第5章 星降るフルリンケ(2)
眼下に広がる砂の海から反射した光が、目に眩しい。
マレタラッタを出て、樹海を抜けた先に待ち受けているのは、緑豊かな美しい熱帯の森のはずであった。ラクビースの話を聞くに、深く生い茂った緑が自然の迷路を作り出し、ケモタリア族が住むフルリンケの町までの道を阻む……はずだった。けれど、森があるはずの場所にあったのは、どこまでも見渡すことができる砂漠だった。
キヒュームたちがマレタラッタを出てから、何日も経過していた。
混血児であるクティルゥとクルダマオ族であるシレースオを倒したのが、まさにマレタラッタを出た日であった。彼らの仲間をほぼ殲滅し、親玉であったクティルゥとシレースオを倒したおかげか、辺りの水が少しずつ澄んでいくのを感じた。おそらく、汚染の原因だったクルダマオ族の者たちが消え、海は悪しき魔術から解放されたのだろうと、ラクビースが推測している。
マレタラッタの問題は大方解決したのである。けれど、そのことについては海底マレタラッタの住民、そして、族長様には黙ったまま、この海を去ることにした。アイレーンがそのようにした方がいいと助言したのだ。
「クルダマオ族のような者の言葉を信じたくはないのですが……万が一にも族長様は皆様を殺す可能性があるのなら、マレタラッタには立ち入らない方が良いと思います」
アイレーンは寂しげな顔をして言うと、決意したように顔を上げた。
「族長様はお強い方です。この海に住む者全員が彼の味方です。ですから、この海を一刻も早く出ていきましょう。わたくしたちにはやらなければいけないことがあります。それに、わたくしは皆様と共に生きたい。ですから、逃げましょう」
アイレーンはほんの少し水面の方へと上昇し、その場で優雅に美しく、舞った。ドリュウルが感嘆の声を漏らす。
「わたくしたちハッコオイ族に伝わる、安全祈願のためのお祈りです。——わたくしたちの旅路に、幸あらんことを」
舞を終え、キヒュームたちの目線に戻ってきたアイレーンは疲れた様子も見せず、朝露のような清々しい泡のシャワー(魔力で作り出したものだ)をキヒュームたちに送った。
そういった理由で、キヒュームたちはマレタラッタの海をこっそりと後にしたのである。
それから、いつものように意識が朦朧としている中、樹海を越え(実を言うと、海から出た後すぐに、マレタラッタの海底街にも戻った気がするのだが、意識が曖昧だったのもあり、定かではない)、この砂漠に出てきたというわけだ。
「これは……一体、どうなってるんだ?」
戸惑いを隠しきれない様子でラクビースが一歩前へ出る。そこに向かって、大量の砂埃がこちらに向かってきた。キヒュームは砂を思いっきり吸い込み、咳き込む。
「そこにいるのは何者だ!」
砂埃だと思っていたものは、数十人のケモタリア族だった。数十人がかたまり、走ってきたため、砂埃が舞っていたのだ。
彼らは大小様々なだけではなく、見た目も様々であった。牛、猿、パンダ、ライオン、ヒョウ、ブタに馬に、ヤギ……などなど、一目見ただけで、彼らがどの生き物と人間が融合しているのか、よくわかった。ただ、一つだけ、彼らに共通しているのは、皆、暑苦しそうな鎧を身に纏っていることだった。
「お前たち、何しにきた」
パンダ風の男が脅すような声音で、声をかけてくる。
「ん……? この人たち、どこかで見たことがあるよ!」
猿風の男が童話に出てくる少年のような声で無邪気に言った。
彼らは悪びれる様子もなく、じっとこちらの様子を窺っている。無遠慮で、不信感溢れる視線を向けられ、居た堪れない。
「……わかった! この人たち、こないだ来たブランダミグマの警備隊が言ってた人たちじゃない?」
え、例の?と、ヒョウ風の女の言葉を皮切りに、この場にいるケモタリア族の者全員がキヒュームたちの顔を覗き込んだ。至近距離で囲まれたため、後ろにいるケモタリア族の者たちは、ジャンプしたり、背伸びしたりしている。
「驚いた……。これは、驚いた」
中央に位置し、キヒュームの顔をじっと見ていたヤギ風の男が、かけている丸メガネをグイッとあげながら、笑った。白い歯がキラリと眩しい。
「皆の者、よく聞くが良い! この者たちは、ブランダミグマから派遣された勇者様たちでおられるぞ! 皆の者、歓迎会の準備を!」
歓声があがる。クルダマオ族の皆々は嬉しそうな表情で手を叩き、笑い合っている。そして、寸分の間もないうちに、キヒュームたちに一礼をし、キヒュームたちと出会った時のように、砂埃をあげて、走り去ってしまった。あっという間の出来事で、キヒュームたちは呆然のあまり、その様子を見守ることしかできなかった。
