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第5章 星降るフルリンケ(8)



 そのとき、異変が起こった。天井ガラスが割れたのだ。甘美な指笛の音色にパリンッという鋭く高い音が混じる。星の光を映したガラス片がひらひらと宙を舞い、夜空を飛び回る妖精のように煌めく。


 煌めきと共に現れたのは、ケモタリア族の者たちだった。すぐに彼らがフルリンケに住むケモタリア族とは違うことがわかる。誰も甲冑なんてものは身につけていないし、なにより、瞳は憎しみの色で染まり、唇の表情から復讐心を見てとることができた。


 彼らはユジュルヒを通して、ケモタリア族に操られていた哀れな者たちなのだと、一目でわかる。


「フルリンケの町への賛同者は、殺す」


 イタチ風の女が言った。


「シェイコン様がユジュルヒ様を繋いでいる機器を壊し、そして、ユジュルヒ様がオレたちの洗脳を解いてくれた」


 今度はペンギン風の男が言う。


「我々の意志を挫こうとする者は、誰であれ、許さん」


 この場にいる誰がが恐ろしいほど低い唸り声で言った。


 あぁ、始まる。


 キヒュームは目を閉じたいのをグッと堪え、背筋を伸ばし、敵である者たちの顔を順番に見つめた。幾つもの視線を受け止める。


 眩暈がする。考えが散漫になる。自分が自分でなくなる。いつもの感覚だ。もう慣れきってしまった感覚だ。


 だけど、俺は有耶無耶な感覚のまま戦っても良いのだろうか。


 彼らの決意を、意志を、見ずに、心に蓋をして戦ってもいいのだろうか。


 クルダマオ族を【悪】だと決めつけて、自分たちの【悪】と見つめ合わないまま、戦ってもいいのだろうか。


 自問自答を繰り返す。


 答えを考える前に意識がどんどんと自分の体から離れていく。


 嫌だ。俺が俺でなくなってしまう。


 ——しっかりと、自分の頭で考えるのじゃ。誰かの思想の道具になってはならぬ。ならぬのじゃよ。


 ルブフの声が脳内にこだまする。


 そこでパチンッと、誰かに思考のスイッチを切られたように、意識が遠のいた。


 





 再び意識が戻った時には、ユジュルヒと双子以外の者たちは跡形もなく消えていた。ユジュルヒは天窓がなくなった天井を茫然と見つめている。


 と思うと、彼の膝は古木の幹が折れるように、堂々と、ゆっくりと、地面へと吸い込まれていった。つぎはぎだらけの手のひらが、ぎゅっと床に生えていた草の葉を掴む。それは、彼の生きる強い意志のように感じられた。


「こんなところで……! こんなところで……!」


 ユジュルヒが初めて声を荒げた。


 背中が小刻みに揺れている。立てた膝も痙攣するように細かく震え、自分の身体を支えるのがやっとのようだった。


 双子の操る鳥が、どこか切なげに囀る。それから間も無く、ユジュルヒの抵抗も虚しく、彼は静かに、膝から崩れ落ちていった。


「ユジュルヒ!」


「ユジュ!」


 双子が叫ぶ。悲痛な叫びだった。


「死なないで!」


「死なないでよ!」


「みんないなくなったら、私たちはどうしたらいいの」


「みんないなくなったら、僕たちの【都合のいい世界】を作ったって意味がないよ」


「どうして」


「どうして」


 どうして、という言葉はキヒュームに向けられている気がした。


 どうして殺したの。どうして話を聞いてくれなかったの。どうして見捨てるの。どうして……。


 ラスツァーとロスツィーが一斉にこちらに視線を向ける。キヒュームは聖樹に飲み込まれてしまいたい気持ちになった。


「許せない」


「許さない」


 双子が顎を震わせる。キヒュームは言葉が何一つ出てこなかった。


 再び勝負が始まった。意識は薄れかけていたけれど、かろうじて双子が小鳥を使役し、攻撃を仕掛けてきているのを感じ取った。


 いつも、このパターンだ。


 敵は大抵二人組(今回は双子がいるから三人だけど)で、二人組の片方を倒した時になって初めて意識が体に戻ってくる。それから再び勝負が始まると、意識が自分の手から離れていく。そして、次に意識が戻った時には、目の前の敵が倒れ込んでいるのだ。


 きっと今回もそうだ。そして、キヒュームの心に焼きつくような一言を残して、息絶えてしまうのだろう。


 嫌だな。


 薄れゆく意識の中で、閉ざされかけていた感情の扉が軋んだ。


 もっと考えなければいけないことがあるはずなのに、否応なしに戦闘は進む。否応なしに物語は展開していく。キヒュームの意志が置いてけぼりになっている気がする。


 しかし、キヒュームにはどうすることもできなかった。だって、体と意識が一致していないのだから。こういうときは、ひたすらに時が過ぎるのを待つしかないことを、キヒュームは知っていたのだ。








 目が覚めた。完全に体と心が一致している。とても穏やかな気持ちになっていた。


 目を瞬く。目の前には伸び上がった双子が転がっている。倒れた体を苔の生えた地面が優しく包み込んでいるように見えた。


「うぅ……」


 双子が同時に呻く。


 痛そうだな。彼らはまだ、若いのに。


「どうして」


「どうして」


 双子は互いの指が食い込むほど強く握り合い、双眸は潤んでいる。


「私たちはただ、自分らしく生きたかっただけなのに」


「僕たちはただ、心に正直に生きたかっただけなのに」


「この世界が嫌い」


「この世界が憎い」


「この世界の【悪】は誰?」


「この世界の【悪】は何?」


「私たちは」


「僕たちは」


「一体、何と定義されるんだろう」


 双子がカタカタと震える。その音が、はっきりとキヒュームの耳にまで届いてくる。額には汗が滲んでいた。


 やがて、ラスツァーとロスツィーの震えが止まった。息絶えたのである。死してなお、瞳には怒りが宿り、キヒュームを睨んでいる。正確には、世界を睨んでいるような冷ややかな眼差しだった。


 怖い。


 例えではなく、背筋がゾクリと寒くなる。


 戦わなくちゃ、いけなかったんだろうか。俺たちは対立する他、なかったのだろうか。


 ……なかったんだろう。アイレーンの言った通り、クルダマオ族と他四種族とでは、求める世界が違う。【都合の良い】世界が違う。ならば、戦う他、なかったのだ。


「……行こう」


 ラクビースがキヒュームの肩をポンッと叩くと、螺旋階段に向かって無言で歩き出した。



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