第4章 魅惑のマレタラッタ(7)
アイレーンが再び手で水流を作り、二人はその水流に乗った。思った以上に激しい流れで、周りの薄汚れた水が虹色に煌めいて見える。
流れが落ち着いてくると、石の建物が見えた。海底街に着いたのだ。建物は地上のマレタラッタと同様、水色に染まり、幻想的に鎮座している。
ここは、海底街マレタラッタの入り口にあたるらしい。目の前に木製の道標が置かれ、【マレタラッタ】と素っ気なく書いてある。外からの客が来る想定をしていないのだろう。海に沈む街は幻想的ではあったが、陸のマレタラッタと違い華やかさも人を惹きつける引力もなかった。
その街の中にアイレーンは進んで行った。まばらにある家々を抜けると、広場があった。広場を取り囲むように屋台が出ている。人の声もした。
「おそらく、ドリュウル様とラクビース様はこちらにいるかと思います」
アイレーンに手首を引っ張られる。連れて行かれたのはバラックのようなくたびれた建物だった。石でできているのに半分が朽ちて崩れ落ちていた。
「ここは集会場なのです」
アイレーンが建物の扉を開けると、音もなく手前に動いた。動いたと同時に、ぷかぷかと泡が立つ。アイレーンは堂々とした足取りで中に入った。キヒュームもそれに続く。中は、だだっ広い広間のような場所だった。この広間以外、部屋はなさそうである。
キヒュームは息を呑み、その場に立ち尽くした。
ドリュウルとラクビースを中心に、和服を着たハッコオイ族が彼ら二人をぐるりと囲っている。ざっと見ただけで百人はいるだろうか。
「その方々は、わたくしのお友達です。手荒な真似はおやめになって」
アイレーンがキヒュームの腕を掴んだまま、一歩前へ出た。足がもつれそうになる。
「アイレーン!」
野太い声が広間に響いた。圧倒されるような重低音だ。
「アイレーン、お前なのか? お前、どこに行っていたのだ! 一族皆、お前のことを心配しておったのだぞ!」
「ご心配をおかけして、大変申し訳ございません、族長様。……実はわたくし、奴隷商に捕えられてしまいましたの」
辺りがざわつく。ハッコオイ族の者たちが互いに顔を見合っていた。
「それを、この者たちが助けてくださったんです! 勇敢にも奴隷商であったクルダマオ族に戦いを挑み、わたくしを救い出してくださったヒーローたちなのです! この方々はわたくしの命の恩人なんですのよ!」
辺りがより一層ざわついた。アイレーンは気にせずに言葉を続ける。
「そして、この者たちは今、反逆を起こしているクルダマオ族を討伐するため、各地を回っておられるのです。皆様、ブランダミグマ警備隊から伝達は受けておられませんか?」
「もしや、先ほど来たブランダミグマ王国軍の遣いが言っていた者どもか……? クルダマオ族の勢力を弱めるために旅をしている四人組というのは、アイレーン、お前たちのことなのか?」
「その通りです。ですから、どうか、彼らを離してください」
「そうは言ってもだな……」
広間の一番奥、上手に座る人魚の大男は藍色の顎髭を撫でた。甚平姿のよく似合うお爺さんであった。
「お前の話が真実とは、わからぬだろう」
「そんな!」
「だが」
族長様と呼ばれた大男の人魚が前へ泳ぎ出て、
「お前の普段の行動は信用するに値する」
と、言った。
「アイレーンの命の恩人の方々よ。怯えさせて申し訳ない。この街は政府以外には極秘にしている故、お前たちのような別種族が来ると警戒してしまうのだ。ご無礼をお許し願いたい」
族長様が頭を下げる。それに続いて周りのものたちもまた深々と頭を下げた。
「いやいや、そんなそんな。僕たちが皆様の気も知らずにズカズカと土足で踏み込んだのが悪いですから」
「ったく、よく言うよ。あんなに一方的に責められて、よくもまぁ、アタシらが悪いって言えるね」
百人からの責めが終わり一息つけたのか、ドリュウルがいつもの軽口を叩く。ラクビースの謙遜もいつも通りの調子だった。その事実にまずは安堵する。
「いやはや、本当に申し訳ない。……ところで、どうしてアイレーンよりも先にこのお二方がこの街に足を踏み入れたんですかな?」
「そちらにつきましても、わたくしに説明させてくださいまし」
アイレーンはしゃべった。水流でこの街までの道筋を作ったこと、キヒュームと共に水流に乗ろうとした時、ハッコオイ族とケモタリア族の混血児が現れたこと、そして、謎の助言だけを残し、その場を後にしたこと……。皆、静かに黙って聴いていた。話し終えたとき、族長様が唸り声をあげる。まるで獣が威嚇しているかのような唸り声だった。
「……なるほど。理解した。一つ確認なのだが、アイレーンと人間族、お前たち二人はそういう関係ではないのだな?」
「そんな、まさか!」
「はい。そういう関係ではございません」
言葉が重なり合う。族長様は腕を組み、小さく頷いた。周りの者は置物のように、じっとしてこちらを見つめている。
「なら、いい。もし二人が出来ているのなら……お前たちはワタシたちの敵になっただろうからな」
「敵……?」
思わず声が出た。どうしてアイレーンと恋人同士だったのなら、敵になるんだ。二つの事柄がつながらなかった。
「この海を汚染させているのが、他でもない合の子の連中だからだ」
「まぁ!」
「ハッコオイ族の娘は美しい。故に、多くの種族が虜になり、他の種族よりも合の子が出来やすい」
