6章 22 数百年規模の傷
冷たい微風が肌を撫でる。
真っ暗なビル街の真ん中に座り込むシアンは、呆然と夜空を見上げていた。
昼間の船旅から始まり、不自然な発展を遂げた都市への動揺。アレフリアとの会談から精霊の襲撃。アウラやシャオリアから告げられたこの国の現状。
そして何より唐突に襲いかかった友人の死と、自身の指先から溢れて言った無辜の命達。
理解の面でも感情の面でも、たった一日では到底処理しきれない怒涛の旅路になってしまった。
「よお、シアン。寝ないの?」
「寝ないんじゃなくて寝れないの」
「寝たくない、だろ」
「チッ……」
不意にかけられた落ち着いた男の声。聞き慣れた声の主は振り向かなくとも分かる。ソラだ。
開けっ放しのビルの扉から現れシアンの隣に座る彼は、普段より厚手の羽織に袖を通していた。
夢の中、見えている世界は都会といえどここは本来砂漠地帯。昼は灼熱だろうと夜は酷く冷える。寒がりのソラには堪えるのだろう。手に息を当て必死に擦り合わせていた。
「…………」
特に何を言いに来た訳でもないらしい。双方の間を沈黙が通り抜ける。
先に耐えられなくなったのはシアンだった。
「……ライアは?」
「あいつ? なんか帰るなり八霧から地図借りて考え事始めた。あの様子じゃあなんか企んでるのは間違いないな」
「なんで服破けてんのか聞いた?」
「オレは聞いてないけど海斗が聞いてた。『コケて瓦礫にぶっ刺さった』だって。見え見えの嘘つきやがって、もう隠す気もないってよ」
ソラを追いかけるなどと言って一人で都会側に顔を出した方向音痴は、彼女の匂いで気がついたソラによって回収されて帰って来ていた。
その際、腹部のインナーに大きな穴が空いていたのだ。
どう見ても自然にできたものではなかったが、シアンはアウラと明日の作戦を詰めていたのと、そもそも奴が正直に答えるはずもないということで自分からは尋ねなかった。
実際、まともな答えは帰ってこなかったという。
「あのさ……」
一つ目の話題はすぐに途絶えてしまったが、シアンは次の静寂が来る前におずおずとソラを見た。
「お前……今回どっちの味方だ?」
「どっちってのは?」
「人間か、それ以外か」
自分でも不思議な問いをしている自覚はある。目の前にいるのも、不老不死且つ事故で神器と同化していようが列記とした一人の人間だ。
しかしシアンは知っている。
ソラ=ドラッドの価値観が人間主体でないことを。綺麗事でもなんでもなく『人も動物も命の重さは等しい』と考えていることを。
それはつまり『人間以外の種の滅亡がかかっている場合、必要があれば人間を切り捨てる選択肢がある』ということ。
僅かな思考の後、ソラはぽつりと言葉を落とした。
「…………正直どうでもいい、だな」
その答えに、シアンは隣に置いてあった剣を強く握りしめた。
ライアは「人間はどうでもいいけど世界のために問題の解決はする」と言った。彼女の信念を考えれば、その言葉は嘘では無いだろう。
しかし、ここでこの男が人を切り捨てる判断をすれば、シアン達の勝ち目は地に落ちる。
ソラはシアンの手元を一瞥し、「まあ待て、最後まで聞け」と言葉続けた。
「ライアも言ってただろうけど、今回のこれは放っておくと被害は増える一方だ。ならオレは未来に生きる命の総数を取る」
「……つまり?」
「言葉にしろってか…………今回は人間に着くよ。そもそも精霊、神の眷属はオレにとって数える命に入ってないからな」
「あっそ……」
言葉こそ素っ気ないが、シアンは内心胸を撫で下ろしていた。
彼もまた己の理念と相容れないが、少なくとも今回は同じ方向を向いているのだと知ることができたのだ。それだけで、今は少しだけ呼吸がしやすくなるようだ。
「で、だ。お前はなにやってんの? 寝れないにしろ寝たくないにしろ、わざわざ表側に出てくる必要性はないだろ」
シアンの些細な安堵を邪魔するように、ソラの疑問は容赦なく突き刺さる。
「…………」
「はぁ……どうせお前のことだ。神器との同調でも試してたんだろ? どうにかして精霊を見えるように――って」
言葉に詰まる姿に、ソラの声は呆れの色を滲ませた。
神器。異世界から流れ落ちた神の宿る武器。使い手を選ぶが、使い手に一番使いやすい形にもなる戦友。
ライアのカグツチやソラと同化したタケミカヅチ同様、シアンの手に馴染むツゲイナギもまたその一つだった。
そして、それらの武器の最大の特徴が同調。ソラのように完全同化までは行かずとも、一時的に武器そのものの力を借り受ける技術だった。
