6章 20 気まぐれな善意
日光さえも避けるように険悪な空気が漂う。
路地奥の更に奥とはいえ人通りが全く無いわけではない。道行く人はサッと目を逸らし関わらないようにそそくさと足を速めるが、「人間の機嫌など知ったことか」と言わんばかりに空気を読まない者がいた。
それは、黙り込んだシアンとライアの足元にやってきては、双方の顔をじっと見つめる青と白の斑模様の蛇だった。
「二人ともこんなところにいたのかよ。アウラ隊長が呼んで……って、おいライアどこ行くつもりだ?」
「大地ー、私ソラ達追いかけるからちょっとその蛇借りるな」
「はぁ? いや、アンタみたいな方向音痴、蛇一匹には荷が重いだろ……」
「あーあー、聞こえねーー 」
蛇を追いかけて建物の影から大地が顔を出した。その間にも、ライアは疑問符を浮かべたような蛇を腕に乗せ一人その場を離れようとしている。
「アウラには『精霊の動向が気になるから様子見に行った』って言っといて」
「えぇ…………シアン止めないのかよ」
「いや……あぁ…………うん。いいよ、勝手に行かせてやって」
「…………」
目を逸らし、言葉を濁したシアンに大地の訝しげな視線が刺さる。観察眼に長けた彼のことだ。姉妹間で喧嘩に近い何かがあったことくらいは察しているだろう。実際は喧嘩とも言えない、ただただシアンが言い負かされただけなのだが。
彼は一瞬だけ考える素振りをした後、渋々シアンの肩を叩く。
「まぁいいや。アンタだけでも来てよ、今後の作戦に関して話があるってから」
そう言って路地から離れようとする大地。
鉛のように重い足を踏み出しながらも振り向けば、いつの間にかライアは姿を消していた。物音一つ立てないあたり、追いかけてくるなという意味なのだろう。
路地を出ると容赦ない日差しに目が眩む。手で影を作るも、一度光を見てしまった瞳孔が直ぐに慣れることはなかった。
「お前、さっきのライアの言葉聞こえてた?」
シアンは先を行く大地の背に恐る恐る投げかけた。前を向いたままの彼を見るのは、今日だけでもう二回目だ。
「『人間クソほど興味ねー』ってやつ? それが何」
「…………いや」
思っていた反応と異なり思わず言葉に詰まる。もう少し動揺とか警戒とか、そう言った色の返事が来るとばかり思っていた。
「あの人最初から人間嫌いだろ?」
「知ってたのか」
「そりゃあ、本人に隠す気無さそうだし。何より僕も人間はそんなに好きじゃないからな……よく人間のここが嫌い、みたいな話するし」
実際は聞こえていた上に、彼にとっては既知の情報だったらしい。
もっとも、よく考えればわかることだったはずだ。大地は軍の中でも外でも「人間はクソだ」と公言している。それこそ彼の上司、部下、同僚、果てには近所の人まで周知の事実だろう。
その彼とライアの気が合わないわけがない。自ら進んで言葉にしないだけで、あの片割れとて隠している訳では無いのだから。
シアンの胸の奥にあった憂悶は安堵に塗り替えられていくと同時に、目の前の若者に対して別の不安と疑問が浮上した。
「お前よく人間嫌いで軍になんか入ったよな。基本的に人を助ける仕事だぜ?」
「簡単な話。場合によっては人を殴って金が貰えるから」
「今後お前にだけは野蛮とか言われたくねぇな……」
「ってのは二割くらい冗談で……あとは単純に、恩返しだよ」
話題がズレたことでシアンの心が少しだけ軽くなってきた。
ジリジリと照らす日光。じんわりと汗をかいていることにやっと気がつくほどには余裕ができていた。
「バルフィレムにとって僕達迷イ人を助ける必要、本当はないだろ。はっきり言って資源の無駄」
煩わしそうにフードを被る大地。自身の仕事に対する思いを言うことへの照れ隠しなのか、単に黒髪が熱を吸収しやすいからかは分からない。
「それでも、あの国は元の世界を逃げ出した僕達を受け入れてくれた。それに対する恩返しくらいしないといけねぇって話。僕に限らず、海斗も八霧さんも……軍にいる大体の迷イ人がそうだと思うぜ。響さんみたいのは別として」
