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第6章 決戦の地 地下帝国(2)



 キヒュームが息を吸い込んだ。黒目が左右に揺れる。


 ブランダミグマの街は、ほとんど変わっていなかった。てっきり他の街と同じようにクルダマオ族の者が占拠し、街は跡形もなく壊されているものだと思っていた。それなのに。


「何も、変わってないね」


 ドリュウルが蒼白な顔で、城門から住み慣れた街を見つめる。


「あぁ。不気味なほどそのままだ」


 キヒュームは頷いてから、ブランダミグマの地へと足を踏み入れる。


 街の中は異様だった。ブランダミグマがそのままだったからではない。人の気配が感じられないからだ。


「この静けさ……。なんだからヴォルペレスの街を思い出しちまうよ」


 ドリュウルが当たりを見回しながら、困惑しきった表情のまま、声をかけられる相手を探していた。


「城に、行こう」


 提案したのはラクビースだった。


 ブランダミグマは城下町だ。城があり、王の統治する街なのである。


 城はブランダミグマの中央に静かに君臨していた。城を取り囲む川によって、城は住居から隔離されている。けれど、城へと続く橋はいつだって降ろされており、人々を遠ざけている空気は微塵も感じさせなかった。城ではダンスパーティーを週末に開催していたり、平日は常に王に謁見することが可能であったりと、住民は頻繁に城を訪れることが可能だったのだ。


「なんでまた城なんかに?」


 話の筋が見えなくて、キヒュームはラクビースの目を覗き込んだ。草木を連想させるようなたくましい目だった。


「考えてみてよ。もしキヒュームくんがクルダマオ族のトップだったとして、ブランダミグマを制圧する時、どこを制圧する?」


「……城だな」


「そう。形だけの王、形だけの城だとしても、王はブランダミグマの最上位であり、城はブランダミグマの顔だ。そこを陥落させない手はない」


 四人は顔を見合わせて頷き合う。


 この仕草を一体何度繰り返してきただろう。頷く仕草があまりに既視感があったから、キヒュームは胸の奥に、チクリと刺す違和感を覚えた。


 歩き慣れた石畳の道をスタスタと軽快に歩く。さやさやと薄暗い風も吹き始めた。歩き続けてみても、人の気配を全く感じない。民家にも入ってみたが、誰もいない。この街の住民が全員神隠しにでもあってしまったかのようだった。雲で覆われた灰色の空は、一向に太陽の光を通さなかった。歩いているうちに城のシルエットがどんどんと大きくなっていく。


 まもなく、キヒュームたちは城を取り囲む川の前へ着いた。けれど、すぐに異変に気がつく。橋が降りていなかったのだ。


「ちょいと、どうなってるんだい」


 ドリュウルが一歩前へ踏み出し、橋があったであろう場所をウロウロとする。


「おそらく、クルダマオ族が僕たちが来るのを邪魔してるのさ。どこかに橋を下ろすための仕掛けがあるはず。それを探そう」


 ラクビースの提案の元、再び探索が始まった。川縁から始まり、石畳の凹みから、露天の裏、アカデミアの中、住居……様々な場所を見て回る。やがて辺りは夜になり、街灯に人工の火が灯る。そしてそろそろ宿屋で休もうかという話題が出たそのとき、一軒のボロ屋が目に入った。


「ここは……」


 キヒュームは目を細める。街路灯もないような影が差す裏通りにあるその家は、荒くれ者がたむろするような怪しげな建物だった。


「ごめんくださーい……」


 傷だらけの木製のドアをゆっくりと開ける。カランッという鈍い金属音が一回だけ鳴った。


 入った瞬間、背中のあたりがぞわぞわする。酒臭い匂いが、部屋中に充満していたのだ。


 鼻を摘み、中に入る。ここはどうやら場末の酒場のようだ。酒樽がそこかしこに乱雑に置かれ、カウンターに置かれたワインの瓶は横に倒れ、机に大きなシミを作っている。


「これは……ひどい……」


 腕で口と鼻を塞ぎながら、ラクビースは眉を顰めた。キヒュームも口を塞いだまま話す。


「橋の降下ボタンを探して、こんな場所とっととお暇しよう」


「こんなところに何かがあるとは思えないけどね」


「念のための確認ですから、頑張りましょう」


 ドリュウルは唯一バッグに残っていたマレタラッタの防護マスクを被り、アイレーンは自らの顔の周りに防御魔法をかけながら、辺りを捜索し始める。


 キヒュームも防御魔法をかけて欲しかったが、アイレーン曰く、海水のある場所でなければ魔力の消費が激しく、一人に防御魔法をかけるので精一杯なのだそうだ。だから、わがままは言えない。それに、酒と煙草臭いだけで毒ではないのだから、これからの戦いに備え、多少の我慢をするべきであろう。


