コマンド:逃げる◀◁
地図を広げながら、カリーナはため息を吐いた。
当面、再びアドルファスの動向を気にしながら行動しなければならない。
元々旅に出た当初から、アドルファス率いる勇者一行と鉢合わせないように避けて旅をしてきたが、魔王討伐が達成されたのにも関わらず、また避けて行動する羽目になるとは。
村に帰らないと決めたのは良いが、どうやら勇者な幼馴染み様はカリーナに会いたがっているらしい。
その理由が何なのかは分からないが。
元より常人の何倍も頭の回転が早く、賢いアドルファスの思考は読めないことも多いが、十年も一緒に過ごしたという経歴がある為、凡百なカリーナにも読める部分もある。
そんな経験値からアドルファスの行動を予測するに、今すぐでなくとも、いずれ彼はカリーナのことを探しに出ると思われる。
そうなったとき、ハイスペックの見本市、生ける完璧くんなアドルファスから、果たしてただの村人な己が逃げられるのか。
魔物を倒す技術もさることながら、普通の狩りも得意だったのは記憶に強く残っている。能力差を考えれば考えるほど自信はないが、会いたくないのでやるしかあるまい。
残念ながら有名人にプライバシーはあってないようなもの。噂は沢山流れてくるので、アドルファスがどう動いているかは何となく分かる。分かるが、所詮噂は噂な部分があるので、気をつけておく必要もある。
今のところ、今代の勇者はイヴァルタール王国で国王に謁見しているらしい。
今代の勇者というのはアドルファスのことなので、どうやら幼馴染みは現時点で、共に育った国であるイヴァルタール王国にいるらしい。
しばらくはそこに留まっているのだろうか。
その辺のことが知りたかったのだが、残念ながらそこまでの情報は拾えなかった。
より詳しい情報はないかと買った瓦版にも、載っているのはイヴァルタール国王との謁見のことのみで、今後の動向や予定は書いておらず、空振りに終わる。
兎にも角にも。
アドルファスの目的がどうであれ、当分会わないようにするのは決定事項である。
とりあえず────ずるいのは承知の上で、全力で逃げさせてもらおうではないか。だって、面と向かって失恋する覚悟が一生決まる気がしないのだ。
逃げたくて、じっと村で待っているだけでは精神的に耐えられなくなってしまいそうで、怖くなってしまったから旅に出た。
まぁ、見切り発車過ぎた点は否定しようもないが、なんだかんだ上手くやれているし、思い立ったが吉日で単身飛び出した旅は、想像していたよりもずっと楽しいから別に問題なかった。
そう。アドルファスが勇者として村を出てから、差し迫った必要性もないのにカリーナが生まれ育った村を出たのは、本当の理由はそんなことで。
時期を考えれば、魔王がいる魔物活発期に旅をするなんて、トラウマ持ちではありえない行動なのだ。
それをしてしまうほど、カリーナにとってアドルファスの存在は大きく、また、抱える恋心も真剣なものだったわけで。
(ほーんと、往生際悪くって我ながら嫌になっちゃうよ)
この恋を捨てたくないから悪足掻きがしたいのだ、自分は。
諦めてみせる、だなんて考えていた自分はどこへ行ったのか。そもそも、諦められると思っていた自分が浅はかだったのかもしれない。
恋と執着は両立できてしまうのだ。長ずるにつれ、綺麗な形のままではいてくれない。カリーナのこれは、もう既にその段階にあって、だから気持ちを無くせない。
気楽に生きて、好きなことを好きなだけやって。そういう生活ができれば、それだけで良かったのに。
愚かにも、手の届かないほどのハイスペックさを持つアドルファスに恋なんてしてしまった。前世から決めていた道楽的な人生計画は、もうその時点で狂っていたと言っても過言ではないだろう。
もはや何から逃げているのか、分からないほどに理由も感情も沢山あるけれど。はっきりしているのは、まだアドルファスに会いたくはないということで。
