6章 13 数分ぶり、数時間ぶり
『いいかチビ子。軟弱者のクソ泣き虫。神たる俺からいいことを教えてやる。たとえ神であっても全ての人間を救うなんて無理なんだよ。ましてやお前は今、神殺しになろうとしている。わかるか?神殺しだ。それは殺す力であって、何かを護る力にはならないんだぜ』
(うるせぇなぁ……ンなことはわかってんだよ……テメェに言われた時からずっと)
後ろ髪を引かれ、時折足を縺れさせながら、シアンは前を走る大地の背をぼんやりと眺めていた。走馬灯のように頭に浮かんだ育ての親の言葉に心の中で悪態を着きながら。
塔の近く、首都の中心部から離れるにつれ、群衆の悲鳴は遠いものになっていく。通りを一本抜けただけでも、異質な程に人気がない。
ここまで来れば流石のシアンも頭が冷えて、正常な思考が戻ってきていた。
「大地、もう手ぇ離してくれて大丈夫だ」
「…………」
「なに、自由になった瞬間助けに戻るほど私は愚かじゃねぇよ」
「…………その言葉、信じるぞ」
速度を落とし、一瞬懐疑的な視線を向けた大地。それもすぐに消え、シアンの言葉通りにパッと手を離した。気が付けば彼の足元には一匹の蛇が巻きついている。
じっとこちらを見上げるつぶらな瞳。なぜこんな砂漠のど真ん中にある国に青い蛇が……と疑問が浮かぶが、それが大地に引っ付いていることを考慮すると、自ずと答えが現れた。
「その蛇、八霧のペットか」
「正確にはバルフィレムの堀にいる野生だけどな」
蛇は器用に大地の体を伝い、彼の腕まで辿り着いた。そして、尾で自重を支えながら「あっちへ行け」というようにあるビルの方向へ頭を突き出している。
(特になにか特徴がある訳でもない、ただのビルじゃねぇか……ここに何が?)
周囲を改めて見るとハリボテのように生活感のないビル群。人気がないこともだが、何より辺を動く車のような浮遊物体が、先程から規則的な周回しかしていないことに気がついた。まるで初めから決められたプログラムに沿っているだけ。同じ映像を繰り返しているだけのような温度のない動き。
ソラの言った「匂いだけは昔のまま」。その言葉と合わせて、漸く街の違和感の正体に糸口が見えた気がした。
「とりあえず入ってみるか……この蛇が言うってんなら罠じゃないんだろ」
「多分……てかおそらくは八霧さんの迎えじゃないか? 結局隊長も八霧さんも、アレフリア様のところにはいなかった訳だし、あの人僕のことをわかってるのに話題にも出さなかった」
「……確かに、な」
アレフリア自らバルフィレムの研究班である五番隊に声をかけておいて、彼はその副隊長である大地になんの案内も示さなかった。
先に来ているはずのアウラ達が、後ほど合流する者のことを話さないわけがないだろう。いくら急を要していたとはいえ、護リ人との会談の場に同席を許したのも気にかかる。
「まぁいいや。詳しいことは本人達に聞けばわかるだろ…………開けるぜ」
電気や魔力が通っていないのか、ピクリとも動かない形だけの自動ドアに手をかける。もったいぶるようにゆっくりと開く重い扉。隙間が出来るや否や、蛇はさっさと中へ入っていった。
「お〜、おかえり水玉。そして、やほ〜」
人が通れるくらいに開いたドアの向こう。外の光が入ったことで砂埃が舞うのが見える。
そんな静閑な建物の中に、間延びした男の声が反響した。
「あ、八霧」
「お疲れ様です、八霧さん」
「はいおつかれ〜、大変だったね〜お二人さん。ライアちゃんやソラ君たちは隊長が迎えに行ったから、とりあえず中に入りなよ。この炎天下だ、こまめに水飲まないと脱水になるぜ?」
と、矢継ぎ早に言いたいことを言った後さっさと建物の奥に進む八霧。「一応扉、閉めといてね〜」という言葉を残して非常階段らしき表示の扉の中に消えてしまった。
言われた通りに再び光を差し込む半開きの自動ドアに近寄ると、ちょうどそのタイミングで砂の塊が二つ、ビルの中に飛び込んできた。
「今度はなんだよ……」