 カウンターの奥に並ぶ棚には、埃をかぶったボトルが並び、そのほとんどが栓もなく、中身が減っている。


 ギギ、と木のドアが軋む音がした。その直後、バタンッという音が室内に響く。


 明かりが途絶えた。木枠の窓から街明かりが差し込んでいる。その明かりさえ届かない一隅、闇の溜まりから、黒い影が動くのが見えた。


 あれは一体……。


 キヒュームが目を凝らす。闇から現れてきたのは一匹のリスだった。ラクビースのリスだ。


「ここの床、不自然な空洞があるみたいだ」


 ラクビースらしき影が右手前でゆらりと動く。先ほどのリスは彼の肩にいるみたいだった。


 トントンッ。トントンッ。


 床を叩く音がする。


 トントンッ。トントンッ。コンコンッ。トントンッ。


 明らかに一つだけ、音が違う部分があった。キヒュームもドリュウルもアイレーンも、 床を叩いているラクビースのところへ集まる。四人で床を覗き込んだ。


「壊すよ」


 ラクビースがそう言うと、リスたちが壁の隙間や窓の隙間から一斉に登場し、床の木の板をカリカリと噛む。ものの五秒ほどだっただろうか。音の違う木板は木屑となり、床板で塞がれていた空洞が顕になった。暗がりのせいで何も見えない。


 そこで、そっとアイレーンが立ち上がり、入り口のドアを開ける。街の明かりがサーっと一直線に入り込んできた。光の筋を遮っていたドリュウルもラクビースも立ち上がり、出てきた空洞に光を入れる。


 そこには赤い押しボタンが一つ、置いてあった。警告灯のような赤いボタンは、飾り気ひとつなく、ただそこに【ある】だけだった。


「どうしてこんなところにボタンが……」


 戻ってきたアイレーンが呆然と言った。


「さぁね」


 ラクビースが肩をすくめる。


「だけど、推測することはできる。もし仮にこのボタンが橋の降下ボタンなのであれば、ここは城の従者が利用していた酒場なんじゃないかな」


「まさか! こんな小汚い外れの酒場に城使いの者が来るとは思えない!」


 キヒュームが重々しく首を振り、ラクビースに反対の意を唱える。


「ありえないことはないと思うよ。むしろ、こういった酒場の方が一般人の目につかなくて楽だったんじゃないのかな。ほら、よく言われてるだろう? 警備隊員が制服で酒場に行くと、クレームが入るって。こういう場末の酒場なら何も言われなさそうだろう?」


 そうだろうか?


 キヒュームは首を傾げる。こういった怪しい場所に警備隊員が出入りしているほうが、クレームの対象になりそうな気がする。だけど、裏路地では怪しい薬の取引がされることもあるという噂もあるぐらいだし、案外こういった裏路地は人の目にはつきにくいのかもしれない。


「ま、推測だからね。当たってないかもしれないけど。そもそも、このボタンが橋の降下ボタンじゃない可能性もあるからね。もしかしたら、この酒場の爆破スイッチかもしれないし。……さて、どうする? この怪しげなボタン、押してみるかい?」


