第5章 星降るフルリンケ(3)
キヒュームたちは歩いた。風が吹くと砂漠であるのにも関わらず、湿ったような空気が肌にまとわりつき、妙に心地が悪い。太陽が照り付けて明るいのにも関わらず、どことなくジメジメとした湿っぽさがあるのだ。そして、どこからともなく現れる魔物たちは、気持ちの悪い巨大蟲ばかりであった。
「毎分一メートルと言ったところでしょうか」
魔物との勝負が終わった後、必ずツィーヴルが話し出す。魔物と対峙したし戦闘後でないと、なぜかツィーヴルは情報を教えてくれないのだ。
「熱帯の森が砂漠化したスピードですよ。時間にしてみれば一瞬だったのかもしれませんが、私らからしたら、森がじわじわと砂漠に侵食されているように見えましたな」
魔物と戦う。勝つ。ツィーヴルが喋る。
「すべてはクルダマオ族のせいなのです。どういうわけか、星杯を取り仕切っていた者たちがクルダマオ族側に寝返り、森を砂漠にする手伝いをしたのです」
魔物、勝つ、喋る。
「星杯とはケモタリア族が行っている宗教的儀式のことを言うんですが、知りませんかな? シァオイリの安穏と平和のための宗教で、シァオイリ国で認められている信仰なのですぞ」
勝負。逃げる。けれども、喋る。
「星杯は見る者すべてを魅了する名状し難い素晴らしい儀式なのです。ガラスの中に、冷えたバタフライピーを入れ、煌めく星屑を入れるのです。星屑はクルダマオ族の魔力によって作り出される星のかけらのようなものでして……これが何かは隠された伝承であるからして、教えることができないのですが」
幾度かの勝負、勝利、逃亡、そして、ツィーヴルの話に耳を傾けているうちに、目的地に着いた。フルリンケだ。その場所は異様としか言いようがなかった。
眼前に広がるのは熱帯の森と言っても良いほどの緑であった。濃く、深く、瑞々しく青々とした緑。砂の海の真ん中にどっしりと鎮座している。
四人の足が止まった。ツィーヴルだけがグングンと前に進んでいる。
「オアシスだと思っていましたのに……」
「俺は、暑さのせいで見えた幻覚だとばっかり思ってたよ」
「こりゃ……見事だね」
「……そのまんまだ。この町だけ、時間に取り残されたみたいだ」
アイレーン、キヒューム、ドリュウル、ラクビース、各々が感じたことを口にする。
「勇者様方、何をしているのです? そちらは暑いでしょう。早くフルリンケの町の中へ入ってくださいな」
木々で囲われている場所の一角が開けていた。よく見ると小さな小道が続いている。獣道よりも少し広い程度の、人に踏み固められたような道だ。そこが町の入り口なのだろう。入り口に先に着いたツィーヴルが振り返り、両手を大きく振って、キヒュームたちを呼ぶ。
「行こうか」
ラクビースが言った。ラクビースの声に頷くと、キヒュームたちは町へと足を進めたのである。
木々に挟まれた小道に差し掛かった瞬間、空気がガラリと変わった。土の匂いがする。歯の擦れ合う音がする。水がそばにあるような気配すら感じられた。先程まで体にまとわりついていた不愉快な熱が削ぎ落とされ、しっとりした涼しさが体にまとわりつく。足元の湿った土を踏みしめるたびに、土から水が溢れ出るような感じがした。
「これは……」
誰の声だろうか。キヒュームの声だったかもしれない。驚きのあまり、皆がだらしなく口を開け、周囲を見渡しながら、歩いている。
小道を少し歩いたところで、いきなり視界が開けた。町の中央部まで出たのだ。
キヒュームは見上げた。
家々が、浮いている。どの家も地に根を張っていないのだ。どの家も地面から浮かび上がっているのだ。
この町の家すべてが、ツリーハウスだったのである。各家の前には、大きな木の板でできた広間のような空間があり、家と家のあいだはその広間を足場に吊り橋でつながれていた。
「す、すごい……」
今度こそキヒュームが呟いた言葉であった。
「そうでしょう、そうでしょう」
