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第3章 ヴォルペレスの街(7)



「でも、アタシは……マランサーダ教は悪じゃないと思う」


「悪じゃない、じゃと? 罪のない命を奪うことは悪じゃないじゃと?」


「命を奪うことは悪だよ。アンタの言う通りね。どんな理由があれ、殺人は許してはいけない。罪のない命を死に晒してはいけない。同意だよ。アタシだってマランサーダ教はおかしいって思う。生贄を容認している考えが気持ちが悪いし、理屈なく嫌だと感じるよ。……でもね。これだけ長い間、その信仰が続いてるのには、理由があるんだ。本当に非人道的なだけだったら、悪でしかないのだったら、宗教だってなんだって続かないものさ」


 さっきまでの自信無さげに震えていたドリュウルの姿から一転して、強く逞しく堂々と立っている。その言葉を聞き、ルブフが椅子へと戻った。その顔をよく見てみれば……。


 彼女はもう笑っていなかった。


 子供らしい無邪気な屈託のない笑顔は消え、目からは光が消えている。そこにあるのは冷酷で非道なクルダマオ族の目だった。


「お前たちも、そう思うのか?」


 冷ややかな声でルブフは尋ねる。


「僕は、君たちクルダマオ族に敬意を表するよ」


 味方の突然の発言に、キヒュームは驚いて振り返る。ラクビースが真っ直ぐな眼差しでルブフを見ていた。


「僕の常識から考えても生贄なんてあり得ない。許されざる行動だ。……だけど、君たちクルダマオ族は、生贄を生贄として扱わなかった。それどころか、敵であるはずのドラガンシア族の子供を愛情深く育て上げた。そんなこと簡単にできるものじゃない。僕は、君たちクルダマオ族に敬意を表する」


 ムンガが目を見開きラクビースを凝視する。まさかそんなことを言うなんて、という顔だ。


「えぇ。わたくしも。わたくしも、ラクビースさんに賛同いたします。クルダマオ族さんって怖い人たちだけなのだと思っていましたけれど、心優しい人たちもいたのですね。わたくしは考えを改めないといけないのかもしれません」


 ラクビースの発言に続いたのはアイレーンだ。今度はキヒュームがぽかりと口を開けてしまう。


 ルブフの灰色の頬に、赤みが刺す。上品でおっとりとした優しげな笑顔になり、ピョンっと嬉しそうに椅子から降りた。二人に感謝を示すように優雅にぺこりと頭下げる。


「だけど」「ですが」


 二人の声が重なった。ルブフのお辞儀の動きもピタリと止まる。二つ結びの髪だけが揺れた。


「天罰を与えるのは間違ってる」

「天罰を与えるのは間違ってます」


 まるで打ち合わせでもしていたかのように、二人の声がピッタリと重なった。


「なん……じゃと?」


「僕は神なんてものがどんな存在かはわからない。だけど、それでも天罰は人の子が与えていいものではないと思う」


「わたくしは思うのです。マランサーダ教を信仰しているからと言って、皆が皆【生贄】を容認していたわけではないと。あなた方が天罰を与えた者たちの中にはきっと、善良な教徒もいたはずなのです」


 二人の口調は淡々としていたが、そこに熱を感じる。その調子に苛立ったのか、ルブフの顔に浮かぶ笑顔は引きつり、クルダマオ族の暗さと卑屈さを際立たせるようだった。


「天罰と言ったてって、殺すわけじゃない。ただ、寝かせてるだけじゃよ。彼らは冬眠してるだけなんじゃ」


「そうだね。確かにアイツらは寝てるだけだよ。でもね、冬眠の蓄えをしないまま、突然眠ったら、どうなると思う? このまま冬が続いて眠ったままだとしたら、どうなると思う? 彼らは少しずつ少しずつ体力を消耗し、自分自身に蝕まれ、いずれ死んでしまう。それが分かった上で、冬眠させてるんだろう?」


 ドリュウルが一歩前に出て、言葉をさらに続ける。


「アンタたちは生贄が可哀想だと言った。だけどね、アンタたちが冬眠させているドラガンシア族の者たちも、昔は赤子だったんだよ。みんな、赤子だったんだ。アイツらを殺すってことはね、赤子を殺すことと同じなんだよ。結局、天罰だなんだ言ってるけど、アンタたちのやってることはマランサーダ教と同じなんだ」


