4章 アイシハイク編 1 「旅に出た。気が向いたら帰る」
しんしんと降り積もる、世界を白銀に染める雪。静かで、冷たくて、どこまでも広がるような錯覚をもたらす白。一抹の寂しさを抱く銀世界。
――――ただ一箇所を除いて。
「あっははははは!まさか、お前はこんなもんじゃねーだろう?手ぇ抜いてんじゃねーっての。ソラ=ドラッド!!」
「こンの……っ!」
幾つもの火球がソラを襲う。厚く積もった雪は溶け、湿った土が顔を出す。せっかくの幻想風景が台無しだ。
一つ、避けきれなかった火がソラの髪を焦がした。下手に動けば糸が四肢を締め自由を奪い、立ち止まれば火球が襲う。何とか糸を切ったとて、既に敵は背後にいる。
炎と共に突然現れた刃。首に食い込む寸前、本当に一歩手前で回避した。
「――っぶねえ……。なあ!どうしてオレらが戦う必要がある?」
全くもって不可解だ。まともな答えは期待しないが、せめて聞かずにはいられなかった。今現在、目の前にいるのは間違いなく700年という時を共にした幼馴染。その彼女が、本気でソラを殺しに来ている。
「答えろ――――ライア!!」
☆。.:*
――数日前。
「たっだいま〜!いや〜助かったぜ四葉。足腰悪いのにマジサンキュー。おかげで無事家に辿り着いた」
シアンが遅めの朝飯を食べている最中、玄関が勢いよく開け放たれた。尚、現在時刻11時半過ぎ。もはや昼飯である。
帰ってきたのは双子の片割れ、ライア。その手をがっちり握っているのは日傘を指した初老の女。家から一番近い小さな町――パレットで飯屋を営む元迷イ人だ。
「気にしなさんな。迷子の貴女を送り届けるのは我々パレット町民の仕事なのですから」
「何それ。初めて聞いたんだけど」
「町民の間にある暗黙の了解ってやつですよ」
「ね、シアンさん」と女――四葉が同意を求めた。シアンは無言で頷きながら朝食のパンケーキを口に入れた。
焼きたてほかほかの生地にバターがじんわりと染み込む。メープルシロップと雪山のごとく乗せられたホイップクリームが舌から甘さという幸せを届けてくれる。
脅威のカロリーモンスターにライアが「うげー」と舌を出した。
「起きて先ず食うのが砂糖と油の塊って正気じゃねーと思うのよ」
「お前が言うな味覚音痴。あぁ辛さ音痴は味覚じゃなくて痛覚が鈍いのか、ご愁傷さま。何でもかんでも辛くすりゃあいいってもんじゃないんだぜ」
「それよりはマシです〜。私はちゃんと五大栄養素摂ってますぅ〜〜」
顔を合わせてそうそうに中身のない喧嘩を始めた双子。二人揃って「四葉はどう思う?」と視線を一つに集めた。問われた本人はため息混じりに答えた。
「どっちも素材の味に対する冒涜だと思うのよ」
「「サーセンっした」」
容赦の欠けらも無い言葉に二人は頭を下げた。
飯屋『四葉の白詰』として長年看板を掲げる四葉の店は、小さいながらも多くのグルメガイドに紹介される有名店でもある。
日々いかに人を満足させられるか、研究者の如く味にこだわる彼女からすれば、二人の喧嘩内容は耳と目を疑うものだったのは間違いない。
「さて、と。私は店に戻るわよ。夜の仕込みが残ってるし」
四葉は踵を返そうと、杖代わりにしていた日傘を開いた。
「えー、もう帰んの?ちょっとくらい涼んでかねーとぶっ倒れるぜ?」
「私がいないと常連さんが泣くのよね。それに――」
ライアが「せめて水持ってけ」と冷蔵庫から冷えたボトルを投げ渡す。四葉はそれを受け取りながらフッと微笑み、双子に視線をやった。
「あなたたちの喧嘩は、見てる分には楽しいけど、仲裁するのは骨が折れますもの」
彼女はからりと笑うと、「お水ありがとうございますね」と、照りつける日差しの中へと出て行った。
外は強烈な日差しが生命を焼き殺すが如く猛威を振るう。それに負けじとセミ達がミンミンシャンシャン儚い一週間を謳歌していた。
四葉と入れ替わるように、陽炎の向こうから汗を滲ませた二人の客人が姿を現した。とても成人済みとは思えない身長の桃色お下げと、横髪を片側だけ伸ばした平均よりは背の高い少女。トラリアと葉だ。
「やっほー!遊びに来たよぅ」
「お、お邪魔します」
「あ?誰かと思えば……王都からわざわざここまで来たのか。ご苦労なこった」
「いやぁ、軍務の用事でパレットに用があったからついでだよぅ。現地解散したから来ちゃった」
「来ちゃったって……いいけどよ」
熱中症まっしぐらな炎天下。王都から歩いて1時間はかかるであろうこの街に来たのは軍の仕事が目的らしい。トラリア率いる三番隊の主な仕事はこの世界で生活する迷イ人達の補助。今日は迷イ人の多く住むパレットへの定期視察か何かだろう。
仕事であれば、少なくとも途中までは送迎のはずだ。少し安心したシアンは再び朝飯に手を伸ばし、立っていたライアが二人を出迎えていた。
「トラリアは仕事として、葉姉は?お前所属的にはスザっくんのとこだろ?」
「今日は休みなの。たまたまトラリア隊長と会って他の迷イ人達がどんな生活してるか見たくない?って誘っていただいたから」