「でもお前、できないんじゃなかったのか? ああ違うか、できなくなったんじゃねえの?」
「それでも……できる手立てを試さずにはいられねぇんだよ……神殺しだって見えなきゃ意味ないんだから……」
神殺しの力を手にしておきながら神の力を借り受けるなど笑止千万だと言うのは重々承知。それでも、人の命を護るためであればどんな手でも使うつもりだった。
実際、3、400年前まではなんの問題もなく使えていたのだ。
「……辛くなるだけだぞ」
ソラの静止にも近い忠告を聞き流し、シアンは再び両手で剣を掴んだ。
深い呼吸で邪念を払う。
自身の魔力を手に集中させ、剣そのものを覆うように形を作る。剣芯の奥の奥まで、分子構造さえも通り抜けるように魔力を流す。
(ここまではいいんだよ。ここから先、跳ね返ってくるツゲイナギの力を掴むだけ。手を握るよりも簡単なこと……)
手順はわかる。幾度となく使ってきた技なのだから。
鼓動が大きく、不安気に加速する。冷や汗が首を伝い、力む眉間に皺が寄る。金属音のようなものが耳のすぐ側で鳴るような気配がする。
反作用のように跳ね返ってくる神器の力が自身の魔力と交差した――その瞬間、剣は手を離れガランと鈍い音を響かせた。
「はっ…………くっそ……なんで……あと一歩、あとほんの少しでできるのに……」
無意識のうちに自身の手は剣を放り出していた。まる拒絶するように。
震える手が滲んで見えるのは目尻に浮かんだ涙のせい。
それが本来の力を発揮できない悔しさなのか、力そのものに対する本能的な恐怖なのかは分からない。
ハラハラと零れる雫をどうすることもできないまま、シアンは糸が切れたように座り込んだ。
(私が神器をちゃんと使えれば精霊も見えるはず。精霊さえ見えれば、人間嫌いに頼ることも、自分の無力に苛まれる必要もないのに…………なんでこんな……肝心な時に)
段々と呼吸が短くなる。視界が暗く、足に力が入らない。未だ手は震え、徐々に指先が冷たくなっていく。脳の隙間を埋めるように、自責の念が渦をまく。
「イップスって言うんだっけ? そういうの。クロウドから昔聞いたよ」
肩で息をしながら目を見開いたままのシアン。ソラは彼女の代わりに落ちた剣を拾い上げ、砂を払い落としている。
「お前の場合何年、いや何百年単位で抱えてるんだろ? 心無いこと言うかもしんねえけど、そんな精神疾患が今急に治りました! なんて奇跡は起きねえんだよ……お前が一番よくわかってるだろうけど」
俯いたシアンの視界に氷のような刀身が映り込む。
「ツゲイナギと会話してみたらどうだ? お前達はオレ達と違って別々の個体なんだからできるだろ」
「……ここ数十年……百年超えたかな……声聞いてねぇ」
「重症だな……」
最後にツゲイナギの言葉を聞いたのはいつだったか。声も思い出せないほど昔のことであるのは間違いない。
単なる武器としては今もずっと使ってきたが、相棒としての意思疎通はある時を境にできなくなっていた。
「まあとにかく! 精霊はオレに任せろよ。ライアはちょっと宛にできないけど、アウラは秘策があるとか言ってたし」
恐る恐る剣を受け取るシアンの方を、少し強めにソラが叩いた。
彼にしては妙に明るい声。気を使われているのがわかった。
「それともなにか? オレじゃあ信用に値しない? 力不足とでも言いますか?」
「言わねぇよ……お前で無理なら誰も勝てねぇだろ」
おどける様なわざとらしい態度に、反射的に悪態が飛び出す。
自分がどんな顔をしていたのかは分からないが、シアンの顔を見てソラは思わずと言ったように吹き出した。
「ふっ……はは、その面! お前はそういうイイ感じに機嫌悪い方が似合ってるぜ」
「なんだイイ感じに機嫌悪いって……初めて聞いたわ」
珍しく大口を開けて笑う彼の姿を見て、漸く手足の震えが収まった。
シアンは名残惜しそうに剣をしまい、無造作に腕で涙を拭う。晴れた視界の先ではソラの背がこちらを向いている。
「ほら! 明日、お前は別にやる事あるんだから、せめて横になるくらいしとけ。気絶するまで剣降るとか馬鹿な真似すんなよ。オレ今日は世話やかねえからな」
「わかってるよ……いや待て、私がいつテメェの世話になったって?」
「普段庭で気絶してるお前を部屋に放り混んでるのは誰だと思ってる?」
「…………その説はどうもお世話になってます」
「よろしい」
普段通りのやり取りをしながら、シアンも拠点に戻るための一歩を踏み出した。




