6章 8 王の死、あるいは友人の死
例えばの話。
息もできぬほど溺れた後、誰かに手を引かれやっとの事で呼吸をした。その時引き上げた人の顔がのっぺらぼうだったとしたら。
水から逃れ、念願の酸素を吸える状況にあったとて、きっと呼吸が止まるだろう。跳ねる心臓も忘れたように、思考が現実を受け入れない。
今のシアンが、まさにそんな状況だった。
「ヴァルエイラが……死んだ…………?」
バルフィレムほどでは無いにせよ、シアン達護リ人とカズロットは長い間友好関係を築いてきた。
ヴァルエイラ=カズロット。数ある王のうちの一人ではあれど、シアンは彼が生まれた頃から知っている。
王位に着いた、妃を取った、息子が生まれた、など、何か喜ばしいことがある度に手紙を寄越して来た。さながら滅多に会えない親戚のように、顔を見せる度に喜びを行動で表現していたのは忘れられない。
無邪気な少年が歳を重ねるごとに大人びていく様は、微笑ましくもあり、寂しくもあったのだ。
そんな彼が死んだ。
それも、彼の愛する息子の手によって。
「――――ン、―い―アン!」
血の気が引いていくのを感じる。代わりに氷水でも流れるかの如く、全身が冷たくなっていく。
呼吸が徐々に浅く、短く。とてつもない恐怖がシアンを襲った。
手が震える。視線が揺れる。喉が張り付く。
ドロドロとした沼に埋まっていくように、身動きが取れない。
「ヴァル……エイラ…………死ん、また……私は…………私が――!」
土より酷い顔色で妄言を吐くシアン。傍から見てわかるほど、明らかに異常な状態だった。
アレフリアからすれば、ただの本題に入るための事実提示だったのだろう。言った本人も目を丸くし、怯えるような女の姿を見つめている。
水中にいる時のように、音が歪んで聞こえる。今度こそ戻って来れなくなるような不安が、さらに重くのしかかった。こうなると次に見えるのは決まって一つ。思い出したくもない惨劇。
シアンは逃げるようにギュッと目をつぶろうとし――
「おい、シアン!!」
衝撃が走った。
聞き慣れた明るい声が、珍しく真剣に、まっすぐ鼓膜に突き刺さる。
「しっかりしろってーの。今は、それを見る時じゃない」
「…………ライア」
隣に座っていた自身の片割れが、堕ちる思考を引き戻した。
背中がじんわり痛みを伝える。思い切り叩かれたらしい。
しかし不思議なことに、気が付けばあれだけ脳裏を呪い尽くした思考の暴挙は、白昼夢のように霞んでいる。
ただ驚いた心臓だけが、先の動揺を物語っていた。
「あ…………すまん、ちょっと気を取り乱した」
船の中といい今といい、今日はつくづく過去に囚われる日だ。
シアンは気を取り直すように一度大きく深呼吸をし、バシンッと頬を叩いた。派手な音が弾け、アレフリアが小さな悲鳴とともに若干肩を揺らしたのが見えた。
「ヴァルエイラの事は……残念だったな……」
「そこまで思って頂けるなら、父もきっと喜びます。父は、何度も言ってましたから。護リ人の御三方を尊敬していると」
「そりゃありがてぇことだ」
眉を下げて笑うアレフリアの様子に、胸が締め付けられる。何より悲しく、誰より辛いのはこのアレフリアだろう。
シアンが狼狽えるべきは決して今ではないのだと、きつく己を戒めた。
「えっと……だな、話を戻すぞ?」
故人を追悼する湿った流れになるところ、恐る恐るソラが割って入った。一時の感情に流されない彼が軌道修正を担うのはいつもの事だ。
ソラは自身の前に置かれた茶を手に取りながらアレフリアに問いかけた。
「別にお前の話を疑ってる訳ではないんだが……本当にヴァルエイラをシャオリアが殺ったってのか?」
「お気持ちは分かります。実を言うとおれも未だに信じられないので……」
「いやま、それはそれとして〜? そのシャオリアはどこにいるんだよ。まさか即刻反逆罪で死刑とかじゃねーだろうな」
