第6章 決戦の地 地下帝国(4)
地下帝国は広く暗く、塔まで着くのに何日もかかるように思えたけれど、歩き続け、ふと、塔が見上げることができないほど大きくなってきたことに気づいたとき、周りの機械音が驚くほど大きくなり、シェイコンの強い魔力の気配を色濃く感じるようになった。
この場所は、工業地帯のようだ。
家のような場所や娯楽施設などは一つもなく、無表情な鉄の壁がどこまでも立ち並んでいた。
時折、敵意の感じないクルダマオ族の者たちとすれ違う。彼らは皆、澄み渡る大空のように生き生きとしていた。今まで目にしてきたクルダマオ族とは違う、正気に満ち溢れた明るい顔だ。顔色は相変わらず陰険さを表すような灰色なのに、ここにいる彼らは皆、爽やかでエネルギッシュな雰囲気を醸し出している。
「本当に、クルダマオ族なのかね……」
ドリュウルがささやいた。
「そう見えないほど、表情が明るいな」
キヒュームも頷いた。
「もしかしたら、これが本当のクルダマオ族の姿なのかもしれないですね」
アイレーンが切なげに呟いた。
キヒュームたちは塔に向かって歩き続ける。時折、敵意のあるクルダマオ族が襲ってくることもあったが、大抵はおおらかそうなクルダマオ族ばかりだった。
時々、クルダマオ族の会話が耳に入る。
「やっと人間族の悪政から解放された」「満足するまで寝て、満足するまで食べれたのは初めてだ」「我々をモノとして見てきた人間族の者どもに仕返しをするのだ」「人間族さえいなければ、我々は幸せに生きていくことができたのに」
人間族への不平不満が聞こえるたびに、キヒュームは耳を塞ぎたくなった。
何があったか聞かなくてもわかる。人間族はこの場所でクルダマオ族たちを抑圧してきたのだろう。ドラガンシア族や、ハッコオイ族、ケモタリア族がしてきたように、閉じ込め、迫害し、搾取をしてきたのだ。
クルダマオ族の者たちは楽しそうに談笑しながら、機械仕掛けの地下帝国を歩いている。
その様子を見てキヒュームは、苦々しい気持ちになった。自分の中にクルダマオ族への同情の気持ちが湧き出でていることに気がついてしまったからだ。
あんなに憎んでたのにな、とキヒュームは胸の中で思う。
この旅に出る前、ドリュウルと二人、未来について語っていた時、キヒュームはクルダマオ族を激しく憎んでいた。この世界に差別はなく、世界は平和だと思っていた。あるのは、クルダマオ族という【巨悪】だけ。
だけど、それは違った。キヒュームの思い違いだった。
差別はある。平和でもない。クルダマオ族だけが【悪】なのではない。
この旅を通じてこの世界の有り様が悲惨であることを知ってしまったのだ。
どうしたら、いいんだろうな。
塔の入り口が見えてきた頃、キヒュームはそんなことを考えていた。
見張り台の塔自体が巨大な機械装置であった。塔の外壁には複雑なパイプが幾重にも巻き付き、内部では蒸気の圧力で動く歯車が断続的に火花を散らしている。何を動かしている機械なのか、皆目見当もつかない。けれど、この見張り台自体が重要な役割を担っているということを、キヒュームはなんとなく察していた。
見上げれば、歯車が足場になっているのが見えた。この塔の一番上に、シェイコンとラクビースがいる。彼らに会わなくては。そして、クルダマオ族の代わりに捕らえられているブランダミグマ市民を救わなくてはいけない。
キヒュームは顔を歪めた。
この塔に来るまでの道中で、ブランダミグマ市民がクルダマオ族の代わりに奴隷として働かされているということを耳にしたのだ。
キヒュームは複雑に絡み合っている部品のうち、足場になりそうな歯車を選んで、足を踏み込んだ。
グワンッ!
