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第4章 魅惑のマレタラッタ(8)



「もう! アイツら本当にしつこいんだから! 撒くのに時間かかっちゃったじゃない!」


 女がシャーッと空虚に向かって威嚇する。ずいぶん遠くまで来てしまったようだ。この時にはもう首元の違和感はほとんど気にならなくなっていた。首に違和感を与えているのは、女の使役する猫……それも長毛種の可愛い大猫であった。


「手間取ってごめんね。貴方たちを助けるために、これでも頑張った方なのよ?」


 女が猫のような目を細めて笑う。その瞬間、首の違和感から解放された。そっと首筋を触ってみる。どこもおかしなところはない。傷一つなさそうだ。


「あはは、傷なんてないわよ。だって、貴方たちには防御魔法がかけられてるじゃない!」


「ここは、どこなんだ……?」


「私たちハーフ族の隠れ家よ。あっ、ハーフ族っていうのはね、私たちの族称よ! いいネーミングだとは思わない? 私たちハーフは、既存のどの種族にも属さないから、私たちは私たちによる私たちのための呼び名が必要だって思って名づけたってわけ!」


 森の爽やかな空気のように女は笑う。そこに敵意はない。


 ちょっとだけ警戒心を解いて、辺りを見てみる。地面の辺りがやけにゴツゴツしているが、一見、なんの変哲もない海の底という感じだ。しかし、淀んでいる。水色が赤みを帯びた鼠色なのだ。


「何もないでしょ? そうなのよ。海中はハッコオイ族がよくパトロールしているせいで、家らしい家を持てないのよ。だから私たちは放浪の身なのよね。拠点をコロコロと変えているの。海の洞窟さえあれば、拠点はどこだって作れるわ!」


 女がトンっと胸の辺りを叩く。その衝撃で彼女の胸毛が数本抜けた。


「どうして、僕たちを拠点なんかに連れてきたの?」


 ラクビースの声がした。キヒュームの後ろに、ラクビースがいた。ドリュウルもラクビースと共に並んでいる。キヒュームの隣には、愛らしいアイレーンがふわり、ふわりと上下に浮かんでいた。


「貴方たちは私たちと同じような匂いがしたからかしら」


 女が小ぶりの鼻をヒクヒクとさせる。


「それに、アイツらに変な偏見を植え付けて欲しくなかったのよ。アイツらは、悪魔だから。嘘をつき、善良な人々を惑わす存在なの」


「悪魔だなんて、そんな。族長様は、わたくしたちの住むマレタラッタの平穏を保っている、立派な方です」


「うそっ。貴女、そんなこと本気で思ってるの?」


「もちろんです。族長様は身分など関係なしに、わたくしたちに分け隔てなく接してくださいますから」


「やだ、本気? ……その目は、本気なのね。はぁ……」


 女は大きくため息をついた。キヒュームたちを連れてきたであろう猫たち(三毛猫、シャム猫、キジトラ、メインクーンの四匹だ)が、彼女の後ろで毛繕いをしている。そのさらに後ろに、彼女が先ほど引き連れてきた混血の者たちが、ことの成り行きを見守っていた。


 敵意は感じないが、見張られているみたいで居心地が悪い。


「たしかにアイツはハッコオイ族を差別しないでしょうね。ハッコオイ族は」


  「それは……」


 アイレーンが口ごもる。女は口角をあげ、微笑んだ。


 それは意地悪そうでも、悪意のある笑顔でもない。寂しそうな笑顔だった。


「貴女もわかってるのよね。ハッコオイ族かも差別的で排他的な種族だってこと。貴女は彼らに守られるかもしれない。だけど、貴女の横にいる大切な人は? 貴女の後ろにいる大切なお友達は? 立派な族長様は彼らを守ってくれるかしら」