「いやはや、騒がしい連中で申し訳ない」
ヤギ風の男が照れ笑いをしながら、頭を下げる。
「いや、いいんだ。それより、今起こってる状況について、教えてはもらえないだろうか。俺たち、何が起こってるのか、何がなんやら……」
キヒュームは頭をかきながら、一歩後退りをした。ヤギ風の男がジリジリと詰め寄り、キラキラとした羨望の眼差しを向けてくることに耐えられなくなったのだ。
わざとらしく視線を逸らしてみるも、ヒシヒシと彼の熱い視線を感じる。
「そうでしたね。そうでしたね。いやはや、私もまた、せっかちでいけない」
ヤギ風の男は自身のおでこをポーンッとわざとらしく叩く。
彼の手は蹄だった。ラクビースの手は人間族と変わらない手であったけれど、ケモタリア族は、動物の特徴がどれくらい体に現れるかが個体によって異なることを、キヒュームは思い出した。
そういえば、ヒョウ風の女は顔まで毛に覆われていたな、なんてことを心の中で考える。
「私の名前は、ツィーヴル。見ての通り、ヤギのケモタリア族であり、フルリンケの町長さ。本当は、村長と名乗りたいところだが、フルリンケは【町】であるから、村長とは名乗ってはいけないらしい」
「は、はぁ……」
キヒュームが気のない返事をした。
「以前のフルリンケの町はね、熱帯の森の中にあったんだよ。見ての通り、今は砂漠の中だけどね。森の中にあったときは、それはそれは、えも言えぬほど緑美しい村だった。町ではなく、村、と言った方がいいような緑に囲まれていた小さな町……だったのだよ」
ツィーヴルが心持ち苦々しげに口元を歪めた。
「砂漠となってしまった今、フルリンケの町を守る天然の要塞はない……。故に、私たちはこうしてフルリンケ騎士団を結成し、昼夜を問わず、町周辺の警備にあたっているというわけだ」
「あ、だから、わたくしたちがこの砂漠に入ったとき、皆様が走ってこちらにやってきたのですね」
アイレーンの言葉に反応したツィーヴルは、メガネを再びクイッとあげて、アイレーンに視線を移す。
「え、えっと……な、なんでしょう……? わたくしの顔に何か」
「素晴らしい!」
ツィーヴルがアイレーンの言葉を遮った。
「君はハッコオイ族だね? そうだね? 素晴らしい! そして、その後ろにいるのはドラガンシア族の女人ではないか! おお、すばらしい!」
ツィーヴルが嬉しそうに手を叩く。
「本当に君たちは、種族関係なしに協力して、この世界の平和のために旅をしているのだね。あぁ、本当に素晴らしいよ! ……おや?」
ヒューッと吹いた風にサラサラとした砂が舞う。ツィーヴルの視線の先にはラクビースがいた。ラクビースは俯き、グッと拳に力を込めている。歯も食いしばっているようだった。
「お前は……人間族の子供かと思ったが、ケモタリア族の男か。見たところ、小動物のケモタリア族のように思える。……しかし、その腑抜けた格好はなんだ」
先ほどの人柄のいい声とは打って変わり、冷ややかな口調でたずねた。ラクビースは俯いたまま、口を開こうとしない。ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえたような気がした。
「フルリンケは騎士道の町。ケモタリア族は騎士の血を引き継ぐ生き物。いくら小動物だといえど、そのような軽薄な服装をすることは到底許されない。我々は騎士に相応しくあるために、信念を貫き、名誉を重んじ、シァオイリの地を王と見做し、シァオイリに忠誠を近い、大切なこの大地を守るために、勇猛果敢でならないのである。なのに、その服装はなんだ。その服装では、到底、人を守ることなど、できますまい」
ツィーヴルはすっと背筋を伸ばし、キッパリといった。彼の目は火を吹かんばかりの激しい目つきで、ラクビースを睨みつけている。
ラクビースは顔を上げる。その顔にはいつものハツラツさはなく、決まりが悪そうに目線をうろちょろとさせていた。背筋は曲がり、腰も引けている。こんなラクビースは初めて見た。
「お前に騎士の心がないのはわかっている。もし、騎士として相応しいならば、お前はフルリンケから離れるはずがないからだ。まったく。ブランダミグマという隠れ蓑があってよかったな。本当は二度とこの地に足を踏み入れては欲しくなかったが、勇者様たちと一緒ならば、仕方がない。町の敷居を跨ぐことを認めよう」
