第4章 魅惑のマレタラッタ(4)
「ありがとうございます。……では、話させていただきますね。一般的にマレタラッタは海辺の街と呼ばれています。しかし、事実はは違います。マレタラッタは二つの都市を指しているのです。今、キヒューム様たちが通ってきた海辺の街と、海底に沈む海底街、二つを合わせてマレタラッタというのです。……わたくしたち、ハッコオイ族が人魚であることは、皆さまご承知の通りです。水に使ったら人間の姿から、人魚の姿になる……周知の事実ですね」
ふっと、アイレーンが息を吐く。美しい瞳に濁った海が映っている。
「わたくしたちのご先祖様は海辺の街に合わせて、海中に街を作りました。要塞として、です。海の中で息ができるのは、五種族の内、わたくしたち、ハッコオイ族だけですから。街を守るには、海に街を作ってしまうのがいい、とご先祖様は考えたんですのよ」
「それは、要塞になるのか? 海中だろうがなんだろうが、人間族の潜水艦ですぐにばれてしまうだろうに」
「えぇ。キヒューム様の言う通りです。ですが、海中街ができたのは、五種族地域不介入協定が制定されていた戦前の話ですからね」
「五種族地域不介入協定……?」
「はあ、キヒューム……アンタ、そんなことも知らないのかい。なんのために学園があるんだかね。アンタはもう少し歴史を勉強したほうがいいよ」
ドリュウルがマスク越しに頭を抱えながら言った。頭を抱え、憐れむものを見る目でキヒュームを見つめる。
「五種族地域不介入協定ってのはね、世界大戦前に五種族間にあった取り決めごとだよ。人間族の統治するノキモーグス……現在のブランダミグマだね。ドラガンシア族のヴォルペレス、ハッコオイ族のマレタラッタ、ケモタリア族のフルリンケ、そして、クルダマオ族の統治するタナスウイ。それぞれの種族がそれぞれの地域を統治することを認める。そして、地域間においては互いに干渉し合わないという規定だよ」
「へぇ、そんなまどろっこしい規定があったんだな」
「ったく、アンタは……。ま、つまり、戦前は海の領域はハッコオイ族のものだった。だから、人間族は潜水艦なんてもの潜らせられないし、海の街の存在を知ることができない、というわけさ」
「なるほどな。だけど、今のシァオイリはそんな協定ないだろう? てことは、海にも潜水艦を送れる。海中街なんて、すぐにバレちゃうんじゃないか?」
ドリュウルが答える前に、アイレーンが口を開いた。
「えぇ。その通りです。ブランダミグマの国王やその側近、各地域の政治家などは海底街を知っています。それでも、ごく少数ではありますが」
「どうして、海底街のことを公にしないんだ? 海の底の街なんて、観光客が一番見たいはずだろう? 手っ取り早く稼ぎたいと思ってるならそれが一番いいと思うんだけど」
先ほどアイレーンが話していた【ハッコオイ族は守銭奴じみている】という内容を思い出しながら尋ねてみる。
アイレーンが黙った。軽く俯き、汚い海を見つめている。
「……家庭が、あるからです」
「え?」
「海底街に住んでいるのは、守られるべき小さき子供がいる人たちだからです」
キヒュームは首を傾げる。
ドリュウルが肘でキヒュームの頭を殴った。
痛い。
キヒュームドリュウルを睨むように見上げる。しかし、ドリュウルの面相を一目見て、開きかけた口を閉じた。
怒っている。怒りの炎が目の奥に浮かんでいる。理由はわからない。けれど、ドリュウルの内に眠る正義感が燃えているのを感じた。
「一体、どういうことだ」と、キヒュームが尋ねるより先に、アイレーンが再び口を開く。
「わたくしたち、ハッコオイ族の少年少女は、美しいですから」
ハッと口をつぐんだ。
記憶を思い起こさせるには、彼女のその言葉だけで十分だった。
——ハッコオイ族の少女たちはその美しさゆえに、暴行を加えられてしまうんだよ。
ドリュウルがランダミグマ出発時に言っていた言葉が脳内を巡る。少年少女は美しい。他種族が売買を行なったり、暴行を加えようと思ってしまったりするほどに、美しいのだ。
心に暗い影が差す。彼、彼女を守るためには海の中に住まないといけないほどなのか。そうでもしないと、他種族は危害を加えてしまうというのか。そこまで人々は愚かなのか。
「三種族から身を隠すために、わたくしたちは海底街に秘密の街を作っているのです」
キヒュームは生唾を飲み込んだ。三種族。つまり、ハッコオイ族の子供たちを危険な目に合わせているのはハッコオイ族以外の種族だってことを暗に示しているのだ。やはり、そうなのだ。また、心に黒い影が落ちた。
「ごめんなさい。嫌な気分にさせてしまいましたね。ですが、お仲間であるキヒューム様たちには、この街の真実を知っていておいて欲しいのです」
こちらを向いたアイレーンの視線が心なしか鋭い。この可憐な少女がここまで鋭利な感情を剥き出すのは、珍しい。
「隠さず申し上げます。わたくしたち、ハッコオイ族は、差別主義者です」
断定的な物言いに、アイレーン以外の三人は顔を見合わせた。
「差別、主義者……?」
「はい。ほとんどのハッコオイ族は自分たち以外の種族を劣等な下等種族だと思っております。その点においては人間族も、ドラガンシア族も、ケモタリア族も、そして……クルダマオ族も、等しく卑しく醜いと信じているのです」