「そ、それは……」


 アイレーンは腕をさすりながら、言葉を詰まらせ、悲しげな表情を浮かべる。


「守ってくれるわけない。アイツらが他種族を守るわけないのよ。……そして、そんな差別主義者が語る言葉が真実だなんて、到底思えないでしょ?」


「そんな、ことは……」


 アイレーンが俯く。言葉が出てこないという様子だ。


「彼らは私たちが悪だと言う。でも、私たちは彼らこそが悪だと思ってる。なんでかわかる? 彼らが私たちを迫害したからよ。私たちはハーフとして生まれた。その瞬間、私たちの幸せや人権は無きに等しかった。見た目がハッコオイ族と違うというだけで、迫害にあった。外も歩けない、学校にも行けない、買い物もできない。唯一許された労働も、日の目を見ない暗い場所で奴隷のようにこき使われる地獄のような環境。ねぇ、こんな環境に追いやる奴らが正義だなんて、誰が言えるの」


 あぁ、痛い。


 キヒュームは自身の胸を右手で抑える。


 痛くて痛くてたまらない。


 この感覚を知っている。この感覚はどこかで経験した。この感覚は……そう、ヴォルペレスで。


「さっきからうるさいよぉ……。クティルゥ、何を騒いでるのぉ?」


「あら、ごめんなさい。シレースオ、起こしちゃったかしら」


 海底の岩場の影から男の人が出てくる。豆電球のような謎のライトが五つほど円になって並び、男の周りを取り囲み、彼を照らし出している。凍てつくような寒さが体に走った。


「クルダマオ族……」


 アイレーンの一言に、三人は身構える。


「そうなのよ! 彼こそ私たちの同志の中の同志、シレースオよ!」


 クティルゥと呼ばれた女が屈託のない笑顔のまま、言う。


「同志の中の同志」


 クティルゥの言葉を無意識のうちに繰り返し、キヒュームは深く息を吸い込んでいた。額に汗が滲んでいる。心拍数が上がっているのも感じた。


 救世主。同志。それがシァオイリ共通の敵であるクルダマオ族を形容する言葉だなんて、どうも気持ちが悪い。チグハグだ。おかしい。それなのに、ここ最近会う者たちは皆、クルダマオ族を仲間として受け入れている。


 それは出会った者たちが異常者だっただけさ。異常者が異常者を信奉する。何もおかしいことじゃないだろう?


 心の中のキヒュームが、キヒュームをなだめる。


「あら、人間族の貴方、顔が真っ青よ? そうよね、クルダマオ族って、悪い人たちって教えられるものね。でもね、実際のところ、クルダマオ族の人たちって全然悪い人じゃないのよ。それに、ハーフ族とクルダマオ族……迫害されている者同士、分かり合えるところがあるのよねぇ」


 腕を組んでうんうんと頷くクティルゥを尻目に、シレースオが大きな欠伸をした。眠そうにしているその表情は、象の皮膚のように硬そうな灰色の肌と相まって、具合が悪そうに見える。


「ふわぁ……。ねぇ、彼ら、すごく殺気立ってるよ? なんだか、オイラたちの敵に見えるんだけど?」


「そうかもしれないわね! でも、心を通して語り合えば、私たちの心情を理解してくれるかもしれないじゃない!」


 クティルゥが強い力でシレースオの背中を叩いた。シレースオの頭に乗っていた三角のパジャマ帽子がその勢いでぴょんっと跳ねる。


「もう、痛いなぁ。クティルゥは加減ってものを知らないんだから」


「痛いわけないでしょ? 私の完璧な防御魔法に包まれてるんだから、痛いわけないのよ」


 クティルゥは笑っている。シレースオのことを好いているのか、頬に僅かだが赤みがさす。


「と、いうわけで、ここにいるシレースオたちクルダマオ族は貴方たちが思っているより悪い人たちではないの。むしろ善い人たちなのよ」


「……たち? 他にクルダマオ族がいるのか?」


 思ったよりも低い声が出た。


 動悸がする。心の臓の鼓動が響いてくる。


「ええ、いるわ! 私たちは幼い頃から一緒に住んでるんだもの! ここにはざっと五十人くらいはいるかしら?」


 今度は眩暈がした。


 生贄の子供達の次は、ハーフの者たちと共に生活をしているというのか。クルダマオ族の連中、なんとも、弱者に取り入るのがうまい。そして、弱者を味方につけ、利用する。なんとも悪人らしき行動ではないか。