「……は? 同じ? ルブフ様たち救世主様がやっていることはあの悪しきマランサーダ教と同じ? お前、なに言ってんのか、わかってんのか?」


 ムンガが凄んだ。キヒュームは一歩後退る。


 殺気だ。今までとは比にならないくらいの強い殺気。怒り、苦しみ、悩みを孕んだ不愉快な気が部屋に充満する。魔力がないキヒュームにも負の魔力の気、のようなものが感じ取れた。


「アイツらも、赤子だった。確かにそうだ。だけど、アイツらは! ずっと日の目を見て生きてこれてるじゃないか! 救世主様と俺たちはずっと、ずっと、この薄暗い牢獄の中で、空を見ることも! 広い大地を走ることもなく! 生きるしかなかったんだ! ……世界大戦後の平和な世の中? ハッ。これのどこが平和なんだ。俺たちのどこが平和なんだよ。おい、答えろ。答えられねぇだろ? 不公平じゃねぇか。生贄か、それ以外か。クルダマオ族か、それ以外かで人生が百八十度違うなんて、そんなの、不公平以外の何者でもねぇじゃねぇか! なぁ、だからいいだろう? 今度は俺たちとクルダマオ族救世主様が日の目を見て生きるんだ。それでこそ公平、平等というやつだろう? なぁ?」


 ムンガは全身で怒りを露わにする。無機質な部屋に炎が燃えた。山頂で戦った時とは違い、不規則に床から炎が発火している。本気の怒りに触れた。ドラガンシア族が起こりやすい部族なのは知っているをだけど、彼らの本気の怒りを見るのは、これが初めてだった。


 途方もない迫力だ。


 顔は真っ赤で鬼のようだし、怒るたびに、筋肉に力が入るのがわかる。彼の鱗に覆われていない腕には怒鳴り叫ぶたびに、怒筋が浮かんだ。


 ——平等、不平等。公平、不公平。平和、戦争。


 キヒュームの常識がガタガタと崩れ落ちていく。平等だと思っていた世界は、ある者たちには不平等であり、平和だと思っていた世界は、ある者たちには地獄だった。そして、赤子を地獄から救っていたのは、民衆の共通敵、クルダマオ族だったのだ。


 心が妙にザワザワと騒ぎ、キヒュームは下唇をかんだ。


「それは、みんな……同じだよ」


「……なに?」


 消えるように囁いたのはドリュウルだ。ムンガが眉を顰める。


「誰もがこの世に生まれ落ちた時点で、不公平で不平等で、どうしようもない環境にがんじがらめになってるって言ってんだよ」


 ムンガが口を開こうとした。それをルブフが手で制する。


「其方の言うとおりかもしれぬの。誰しもが大小さまざまな悩みを抱えてるんじゃろうな。……だけど、それを受け入れられるかは、話が別じゃ。許せるかどうかも別じゃ。ヴォルペレス全体が抱える不平等とやらは神ではなく、ドラガンシア族が作り出してるのじゃから」


 キヒュームは考える。


 かつて、生贄として差し出された赤子に同情し、それを助けたクルダマオ族に、敵ながら恭敬の意を表したいと思う。


 けれど、復讐するのは違うんじゃないか? 天罰を与えるという考えはおかしいんじゃないか? 自分が不幸だからって不特定多数を命の危険に合わせていいわけじゃない。


 本能が叫ぶ。いくら詭弁を振るおうと、目の前の二人の主義主張は間違っていると、耳鳴りのようにしつこいくらい叫んでいる。


「だとしても、天罰を下す前に、話し合うべきだったんじゃないのか? 助けを求めるべきだったんじゃないのか?」


 自分の気持ちがまとまっていないのに、言葉が溢れ出ていた。


 キヒュームはハッと口を抑える。


 けれどすぐに、その手をどかした。


 そうだ。少しは他の種族に相談してくれればよかったのだ。少なくとも、生贄なんて不合理なことを人間族が許すわけがない。


「其方はいったい誰に話せと言うのか」


「人間族だ。俺たち人間族は合理的なものを好む。生贄を容認している馬鹿げた宗教を許すはずがない」


「それは本気で言っているのか? クルダマオ族は監視から外れたことをすれば、すぐに死刑なんじゃよ? 仮に、うまく人間族と接触できたとして、誰がクルダマオ族の言葉の信じるのじゃ。頭の狂ったクルダマオ族の戯言と思われて終わりじゃ」


