6章 12 蛇の案内
ほんの少しですが地震に似た描写があります。苦手な方は真ん中少し先くらいまで飛ばしてください。
念願の友人との再会を果たし、その友人の本名まで知ることができて海斗は実にご満悦。通り過ぎる街の者達も、「なんかよくわかんないけど微笑ましい」と言うように暖かい眼差しを送っていた。
「それで、シャオ。もう一度聞くがこの国は一体どうなっているんだ」
「えっ、あぁ……うん、ちょっと待って……」
「うーん、余韻が短い……軍人としては結構だがもう少し情緒を大切にしてもバチは当たらないよ」
「え?」
感動のワンシーンはものの数秒。目の前のシャオリアは涙混じりに微笑んだまま、海斗本人も満面の笑みを浮かべたままにも関わらず、唐突に真剣な次の話に移行した。
お陰でシャオリアの涙はすっかり引っ込み、その隣でアウラが頭を抑えている。しかし海斗には彼女が何故苦い顔をしているのかさえ分からない。
「うぅむ。アウラ隊長が何を気にされているのかは分かりませんが、気になるものは気になるのです。なぁシャオ? 少なくとも半年前はこんな大都市じゃなかっただろ――っ?!」
突如地面という舞台を下から蹴りあげるような揺れが海斗を襲った。否、海斗だけではない。街の家財が揺れ踊り、陶器が割れ落ち、人々が慌てて外へ逃げ出してくる。
まるで、街の下に眠るなにか大きなものが目覚めたかのような大揺れだった。
「地震……? 震度4とか5とかか」
「はぁ……これだから日本人迷イ人は……」
阿鼻叫喚の一歩手前。天変地異だなんだと人々が喚き叫ぶ中、海斗だけが呑気に現状把握に務めていた。なぜなら彼は生粋の日本人。地震とともに生きてきた民族。その常識と油断は他国でも通用しないことをそろそろ学んだ方がいい。
「おーい、たいちょ〜」
漸く揺れが収まった頃。多くの人が安堵と次の不安に苛まれる中、これまた呑気な声が向かってきた。
「報告〜外の様子がヤバですマジで…………あれ、海斗君だ。やほ〜」
「八霧さん!」
現れたのは腕やら首やらに蛇を巻き付けた男。大地やアウラの所属する五番隊の隊員、八霧だ。開いているのかいないのか分からない糸目と、黒い髪に差し込まれた瑠璃色のメッシュがよく目立つ。
そんな彼の緩い報告を一切咎めることなく、慣れた様子でアウラが続けた。
「八霧、ヤバとは具体的にどういうことだい?」
「外に蛇出して見てみたんですけどね、なんか変な虫? みたいなやつが大量発生してます。ただ観光客には見えてないみたいで、もはや無抵抗人間の殺戮ショーってやつです」
「なっ……」
「いや〜スプラッタ〜」などとおどけた態度で残酷な話をする彼。軽く言っているが、その内容は思わず海斗が一歩踏み出しそうになる程度には衝撃的なことだった。アウラは勿論、シャオリアの顔にも深い影が差しているのが見える。
「…………精霊だ」
「シャオ?」
「アレフのやつ……どこまでこの国を壊す気だ…………!」
海斗がシャオ――シャオリアと知り合って既に年体位で時間が経つ。彼の本名すらも知らなかった身ではあるが、その間いくつもの表情を見てきたつもりだった。
しかし、今この時のシャオリアは思わず別人かと思うほどに鋭い気配を漂わせている。怒りと、失望と、悲痛に満ちていた。傷つけられのは自分ではないはずなのに、胸を押えて耐え難い苦しみに歯を食いしばる――そんな顔だった。
軽率に声をかけることもできず、困り顔で呆然と口を開けている海斗。見かねた最年長が、一番すぐに動けるであろう者に指示を出す。
「……とりあえず八霧は大地をここへ案内させなさい。恐らくだがシアン達も共にいるのだろう」
「りょ〜っす」
「アタシはもう一度外に出てみるよ。いずれにせよ、無辜の民を見殺しにする訳にはいかないからね」
「ならば俺も……!」
「いや、海斗はそこで待っていなさい。状況がわからないうちに動くんじゃないよ」
「うむぅ……」
走り去る八霧を見てハッと我に返った海斗がそれを追いかけようとするが、アウラによって静かに制された。顔や口調こそは厳しいものの、彼女の声は慰めるような諭すような、そんな柔らかいものだった。
☆。.:*
耳鳴りと悲鳴と肉を切り裂く音がする。
呼吸が苦しいのは、むせ返るような血の匂いのせいか、砂が混じった灼熱の大気のせいか。それとも、呪いのように心臓を引き締める記憶のせいか。
頬に飛び散った名前も知らない誰かの血。その生暖かさが、誰の命が危機に瀕しているという事実として襲いかかる。
どんな立派な大木でも足場が崩れれば難なく倒れ、どれだけ硬い鉱石でも熱し続ければいずれは溶ける。
ならば、見せかけだけの強靭さなど崩すことはいとも容易い。
隠すことは無い、虚勢を張るつもりもない。ただ、自分が一番認めたくなかっただけ。
誰に嘲られようとも、これが自分の抱えた弱さなのだと。いくら他者から屈強と言われようと、この精神はこんなにも脆弱なのだと。いい加減直視しなければいけない時が来たのかもしれない。
☆。.:*
「シアン、気を確かに持ってくれ」
「大丈夫、私はいつも通りだ……」
「それで大丈夫だと思ってるなら、自己認識が甘すぎるぜ……」
エイリエスと呼ばれた気味が悪いほど感情が平坦な女に案内され、高い塔を駆け下りた。大地達一行が着いた頃には既に、地上は凄惨な地獄に変わっていた。
「アレフリア王子達は…………クソッ人混みに紛れて見失ったか……」
「――いやぁぁぁ! 助けて!」
「痛い……痛いよぉ…………」
無機質な地面に血溜まりができ、生臭い鉄の匂いが充満している。塔の麓に集まっていた観光客達の多くは、今すぐにでも救急車を呼んだ方がいいレベルの傷を負っていた。中には既に手遅れな者もいるだろう。
視界に映らない何かがいるのはわかる。高濃度魔力の塊があることも、傷の形状的にそれが人型ではないことも。
「…………」
(まずい……前王の話の時もしかしてと思ったがこの人、人間の死にあまりに弱すぎる!)