「ん、その声はシアンだね。よかった、大地もいるじゃないか」
「お疲れ様です、アウラ隊長。遅くなりました」
サーフィンのように中を駆ける砂。器用にもその上にたっていたのは、一人の老婆。八霧と共にこの国に来ていたというアウラだった。
彼女は軽々と床に降り立ち、パチンと軽快に指を鳴らす。音に反応するように、その背後に浮遊していたもう一つの砂の塊――こちらは完全な球体だった――がザラザラと風船が割れるように崩れ落ちた。
「無理、酔った…………」
「うえっ、ぺっぺっ……口ん中に砂入った…………」
中から鈍い音と共に落とされたのは見慣れた二人。先程シアン達を押し出すように塔に残ったはずのライアのソラだった。
「なんだ、生きてたの」
「あはは! あったりまえだろー、不老不死だぜ?……ちょっと危なかったけど。アウラサンキューね」
「間一髪ってとこだったよ。間に合ってよかった。詳しいことを聞きたいが、後にしようか」
「そうして。ちょっと簡単に終わる話じゃなくなってきちまったから……」
青い顔のまま感謝を述べるライア。今回の度は奴の三半規管にものすごい負荷をかけているようだ。
一方のソラはあまりわかっていないアホ面をしているが、少なくともライアの表情から劣勢だったことが伺える。ライアとソラという、ほぼ世界で最も強いだろうタッグを持ってしてもこの反応。相手は相当な脅威なのだろう。
「で、アレフ達は?」
「あぁ……っと」
言葉を濁すシアン。見かねた顔で大地が口を開きかけるが、その前にライアが話を続けた。
「あー、理解。どうせシアンが発作起こしたんだろ。ただでさえあの人混みじゃあ見失うのも無理ないってのに……面倒押し付けてワリーな、大地」
「いや、僕は別に……」
チラリと気を使うような視線が刺さる。あの場、あの惨状でシアンがどういう反応を見せるかなど、ライアにとっては分かりきったことなのだろう。言い淀んだ時点で予想が確信に変わった、そんなところか。
「どうする、探しに行くか? 行くならオレ行くぜ」
ソラがこの場で最も状況を理解しているだろうアウラに問いかける。仮にも王族、仮にも幼い頃から知っている者。事態を引き起こした張本人に責任を負わせるためもあるだろうが、彼の僅かな良心が痛んだからでもありそうだ。
しかし、肝心のアウラは静かに首を横に振った。
「アレフリア様のことは一旦考えないことだ。いないならばむしろ都合がいい」
「都合がいい……ね。ま! 何となくわかるけど!」
全てを知ったような顔で笑うライアの声が妙に耳に残る。普段は何も気にならないのに、今日という日だけは剥がし残したシールのような不快感。
振り払うように小さく首を振ったシアンに気が付く者はなく、皆、アウラが先程八霧が入っていった扉を開くのを眺めていた。
「兎にも角にも、全てはこの場を脱してからだよ。一息ついたら、説明しよう」
☆
蛇からバトンタッチした八霧に案内されて辿り着いたのは、シアンもよく見慣れたカズロットそのもの。国の民達もどこか不安を滲ませながらも和気藹々と生活を続けていた。
(いや、なんでカズロットにあるビル下ったらカズロットに出るんだよ……)
場面を無理やり切り替えられたかのような違和感が残る。道中、目が覚めるような感覚と、空間が歪んだ気配がした。きっとそれらがこの不思議空間の正体を明かすヒントになるのだろう。
(少なくともこの世界の原住民に空間魔法は使えないはずなんだけどな……護リ人血族以外……)
「空間魔法……」
見えない脅威が増えたような悪寒がシアンを襲う。ライアも独り言のように声を漏らし、ソラも考え込むような顔。この違和感を捉えたのはシアンだけではなかったのだ。
もっとも、今考えていても仕方がないので、シアン達は一旦この疑問を脳の隅に追いやり、大人しく現状に目を向けた。
「おーーい! 無事だったか、お前たち!!」
「お、早速うるせーのが来たな」
