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第4章 魅惑のマレタラッタ(9)



 キヒュームたちは戦う。戦って、戦って、そして、海の岩場を捜索した。ヴォルペレスの地下牢の時とほとんど同じような動きをしている。


 岩場は入り組んでいて、まるで迷路のようだった。泳ぎ進むたびに、敵は次々と湧いてくる。アイレーンの回復魔法やバッグに入っている傷薬がなければ早々に死んでしまっていたかもしれない。キヒュームたちは進む。迷子になりながら、道中にある宝箱を開けながら、敵を倒しながら。


「まったく、アイツら、どこにいるんだい。岩場のほとんど見て回っちゃったじゃないか」


「……そう、ですね。おそらく、この岩場の先にいるのかと思いますが、それにしても遠いですね」


「だけど、そろそろ着くんじゃないかな?  僕の勘がこの辺にクティルゥとシレースオがいるって言ってるよ」


 いつもと変わらない調子で、ラクビースが他の二人と話す。


 いつも通りのラクビースだ、とキヒュームはホッとした。


 さっきの一言は聞き間違いだったのだ。険しい顔をしているように見えたのは、この汚れた海のせいだったのだ……と、楽観的に考えてみる。だけど、キヒュームの耳に、目に、焼きついてしまっていた。「歪だ」と言った時の、ラクビースの声、瞳、その全てが焼きついて離れないのだ。


 彼は今、一体、何を考えているのだろう。


「うそっ、もうここまできたの?」


 出し抜けに、爽やかで明るい声が場に響いた。


 クティルゥの声だ。


 クルダマオ族に利用されている、可哀想なハーフの声だ。


 そう思った瞬間、頭に一筋に貫くような痛みがさした。


 ——自分の考えがころりと変わってしまうことはないか?


 うるさい。


 ——しっかりと、自分の頭で考えるのじゃ。誰かの思想の道具になってはならぬ。


 うるさい。うるさい。うるさい。


 雑念を振り払うために、頭を思いっきり振る。


 ルブフの言葉が、どこにいても付き纏ってくる。付き纏って、離れてくれない。これはなんなんだ。気持ちが悪い。胸の奥が疼く。こんなのって、おかしすぎる。もはや、一種の呪いなんじゃないか。


 ここまで思い至ってやっと、気づく。


 これは、呪いなのだ。ルブフにかけられた強力な呪い。何かを考えるたびに、ルブフの言葉が思い起こされるという強い呪い。


 なんで今まで気がつかなかったのだろう。つまり、俺は悪しきクルダマオ族の呪いに、振り回され、思考が歪んでいたんだ。これこそが、歪みじゃないか。ラクビースは俺の思考の歪みに気がついて、歪んでると言ったんじゃないか。そうだ、そうに決まっているのだ。どうして、今まで気がつかなかったのだろう。


 胸の上でこぶしをにぎり、キヒュームは息を吸い込んだ。目の前の敵と対峙する勇気が溢れ出たのだ。


「信じられない……。もしかして、私たちの仲間を倒してここまでやってきたの? そうよね、そうじゃなきゃここまで来れないものね。……だけど、そんなことってあるかしら? あの子たちだってずっとハーフ族として、クルダマオ族として、差別され迫害されていた存在なのに……。これからの日々に想いを馳せていた優しい子達だったのに。こうも簡単にやられてしまうものなのね」


 クティルゥの喉元が上下に動く。唾を飲み込んだのだ。


「シレースオ……ごめんなさい。私、甘かった。貴方の言う通り、この子達は紛れもなく敵だった。私、戦うわ。だから、お願い、シレースオ。力を貸して」


「んー……。眠いけどぉ、クティルゥのお願いなら、いいよぉ。ていうか、僕もこの人たちを倒さなきゃいけない理由があったからねぇ」


「なによ、倒さなきゃいけない理由って」


「さっき寝てて思い出したんだけどぉ、この人たちねぇ、クルダマオ族を片っ端から倒していってる大悪党みたいなんだよねぇ……むにゃむにゃ。だから、ここで倒さないと……僕のお友達がみんなやられるっていうかぁ……。もうやられちゃってるから、仇を打たないといけないというかぁ……」


「ちょっと、なんでそんな大切なことを忘れてるのよ!」


「いでっ……!」


 クティルゥが思いっきり、シレースオの背中を叩いた。シレースオのかぶる帽子がぴょんっと再び跳ねる。


「だから、痛いわけがないでしょ? わたしの防御魔法で守られてるんだから」


 クティルゥがやれやれと呆れたように肩をすくめた。そして、キヒュームたちに視線を向ける。今まで彼女から向けられたことない鋭く吊り上がった激しく睨みつけるような瞳だった。


 それに加えて、クティルゥの体の毛が全身逆立っている。それはまるで、猫が威嚇する時の様子そのものだ。


「猫人間と人魚のハーフ、クティルゥ。私は、ハーフ族のリーダーとして、せいせいどうどうと貴方たちと戦うことを誓うわ!」


 ほんの少しの間。


「……あっ、僕かぁ。クルダマオ族の……えーっと、マレタラッタを担当しているシレースオだよ。クルダマオ族の名にかけて……なんだっけ? あっ、そうだ。名にかけて、君たちをやっつけちゃうよぉ。……ふわぁ。これでいい?」


「もう! 決め台詞くらいちゃんと言ってよね。これじゃあ示しがつかないじゃないの!」


 ……なにを見せられてるんだ?