 ぐらりと視界が大きく揺れる。


「彼らと私たちは志を共にしているの。ずーっと、ずーっと、ハッコオイ族の連中から一緒に逃げてきた。逃げて、逃げて。いかに魔力の強いクルダマオ族とは言えど、たった五十人っぽっちじゃ、ハッコオイ族の連中に勝てっこない。私たちハーフ族だって、血が二手に分かれているせいで、魔力が二つに分散されている。だから、勝てっこない。だから、逃げるしかない。そうやって、私たち逃げるだけで人生は終わるんだと思ってた」


 クティルゥは子供が嫌々をするように頭を振った。


「でも、転機が訪れた。クルダマオ族がシァオイリ全体に反乱を起こすって言うじゃない! 私たちはね、それに乗っかることにしたの。シェイコン様もね、反乱に協力すれば、ハーフ族にも居場所をくれるって約束してくれたのよ! ハッコオイ族に復讐もできて、居場所ももらえる。こんなにいい話があるかしら? だから、私たちハーフ族は即答したの! 貴方たちクルダマオ族を支援しますってね! そういうわけで、私たちはクルダマオ族の魔力と私たちハーフ族の魔力を融合させて、海を汚染したってわけ。そのうち、他種族の者たちが潜水艇を使ってマレタラッタに来るでしょ? そのときにハッコオイ族がひた隠しにしていた防御魔法が露呈するってわけ。い器用に防御魔法を使って息をしていたハッコオイ族といえど、海が汚染されていたら防御魔法を全身にかけるしかなくなるでしょう?」


「えっ、ちょっと、クティルゥ。事情全部話すじゃん。コイツら、そんなに信用できる奴らなの?」


「さぁ? わからないわ!」


「わからないって……」


「この話を聞いて味方になってもらったらハッピーだし、味方になってくれないなら殺しちゃえばいいんだもの」


 殺しちゃえばいい。その一言に体がぴくりと跳ねる。さっぱりとしたオレンジジュースのような声音にそぐわない単語だったから、余計に驚いてしまう。


「簡単に言うね」


 シレースオが目を擦り、再び大きな欠伸をした。


「そりゃあ、ね。敵になったからには命懸けで戦わないと。せっかくのチャンスなんだもの。こんな子供達に、チャンスを捻り潰されたらたまったもんじゃないわ!」


 戦わねばならない。目の前にいる者たちはキヒュームたちの敵なのだ。どんな理由があろうとも、クルダマオ族と結託している以上、敵でしかない。


 キヒュームも、ドリュウルも、ラクビースも、アイレーンも、戦闘態勢を取る。


「やだっ! 貴方たち、もう戦うつもりなの? 貴方たちが味方になってくれれば、私たちは戦うつもりなんてこれっぽっちもないのよ? できれば私たちは無駄な戦闘を避けたいの。それに、ここで戦って私たちに勝ったところで、貴方たちはおそらく、ハッコオイ族の連中に始末されちゃうわよ? それでも、戦うの?」


 クティルゥが動揺を漂わせて言う。


「戦い……ます!」


 声を上げたのは、意外にもアイレーンだった。


「うそ……! どうしてよ?」


「族長様は、貴方様の言うような、低俗な方では、ないからです。命の恩人であるわたくしのお仲間を、殺すはずがありません」


「楽観的すぎるわ」


「そうかもしれません。貴女様の言うとおり、族長様は冷淡ですから、わたくしの大切な方々の始末を試みるかもしれませんね」


「だったら、私たちの仲間に」


「なりません。この点は譲れない点なのです。自分たちの意見を押し通すために海を汚した貴女様たちを許すわけにはいかないのです」


 そう言い切ったアイレーンの顔からは、悲哀が消えていた。


 ここにいるのは、いつもの怯えて、弱々しく震えているアイレーンじゃない。強く、たくましい姿のアイレーンがそこにいた。


「なに、それ」


「貴女様たちの行いのせいで、海の生物は死滅してしまったでしょう。罪なき命が消えてしまったでしょう。……わたくしは、わたくしたちは、どんな大義があろうとも、生命を粗末にする貴女様たちの行動に同意しかねます!」


