第5章 星降るフルリンケ(7)
「ずっと、ずっと、そうでございました。それでも戦前は、まだ幾分かはマシだったのです。クルダマオ族も五種族の一つとして認められておりましたから。……憎き星杯は行われておりましたが、それでも今よりはずっとひっそりとしたものでございました。【星の子ウィズ】などという存在も、まだおりませんでしたからね」
ユジュルヒは辛そうに目を細めて続けた。
「クルダマオ族は、知識量によって魔力の強さが決まるのです。つまり、地頭が良く、豊富な知識を蓄えた者こそが、多数の者を同時に操ることが叶う……。故に、先代のウィズが老衰で亡くなる前、つまり、何百年に一度、クルダマオ族の子供たちに学力テストが課されます。そこでどれほどの知能を有しているかを見極めるのです。……そうして、ワタクシは【ウィズ】に選ばれました。正直申しまして、ワタクシは【ウィズ】などに選ばれたくはなかった。他の皆と同じように、ほどほどに知識を得て、殺され、遺灰を飲まれた方が、まだマシでした」
ユジュルヒは今度は双子の方へ歩いていった。双子も辛そうに顔を歪めている。
「この子達も、ケモタリア族の者たちの犠牲者でございます。他者と違うから、【騎士】の心を持っていないから……などという曖昧な基準で、遺灰を飲まされ、洗脳され、騎士に仕立て上げられてしまった」
怒りからか、ユジュルヒの体は震え、声は抑えきれぬ熱を帯びて、大きく高まっていった。
「これが、野蛮でなくて、何が野蛮なのです! 『クルダマオ族の支配は野蛮』? そうかもしれませんね。きっと、野蛮なんでしょうとも。しかしながら、申し上げます。現在の国の在り方も十分に野蛮であると!」
あぁ、まただ。
キヒュームは胸の前で拳を握る。
また、コイツらは俺の心を乱す言葉を放ち、俺を戸惑わせる。それがクルダマオ族の作戦だとわかっているのに、思考の奥に冷たいヒビが入る。
声が出ない。喉元で言葉が突っ掛かり、出てこない。
何を言えばいいのだろう。正義とは一体なんなのだろう。
「上手く……生きればよかったんだよ……」
ラクビースが吐息のように小さい声を漏らした。
「はい?」
「だから、もっと上手く生きればよかったんだよ」
今度はヤケクソみたいに大きな声で言い放った。
「僕は昔から可愛いものが好きだった。だけど、それは【おかしなこと】だとわかっていたから、この町を出れる年齢になるまで可愛いものが好きということは隠していた。この町にいたときは、言動も【騎士】みたいに振る舞った。君たち双子や、他に星杯の犠牲になった子達には可哀想だけど、もっと上手な生き方があったはずだ」」
ラクビースは目を伏せ、声は震えている。
「ユジュルヒさんだってそうだよ。わざと頭の悪いふりをすればよかったんだ、そうすれば」
「そうすれば、酷い責苦に遭わずに済んだ……とでも、おっしゃりたいのですか?」
「そうだ」
ラクビースは頷く。
「星杯の遺灰のため、命を奪われていたとしても、今のように無理やり生かされ続けることはなかったはずだ」
「はっ。そのような馬鹿げた自己責任論をいかにお並べになっても、残念ながらワタクシどもの心には、微塵も響きませんよ。ワタクシも、ラスツァーとロスツィーも、世渡りの術を弁える前に、ケモタリア族の大人に売られたのです。一体、どうやって上手く生きていけと仰るのですか。……これほどの詭弁がございましょうか」
「わかってるよ!」
ラクビースが怒鳴りつけた。
「わかってるよ、そんなことは! 僕だって、この町は野蛮で下劣で醜悪だと思ってる! 正直なところ、僕だってこの町で上手に生きていたとは言えない。僕だって星杯の犠牲者に選ばれる可能性は八十%くらいあったんだ。……だけど、自己責任論にしないと、何か君たちに欠点を探さないと、僕は君たちが正しいと思ってしまう! 僕は、君たちに同情してしまう! 僕は……」