「あのさ、お言葉だけどね」
そのとき、ドリュウルが口を開いた。それほど大きな声ではないものの、この空間の主導権を奪う迫力があった。
頬を紅潮させ、苛立ちを隠すこともせず、ラクビースを庇うように、ラクビースとツィーヴルの間に立つ。
「はいはい、なんでしょう。ドラガンシア族のお嬢さん」
ドリュウルを前にツィーヴルは、すっと手をもみ合わせ始め、ニカッと笑顔を見せた。
「アンタさっきっから、ラクビースには騎士の心がわかってないだとか、軽率な格好だとか、人を守ることができないとか言ってるけどね。ラクビースはね、ここにいる誰よりも頭が良くて、勇気があって、大胆不敵で、小さいのに率先して戦いを挑む、まさに騎士道を生きてるような男なんだよ。アンタの言うフルリンケの町の奴らがどれくらい騎士の心に満ち溢れてるか知らないけどね、ラクビースはそんな奴らにも負けないほど、騎士道精神を持ち合わせた奴なんだよ」
「なんとも、素晴らしい!」
ツィーヴルはパンッと一回、大きく手を叩いた。口調も眼差しも、賞賛がこもっていた。
「さすが、勇者様御一行ですな。このようなケモタリア族の風上にもおけぬ男に慈悲のある言葉をかけてくださるとは。さすがとしか、言いようがありません。ええ、ええ、わかっております。勇者様は仲間思いであり、それゆえに、有る事無い事を並べ立て、この愚劣な男を立ててくださっているのでありましょう。わかっておりますとも」
ドリュウルは驚愕した面持ちで、ツィーヴルを見つめる。キヒュームも同じだった。
言葉が通じてない。いくら心からラクビースを庇おうとしたところで、ラクビースを誇りも矜持も投げ捨てた男だと思い込んでいるツィーヴルには、こちらの言葉が届くわけがない。
正直、気分が悪いものだ。言葉が届かなくても、ラクビースの良さを連ねてやろうかと思った。けれど、それをさせなかったのは、ラクビース、本人であった。
「僕だって、こんな場所、戻ってきたくなかったさ」
「……なに?」
震える声を抑え言うラクビースに、ツィーヴルは低い声で唸る。
「君たちが考える浅はかな騎士道を押し付け、画一的な思考を植え付け、はみ出た杭は木っ端微塵になるまで叩く。そんな騎士道とは程遠いような行為をする君たちがいるような町に戻ってきたくなんかなかった、と言ったんだ」
「お前、なんてこと」
「だって、その通りだろう?」
ラクビースがドリュウルを押しやる。ドリュウルは無言で退いた。表に出たラクビースは体が細かく震え、口元がピクピクしている。怯えているようにも、憤ってるようにも見えた。
「ブランダミグマも規範を大事にする街である。でも、フルリンケより百億倍マシさ。規範から外れてもフルリンケみたいに星杯の犠牲にならなくて済むからね」
「この大馬鹿者!」
ツィーヴルが叫んだ。憤った様子で、ラクビースを睨みつけている。
「お前、あまり調子に乗るんじゃないぞ」
「おー怖い怖い。図星を突かれたからってそんなに怒鳴らないでよ。まっ、僕はこの町の在り方なんてものどうでもいいけどさ。フルリンケの周りを砂漠化させたクルダマオ族を倒したら、さっさと出て行くから。ていうか、こんなところ、今すぐにでも出ていきたいくらいなんだから」
ツィーヴルの口元が歪み、目つきが一層鋭くなる。しかし、その表情は突如、スッと柔和なものに戻った。彼がキヒュームたちに注目を移したからだ。
「いやはやいやはや……、こんな屁理屈な男を仲間に入れていると、勇者様方も大変でしょう。フルリンケに着きましたら、フルリンケの町のケモタリア族とこの男を取り替えてしまうってのはどうでしょう?」
「そんなことするわけないだろ」
キヒュームがピシャリと言い切った。けれど、ツィーヴルは気分を害した様子もない。
「そうですか、そうですか。わかりました。そういえば、私、熱帯の森がどうして砂漠になったか言いましたかな? そうです。勇者様のご想像の通り、クルダマオ族の連中の仕業なのです。……立ち話もなんですし、フルリンケに向かいながら、説明をさせていただきますよ。あ、そうそう。砂漠になったことで今まで見たことのないような魔物が現れるようになってしまいましたから、十分に注意して進みましょうぞ。私も戦闘に参加させていただきますのでな」
ツィーヴルはニヤリと笑うと、そそくさと砂漠を歩き始める。キヒュームたちは顔を見合わせ、頷きあった。目の前のヤギ風の男がいくら気に食わないと言えど、クルダマオ族を討伐せねばならないのだ。