いつの間に隣にいたのだろう。ツィーヴルがキヒュームの横に立ち、うんうんと自慢げに頷いている。
ラクビースを除くキヒュームたちは、しばらくの間、頭上を仰いでいた。
家々はいくつもの巨大な樹木に支えられていた。樹木の枝はまるで生命が脈打っているかのように広がり、葉は風を受けて、さやさやと音を立てて揺れている。その葉の隙間から除く空は、すでに太陽が沈み、深い紺色に染まっていた。それでもこの町全体が不思議と明るいのは、木の幹や枝、そして、家々の三角屋根にフェアリーライトが巻き付けてあるからだ。柔らかいオレンジ色の光が、この町全体をそっと包み込んでいるのだ。
「目を奪われるほど、本当にすばらしい町でしょう。……さてさて、そろそろ私の家まで案内したいんだが、いいですかな?」
ツィーヴルが笑顔で言う。喜びと嬉しさで目の底が燦々としていた。陽の光が見えるようだ。
「あっ、足を止めてしまい、ごめんなさい。案内よろしくお願いします」
キヒュームが代表で頭を下げる。ツィーヴルは笑顔のまま頷くと、太い木の幹にしっかりと固定された梯子の方へ向かい、蹄を梯子にかけた。この梯子を登ると木の上にある家々にたどり着くことができるらしい。
蹄の手足で梯子を登ることができるのだろうか。
喉元まで迫り上がってきた疑問を呑み下す。発する必要がなかったのだ。どこからともなく、猿、モモンガ、コアラ、猫……木を登ることを得意とする動物たちが現れ、ツィーヴルを木の上にある家の前の広間まで引っ張り上げたのである。
「助け合いの精神ですからな」
間抜けにも口をぽかんと開けて見ているキヒュームたちに、ツィーヴルは木の上から愉快そうに言った。
「勇者様方もほら、お登りになってくださいな。私の部屋で歓迎をさせてください。……そして、この町に起きている異変について、詳しく聞いてもらいたいのです」
ほうっと音が聞こえるほど長く、息を吐いた。先刻の幸せそうな口調が嘘のように、ツィーヴルは真面目で苦虫を噛み潰したような顔をしている。
キヒュームたちは梯子を登った。丈夫に作られているのか、四人が縦に並んで登っても梯子はギシッという音一つ立てない。
「お疲れ様でした。ほら、見てください」
四人が梯子を登り切ったとき、ツィーヴルが先ほどまで歩いてきた小道の方の森をスッと指差した。
「綺麗でしょう」
振り向く。束の間、時が止まったかのように思えた。
眼下にはフェアリーライトで飾り付けられた木々が一面に広がり、その中を月光を反射した銀の糸のような川が流れていたのだ。微かにまたたく光たちはフェアリーライトの名の通り、小さな妖精が羽をゆっくりと羽ばたかせているようだった。太陽でも月でもない柔らかで温かな灯りは、見ている者を魅了する。森の奥の方を見ると木々たちの切れ目が見えて、その先に広がる闇に溶け込む金の絨毯のような砂漠が遥かに望めた。
「前はもっと綺麗だったんですよ。現在、砂漠がある場所には、緑滴る深い森があったのですから。……どうして、こんなことになってしまったのでしょうね」
ツィーヴルはもう一度、暗いため息を吐いた。
「さてさて、自慢の景色も見ていただいたことですし、私の自慢の家に向かいましょう。ツルがいい感じに巻き付いた、情緒溢れる自慢の家なのです」
ツィーヴルはコホンッと咳払いをし、ゆっくりと歩み出した。キヒュームたちはそれに付き従う。いくつかの吊り橋を渡り、いくつかの家を素通りしたところで、ツィーヴルが足を止めた。
「さぁ、ここが私の家ですぞ。ささ、中にお入りください。遠慮はいりませんから、皆様自分の家だと思って……」
古びた丸太を組み上げて造られたその家の前でツィーヴルは揉み手をし、キヒュームたちに媚を売るような仕草をした。腰を低い態度は崩さないまま、手彫りの葉模様が施された両扉を開け放つ。その瞬間、木の匂いと料理の匂いが入り混じった香りが鼻に届いた。
「ようこそ! 勇者様方!」
パンッ、パンッ、パーンッ!