 二人はまるで出来の悪い学生コントをしているように見えた。


 ハーフ族のリーダー? マレタラッタ族を担当しているクルダマオ族? そんな高い位に立つような者には到底見えない。


 シレースオには戦う意欲はなさそうだし、クティルゥからは激しい殺気がたちまちに消えてしまっている。


 コイツら、本当に戦う気があるのか?


 ため息を吐きそうになった時、クティルゥが手を伸ばした。


「じゃ、可愛い私の猫ちゃんたちぃ! 防御魔法の泡を爪で破っちゃいなさい!」


 ぼんやりしていた。目の前にいるのはどんな能力を持っているのか見当もつかないクルダマオ族に陶酔し切った混血児と、冷徹非道のクルダマオ族なのだ。心構えを解いてはいけなかった。


 危うくクティルゥが遣わした猫の爪がモロ顔面に当たってしまうところだった。水をグンっと踏み込み、なんとか猫の攻撃をかわす。


「よく避けたわね! さすが、大悪党と言ったとこかしら! だけど、私たちは負けないわ! さぁ、どこからでもかかってきなさい!」


 クティルゥのはじけるような叫び声が、戦闘開始のゴングとなる。


 クティルゥはケモタリア族の動物を使役する力、そして、ハッコオイ族の水と回復魔法を操る力を持っているようだった。けれど、彼女はケモタリア族の血が濃いのか、水と回復魔法の力は弱い。


 キヒュームたち一行は首尾よく攻撃をかわし、攻撃を仕掛ける。これまで数多くの戦いをこなしてきた彼らは、だいぶ戦いに慣れていた。チームワークもバッチリだ。


 なのに、目眩が襲う。いつも通り、戦いが始まると同時に意識がぼんやりとしてきてしまう。これからが一番楽しいというときに、キヒュームの心は自身の体にない。夢を見ている時よりも自我がないと感じる。


 これで、何回目だろう。なんで、ぼんやりとしてしまうんだろう。


 




「……私はこれで死んでしまうのね。まったく、悲惨な人生だったわ……。私は一体、なんのために生まれてきたのかしら」


 意識が戻った時、クティルゥは目に涙を浮かべて泣いていた。尾ひれは傷つき、顔色が悪く、血の気がない。シルバーの上質な体毛もボロボロの絨毯のように縮れていた。手負いの彼女があまりに惨めで目を逸らしそうになる。


 クティルゥがすっと目を閉じる。涙がホロリと落ち、泡となって浮かぶ。それを追うように、力が抜け切りだらりとしたクティルゥの体が、浮かぶ。浮かんで、上へ上へと上昇していった。


 クティルゥが作り出していた防御魔法は消えていた。シレースオは今、汚染された水に直接浸かっているのだ。いつの間に用意したのだろう。彼の口には酸素ボンベが付いていた。


「あーぁ。死んじゃったねぇ。君たちが殺したんだぁ。あんなにいい子だったのに。あんなに純粋な子だったのにね、ふぁ……」


 眠そうで気だるげな声でシレースオが言った。


「ま、でも仕方ないかぁ……。クティルゥが弱かったのがいけないねぇ……。そうやって【設定】されてるから変えられないしねぇ」


「なんでそんなひどいことを言うのですか……? お仲間だったのではないのですか?」


 ひどく動揺した声でアイレーンが聞く。


「仲間……。うん、仲間だねぇ。僕の大切な仲間だったんだよぉ。僕が寝続けるのも許してくれたしぃ。でも、もう死んじゃったでしょお? 死んじゃったのは、変えられないでしょお? ……ちょっと、そんな目で見ないでよぉ。殺したのは君たちなのにさぁ。君が、君自身と向き合わなかったから、彼女は死んじゃったのにさぁ。……むにゃにゃ。さてと、敵討といこうかなぁ」


 シレースオが両手を前に出した。魔法を出す前の構えだ。キヒュームたちも負けじと応戦する。


 戦闘で時間が経過するたびに、シレースオは「ぐぅ……」とか「イテッ」とか毒に耐えているような声を漏らす。シレースオが倒れるのは時間の問題だった。


 そしてやはり、シレースオはキヒュームの意識が消えている間に、倒されていた。シレースオは灰色の顔をさらに灰白くさせて、力なく呼吸をしている。それに、海に晒されている肌は毒のせいか紫色に変色していた。あまりの痛々しい様子に胸が詰まり、泣きそうになる。


「ふわぁ……。これでやっと、ゆっくり寝れるねぇ。もう痛まなくてもいいし、苦しくなくてもいいねぇ。やっと、終わるんだねぇ……。君たちも、はやく、こっちに、これると……いいねぇ。この世界は、辛いこと、ばかりだからさぁ……。むにゃむにゃ。それじゃあ、おやすみなさい」


 シレースオはスッと瞼を閉じた。体についているボンベが重いのか、かろうじて浮いていた彼の体は下へ下へと下降していく。彼はもう死んでいるのに、手が助けを求めるように伸びていた。降りていく。落ちていく。上昇していったクティルゥと真逆だ。不意に変な衝動に駆られた。シレースオに手を差し伸べ、救おうとしてしまったのだ。


 グイッ。


 下へと降下しようとしたキヒュームの体が引っ張られた。


 振り返る。ドリュウルだ。ドリュウルが切なげな顔で首を横に振る。


 不思議な痛みが身体中を走った。寒さをも感じる。


 ——もう痛まなくてもいいし、苦しくなくてもいいねぇ。やっと、終わるんだねぇ。


 彼の切な声が脳内にこだまする。キヒュームの体も一緒に海の闇に沈んでいくような感覚がする。


 ああ、俺は一体、何をしているんだろう。




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