そもそもだ。そもそもアドルファスが村に帰ってくるなんて、さらさら考えてなかったから、カリーナにとって今の状態は不意打ちもいいところである。まさに寝耳に水の出来事だ。
前世から思っていたが、痴情の縺れでのトラブルが世界で一番くだらない。しかし、そういったトラブルの数が多いのもまた事実だ。
今のところ縺れてはいないものの、カリーナとて普通の人間だ。取り立てて自制心が強いわけでもない。いつ自分が悋気などで常識のないおかしな行動に出てしまうかも分からない。
そんなことは当然絶対にしたくないので、それも含めて一旦距離を取りたいのだ。
なにせカリーナは前世、痴情の縺れからくる勘違いで死んだのだ。全くどこの誰かも知らない、一から百まで無関係の人間の、どこかで勝手に起こっていた痴情の縺れで、刺されて死亡とか。
本当に、いつ思い返しても最悪である。もう過ぎたことなので、どうしようもないのだけれども。
そんな死にかただったせいか、最後の瞬間までを覚えているせいもあるだろうが、今世でも刃物が苦手である。
料理などをする分には、意識がご飯を作るという部分に向いているので大丈夫なのだが、切っ先がこちらに向いていると、身体が強ばって動かなくなってしまう。
そもそも、刃物の先がこちらに向けられるようなことはそうそう起きないが、それはともかく。
カリーナがアドルファスから逃げていようとも、行く先々では勇者としての彼の話が聞こえてくる。
元々から人気が高かったが、魔王を倒した彼は、今やそれ以上の人気さだ。一度名前が出れば、全く知らない人同士でも一日中その話だけで盛り上がれるほどの人物になっている。
逃げてはいるが、自慢の幼馴染みであり好きな人が褒められているのはとても嬉しい。カリーナは、道行く人の会話を盗み聞きしながら目を細めた。
(ほらね。やっぱり思った通りだった)
カリーナは最初から確信していた。アドルファスは魔王を倒すのだと。そう。神託によって選ばれた今代勇者アドルファスは魔王を倒す。これは絶対だ、と。
心配はしていたけれど、分かっていた。道半ばで倒れることなんてないんだって。
その予想に違うことなく、彼は最速に最も迫る早さでの魔王討伐という大業を成し遂げた。勇者としてこれ以上ない結果を出したと言える。
まぁ、偶像のようになっている気もするけれど。勇者という名称は強すぎるのだ。
アドルファスがそれに値する人間であることも確かだが、アドルファスという一個人を見ることは、より難しくなってくるのかもしれない。
聖女な王女様でも、どこかの貴族のお嬢様でも、はたまた別の誰かでも。別に身分とかはどうでもいいから。
"勇者"という表面的な称号のみに気を取られるのではなく、彼の中身まできちんと見てくれる人が相手になってくれればいい。
まぁ、それを本人の口から、ど正面で受け止める度胸も覚悟もできていないので、逃げさせてもらうわけなのだが。
己の情けなさにうんざりするが、仕方がない。カリーナを恋に叩き落としたアドルファスが悪い。いや、勝手にカリーナが恋に落ちただけであって、彼は何も悪くないのだけれど。
ゲームの選択画面であれば、カリーナの目の前には今、二つの選択肢が出ているだろう。
たたかう
にげる
なんて感じに、コマンドを打ち込む画面になっているに違いない。
昔懐かしいその選択画面を脳裏に思い浮かべ、カリーナは想像上のカーソルを一方へと持っていく。
選ぶのは当然────「にげる」である。これ一択だ、なんなら連打する。
たたかう
にげる ◀◁
(よろしくお願いしまーす!!!!)
こちとら恋愛初心者。カリーナの精神衛生の保全がかかっているのだ。
たとえ大いなる意思によって選ばれたアドルファスが相手だとしても、神様とやらには少しくらいカリーナにも味方してもらおうではないか。
(せめて感情の整理をつける猶予くらいくださいな!)




