案じているのだ、気持ちはよくわかる。しかし、シアンは静かに首を横に振った。
「いや、歯痒いだろうがトラリアは葉とこいつらの足止めしててくれ。いざとなったらスノーマンを無理矢理にでも止める必要がある」
「なるほど。トラリア神座、シアン残りでもいいかと思ったが……神の眷属を相手取る可能性があるならシアンの方が適任か。『神殺しのシアン』、だもんな」
と、ソラが同意する。いくらスノーマンを助けたいとはいえ、最優先は人の命。操られるにしろ、感情を暴走させられるにしろ、神の眷属が敵になるというのならシアン以上に適任はいない。
納得したのか、トラリアは少し残念そうに引き下がった。切り替えの早い彼女のことだ。次の瞬間には自身のやるべきことをしっかりと見つめていられるだろう。
シアンは神座へ、ソラはライアと戦闘、トラリア&葉は敵の足止め。各員役目を把握するなか、残るウィンが手を挙げた。
「つっても師匠。案内はどうするの?一人じゃ場所分からないでしょ」
「お前がいるだろ」
「えっ?」
「え?」
シアンの返答に数回瞬きを返すウィン。トラリアが残るのだから、案内はもう一人の現地人に任せるのが最適。つまりはウィンである。
彼はフリーズが解けた途端、再び奇声を上げ始めた。
「いやだぁ!こんな戦闘狂の鬼畜と一緒なんて命が幾つ会っても足りないよぅ!!やだ!いやだ!あああああぁぁぁ!!」
「うるせぇ」
「あふん」
なんとも失礼極まりない弟子である。