「じゃあ、味方してくれたっていうドラガンシア族の看守に人間族に密告してくれるよう頼めばよかったんじゃないか?」


「そんなのクルダマオ族に洗脳された頭がイっちゃってる奴じゃと思われておしまいじゃよ」


 ルブフは微笑んだ。今度は敵意があるわけでもなかったが、どこか呆れを含んだ暗い笑みだった。


「でも誰かしら信じてくれる人が……」


「だから、その信じてくれる人たちは【今】、ワシらの味方についてるのじゃよ。ワシら側としてクルダマオ族の反乱を援助してるんじゃ」


 ルブフが答えた。あまりに思ってもみなかった言葉であったものだから、一瞬、返す言葉を失った。


「だけど、反乱を起こす前に、まずはできる限りのことをやるべきじゃないのか? いきなり反乱を起こすなんてそんな馬鹿なことをするなんて、間違っている」


 負けじとキヒュームは言い返す。


 そう、間違っているんだ。自身の境遇の不当さを訴える正当な道筋は必ずあるのだから。


 この言葉は口にはしなかったが、正義感のある者なら、皆こう思うはずだろう。


 正当な道筋を考えないことが、クルダマオ族がクルダマオ族たる所以なのかもしれないが。


「まったく、想像力のない若者じゃ。其方たち部外者が考えつくことくらい、とっくに試しているに決まっておろう。ま、試した者たちは皆、人知れず始末されてしまったから、証拠は何もないがな」


 ルブフは真顔になり、ここではない遠くを見つめる。


 全身がじんわりと汗ばんできた。ムンガが放った炎がまだあちこちで燃えているのだ。ルブフの敵意は消えている。けれど、ムンガはまだ臨戦態勢を解いてないのだろう。


「これを聞いた上で」


 部屋の中に緊張感が走る。その緊張感が肩にのしかかってくる。


 ルブフはキヒュームたち一人一人に目を合わせた。


 キヒュームもルブフの幼顔をじっと見つめる。


「其方たちはワシらの味方か。それとも、敵か」


 今度はキヒュームたち四人が目を合わせ合う。四人の心は今や一つだった。彼らはまだ出会って間もないけれど、なぜか今、考えが一つになり、瞳を介して通じ合っているのだ。それがキヒュームにはよくわかった。


「敵だ」「敵だね」「敵だよ」「敵です」


 四人の声が重なり合う。空気が変わった。強い殺気が戻り、あたり一面が炎の渦に飲み込まれる。キヒュームたちは体を寄せ合った。このまま炎に飲まれてしまえば、身体が焼けこげてしまうだろう。そんなことさせない。だから、構える。いつもの戦闘のポーズだ。身体がどくり、どくり、と脈打ち、血液が巡る。戦闘の開始だ。


 戦闘が始まったというのに頭がぼんやりとしない。


 まだルブフとの会話が続いているからだ。彼女はいかに四人が間違っているかを説く。頭がジンジンと痺れてきた。


 わかっている。この会話が終わってしまったら、きっと、さっきまでと同じように俺の頭の中は霞んでしまうのだろう。


 いや、今はそんなことに拘っている場合じゃない。


「天罰を与えるのなら、生贄に携わった者だけを責めるべきだ」


 キヒュームの口が一人でに持ち上がる。


「ドラガンシア族全員を殺すなって、間違っている!」


「そうさ。アンタたちが眠らせた中にはアタイの大切な家族がいたんだ! 大切な人を傷つけるのは誰であろうと許さないよ!」


「復讐は復讐を生むだけってこと、わからない? きっと君たちもいつか、ドラガンシア族の末裔に復讐されてしまう。繰り返すだけなんだ。わかるだろう?」


「わたくし、野蛮なのは苦手なんですの。どうか、互いに歩み寄れる道を今からでも探してくださいまし。わたくし、血が流れるのはもう嫌なんです」


 四人が口々に想いをぶつける。ルブフとムンガは鼻で笑ったように見えた。「綺麗事だ」とムンガは憤り、「議論の余地もない」とルブフは笑う。キヒュームは不意に自分の意識がふわふわと雲のように朧げに浮かんでいるように感じた。敵二人の声がだんだん遠くなる。