大きな音共に、歯車が動き出す。どうやら、頂上まで行くのは簡単ではないらしい。しかし、キヒュームにはそんなことは関係ない。だって、冒険はいつだって意識が朦朧としているうちに終わっているのだから。今だってそうだ。体は動いているが、心はこの場所じゃないどこかにある。疲れも、痛みも、何も感じない。こんな変なことを考えているのも、放心状態だからなのかもしれない。
いくつかの戦闘を終えると、とたんに、キヒュームの精神が体と重なる。
目の前には、青白い筋が中央に向かって伸びている金属の扉があった。何かの回路なんだろうか。表面に刻まれたいくつもの筋が脈打つように光り、扉の中心にある螺旋状の鍵を制御しているようだった。
「ダメだ。びくともしない」
扉を思いっきり押したり引いたりしていたドリュウルがため息をつく。
「もしかしたら、この青く光る線が鍵の役割をしているのかもしれません」
「ここらには回路を切断できそうなスイッチやらボタンやらはなさそうだよ」
「そうか。それならどこかに鍵を解除する装置があるかもしれないな。よし、それを探しに行こう」
三人は頷き合う。
それから、キヒュームたちは再び機械塔の中を探索し始める。回路を切断するための装置は三箇所あった。まず一つ目は、歯車と歯車の間に巧妙に隠されていた。二つ目は、機械塔の壁に当たる部分のパイプに括り付けられ、最後の一つは、塔を支える中央柱の一部にボタンが格納されていた。
キヒュームたちは一つずつ、解除していく。全て解除し終わった時、塔全体を明るく照らしていた電気がチカチカと明滅し始めた。直後、地響きとともに電気が落ち、騒々しく動いていた機械が沈黙する。
「うわっ! 前が見えないじゃないかい! はぁ…最悪だよ。まったく、鍵を解除しようとしてただけなのに、まさか、この塔全体の稼働が止まるなんて……」
ドリュウルが暗闇の中で言った。
「もしかしたら、わたくしたちが操作していたものは鍵を解除するためのものではなく、ブレーカーだったのかもしれません」
「……そうかもしれないな」
キヒュームは苦笑した。
ブレーカーだろうが鍵だろうが、動画動きを止めてくれたのは好都合だ。変なギミックを乗り越えなくても良いし、塔の頂上まで行きやすい。
キヒュームたちは塔の頂上まで急ぐ。暗くなってしまい、辺りが見えないため、慎重に歩いた。何度も何度も塔の中を行き来していたせいか、再び扉の前に着くまで、足を踏み外すことはなかった。
金属の扉は他の機械と同じように、動きを止めていた。螺旋状のロックは解除されているようで、扉がほんの少し開いている。
「今度こそ」
と、威勢の良い口調で言ったドリュウルが金属の扉を思いっきり蹴り飛ばす。
バァンッ、と勢いよく扉が開いた。
生ぬるい風が吹き込み、頬に張り付く。外の眩しさに反射的に上げた片腕の下から前方を確認する。上へと通じる階段が伸びているのが見えた。キヒュームは目を細め、片腕を上げ続けたまま、階段に足を踏み入れる。
目的地には、すぐに着いた。
機械の街を照らす均等な光の中に、探していた二人の姿が見える。二人は並んで見張り台の縁から、機械の街を見下ろしていた。背丈の低いラクビースと、高いシェイコン。凸凹な二人が並んでいるとどこかアンバランスさを感じてしまう。
「来たか」
シェイコンが振り向かずに言った。
「待ってたよ。君たちなら、絶対にここまで辿り着けるって信じてた」
ラクビースが身軽な動きでクルンっとこちらを向く。顔には優しげな笑顔が浮かんでいる。
「……いつから、なんだ」
キヒュームは呟くように聞いた。
「いつから、俺たちを裏切ってたんだ」
ラクビースはじっとキヒュームを見つめて、言った。
「クルダマオ族側につこうと明確に決心したのは、フルリンケの時だよ。どう考えても星杯なんて儀式はくだらないし、誰かを傷つけるための行いでしかない。それを肯定することは僕にはできないって思ってさ」
こわばった顔でラクビーズはキヒュームを見ていた。
「……ずっと揺らいではいたんだ。僕がクルダマオ族と初めて接触したのは、闇オークション襲撃後の夜だった。病院で検査入院している時に、シェイコン様が現れて、僕に声をかけてきてきたんだ。『お前は差別的で不条理な世界を受け入れることができるのか』ってさ。その時の僕は無知だったからさ、受け入れるって言ったよ。受け入れる以外の選択肢も知らなかったからね。……だけど」
「我がいつでも連絡しろと、電話型魔具を此奴に渡したのだ」