ブンブンと手を振り、自身の存在を主張する青年。数時間前に別れたばかりの海斗がそこにいた。彼の隣には八霧もいる。二人して呑気に赤い木の実のようなものを食べている。
早くもソラが興味を示し、八霧から何粒か受け取っていた。
「何食ってんの」
「これか? スコルグだ。干し柿っぽい味、かなり甘いな!」
「ああ、アレか。そういえば昔食ったことあるわ。カズロット含めこの辺の国の主食だよ。お前達の世界で言うなら……デーツに近いか」
「デーツかぁ。食ったことはないけど昔読んだ漫画に出てきたから存在は知ってるぞ! ははぁ〜、こんな感じなのか知らなかった」
思わぬ形で故郷の未知に触れたらしい海斗が、しみじみと木の実を味わっている。シアンや大地も半ば強制的に口に放り込まれ、咀嚼を余儀なくされた。尚、ライアだけは笑顔の圧で拒否していた。
「あ、そういえばな。さっきシアンに似た人を見た!」
じんわりと甘みが口に広がるのを楽しむ中、急に何かを思い出したらしい海斗がシアンの顔をじっと見た。確かめるように、特に目の当たりを凝視されて居心地の悪さに苛まれる。
「でも違うな! あの子はもっと清楚系だった。本物はこんなにも野蛮人だものな!!」
「失礼が過ぎるだろ」
「すまん!」
太陽のような満面の笑みで繰り出された言葉の何と失礼なことか。シアンは八霧からもう一つスコルグを受け取り、大口開けて笑う海斗に向かって投げ入れた。彼は器用にも喉に詰まらせることなくそのまま歯でキャッチしていたが。
「……シアンに似てるって、それライアにも似てるってことじゃないのか?」
「いや、シアンだった。だって髪が白かったから。まぁ、目の色は違ったけどな。綺麗な紫だった」
「スザっくんといいお前といい、人のことを髪の色で判別すんなっつーの」
「知らんのかライア。人間は髪染めただけでも一瞬誰か認識できなくなるものだぞ」
「知っとるわ」
ソラ、海斗、ライアが他愛もない話を続けている。その横で、シアンの中に新たな懸念が生まれていた。
他人の空似と一蹴するのは容易だろう。実際、似た人間の一人や二人いたところで驚きもしない。しかし、同じような話が二度目となれば話は別だ。
(以前ソラと戦ってたあのガルってやつ……あれも異常にソラとそっくりだった。そして……ギルドー=ガンドの言葉が正しいなら、ガルが空間魔法を使えるのは間違いない…………)
つい先日のカルヴィテリア公爵家で起きた事件。あの屋敷の中身、部屋割りなどをまるっと作り替えたのは、先手を打ったガルによる空間魔法だった。
そして、今回はシアンによく似た外見の女。そして誰の仕業か分からないこの不思議空間。
ばらばらに置かれた点が、どうにも一つに繋がるような、まだなにかのピースが足りないような、そんな感覚がシアンを襲う。
思考の迷宮にハマりそうになる直前、首筋にじっとりとした冷たいものが当てられた。
「うおっ……」
「はは! 色気のねー声。ほーら水、暑さ対策は糖分だけじゃだめだぜー」
「八霧……普通に渡してくれよ」
「だってなんか心ここに在らずって感じだったし〜? きょーせー的に気が付かせるにはこれしかねっかな〜って。置いてかれるよ?」
悪びれなく目尻を下げる彼がふと前方を指さした。ぼーっとした時間は案外長かったのか、隣にいたはずのライア達は既に歩き始め、かなり先の方にいた。
「あぁ……うん、悪ぃ。教えてくれてありがとな」
「いいってことよ〜。怠いのも頭回らないのも大抵ほとんど暑さのせいだから!」
「ね〜」と腕は自身に巻きついている蛇達に声をかけながら進む。彼の蛇達も本来暑さには強くないだろう、随分と弱々しく舌を出していた。
「とりま、屋根のあるとこ行こ。現状の説明もしなきゃだし〜? 今後の話、手伝ってもらいたいことあるしね」
中身は真剣な話だろうに、鼻歌でも歌いそうなくらい陽気に先を行く八霧。
シアンは受け取った水を一口流し込み、その背を追うように駆け出した。
地面に垂れた水滴がじわじわと広がり、黒いシミを作っていた。




