3章 フォリアーテ教会編 1 マリーシャ王女
酷い世界だ。どこまでも真っ暗で、どこまでも無音が響く。頭が痛い、喉が張り付く、目を開けているかどうかもわからない。かつて彼らがみた最後の景色は、こんな闇だったのだろうか。
人間の記憶というのは本当に無情で、彼らの顔が、声が、仕草が……霧に呑まれて薄れていく。せめて、存在だけでも忘れてはいけないと、必死に手を伸ばす。足掻くように、悶えるように。それでも、無力なこの手は空を切ることしかできないのだ。
☆。.:*
「最悪だ。クソみたいな夢見た」
寝ぼけ眼で大部屋まで階段を降りてきたシアン。ただでさえ癖毛の頭がボッサボサになっている。
それを眺めるソラ。彼は不機嫌そうにパンを一斤丸かじりしていた。
「そうか良かったな。そんな事よりお前オレに言うことあるだろ」
「外でぶっ倒れてた私を部屋まで運んでくれて誠にありがとうございました」
「よろしい」
今朝、正確には昨晩。シアンはどうにも寝つきが悪く、部屋を飛び出して外で剣を降っていた。日が昇る辺りで漸く疲労が襲いかかり、半分気絶するように寝たのだ。それを一番に起きたソラが回収し、彼女の部屋に文字通り放り投げる。ここまでセットで、この家では割とよくある流れだった。
「ライアと葉は?」
「葉に合う服漁ってる。もうそろ来るだろ」
昨日、リュウガ一行が辺境伯邸に帰った後、葉はこの家に泊まったのだ。ここは葉の住む王都から少し離れた小さな町のはずれ。筋肉痛で死にかけている彼女を返すには少し距離があった。
シアンは冷蔵庫から朝食代わりの串団子を取り出し、もちもちと食べる。ソラが信じられないものを見る目で見ていた。彼は彼で一度鏡を見た方が良いだろう。
暫くするとふたつの足音が聞こえ、バンッと扉が開いた。
「はよーさん!シアン、テメーいつまで寝てやがるよ。もう昼近いぜ」
「うるさ……私が起きた時が私の朝なんだよ」
「なんてヤツ。まーいいけどさ、こっちは準備できたぜ」
「あはは……おはよう」
苦笑いで挨拶する葉。ラフなシャツとパンツスタイルだ。元々この家はエインスカイに来たばかりであてのない迷イ人を一時的に泊めるためにあるため、予備用の服はある程度置いてあった。
一通り食べて満足したらしいソラが立ち上がった。ライアがそれを見ながら頭の後ろで手を組んで言った。
「シアンの準備が出来たら王都行くんだろ。陣はできてるから直ぐにでも飛べるぜ」
「あ?準備なんか5分も要らねぇ。先外出といて」
そう言って歯を磨きだしたシアンとソラ。「んじゃ行こーか」と、ライアは葉を連れ出した。
玄関を出てすぐ。敷地内の一角にそれはあった。丸い円がいくつも重なる幾何学的図形。ところどころエインスカイの言語とも異なる古代文字が書かれている。
「あ、ヤベー消えてる」
一部野生動物が踏んだのだろうか、円が途切れている。
「葉姉、これなーんだ」
「なーんだって……魔法陣?」
「だいせいか〜い!ってまー、見りゃわかるよな。より正確に言うなら転移型魔法陣。つっても重要なのは式と魔力特性だから、基本的に私ら護リ人しか使えねーけどさ」
チョークを取りだし、欠けた陣を書きながらライアが説明を続ける。
「ここから王都に行くとなると一時間以上かかる、それは面倒。だから私らは基本コレで行くんだよ」
「そんなのがあるなら車要らないんじゃ……」
「まあそう考えるよな。けど、残念ながらどこでも行けるわけじゃねー。移動型、つまり空間を曲げる魔法陣は、唯一空間魔法を使える護リ人の一族にしか使用できないんだ」
「それじゃあ無理か」
葉が疑問を持つのもよくわかる。「汎用性を高めることが出来ればどれだけ便利なことか」と、ライア達もよく考えているがなかなか研究が進まないのが現状だ。
「待たせた、悪ぃ」
そうこうしている間にシアン達が外に出てきた。きっかり5分だ。
「いよっし!じゃあ全員円の中入れ〜、指の1本でも出てたらバッサリ切断されっからね」
「ちょっと待って、何それ怖いんだけど?!」
「空間魔法はシビアなんだ。円の中のものしか転送できないし、出口側で護リ人血筋のやつが魔力通してないと空間の狭間に置き去りにされるんだよ」
「あれ、護リ人って貴方たち三人しかいないんじゃ……」
「はい、テレポーット!」
ライアとソラの残酷な忠告に口を歪ませる葉。それよりも気になる点があったようだが、ライアが強制的に魔法を使ったため声だけが置き去りにされた。
☆
目を開けると、目の前ににっこりと微笑む煌びやかな女性がいた。淡いブルーが差し込まれた白のドレス。月のように輝くホワイトブロンド。その上にはこれまた豪華なティアラが乗っている。誰が見ても間違いなく、王女と呼ばれるにふさわしい威厳と温かみのある装いだった。
「はじめまして!貴女が葉さん?」
「ひぇっ、は、はひ」
「葉、落ち着け」
唐突な登場に声が裏がえる。まさかこんなフランクに話しかけられるとは思わなかった。思わず後ずさりして、後ろにいたソラに支えられた。
「マリーシャ、近い」
「あら、ごめんなさ〜い。楽しみでつい」
マリーシャ。葉も何度か聞いた名前だった。この国、バルフィレムの現王女。本人はゆるい雰囲気だが、よく見回せば巨大な会議室のような部屋、壁際には甲冑を着た近衛兵らしい者がきっちりと並んでいる。
初め国軍に入った時に教えられた。
どうもこの国の兵士は複雑な組織図になっているようで、国の防衛層は『軍』と『騎士団』の二つに別れているそうだ。『軍』はトラリアやスザクが所属する、望めば誰でも入れる開放的組織。一方『騎士団』は貴族に縁のある者、地位が確立された物のみが入れる閉塞的組織らしい。この近衛兵たちは騎士団の面々なのだろう。
チラチラとよそ見をしていると、「こほん」と小さな咳払いが聞こえた。
「改めまして、お初にお目にかかりますわ。バルフィレム現王女、マリーシャ=バルファーニャ。どうぞよろしくね」
「は、はい!か、かか、風希葉です」
「も〜、もっとラクぅ〜にしていいんですよ。見てくださいこの御三方。挨拶もしないの」
「さーせん、はよさーん」
「もうお昼よ」
ガチガチに緊張している葉と、緊張どころかもはや不敬に当たるライア。他の二人も似たような雰囲気だ。葉から見て護リ人たちと彼女、マリーシャは兄弟姉妹のような距離を感じた。
「さ、本題に入りましょ。いつまでも魔法陣に立ってないで、こちらに座って下さいな。騎士の皆さん!少〜しだけ席を外してくださる?私の賓客が緊張しては困りますから」
少し小ぶりの丸テーブルへ案内するマリーシャ。「護衛はこの三人がいるんだから大丈夫」と、近衛兵を下がらせた。兵達は戸惑う者、何も言わずに去る者、確かにそうだといった顔をする者と様々。彼らも一枚岩ではないようだった。