ラクビースの言葉を引き継ぐと、シェイコンは振り返り、ラクビースのベストのポケットから、立方形の箱を取り出した。
ラクビースは一瞬だけ視線を箱に移し、再びキヒュームを見る。
「最初は追跡装置とか盗聴装置とか仕掛けられてるんじゃないかって警戒したよ。だけど、シェイコン様が『我と連絡する以外に余計な機能はついていない。我は不義理なことはしない。決して、しない』って力強く言ってくれたんだ。なんとなく、彼は嘘をついていないんだろうなって思ったんだよね。だから、僕はこの箱を持ち歩くことにしたんだよ。シェイコン様と対立することになったとしても、この装置がどこかで役に立つかもしれない、と思ってね」
「それはちょっと軽率すぎないか」
「あはは。キヒュームくんの言う通りだね。だけど、怪しげな魔具に手を出してしまうほど、僕はこの世界に嫌気がさしていたんだ。なんせ、僕は排除される側の者だったからさ」
ラクビースは疲れ切ったように笑って、シェイコンから箱を取った。
「ずっと悩んでたんだよ、本当に。ドラガンシア族の蛮行も、ハッコオイ族の愚行も、見聞きするに耐えない所業だ。だけど、仕方がないって諦めることができた。自分というアイデンティティを構成する宗教が重視されてしまい、暴走するのもわかる。自分と違う存在に恐怖し、差別してしまうのもわかる。わかるから、仕方がないと目をつむることができた。……でも、自分が迫害される側になって、この世界がどうしようもなく憎くなってしまったんだ。目を瞑れなかった。仲間たちが迫害されるのが許せなかった」
ラクビースは首を振る。
「なーんて御託を並べてるけど、結局、僕は自分勝手なんだよ。クルダマオ族の者たちに触れて、僕にとっての【都合の良い】世界が、クルダマオ族側にあるって思っちゃったんだ。だから、僕は寝返った。シェイコン様につくと決めたんだよ」
ラクビースは唇を湿らし、ちらっとキヒュームたち三人を見た。その表情を見た時、キヒュームはハッと、息を呑んだ。
不意に、稲妻に照らされたような気がした。
ラクビースは迷ってる。彼の心は完全にクルダマオ族側にあるのではない。
彼はまだ、迷ってるんだ。
浮かび上がってきた気持ちに、キヒュームは希望を見出す。
ラクビースは、こちら側に戻って来れる。
「そういうことだ。ゆえに、お主らがこの我に牙を剥くというのならば……かつて共にあったラクビースを討たねばなるまい。それほどの覚悟、果たして貴様らにあるのか?」
ドリュウルがうめいた。
「そんなの、できるわけが……」
「ならば、貴様らには我が計画を踏みにじったその報いを受けてもらおう。……さぁ、死して償え」
それは足元から這い上がるような重く鈍い響きから始まった。地底の奥深くから沸き立つマグマの唸りのように、シェイコンが咆哮をあげる。その声に合わせて、体が震え、空気と床が振動している。その衝撃に耐えるよう、キヒュームは顔を腕で隠す。
咆哮が止んだ。
一瞬の静寂が訪れる。
次の瞬間、張り詰めていた空気を切り裂くように金属が擦れ合うような嫌な音がした。腕を顔から下ろし、音の出所を確認する。シェイコンだ。シェイコンの体が軋み、ひび割れ、変形している。肉塊が波打つように蠢く。あまりの気色の悪さに、口の合間から「ゔっ」と声が出る。
シェイコンの肉体は、まるで蛹のようだった。蛹を破って蝶が這い出るように、シェイコンは肉の殻を押し広げ、得体の知れないものがどろりと姿を現す。
影だ。真っ黒な巨大な影が現れたのだ。
その姿が見えた瞬間、どこからか世界の終焉を告げるかのような不穏な音色が流れてくる。低音の弦楽器が不協和音を作り出し、この空間を満たす。
音楽に合わせて、影が揺れた。
視界いっぱいに広がる巨大な影は、人の形をしていた。輪郭を伴っていないが、よく見るとシェイコンそのものの姿だった。
「クルダマオ族は知識を魔力とする」
ラクビースが顔を顰めて言う。
「この巨大さは彼の知識量を表してるんだろうね。クルダマオ族を統べてるだけあるよ」
説明する声音はとてもシェイコンを崇拝しているようには聞こえなかった。
「さぁ、闘おう。【勇者】様よ!」
シェイコンの声を合図に、流れている音楽が大きくなる。ヴァイオリンの旋律が辺りに駆け巡る。
その瞬間、意識がパァンッと音を立てて途切れた。
最終決戦でも、変わらなかった。
結局キヒュームは一度も自分の意思で戦っていない。見えない誰かがキヒュームの体を動かし、知らないうちに敵が倒れている。
今回も、同じなのか……。
消えゆく意識の中で、キヒュームは唇を噛み締めた。