ラクビースは叫ぶように言葉を紡いでいたが、激情した声は力尽きたかのように途中でしおれ、荒い呼吸だけがその場に残った。
ラクビースの気持ちが、わかってしまう。これまでの冒険で、何度も今みたいな理不尽さで押しつぶされそうな気持ちを経験してきた。だけど、いつだって誰かが目の前の【悪】を弾糾してくれていたおかげで、キヒュームはキヒュームたちの【正義】を貫くことができたのだ。だけど、「この国は野蛮ではないのか」と改めて問われたとき、いつものように【正義の心】を奮い立たせることができなかった。
相手が屈強そうに見えるからではない。相手が頭がいいからでもない。ただ反論の余地がないように感じたからだ。
ヴォルペレス、マレタラッタ、フルリンケ……。どの地方にも歪みがあった。暴力があった。狂気があった。この国は平和だけを享受している理想的な国ではないのだ。
「でも……」
重苦しい空気の中、口を開いたのは意外にもアイレーンだった。
キヒュームとドリュウルが視線を合わせる。アイレーンは一歩前へ歩み出て、ラクビースとユジュルヒの顔を交互に見た。
「もし、わたくしたちが貴方様方を止めなければ……貴方様方はこの美しい町を砂漠にしてしまうのでしょう?」
アイレーンの瞳はかすかに潤み、彼女の淡い青い瞳を映した涙が、静かに溢れ落ちそうだった。
「そうですね。その予定です」
答えたユジュルヒを見つめたまま、アイレーンは唇を噛んだ。
「そう、ですよね……。わたくしは、この緑豊かで美しい町が砂漠と化してしまうのは、どうしても……嫌なのです」
彼女の瞳から透明な涙がとうとうこぼれ落ちた。床に散らばる木の葉に涙の痕が浮かぶ。
「町が汚染されるのは、二度と見たくないのです。この美しいシァオイリの町々が汚れてしまうのは、もう、嫌なのです」
「あぁ……」
キヒュームは誰にともなく、声を漏らした。
故郷の汚染を経験した彼女は、町が破壊されることの苦しみを一番よく理解しているのだろう。
「わたくしは、皆様をよく知りません。この町の事情も、知りません。ですが、この美しい自然を破壊する貴方様方を正しいとは思えないのです。……ユジュルヒ様。貴方様がおっしゃった通り、無闇矢鱈に人を殺すのは野蛮だと思います。この国は、間違いなく野蛮な国です。差別もあります。生贄もいます。犠牲者もいます。でも、でも……! 貴方様方、クルダマオ族がしていることはどうなのですか?」
フッとこの場を照らしていたランタンの光が消えた。辺りが暗くなる。天井のガラス越しに、星が瞬いているのがよく見える。くっきりとした輝きを放つ星々は、聖樹の中を神聖に彩っていた。それと同時に、ピィチクパーチク騒いでいた小鳥たちが静かになっているのに気がつく。
「わたくしは皆様もわたくしたちと同様、野蛮に思えてなりません。罪もない人々を闇オークションに売り飛ばし、海を汚染し、眠っている間に無関係の人を殺そうと画策し、緑を砂漠化させる……。どれも野蛮で許し難い暴挙です」
星々の光がアイレーンの白い肌を際立たせる。
「どちらも救いようがないほど野蛮なのです。でしたら、わたくしは……! わたくしは、シァオイリの野蛮を選びます」
アイレーンがいつもと変わらず、水晶のように透き通った声で言い切った。
「それは、貴女にとって都合がよろしいから、そちらを選ばれるのでしょう? ……なんとも利己的な考えだとはお思いになりませんか。」
ユジュルヒが凛とした態度を崩さずに言った。