「なーる」
確かに、王都にも迷イ人は沢山いるが普通に生活していたら分からないだろう。対してパレットは先程の四葉を始め、店を構えている人間の半分以上が迷イ人。エインスカイ出身の方が少ないのではないか、という程だ。友好関係を結んでおくのも大切だ。
「にしても……外暑すぎ。私暑いの好きじゃねーんだけど」
「へぇ。全然分からん」
「お前はまだこの家から出てねーからでしょ。そもそもの話暑さに鈍いし」
「フォレイグンさんのお屋敷お風呂でも思ったけど、ライアは炎魔法使うのに熱いの苦手なんだね。シアンは逆?」
トラリア達にお茶とアイスを出し、自分は暑い暑いと棒アイスを咥え冷風機の前を陣取ったライア。その姿を見た葉がアイスのカップを開けながら問いかけた。
「別に魔法の得意属性と体質は相関ないからなー。全くとは言えないらしいけど」
「私は別に寒いのも苦手じゃねぇよ。夏も冬もみんな一緒」
「師匠は年がら年中同じような服きてるよね。季節を感じられない」
「マジそれね」
常に上着も羽織らずノースリーブで生きるシアン。うだるような暑さは故郷を思い出して楽しくなるし、氷点下でも凍えたことは一度もない。むしろ雪が降って楽しい。
トラリアも呆れたようにシアンを見つめ、「わたしも寒さに強いほうけど、流石に上着は着るよぅ」とボヤいた。
「うん?師匠?トラリア隊長の師匠って……」
「シアンちゃんだよぅ。バルフィレム軍務メンバーの師弟関係は大抵ライアちゃん、シアンちゃん、ソラくんの誰かにたどり着くからね。隊長格はだいたい直系だけど」
「そうなんだ……。あ、そういえばスザク先生もソラに魔法を教わったって言ってたかも」
トラリアの言う通り、シアン達護リ人の三人はアルバイト感覚で軍務の戦術指導をしていた。基本迷イ人が来ていない時はやることが無いためである。今まで葉が会った中でいえば八番隊の響と、軍務所属ではないが、フォリアーテ教会のレイトもソラの弟子にあたる。
「そういえば、そのソラくん今日はいないの?もうお昼なのに」
名前が出たことで思い出したのかトラリアが辺りを見渡した。一に飯、二に飯、三四五も全部飯のソラが昼時に台所にいないのは珍しいことだからだろう。
「知らねぇ。数週間前に置き手紙残してどっか行った」
「ほらそこ」とシアンは壁にかかったコルクボードを指す。トラリアと葉がそれをたどって振り向くと、一枚の紙が貼り付けられていた。
ある日シアンが起きた時、机に残されていたメッセージカードだった。殴り書きのようなそれには、ただ二言だけ――
『旅に出た。気が向いたら帰る』
――と。
「えぇ」と葉から溢れ出た感嘆にトラリアが苦笑いをした。
「またかぁ。ソラくん旅好きだもんね」
「旅に出てた分の家事はツケとくだけだから別に結構なんだけどよ、帰るタイミングがわかんねぇのがネックなんだわ」
「通信機とか持ってないの?」
「私が言うのもなんだがな、あいつはデジタル向いてねぇよ」
全てを諦めた顔でシアンは立ち上がり、食器を洗う。別にソラは機械が使えない訳ではない。通信機も昔、一度くらいは持たせたことがあった。しかし、崖から落としたんだか、ゾウに踏まれたんだか、見るも無惨な素材の塊になって戻ってきた。その時に「二度とお前らに渡さねー」とライアがブチ切れたのだ。何故かシアンも一緒に。
「はっ、持たせるだけムダムダ。いいんじゃねーの?ソラは独自の連絡手段持ってるんだし」
話を聞き、バカにするように鼻で笑ったライアが徐に立ち上がる。アイスの棒をゴミ箱に捨てた後、その手でガラッと窓を開けた。
冷風機によって冷えた冷気が外へ逃げる代わりに、ジリジリとした熱気が入り込んでくる。そして、熱気とともに一羽の鳩が舞い込んだ。
「わっ、鳩?」
「そ。これこそあいつの連絡手段。そこらの適当な動物に手紙渡して届けさせるんだよ」
「もしかして、当たり前のように動物と意思疎通してる?」
「ザッツラーイ。ソラはガキん頃、動物に育てられてっからね。そのくらい日常会話なんだとさ」
ライアが鳩の足に括り付けられた紙切れを丁寧に開くと、案の定それはソラからの手紙だったようだ。しかし、その文字はインクではなく、なにかの樹脂と土を混ぜたような妙な液体が固まっている。
「で?ソラはなんだって?」
シアンは「相変わらず下手な字だなー」と愚痴をこぼすライアに、何と書かれているかを尋ねた。顔を顰めてなんとか解読を試みるライア。ミミズのような字と謎塗料のせいで読みにくいらしい。
「えっと〜?あー…………『気が向いたからそろそろ帰る』だって」
たった一言。それ以外は何も書かれていなかった。トラリアと葉は次にシアンが取る反応を思い浮かべ、引きつった顔で思わず互いに見合わせた。ライアも「あーあ」と不要になった手紙を燃やした。
勿論、シアンの反応はこうだ――
「〜〜〜〜!どこで!いつ!これを書いたのか書かれてないんじゃ、結局何日に帰るのかわかんねぇじゃねぇか!!」
それは夏の暑さに負けないくらい、烈火の如き怒りであった。