「まさか。動機もわからないのに死刑にはなりませんよ。そもそも兄上は……父を殺したあとに姿を眩ませました。それと同時に凡そ半分の使用人と、何割かの国民も……」
「政治ガタガタじゃねーか……よくそれで迷イ人制度改革しようと思ったな……」
彼らの会話にライアも口を挟み、現在のカズロット政権の脆弱性が明るみに出ていく。正直な話、これで迷イ人を受け入れる等と考えるのはあまりに時期尚早。全身骨折した人間がスポーツの助っ人に立候補しているようなものだ。
「あ、それについてはある意味交渉でもあります」
「ほーん?」
しかしアレフリアは一切の動揺もなく、淡々と言葉を続けた。
「現在積極的に迷イ人を受け入れているのはバルフィレムだけ。カズロットはむしろ受け入れを一切していなかった」
一時的な保護はしても、そのまま生活保護など援助を行うことはしないカズロット。迷イ人が来る度に、護リ人の誰かが迎えに行っていたのだ。
最も、護リ人に彼等の政治に口出しするほどの立場はないし、一時保護だけでも充分ありがたい。
「ただ、いくら大国バルフィレムと言えど、土地や資源に限りはあります。そうですよね?」
「え、ここで振る? ……まぁ、その通りですけれど……」
アレフリアの視線が黙りだった大地へと向いた。この場で唯一バルフィレムの公的組織に所属している彼に。
問いかけた本人はその答えに満足気に微笑んだ。
「そうするといずれ保護できない迷イ人が現れる。護リ人としてもそれは避けたいでしょう?」
「……なるほど。受け入れ体制作るから協力関係を結べ、と」
「はい。貴方達がバルフィレムに長く滞在しているのは彼等が迷イ人を受け入れるから。護リ人の仕事を手助けしているから、ですよね?」
「だけではないけれど……まー、だいたいあってるな。ウィンウィンな関係ってやつですよ」
異世界文化を異常に好むアレフリア。シアンも含めて護リ人達はてっきり単なる興味の延長だと思っていた。
しかし実際は彼なりに自国を発展、もしくは防衛するための交渉手段としてカードを切っている。無理やり王座に上げられた結果、成長せざるおえなかったのか、あるいはこの打算さが彼の本性だったのか。
シアンは「小難しい話はいらない」と前置きし、交渉相手を見据え、アレフリアも真正面から向き合った。
「それで? 何が望みだ?」
「話が早くて助かります。
貴方達護リ人を今呼んだのは、この国を、国民を守って欲しいから……です」
☆。.:*
部屋の隅、客人に向けたお茶のおかわりを準備していたエイリエスは、壁に映るモニターの一つを気にしていた。
(……観光客が来ることでどうなるかと思われましたが、彼等も今のところは安定している。このまま何事もなく会談が進んでくれればいいのですけれど)
茶葉をお湯が飲み込み、起床する人間のように葉を広げていく。次第にゆったりとした心を落ち着かせる香りが漂い、エイリエスの感覚器官を刺激した。
茶葉の量、お湯の温度、蒸らす時間。寸分のズレも許さない精密な作業によって、旨みと苦味、そして甘みがバランスよく生み出されていく。
「ふふ、今日も私は完璧です。たまには違う銘柄のお茶も使おうかな……今度アレフリア様に伺って――」
『――なんて事してくれてんだテメェは!!』
オフィスの一角に流れる優雅な一時は、背後からの怒声によって過去のものになった。
声の主は恐らくシアン=ディアスタシア。机や茶器がぶつかる衝撃と布ズレの音から、彼女がアレフリアの胸ぐらを掴んだのだろうと予想される。
(おや、ま。随分と血の気の多い方ですこと……事前に聞いていた通りですね……)
エイリエスは目の前に出来上がった自信作をトレーに乗せながら、我関せずと言ったように菓子の戸棚を開けている。そこに動揺の気配は微塵もない。
なぜなら、アレフリアの話を聞いたシアン=ディアスタシアが怒ることは、初めから予測できていたことなのだから。