「……そうです。だけど、ユジュルヒ様たちもそうでしょう? 今の国家よりもクルダマオ族が統治する国家の方が【都合がいい】から、自分たちも野蛮だとわかりつつ、そちらを支持するのでしょう? 同じじゃないですか。わたくしたちと貴方様方は、同じなんです。二つの物事が対立した時、わたくしたちは選ばなければならないのです。自分の都合のいい方を、自分が生きやすい方を。選ばなければ、ならないのです」
室内はまた、重い沈黙に包まれた。
キヒューム一同、ユジュルヒ、双子のラスツァーとロスツィー。七人は微妙な間合いをとって互いに牽制し合っている。そんな中、小鳥たちが双子とユジュルヒの頭上を優雅に舞い、彼らは星々の洗礼を受けているかのようだった。
「先ほどから、この空間は幾分薄暗くなっておりますが……。なぜ聖樹のランタンの光が失われたのか、お気づきでいらっしゃいますか?」
突然、ユジュルヒが話題を変えた。
「星杯のため……でしょ」
ラクビースが答え、ユジュルヒが頷く。
「その通りでございます。新月の夜、深夜零時を回りますと、この聖樹の光は自然と落ちるのです。……ワタクシはあのカプセルの中から、仲間が【星杯】として消費されていく様を幾度となく見てまいりました。数え切れぬほどのケモタリア族の者たちを洗脳し、操ってきました。カプセルで魔力を強制的に増幅され、道具のように使われていた日々は、まさしく、地獄そのものでした。……貴方様方にとって都合の良いこの世界は、そうした犠牲の上に成り立っております。そして今、我々が築こうとしている世界もまた、残念ながら、貴方様方のような方々の犠牲なくしては成り立たないのですね……」
ユジュルヒが、キヒュームたちから双子に視線を移した。双子は無言のまま、小さくうなずく。薄暗いせいか、彼らの頬の血の気が失せているように見えた。
「ワタクシはこの国が憎いのです。この国を擁護する方々もまた同様に、憎いのです。そうした感情は、ワタクシの同志もまた同じでございましょう。今までワタクシが操ってきた哀れな方々も同じです。彼らは今、洗脳から覚めて、ワタクシの味方となりました。当然のことだと思います。彼らは元々ケモタリア族と対立していた【異端者】なのですから。今の彼らは、ワタクシと心同じく、クルダマオ族が統治する世界を望んでいるのです」
ラクビースは息を飲み、そのまま、じっとユジュルヒの言葉を待つ。可愛らしいリスの耳がぴこぴこと動いていた。
「……ワタクシたちは、ワタクシたちの都合のいい世界を作る。そうですね。ハッコオイ族のお嬢様の仰る通りでございます。ワタクシたちはワタクシたちにの都合のいい世界を選ばせていただきます。ですから、我々は戦わなければならないのです。どちらかが犠牲になり、その犠牲の上に、【都合の良い世界】を築きあげるのです」
壁につけられているランタンの光がチカチカと揺らいだ。小鳥がサッと天井の方へ飛び立ち、割れたカプセルの上に止まる。ピィピィと可愛らしい声をあげている。壁や手すり、カプセルに巻き付いた湿り気のある草の緑が異様に濃く見えた。そのとき、ラスツァー、双子の女の子の方と目が合う。
喉の奥が疼いた。
殺意だ。クリクリの大きな瞳の奥が、冷たく静かに凍っている。こちらの息の根を奪うように容赦なく、視線を突き立ててくる。
閉じられた唇はわなわなと震え、握りしめられた胸元の布が、震える指の動きに合わせて小さく揺れていた。
双子の弟、ロスツィーの方も見てみた。彼もまた、ラスツァーと同じ動きをしている。
「さぁ、戦いましょう。ワタクシたちの【都合の良い】未来のために!」
そう言うと、ユジュルヒは指笛を吹いた。それは星たちや月を呼び出すような、しなやかでしっとりとしたメロディだった。音は高くなったり、低くなったり、聖樹の声そのものといってもいいくらい思慮深い音に聞こえた。美しい音だった。美しすぎて切なく感じる。聞いているのが辛くなるくらいだった。