「そんなこと、知りませんでしたわ……」
「話す必要がないからな。娘たちに余計な知識は入れたくない」
「余計な、知識……」
アイレーンが切なげに足元を見た。
「ただでさえ、合の子が生まれやすいというのに、入知恵をして他種族と一緒になれることを夢見させてはいけないからな。……ともかく、私らの種族には合の子が生まれることがよくあるんだ。大抵の場合、人魚の尾ひれを持ち、その他の部分が他種族の特徴を受け継ぐ。もちろん、中には尾ひれを持たぬものもいるがな」
ふわっ。
周回場の外で何がか揺れた振動が場内に伝わる。皆が一斉に扉の方を見た。集会場のドアが開く。微かに泡が溢れでた。ピリッとした空気が立ち込める。キヒュームたちがこの場に現れた時と同じような緊張感だ。嫌な気分だ。この感覚を知っている。多分、これは……。
「ヤダッ。すごく辛気臭い場所じゃない。……あら、さっきぶりね、お二人さん」
来襲だ。
先ほど会ったハッコオイ族とケモタリア族のハーフの女が何人かのハッコオイ族……いや、混血児を引き連れて、この集会場に現れたのだ。
顔は相変わらずケモタリアのそれで、尾ひれが付いているのが可笑しいくらいだ。女が引き連れている他の者たちも同様に、ドラガンシア族の鱗を持った者、尾ひれに人間族の足が生えた者、獣の体を持つ者……と見るからに、ハーフの者たちだった。
「ひえっ」
恐怖に怯える声が、集会場にいるハッコオイ族の口からもれた。
「ちょっと、そんな目で見ないでくれるかしら? 私たちもあなた達と同じ生き物であり、感情を持っているのよ?」
「はっ、くだらん。お前達、何しにきた。この街を占拠するつもりなら、諦めた方が良い。先日のように追い返してくれようぞ」
先ほどよりも増して、低い声で族長様が唸る。ぶるりと体が震えた。空気をも震えた気がする。それほど威圧的な声であった。
「やだちょっと、怖いじゃない。私はただ……、この悲恋の真っ最中であるこの娘達にアンタ達の蛮行を教えてあげようと思ったのよ。ハッコオイ族側につくよりも、私たち、ハーフ連盟についた方が貴方達のためになるってね」
女はウィンクをした。猫のような吊り目にキヒュームたちの姿が映っている。
「……あら? ドラガンシア族の女の子も、ケモタリア族の男の子もいるのね。みんな律儀にウェットスーツを着込んでて偉いわね! そういえば、貴方たちみんな防御魔法の中にいるのね。防御魔法って、ハッコオイ族の極秘事項だったはずなのに、どうしてこの子達は防御魔法に守られてるのかしらね? あぁ……、そこのハッコオイ族の娘ね。彼女が人間族の彼への愛故に、禁忌を破り、防御魔法を教えてしまったのね。なんて純愛なのかしら! 素敵だわ」
「何が純愛だ。アイレーンの勇姿を、お前たちの低俗な価値観と同じにするでない。彼らはな、国に仕える勇者様御一行なのだ。お前たちのような不届ものやクルダマオ族の者どもを始末するためのな」
「あら、そうなの? 戦争の時ですら防御魔法を隠していたくせに、よくわからないチンチクリンな勇者様御一行には防御魔法のことを教えてしまうのね」
族長様は黙った。
確かにその通りだ。薄鈍色に見えたマレタラッタの浜辺の話を思い出してみるに、防御魔法は秘匿であり、決して外部に漏れてはいけないもののはずなのだ。それなのに、目の前にいる族長様は決してそれについて尋ねることはしなかった。どうしてなのだろう。
「始末するつもりだったんじゃないの」
女の一言はずっと冷たく、金属音のように聞こえた。
「この街の問題を解決したら、そこの三人を殺すつもりだったんじゃないの」
「何を言っているのかわからんな」
女は一歩前に進み出る。彼女の仲間たちもまた、同じように進み出た。
「狡いアンタたちのしそうなことよね。防御魔法は外に出たらまずいものね。知ってしまった者たちは殺すしかないものね。混血児たちと同じように、殺すしかないものね」
冷たい声が問い詰める。
寒い。外気温ではなく、体の内側からすうっと冷えていく感覚がする。
ここにも理不尽な死があるのか。
「どうせこの子達を歓待するフリをして、私たちハーフ連盟を殺すように仕向けるつもりだったんでしょう? 彼らが私たちを倒したら、この街の問題は解決。私たちが彼らを倒したら、防御魔法について外に漏れなくて一安心。私たちが相打ちなら万々歳……ってところかしら」
女の手が伸びて、次の瞬間、入り口から猫が飛び出してきた。猫たちは皆、防御魔法の泡に覆われている。
「アンタたちの思ったようにはさせない。この子供達も利用させない。防御魔法の秘密も私たちが暴く」
主人公さながらの、明瞭でハキハキとした声が広間に響く。
「この子達、貰っていくから」
ニャーッという鳴き声が聞こえた。刹那、首後方にチクリとした違和感がさした。違和感の元を取り除こうと、慌てて首元を掴む。毛並みに覆われた体は、キヒュームの手で捕えられても、びくともしなかった。
「彼らを離せ!」
族長様の鐘にも似た低い声がキヒュームの後ろ髪を引っ張る。
けれど、キヒュームの首元を引く力があまりに強いのか、キヒュームの体はぷかりと漂い、激しい勢いでドアの方へと一直線で向かう。ハッコオイ族が一斉に泳ぎ、向かってくるのを感じた。しかし、彼らが追いつくことはなかった。