大きな音がハモリ、時間差で鳴り、キヒュームたちを出迎えた。クラッカーである。ひらひらと紙吹雪が舞い上がる。
「ケモタリア族一同、勇者様をお待ちしておりました!」
その者たちは砂漠で会ったケモタリア族と同様、様々な姿をしていた。
顔までライオンの毛で全身が覆われている者、ウサギのような大きな耳を持っている者、サイの肌をし、鼻上にツノが生えている者……。一口ケモタリア族と言っても、彼らは元となる祖先を別に持つ多種多様な民族なのだ。多種多様であるからこそ、鎧を見に纏うという同一さが一際目立っていた。
「ささ、遠慮せず、中にお入りください」
ツィーヴルはニコニコしながら、中へと促す。温かで穏やかな空気が、キヒュームたちを歓迎した。皆、微笑みながらキヒュームたちに目線を集めている。注目されることに慣れていないキヒュームは、頭を照れくさそうにペコペコと下げながら、人々が左右に分かれて出来た道の真ん中を通る。
床に散らばった紙吹雪を踏み奥まで行くと、四つのダイニングチェアが用意されていた。ここに座れということだろうか。
「そこにお座りくださいませ」
誰かが言った。キヒュームたちは言う通りに、左からラクビース、ドリュウル、キヒューム、アイレーンの順で座る。座った瞬間、人の道がサッと解体された。人々で見えなかったが、彼らの背後にもキヒュームたちが座っている椅子と同じものが置かれていたのだ。
「さ、お食事の用意を!」
ツィーヴルが声を張り上げ、手を二度パンッパンッと叩くなり、猿たちが出てきた。ある猿はテーブルを一人一人の席まで運び、またある猿はテーブルが置かれたところに料理を配膳した。
大きな長方形を作るように席が並ぶ中で、キヒュームたちの座っている場所は自然と主賓席(誕生日席と言った方がわかりやすいかもしれない)になっていた。向かいに座るのは、ツィーヴルだが、長方形の辺がかなり長いため、向かい合っているのにもかかわらず、随分と遠い。
「皆様が来るのを私たちケモタリア族一同は、どれほど楽しみにしていたことか。さ、まずはお食事を楽しみましょうぞ!」
ツィーヴルが声を張り上げる。歓声が上がった。
思ってもみなかった好待遇に、緊張で体が固まる。指の先まで強張ってるみたいだ。
「今、目の前に置かれている食べ物は、胡桃と、この森でできた野草をソースで和えたものです。胡桃も野草も新鮮なもので、私ら自慢の一品です。味わってお食べください」
羊風の男が身を乗り出してくる。口元にはやはり柔らかな笑みが浮かんでいた。
敵意なんて何一つ感じられない素直な笑顔だ。
「さっさと食べてさっさとこんな場所出て行こう」
二つ隣に座るラクビースが忌々しそうにつぶやき、フォークでガチャガチャとお皿の音を立てながら、野菜を口いっぱいに頬張る。
キヒュームたちもおずおずと食事を口に運んだ。
美味しい。
草臭い香りからクセがあるかと思いきや、丁寧に処理されているのか、はたまた、野草自体が美味しいのか、さっぱりとして食べやすい。ほんのり苦味はあるが、それが心地の良いアクセントのようになっている。高級料亭に出てきてもおかしくないほど、極上の一品だ。
ご飯が美味しい。この事実がキヒュームの緊張を解す。目の前にいる者たちの視線は気にならなくなり、肩に入っていた力が抜けた。
「さ、食事会も始まったことですし、本題と参りましょうか」
ツィーヴルが言う。席がだいぶ離れていると言うのに、とてもよく通る声だった。柔らかい声音はそのままに、真剣な口調で話し始める。
ツィーヴルの調子に合わせ、キヒュームは身を引き締め、居住まいを正した。