響のような赤子の時に転移してしまった者を除いて、少なくともシアン達護リ人が保護した迷イ人は皆初めに一つの選択をする。
『この世界に残るか、元の世界に帰るか』
片方を選べば、もう片方は選べない。
来てしまったこと自体はただの事故に過ぎない。しかし、今ここにいる大地達は皆その選択の末、自分の意思でこの世界に生きることを望んだのだ。
(元の世界を逃げ出した……ね)
そして、彼らの多くは元いた世界に対する未練がないと言う。それに対してシアンは自ら詳しく聞くことはしない。
誰も彼も皆一様に悩みや苦難を抱えて生きているのだろう。それだけは、よくわかっているつもりだった。
☆
「おや、来たね……ライアは?」
「精霊が気になるってどっか行きました」
「…………ふむ、まあいいか。八霧の蛇は一緒にいるんだろう? なら連絡は着くはずだよ。それよりも二人とも、さっさと汗拭いて水分取りな」
救護セットの確認をしていたらしいアウラが、着いたばかりのシアン達に濡れタオルを投げ渡した。そのまま顎で壁際に置かれた箱を指す。水があるから飲めとの事だろう。
(ここは……集会所か何かか? 随分でかいな)
風通しの良い建物の中では幾分か暑さがマシに思える。冷たい水を飲みながらシアンはくるりと中を見渡した。
軽いスポーツくらいならできるだろう広さ。中ではシャオリアの指示の元、何人かの使用人らしき者が忙しなく動いていた。
その時ふと、シャオリアの周りに武器を持ったものが誰もいないことに気がついた。
一国の王子、それも陰謀に巻き込まれている最中、護衛の一人もいないというのは不自然ではないか――と、今になって漸く疑問に思った。
「そういえば、カズロットの近衛兵はどうしたんだよ。見た感じここにいる民はシャオが無罪だってわかってそうだけど……」
「どうも皆精霊に怪我を負わされているらしいよ。まともに戦えるものはほとんど居ないそうだ」
「だからお前が手を貸してるのか……」
「そうさ。ここにいる国民は皆シャオリア殿下の人柄を好いている人達だから心配入らないよ」
「ガキの頃から城抜け出してたのがこんなとこで役にたつのか……」
シアンの問いに視線を寄越すことなく答えたアウラ。
なぜ他国の軍人であるアウラが前線に出ようとしているのか不明だったが、そもそもカズロット側に出られるものが居ないのであれば納得できる。
いくら他国とはいえ、カズロットはバルフィレムの隣国でもある。故にここで手を貸しておくのが後々の利益になるとでも考えたのだろう。
「で、話ってなんだよ」
「うん? あぁそうだ……明日の作戦についてさ」
「明日……」
「逸る気持ちはわかるけどね、今日はもうすぐ暗くなる。精霊も見えない上に視界も悪いんじゃあ圧倒的に不利だろう?」
不服が滲んだシアンの声に、アウラが淡々と指摘した。
実際彼女の言う通りである。夜行性に近い八霧や夜の先頭になれているソラならば問題はないだろう。彼らは精霊も見えているわけだし。
しかし、自分を含めほとんどは精霊を視認できない。わざわざ不利な戦況を選ぶ必要もないのは、理解できる。
「とはいえ、現実世界が夢に侵食されるっていうタイムリミットがある以上、悠長なことは言ってられない。作戦は明日の朝イチだよ」
彼女は自分の仕事が終わったのか、「よっこいしょ」等と呻きながら立ち上がった。腰を摩る様子はどう見てもただの老婆。これで未だに前線に立とうとする気概が恐ろしい。
アウラはシアンと大地を交互に見ながら数えるように指を立てた。
「いいかい、明日やるべき事は大きくわけて三つ。精霊を止めること、夢の侵食を止めること……そして今地上にいる生存者を全員こちら側に連れてくることだ」
その言葉に大地が小さく手を挙げた。
「でもっすよ、夢の侵食を止めるったって具体的にどうするんです? アレフリア様をとっ捕まえて止めさせるんですか」
