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第3章 ヴォルペレスの街(8)



 ……そして、意識が戻る。


 いつものように敵が倒れ込んでいる。うずくまり、倒れているルブフを前に、なぜだかわからないけど一粒の涙がツーッと頬を流れた。


「人間族の少年よ。泣くでない」


 ルブフが顔を動かす。死闘があったはずなのに、その幼顔は汚れておらず、とても綺麗だった。


「ワシの力が足りなかっただけなのじゃから」


 ルブフはふわりと花が咲くように微笑み、そして、手を伸ばす。キヒュームの手がその手に重なる。身体が勝手に動いていたのだ。


 ルブフはキヒュームの手をグイッと引っ張る。体のバランスが崩れた。ドリュウルたち仲間が顔を青くして、キヒュームを引っ張り上げようと手を伸ばす。


 その瞬間、空間が止まった。


 時間停止魔法。どこかで聞いたことがある。クルダマオ族が自分の寿命を引き換えに、時を止める魔術だ。止めた時間と同じだけの秒数、寿命が縮まる、らしい。


「よく聞くのじゃ、少年」


 ルブフが口を開いた。いつの間にかキヒュームはルブフの真横に倒れ込み、ルブフの口がほとんど耳元に当たっている。


「敵は、我らクルダマオ族ではない」


「は? 何言って……」


 ルブフの喉からこきゅりという音が鳴った。僅かに開いた口からは、細い声が零れた。


「其方は、自分の思考がなぜか突然途切れることはないか? 自分の考えがころりと変わってしまうことはないか? 自分の見解が思わぬ方向へと向かっていることはないか? 其方は自分の行動を誰かに託しているのではないか? それでは真実は見えぬ。しっかりと、自分の頭で考えるのじゃ。誰かの思想の道具になってはならぬ。ならぬのじゃよ」


「何を、言ってるんだ」


「齢百八十のワシからの助言じゃ。人間族の少年キヒュームよ、自分の頭で考えろ。考えて、自分自身を取り戻すのじゃ」


「どうして、俺の名前を……」


 掠れた声で聞き返す。


 そのとき、パンッと光が弾ける音がした。ドリュウル、ラクビース、アイレーンがキヒュームの体をルブフから引き剥がした。


 時が、動き始めたのだ。


 キヒュームは呆然と、倒れているルブフを見つめる。血の気が失せたその顔は、健やかな笑顔を浮かべていた。


「大丈夫か、キヒューム!」


 ドリュウルの言葉を皮切りに、仲間が口々にキヒュームの体を労う。


 キヒュームは黙っていた。思考が切れる、考え方が変わる、行動を誰かに託す……。どうしてだろう。全てに身に覚えがあるのだ。全てがここ最近キヒュームの体に起こっていることなのだ。


 どくどくと心臓が脈打つ。キヒュームを戸惑わせるために出した、クルダマオ族のまやかしだとはどうしても思えない。


 一体、俺の体に何が起こってるというのだ。


「キヒューム?」


 自分の残り少ない命を燃やしてまで、キヒュームに伝えたかったのはなぜなのか。


 ——敵は、我らクルダマオ族ではない。


 自分の残り少ない命を懸けて、味方のクルダマオ族を救うために、苦し紛れに嘘をついたのか?


「キヒュームくん!」


 そうに決まってる。クルダマオ族のために行動してるとしか考えられない。まさか、人間族のキヒュームにわざわざ助言するなんてこと、卑しいクルダマオ族がするわけがないんだ。


 ……本当に卑しいのか? 彼らは生贄として捧げられた赤子を愛情深く育て上げてたではないか。


「キヒューム様!」


 三種族、三者三様な顔がキヒュームの顔を覗き込んでいた。


 キヒュームは思わず立ち上がり、後退る。


「大丈夫かい? まさか、変な魔術をかけられたんじゃないだろうね?」


「え、あ……。うん、大丈夫だ。三人とも、心配ありがとう」


「ならいいんだけどさ。クルダマオ族は小賢しいんだから、油断しちゃダメだよ」


 ドリュウルが肩をすくめる。他の二人も心配そうにこちらを見ていた。


 危ない、危ない。クルダマオ族は卑しくて小賢しい。その通りだ。ルブフの顔が、声が、あまりに本気で、信じかけていた。人を騙すこと、それこそが彼らの十八番であるというのに。


 でも……。


 本心からクルダマオ族を疑っているというのに、どうしてだか引っかかる。喉元に引っかかった魚の骨みたいにチクチクと気持ち悪い引っかかりがある。痛みは大したことがないのに、気になって、忘れることができない。


「こんなところでグズグズしていられない。行こう。外の様子を確認しにいくんだ」


 三人が出口の方へ歩み出す。残ったキヒュームは一人、無機質でチリひとつない綺麗なコンクリートの部屋を一瞥する。


 ルブフ。ムンガ。そして、道中で倒してきたたくさんの敵たち。


 キヒュームは胸の前で両手を合わせた。死んでしまった敵に祈りを捧げる。


 全く、何やってるんだ。


 指先が震える。自分のやっていることの愚かさに気がつき、さっと手を下ろした。


 行かなければ。仲間の元へ。





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