「そんな……。どうして」
出した声が震える。アイレーンの瞳は徐々にだが、憎しみのこもった瞳に変わっていく。
「彼らはわたくしたちハッコオイ族を道具として使うからです。万能薬として、見物品として、あるいは、慰みモノとして」
この場に、ほんの少しの間が流れた。
「だから、わたくしたちはこの街に来た異質の者たちを蔑みの目で見るのです。その者たちからお金をふんだくるのです。全ては繋がっているのです。あぁ、本当にごめんなさい。わたくしはその……そこまでは思ってませんのよ。皆様は心お優しい方だと知っておりますし。ですが……皆様以外の他種族の方たちを軽蔑していないかと言うと……、そうですね。嘘になります」
アイレーンが曖昧に微笑んだ……気がした。ハッキリとわからないのは、アイレーンの口元はマスクで見えないからだ。
「そういうわけで、わたくしたちは国の主要人物以外には、海底街を隠しているのです。卑しい劣等種が聖域に入らないように、マレタラッタの宝である子供たちを盗まれないように、わたくしたちは自衛しているのです。……こんな話を聞いたら嫌な気持ちになりますわね。本当にごめんなさい。わたくしは本当に皆様が大好きなんです。嫌われたくない。嫌な思いにさせたくない。だから、こんな話、聞かせたくなんかない。でも……、知っていてほしいのです。わたくしたちの街の歪さを、仲間である皆様には」
アイレーンが意を決したように、海の方へ一歩前へ出る。そして、濁った海を指差した。
「おそらく、クルダマオ族は海底街にいます。この腐敗した海を見てください。こんなことをするのはあの方々に違いありません。わたくしは、マレタラッタ住民として、彼らを止めねばなりません。この街を護りたいからです。いえ、何としても護らねばならないからです。……ふふ、わたくし、皆様と冒険をして、強くなったんですよ。わたくし一人でクルダマオ族と対峙しようと思えるくらいには」
アイレーンは今度こそ、本当に微笑む。目元がふにゃりと潰れ、優しく弧を描いていた。
「……ですが、やはりわたくし一人の力では到底太刀打ち出来ないのもわかっております。だから、皆様にお願いがあるのです」
アイレーンは流れるような美しい所作で砂浜に正座をし、手のひらを地につけ、そのまま平伏した。土下座だ。歴史や地理を知らないキヒュームでもこの動作の意味はわかる。
「失礼を承知で申し上げます。皆様、どうかわたくしに付き添い、海底街まで同行していただけないでしょうか」
「どうか……」と懇願するように顔を上げ、再び額が砂浜に付くまで伏せる。
「この緊急事態であろうとも、わたくしたち種族は皆様を軽蔑した目で見るでしょう。もしかしたら、侵入者と見做し、攻撃を仕掛けてくるやもしれません。皆様に苦労をかけてしまうことは目に見えています。ですが、わたくしの勝手ながら、皆様についてきて欲しいと願ってしまうのです。だから、どうか、どうか……」
ここで、ドリュウルはあっと驚くような速さでアイレーンを抱え込み、体を起こさせた。海を思わせるような青い和風ワンピースに細かな砂がたくさんついている。
「ったく、そんなことで、頭を下げるんじゃないよ! アンタについていくのなんて当たり前だろう? アタシたち、どれだけ一緒に旅していると思ってるんだい?」
今度はドリュウルがしゃがみ、アイレーンについている砂を払う。
「そうだよ。僕たちがそんな薄情な者たちに見えてたの?」
「俺たち、仲間じゃないか。頼まれなくったって、クルダマオ族が関係なくたって、アイレーンの故郷は絶対に守るよ」
ラクビースとキヒュームはドリュウルに続いて激励の言葉を口にする。キヒュームはほんの少しカッコつけてしまったけれど。
ドリュウルが立ち上がりながら、がりがりと首の後ろを掻いた。
「ほんとに、アンタってやつは水臭い。あのね、アタシたちのアンタへの熱い気持ち、なめるんじゃないよ。それに、アタシだって、ヴォルペレスで数え切れないくらいアンタのお世話になったんだ。恩くらい、返させてくれよ」
「あぁ……あぁ……。皆様、本当に、本当になんとお礼を申し上げたら良いか……。本当にありがとうございます」
アイレーンは顔を覆い、泣いた。けれど、防護マスクが邪魔をして、涙を拭えない。涙がポタポタとマスクの中に落ちていく。
その瞬間、アイレーンはマスクを脱いだ。清楚で瑞々しい顔が顕になる。
「何して……っ!」
あまりの出来事に声が喉元に詰まった。波の音だけ涼しそうに響く。
アイレーンはさらさらな青い髪を風に靡かせながら、苦笑する。苦笑しながら尚も溢れそうになっていた涙を親指で拭き取った。
「わたくし、皆様にもう一つ、黙っていたことがあるんです」
アイレーンが顔を上げる。視線が戸惑っている三人に向けられた。
「ハッコオイ族は回復魔法が得意としていますが、もう一つ、得意としている魔法があるのです」
「それは、水魔法じゃないのか……? 学園でよくハッコオイ族が水魔法を使っているのは見るけど……」
「ふふ、キヒューム様の言う通り、水魔法も得意としてましたね。……それに加えてもう一つ、得意なものがあるんですのよ」