「いいや、これに関してはシャオリア殿下から秘策があるそうだ。まぁ、詳しいことは八霧達が戻ってきてから話すよ。深入りはするなと言ってあるからね、すぐ戻ってくるはずさ」
だから今日はさっさと休めとでも言うように、アウラはシッシと手を振った。
☆。.:*
「あー、完全に蛹になってら……めんどくせーことになったな…………」
斜陽が照らすビルの影。ライアはソラを追いかけて表の都会に顔を出していた。――が、その隣にソラはおろか海斗や八霧の姿はなく、どう見ても一人きり。哀れ方向音痴は今日も合流失敗である。
視界は相変わらず夢の世界である都会と、本来のカズロットが重なって見えている。例えるなら専用メガネなしで見る3D映像。とにかく酔いそうで仕方がない。
「あーあ、右見ても左見ても血溜まり死体だらけ。羽虫が居なくなっただけマシかー。ね、蛇〜……って気絶してる……なんで?」
腕に載せていたはずの蛇は何故だか死んだようにピクリとも動かない。精霊のお膝元で本能的な脅威でも感じたのだろうか。
「まーいいや。蛹見に来ただけだし……」
再び天を見上げれば、半壊した塔の上には先の大精霊ではなく、繭や蛹のような魔力体。
戦闘の最後に怒り狂った精霊が発した古代詠唱。その内容から察するに、もしかしたらと思って見に来たが……全く嫌な方にばかり事態は進んでいくものだ。
「ひっく……ひうっ……」
目的は果たしたと踵を返そうとするライア。その鼓膜をすすり泣くような、紙を擦るような奇妙な音が揺らした。
(あ?……なにー、生存者? めんどくさ……)
よく見れば建物の裏に場所に子供の影。斜陽は更に傾き黄昏と宵の口の狭間で視界は悪いが、確かに何かがいる。
『どうしてもっと早く言わなかった!』
ライアには助ける気など毛頭なかったが、脳裏に数分前の片割れの言葉が木霊する。
いまにも泣きそうな顔。指でつつけば崩れてしまいそうなほど弱々しい、昔から変わらない姉の顔が。
『ヴァルエイラが死んだ…………? また……私は…………私が――!』
あの神殺しが人間の死を何よりも嫌うのは、一体いつからだっただろうか。
他の何を切り捨ててでも人間の命だけは護ると叫ぶ片割れ。それが例え自分の感情であっても、弱さであっても、いっそ自分を殺してでも。
(あーあ……人間なんぞ守って何になるんだっつーの)
ライアには何百年経っても、それだけは理解ができなかった。
(まー、うん。また怒鳴られたらたまらねーし、今回だけは手を貸してやるか……)
ほんの気まぐれ、後の面倒事を回避するための情けだった。ライアの足が気怠げに子供の影へと踏み出される。
「ヘーイ少年だか幼女だか知らんけどクソガキ〜。生きてんならちょっとこっち……に――――ゲホッ…………?」
何があったのか理解するまでに数秒かかった。
腹を貫く異物。内蔵を焼くような熱。引き抜かれて飛び散る血液はどう見ても自分から流れ出ている。
(何? 子供の形した何かから棘……いやこれよく見れば紙か?)
重なる視界のせいで判断が鈍ったか。影こそ幼子のようにも見えるが、よくよく見れば紙人形。その形は既に崩れ、槍のごとく鋭利なものに変わっている。
血が滲む和紙のようなそれは、みるみるうちに細切れになり蝶のように姿を消した。まるで華麗な証拠隠滅。
こんな芸当ができる人間を、ライアは一人しか知らなかった。
「ごほっ…………テメー、折香……敵意はないんじゃねーのかよ」
「いやでありんすよライア姐さん、敵意だなんて。これはスカウトでござんす」
「随分、手荒いスカウトだこと……」
陽の光は既に欠片もなく、今日という日に限って月もない。星の光では相手の姿を見せるには力が足りず、視界はぼやけていくばかり。
「お久しぶりでありんす、お元気そうでなにより。今日は、姐さんにお話があって参りんした」
川のせせらぎのような玲瓏な声が耳を撫でる。
相手の澄んだ気配とは裏腹に、自身に空いた風穴から血液以外の何かが漏れ出る気配。ライアは耐えるように奥歯を噛み締めた。