 ラクビースが薄明かりの中で、挑発的に笑っている。


「押そう」


 静かな声でキヒュームは言った。


「何が起こるにせよ、俺たちにはこのボタンしか、打つ手がないんだ。このボタンのせいでこの酒場が爆発したとしても、俺たちにできることは全てやるべきだと思う」


「うん。僕も押すべきだと思うから、キヒュームくんに賛成だ。ドリュウルさんとアイレーンさんは、どうかな?」


 ラクビースに見つめられたドリュウルとアイレーンの顔は強張っている。けれど、二人とも同時に覚悟を決めた顔をした。


「押そう」


「押しましょう」


「よし、決まりだ。キヒュームくん。君が押してくれるかい?」


 ラクビースがキヒュームの傍らに立ち、肩にそっと手をおいた。キヒュームは真剣な面持ちで顔を縦に振ってから、すっとボタンの前にしゃがみ込む。


「みんなは外に出ていて。もしかしたら本当にこの家が爆発するかもしれない。念のためだ。犠牲は少ない方がいい」


 ラクビースは頷き、何か言おうとしたドリュウルとアイレーンを制して外へ出る。


 ギギッという古びたドアが軋む音がして、扉が閉まる。一人になってしまった。いったい何が起こるのだろう。


 ラクビースの言う通り、爆破装置だったら嫌だな。まぁ、爆破装置である確率なんてほぼゼロに近いんだろうけど。


 ガラスの割れた窓から疲れた感じの光が差し込んでくる。


 ごくりと唾を飲み込んだ。


 キヒュームは前屈みになり、ボタンを覆い被していたガラスの蓋を上へあげて、真っ赤なボタンを押した。そのあと、素早い動きでボタンから離れる。ボロボロのドアを力一杯開け放ち、外へと出た。最悪の事態を想定していたからだ。けれど、幸いなことに想像しているような悪いことは何一つ起こらなかった。それどころかむしろ、キヒュームたちが望む結果になったのだ。


 変化はキヒュームがボタンを押したと同時に起こった。大きな機械のモーターが動くようなゴウンゴウンという音がしたと思ったら、すぐにゴゴゴゴゴという地鳴りのような重低音が街中に響きだしたのである。


「あれを見な!」


 路地裏から出たところにいたドリュウルが何かを指差して叫ぶ。キヒュームも走って路地裏から出た。石の床が小刻みに揺れているのを足裏から感じる。


 キヒュームが大通りに出た時には、機械音は鳴り止んでいた。ドリュウルは指差しを続けている。視線の先には見慣れた城の風景が広がっていた。橋が降りていたのだ。橋を吊り下げているロープはまだわなわなと震えていた。


「本当に……降下ボタンだったなんて……」


 腕を下ろしたドリュウルは声を震わせながら言った。


「そうだね。僕もまさか本当に橋を下すことができるなんて思ってなかったよ」


 ラクビースのひどく冷静な声だった。


 本当だろうか。


 キヒュームの頭上に疑問符が浮かぶ。


 本当にラクビースは何も知らなかったのだろうか。


 いきなり堰を切ったようにラクビースに対する疑念が頭の中をぐるぐると回りだした。


 だって、おかしくないか? なぜラクビースは橋が降りたことに驚いた様子を見せない? なぜラクビースは街のどこかに橋の降下ボタンがあると知っていた? なぜラクビースは俺たちと一向に目を合わせないんだ?


 ラクビースに限ってそんなこと……と思うのに、一度持ってしまった不信感は、壊れてしまった蛇口のように、締め出そうとしてもポタポタと隙間からこぼれ出てきてしまう。


 そもそも俺たちはラクビースの指示で動いている。


 ラクビースが闇オークションがあると言うから廃墟へ行き、ラクビースが各地にいるクルダマオ族を倒した方がいいと提案したから各地を巡った。そして、ラクビースがクルダマオ族の長、シェイコンはブランダミグマいると伝えたから、この街に戻ってきた。


 全部、ラクビースの指示で動いている。


 そのことに気がついた途端、冷や水をかけられたかのように心の奥が凍てついた。


 ラクビースは……もしかして。


 バレないよう細心の注意を払い、ラクビースの顔を覗き見る。幼なげな顔には驚嘆も恐怖も不安も何も浮かんでいなかった。


 何日も一緒に旅してきたと言うのに、ラクビースの考えが何一つ読めない。


「じゃあ、行こうか」


 ラクビースが先陣を切って橋の方へと向かう。


 ラクビース。


 キヒュームは心の中で呼びかけた。


 ラクビース。君はもしかして、俺たちを……裏切っているのか?


 ざわつく胸を抑え、静かにラクビースの後ろについた。




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