「話し合っても無駄なんじゃよ。わからぬか? 今、ワシらの意見は対極にある。決して相容れないじゃろう? どうやって話し合えというのか。どちらかがどちらかの意見に組み伏せられるだけじゃろう。だから、力で争うのじゃ。譲れないから、戦うんじゃ。それがわからないようでは、まだまだ青二才。ワシらに勝つことはできぬよ」


「お前たちが牙を向けなきゃ、俺たちは戦わなかった! お前たちが話し合いを放棄したんだろう!」


 キヒュームが叫ぶ。ふわりと身体が宙へ浮かぶ感覚がした。キヒュームは見ていた。自分の腰から銃が抜かれる。ドリュウルが盾となり、みんなを庇う。ラクビースはどこからリスを呼び、アイレーンはキヒュームたちに肉体強化の魔術をかけた。


 客観視とはこういうことなのかもしれない。


 さすがにこの考えが間違えていることくらいわかる。いくら客観視できる者がいたとしても、ここまで他人事のように現在起こっていることを、物理的に上から眺めることはできないのだから。


 ドリュウルとムンガの炎が、肉体が、ぶつかり合う。戦い合う二人の姿は、まさにドラゴン同士の手に汗握る戦いだった。


 意識が飛ぶ。わかっている。飛んだとて、またすぐにこの場に戻って来れることはわかっているのだ。


 キヒュームの意識はしばらく目を閉じ(目なんて存在していないのだが)、ゆっくりと上空を漂った。


「ムンガ!」


 ルブフが叫び声を上げる。焦点が、今、ここに戻る。


「あぁ。ムンガまでも。ムンガまでも……」


 ルブフは倒れたムンガに目を落とし、涙を落としながら、震える。


「道中、ワシの同志をたくさん殺めたのに、まだ殺め足りぬのか!」


 ルブフの眼差しが、攻めるようにこちらに向いた。


「ムンガは……。いや、ここにいるドラガンシア族のものたちはこの反乱を起こすのにどれだけ苦労をしたと思っている?」


 ルブフの言わんとしていることが呑み込めなかった。キヒュームは取り囲んでいた炎が全て消えた無機質な部屋で、銃を構えたまま、ルブフを見つめる。


「ワシらは彼らに炎の威力や持続時間を上げる魔具……魔法ベルトを与えたのじゃ。知っての通り、魔具は身につけている者の生命力を奪う。適応するにはそれなりの体力と精神力が必要なのじゃ。彼らは自分たちの寿命が短くなることを理解した上で、『元々はなかった命ですから。それよりも皆で協力し合い、俺たちの権利を取り戻しましょう』と進んで魔具に体を適応させたんじゃよ。その努力を、其方たちは……其方たちは、踏み躙ったんじゃ!」


 ルブフはポロポロと大きな瞳から涙を流した。キヒュームは銃口を向け続ける。


 そうだったんだ。ここにいるドラガンシア族に対する違和感が、やっとわかった。


 彼らは腰にベルトをしているのだ。ドリュウルを含め、ドラガンシア族の者たちは自身に装飾品を付けることを好まない。ドリュウル曰く、シンプルで身軽なのが好きなのだそうだ。それなのに、最初に戦った少年ピーオンをはじめ、ここにいるドラガンシア族は皆、一様に重たそうなベルトをしている。それがずっと引っかかっていた違和感の正体だった。


「其方たちをワシは許さない。ワシの仲間に死んで、詫びるが良い」


 突如強い風が吹く。冷たく、凍えそうなほどの風だ。


 吹雪だった。地下、しかも、ぬくぬくと暖かいコンクリートで囲われた室内にいるはずなのに、雪が積もり始める。ヴォルペレスの街を埋め尽くしていた雪のように、突拍子もなく。


 怒りが沸々と込み上げる。


 どう取り繕おうが、どう言い訳しようが、ドリュウルの故郷であるヴォルペレスを極寒に変えてしまったのは、紛れもなくクルダマオ族の連中なのだ。


 そこにどんな大義名分があろうとも、大量虐殺は許されない。


 キヒュームの息遣いが荒くなる。唇が震える。キヒュームは脇を占め、照準をルブフの心臓に合わせる。


「さぁ、戦闘を再び開始しようぞ!」


 ルブフの声を合図に、意識が飛んだ。


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