第6章 決戦の地 地下帝国(5)
「僕は、この世界に絶望したんだ」
遠い意識の中でラクビースの声がする。
その声を聞いた瞬間、意識がラクビースの声を求めて、体へと戻っていく。
「僕は……僕は……。シェイコンの側につくと決めたんだ!」
目の前の光景を見て、キヒュームは声を失った。
ラクビースがボロボロになりながら叫んでいたのだ。ラクビース自慢の美しいブラウスも短パンも切り裂け、耳も尻尾も顔も傷だらけだ。
俺たちが、やったのか。
心にヒヤリと冷たいものが走る。
「僕だって、いっぱい考えたよ。僕はどうしたいのかって。そりゃもうたくさん。だけど、聖樹の中でアイレーンさんが【都合のいい世界を選ぶ】と言ったとき、腑に落ちてしまったんだ。僕にとって都合のいい世界は、今のままの世界じゃないって」
ラクビースのリスがキヒュームの脛を思いっきり齧る。転びそうになるのをグッと堪えた。
「だから、僕は、君たちと戦わなければ——」
「だったら! 俺たちが作ればいいんだよ!」
頭より先に、口が勝手に動いていた。ラクビースの悲痛な叫びをキヒュームの言葉が遮る。
「俺たちは【勇者】なんだ。シェイコンを倒せば俺たちは正式に【勇者】になれる。【勇者】になればシァオイリの民は俺たちを慕ってくれるだろう。そうなれば、俺たちはきっと政治に参加することができる。政治を動かすことができれば、世界を変えられる! ……俺たちはシァオイリに蔓延る愚行の数々を見てきた。それは許され難いものだ。俺だってラクビースと同じように、クルダマオ族が【悪】なのかって、何度も何度も何度も考えたよ。結局、答えはわからなかった。ある側面では【悪】であるし、またある側面では俺たちが【悪】なんだ。そうだろう?」
言葉が矢継ぎ早に出てくる。自分でも驚くほど器用に口が回る。
「だからさ、きっと、このままクルダマオ族が支配したとしても、第二のシァオイリ地方ができるだけなんだと思うんだ。だって、俺たちもクルダマオ族も【悪】なんだから。どっちが支配する未来になったって、誰かが迫害され、誰かが利益を得る世界になってしまうのは変わりない。クルダマオ族が支配する世界では、人間族、ドラガンシア族、ケモタリア族、ハッコオイ族が迫害の対象になるだけなんだよ」
息が上がる。呼吸に合わせて、肩が上下する。心地いいくらいスラスラと言葉が出てくる。
「だからさ! 誰も迫害されない世界を、俺たちで作り上げよう!」
パチンッとパチンコでおでこを叩かれたような気がした。
自分の言葉に、自分が納得する。
——世界の平和を維持するために何かを成し遂げたい。生命を尊びたい。この平和な世界でなお、苦しんでいる者たちにできる限り寄り添い、助けになりたい。
幼い頃からずっと心に燻っていた願望だ。その願望が今のキヒュームに一直線に繋がる。
そうだ。政治家になればいい。そうすれば、世界をより良くできる。痛みのない、真に平和な世界を築くことができる。
「四種族の闇の部分を俺たちは知っている。そんな俺たちだから、作れる世界があるんじゃないのか? そんな俺たちだから、平和な世界を目指せるんじゃないのか?」
ラクビースの喉が鳴る。
後少しだ。後少しでラクビースを落とせる。
「知っての通り、俺はあまり頭が良くない。座学が苦手だからな。だけど、ラクビースは頭がいいだろ? 知識があるだけじゃなくて、機転も効く。知恵があるんだ。世界を変えるにはその知恵が必要だと俺は思う。ドリュウルの度胸、アイレーンの優しさ、ラクビースの知恵。……俺は、銃しか取り柄がないからこそ、みんなの力があれば、世界をより良く変えることができると思うんだ。……ラクビース、俺たちに知恵を貸してくれないか」
懇願するようにキヒュームが言う。ラクビースは黙ったまま、思案していた。
ラクビースの心がキヒュームたちに傾いていることを悟ったのだろう。シェイコンが口を挟んだ。
「詭弁、だな。政治で世界を変えるなど、十年や二十年で叶うものではない。何百年、何千年を費やしてなお、成るかどうかも定かではない道だ。そもそも、貴様らの理想を支持する者など本当に存在するのか? 我にはそうは思えぬ」
ラクビースはなおも黙ったままだった。
彼は悩んでいるのだ。どの道が自分にとって都合の良い世界なのか、考えているのだ。
「たとえ、俺の選んだ道が何百年とかかったとしても」
キヒュームは最後の一押しに取りかかる。
「皆が差別や不平等を真正面から見据え、より良い世界にしていくための行動は、決して無駄じゃないと思う。このままクルダマオ族が覇権を握ったところで、新たな差別や不平等を生むだけだ。それよりも、俺たちが新しい世界を構築するために努力するほうが、何百倍も何千倍も平和な世界になるとは思わないか?」
ラクビースに届くように、言葉一つ一つを丁寧に放つ。キヒュームもまた、険しい道に進む決意するために。
「何度でも言う。ラクビース。俺たちと一緒にこのシァオイリの地を変えよう」
ラクビースは結んでいた唇の力を緩めた。まっすぐにキヒュームを見る。その瞳は怒っているのでも、怯えているのでも、憎んでいるのでもなかった。ただまっすぐに、キヒュームを見ていた。
「僕は知っている」
つっかえた息を吐き切るように、ラクビースがつぶやいた。
「キヒュームくんは努力家で、嘘をつかない男だと、僕は知っている。純朴で折れ曲がったところなんて一つもなくて、いつだって胸に正義を抱えて戦っているのを知っている。……君は銃だけしか取り柄がないと言っていたけど、それは違う。君の【正義】を探求する心は、より良い世界を構築するために必要な要素だよ」
ラクビースは微笑み、迷いを断ち切るように、片足を一歩前へ出した。
「キヒュームくんの言う通りだ。戦いで得た見せかけの平和は平和ではないと、世界大戦をした僕達は知っていたのに、また同じ轍を踏むところだったよ。……僕の目は、どうやら曇っていたようだ。最初から、君たちに相談していればよかったんだね。……最後の確認だ。相談するという知恵もない僕を、君たちは受け入れてくれるかい?」
ラクビースが笑う。
「もちろん!」「もちろんさ!」「もちろんです!」
三人の声が重なり合った。と、同時に、
「お、の、れー!」
シェイコンが雄叫びを上げる。声の大きさに大地が揺れる。
「寝返るのか、ラクビースよ」
「うん。シェイコン様、ごめんね。僕は合理主義者なんだ。僕の【都合のいい】世界を見せてくれる人につくのは当たり前だろう?」
「ならば、貴様も我の手にかかり、死ぬが良い」
鳴り響いていた音楽が変わった。風が吹いたようなフルートの一閃が、空気を変えた。低く絶望の底をなぞるような旋律の隙間に、高く温かみのある旋律が重なり始める。やがて希望に満ちたその音は、不協和音を和音に変えていく。
本当に、本当の最後の戦いの火蓋が切られたのだ。
頭の中が白くなっていく。けれど、嫌ではなかった。今、キヒュームは自分の意思で戦っている。体は自分で操っていないが、それでもこの地の未来のために自分の意思で戦っている。
勝つんだ。勝って世界を変えるんだ。
その想いだけがキヒュームを動かしていた。