相手が人間でないのなら率先して敵を屠りにいくシアンが、今日という日に限って全く動かない。それどころか「大丈夫、大丈夫」を念仏のように唱え、酷い顔色のまま地面を見つめている。まるで、生まれて初めて目の前で人が殺されたとでも言う無垢な少女のよう。
ふと、大地の頭が数ヶ月前アイシハイクから帰ってきたウィンがボヤいていたのを思い出した。確か当時敵対していた者が、腹を貫かれて瀕死の重症になったんだとか。
『あの傍若無人、悪鬼羅刹の師があそこまで狼狽えるのはおれも初めて見たよ……敵だろうがなんだろうが多分あの人の中では敵味方関係なく、人間の命ってだけで無条件に護る枠組みに入ってるんだろうな。口癖のように言ってる『何があっても命だけは護る』って……ああいう意味だったんだなって』
ウィン曰く、その時の彼女も自身の腕を切り裂いてでも魔法陣を書き、医療部隊に半ば無理矢理引き渡したとの事。その後もしばらくは引きずってるように見えたらしい。
今のこの状況は、その時の何倍も酷い有様なのだろう。恐らくは、助けたくても助けられないフラストレーション。敵の場所、形状、数が分からない中下手に剣を振れば、敵に当たらず人間にだけ危害を加える可能性もある。
完全なる無力。何百年と途方もない時を過ごそうとも、数多の人を見送ってきたと言えども、今の彼女に耐えられる仕打ちではないのだろう。
(逆に言えば、それだけを軸に生きてきたんだろうな……確固たる思想がない限り700年もまともな感性持ってられるかよ)
不老不死の人間のことなど理解できる日が来るとは思わなかったが、思わぬ形で本性を見てしまった。申し訳なさと、戸惑いが今になってじわじわと溢れてきた。
(とにかく、まずは自分たちの安全確保だ。その後にアレフリア様を探して事情を問い詰める。よし、これで行こう………………ん、あれは――)
いくら大地が他国所属の軍人だとしても、ここまで危険に巻き込まれればもはや当事者と言えるだろう。文句のひとつくらい言わなければ気がすまなかった。
キーボードを打つように、頭の中でやるべき事のリスト化を終えた大地。その少し前に、スルリと細長いものが横切った。
白と青のまだら模様。あまり見ることの無い奇妙な柄。特に砂漠の国カズロットでは、現在の近未来的な都市にしても本来の景色にしても合わない、明らかな外来種。
(蛇…………?)
それはシュルシュルと舌を出し、数メートル先でじっとこちらを眺めていた。まるで、物語によくある「ついて来いってことか……?」と言いたくなるような。
否、言いたくなるどころか、実際蛇の意図はそれだろう。
大地の脳裏にパッと光芒が差した。蛇を手足のように扱う人間を、大地は一人知っている。その彼が今この国にいるということも。
「シアン!! 悪ぃが手を掴むぞ」
大地は声を張り上げ、弱々しく震えるシアンの手を力任せに引っ張った。そしてそのまま、人混みから抜けようと波をかき分け、足を進める。
――が、掴んだ手はなにかに引っかかるように止まろうとする。
「まっ……待って、まだ人間が…………私が守らねぇと……」
掴んだ腕の先、目の焦点があっていないシアンがいた。助けたい、助けられない。その狭間に押しつぶされ、身動きが取れなくなっている者が。
短気な頭がぐらりと強く揺れた気がした。嫌味を言う余裕もなく、ただただ無性に腹が立つ。
仮にも年上。見知らぬ屑ならまだしも、尊敬できる場面も多々ある人生の先達に言うのは気が引けるが、今は場合が場合だった。
熱されたやかんから熱湯が吹き出すように、大地の口から強い言葉が吐き出された。
「見えない相手からどう守るって?! 現状をしっかり把握してくれ!!」
「――っ」
一つ、大きく息を吸った音がした。深呼吸などではなく、吸い込まれるような瞬間的な呼吸音。その時シアンは、普段蘭々と輝く青い目が戸惑うように揺れ動き、打ち抜かれたような泣きそうな顔だった。
不敵に笑うか怒りを見せる暖色の感情は全くなく、一切の光を通さない深海の底のような冷たい色をしていた。