 キヒュームもドリュウルもラクビースも、顔を見合わせて黙って頷く。


 アイレーンの一言一言が胸に染みた。まるで魔法のようにアイレーンの言葉が胸の内側に入り込んでくる。目の前にいる奴らは生命を冒涜する悪であり、キヒュームたちが倒さねばならない相手なのだと、思わされてしまう。


「ふわぁ……ねむぅ……。クティルゥ。この人たちを味方にするのは無理じゃないかなぁ……」


「そうね。そうかもね。私たちと貴女たちはきっと、敵同士なのよね。そうなのね……」


 クティルゥの声は震えている。声だけじゃない。体全身が生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。


「そうです。わたくしたちは戦わねば、ならないのです。それに、クティルゥ様……。貴女様が、このクルダマオ族の御人に防御魔法を教えたのですか? そうであるならば、なおさら、わたくしは貴女様方を倒さねばなりません。ハッコオイ族の秘密を知られたからには、生かしておくわけには、いかないのです」


「なによ、それ。貴女の仲間であるこの子達は秘密を知っていてもいいのに、私たちはいけないわけ?」


「相手がクルダマオ族ですから」


「……この子達はいい人たちだって話、信じてくれないの?」


 クティルゥが今にも泣き出しそうな声で言った。


 口をギュッと結び、時々、睨むようにアイレーンを見ている。


「少し話したくらいじゃ、信じられません。もしかしたら、貴女様の言う【いい人たち】は、貴女様方を欺いて、利用しているだけかもしれないでしょう?」


 クティルゥは顎を引き、下唇を噛みながら黙ってしまった。


「クティルゥ……。辞めなよ。もうこの人たちは、僕たちを敵認定してるよ。分かりあうなんて無理無理」


「わかってるわよ! わかってるけど……!」


 クティルゥの頬がぷくっと膨らんだ。拗ねた子供のような顔つきだ。


「……わかったわ。シレースオの言うとおり、貴女達は敵なのね。ちゃんと理解したわ」


 拗ねた子供の顔つきのまま、クティルゥが言う。


「みんなー! 聞いてー! この子たちは敵よ! 私たちの安穏を脅かす、最悪の敵! だから、チャチャっと倒しちゃいなさーい!」


 後方に向かって、クティルゥは叫ぶ。ワラワラとたくさんのハーフ族の者達が岩陰から現れた。


 ずっと岩場に隠れ込み、様子を見ていたわけか。つくづく、狡い連中だ。


 目の前の者たちを敵だと認識した瞬間、キヒュームの闘争心が露わになる。それなのに、キヒュームの体の力はなぜか抜けていってしまう。


「シレースオ、行きましょう。私たちが手を加えるまでもないわ。同志達がきっと、彼らを倒してくれるでしょうから」


「ん、おっけー……。僕、もうちょっと寝るね」


「まったく。貴方は本当に寝坊助なんだから。……行きましょう。可愛いあの子達が死んでしまうのを私は見たくないから」


 クティルゥはシレースオの腕を掴み、岩場の影の奥の奥へと行ってしまった。


 ——可愛いあの子達が死んでしまうのを私は見たくないから。


 優しさと悲しさが入り混じった複雑な声音だった。彼女は本当に【悪】なのだろうか。迫害されていた過去、クルダマオ族に手を貸す現在、最後までキヒュームたちと語り合おうとした今。


 信念が違うんだよ。信念が違えば、戦うしかないんだ。


 胸にいるキヒュームがそう告げている。


 目の前には戦いに息巻く大勢の混血児とクルダマオ族がいる。


 キヒュームは背筋を伸ばした。


 戦わねばならない。ここで戦わねば、死ぬだけだ。死んでしまったら元も子もないのだ。生きて、全ての根源の【悪】である彼女を倒さねばならない。


「歪だね」


 声がした。声のした方を見ると、ラクビースが渋面を作っていた。眉間の皺がはっきりと見て取れる。


 聞き間違えだと思った。見間違えだと思った。でも、確かに見聞きしたのだ。つららのように冷ややかで鋭いラクビースの声と、憎しみに燃えるラクビースの瞳を、確かに……。




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