追いかけっこ開始────!
さて、まさか幼馴染みの心情が、そんな不安定に荒れ狂う事になっているとは微塵も知らないカリーナは、今日も呑気に旅を続けていた。
精神衛生を保つ為に逃げるという旅だが、今のところは悠々自適である。
こちらも呑気と言うには些か精神的に不安定さが否めなかったが、兎にも角にも、のんびり旅を続けていた。
噂によれば、勇者アドルファスはイヴァルタール王国を出国し、何やら再び旅に出たらしい。瓦版では、出身の村に顔を出してから旅に出たそうだが、それを聞いても、カリーナは村に帰ろうとは思わなかった。
国を出たということは、王女様との結婚の話は今すぐのものではないのかもしれない。
結婚秒読みではないかと騒いでいた瓦版も、様子見しているかのように下火になっている。
しかし、イヴァルタール王国を出るのが早かったとしても、水面下で結婚の話が進んでいるだけということも十分有り得る。瓦版などで騒がれると支障があるからと情報統制されているだけで、聖女であるマリアンヌ王女殿下との結婚は決まっている可能性もあるのだ。
勇者の婚約・結婚を予想する瓦版によれば、最有力候補は勇者パーティーの一人である聖女──マリアンヌ王女殿下なのだそう。
他にも、同国の上位貴族のお嬢様や別の国の王女様、はたまた貴族と同じくらいに裕福な豪商の娘なども候補に上がっているとかなんとか。
魔王討伐の旅の最中、救った人は数知れず。つまりは救われた人は老若男女、大人も子どもも問わずいるわけで。その中には、アドルファスへ恋に落ちた人も沢山いるのだろう。
そこから始まる恋物語も、大多数の人々にとっては一種の娯楽であり、行く末が非常に気になる物事である。アドルファスはハーレム思考になりそうにないので、選ばれるのはたった一人なのだが。
そうなったとき、果たして何人の人が失恋することになるのだろうか。
その内の一人になってしまうのかと思うと、乾いた笑いしか出てこない。
今のところ村に帰る気は全く起きていない。
何せ、聖女様なお美しい王女様を選ぶはずの勇者な幼馴染み様が、何故かカリーナを探していると言うので。心の整理もつかず、覚悟どころか準備すら到底出来ていない今、会うのはご遠慮願いたいところだ。
そもそも、カリーナはアドルファスが自分を探している理由について、あまり深く考えないようにしている。考えたところで、ろくでもない考えが出てきてそこから回復できないのが目に見えているからである。
しかし、油断すると理由を考察しようとしてしまう。
アドルファスが村へと帰ってきたという手紙が届いてからこっち、カリーナの頭の中は、常に幼馴染みにまつわる物事でいっぱいだ。
(もしかしたら、幼馴染みとして心配しているだけかも)
カリーナが抱える、魔物へのトラウマは当然十年も幼少期を共に過ごした彼も知るところだ。だから、旅という魔物に出くわす確率が上がる行動に出たカリーナを心配して、様子を知りたいだけなのかもしれなかった。
半年とはいえ、それなりに長い旅を終えたから、久しぶりに顔を見たいと思っただけかもしれない。
あるいは、故郷に帰った際に自分がいなかったので、何となく気になって探しているだけかもしれない。十年もの密接な関わりがあった存在からの出迎えがなければ、誰でもどうしたのかと気になることだろう。
いや、なんだかカリーナをメインに置いていそうな気がしないでもない。そんなことがふっと浮かんで、頭を振る。自意識過剰すぎだ。
兎も角として、どれも十分に有り得る話である。
そして、どれもカリーナにとっては非常に困る話でもあった。
慣れない恋愛事。付け加えて、相手はあまりにも大物すぎる。カリーナの心は臆病になっていた。
だからこそ、会わないという選択をしたわけで。
会わなければ、少なくとも今は、失恋という確定事項を突きつけられずに済む。自分の都合だけしか考えていない行動なのは分かっているが、無理なものは無理なのだ。
打開策にすらならない、その場しのぎの計画。なんとも後ろ向きな理屈と杜撰な策ではあるが、それくらいしかもう思い浮かんでこない。
気分で行く先を決めて、そうして辿り着いた旅先で美味しいものを食べ、気になった町を散策し、時には観光名所を巡る。本を買って、植物を物色して、薬作りのアイデアを試して。
時折、瓦版などでアドルファスの動向をチェックして、彼から遠ざかるように動けばいい。
そうしていれば、案外どうにかなるものだ。少なくとも、目の前に楽しいことがあれば、余計なことを考える時間は減る。
実際、今日もカリーナは、宿屋の主人に勧められた名物料理を食べて、食後のデザートを堪能しながら次の町へ向かう乗合馬車の時間を調べていた。
次の日にはもう出発する気でいた。アドルファスから逃げると決めてから、今までよりも更に短いスパンで滞在先を変えている。
あまり一つの場所に長くいると、アドルファスに見つかる可能性が高くなってしまうので。
彼の勘は恐ろしいほど鋭いから、痕跡をなるべく残さないよう、少しでも逃げる時間ができるように情報を度切れ途切れにして、撹乱する。その為の、滞在期間を短く、場所を転々とするという手段だった。
食事処から出れば、抜けるような青い空を鳥が二、三羽飛んでいく。魔物の騒ぎもなく、魔王討伐という世界の慶次も相まって、どこも活気に満ちている。
平和だ。
平和で、平和すぎて、勇者な幼馴染みが自分を探しているという話さえなければ、お気楽な人生を謳歌していると言っても過言ではなかった。
こんなことしていても、無駄なのは重々承知だ。カリーナがどれだけ全力で逃げても、いずれはアドルファスに捕まる。
なんと言ってもスペックが違いすぎるのだから。
捕まったら、そうしたら、────その先はどうしよう。
(いや。いやいやいや)
考えるな。今は考えるな。考えたら、多分またウジウジと悩むことになる。逃げると決めたのだから、それこそ捕まるまでは、逃げに逃げればいいのだ。
カリーナは大きく息を吐き、作り上げた当分の日程表を畳んだ。とはいえ、ほぼ気ままに動く旅なので、大したものは書いていないが。
(とりあえず、明日はもう早めの乗合馬車に乗って次の町へ行こう)
そうして先延ばしにした問題が山積みになっていくことには、あえて目を瞑った。
そうこうしている間にも逃げ道は徐々に潰されているのだが、アドルファスと微塵も会っていなければ、連絡もしていないカリーナには知る由もないことである。
連絡の取りようがないのは、カリーナの詳しい所在を掴めていないアドルファスの方とて同じこと。それが更に、アドルファスを駆り立てる要因となっているのだが、それも当然、カリーナが知るはずもない。
お互いが持っている感情の名前は同じはずなのに。
お互いがそれぞれ全く別のベクトルで拗らせているので始末に負えない。
片や、失恋する未来を恐れて逃走中。
片や、愛しい幼馴染みを見失って捜索中。
傍から見れば、両想いのくせして決定的にすれ違っている拗らせ同士のくだらないすったもんだ劇でしかないのだが、当人たちは至って真剣なのである。
そして、いくら当人たちが露出しなくとも、徐々に情報は広がっていくもの。
勇者の結婚相手を予想する瓦版。勇者を一目見たい人々。そして、勇者の行方を追う者たち。
そんな人々が、勇者の不思議な行動を見逃すわけもなく。ただの追いかけっこのはずが、外野からのほんの少しの好奇心と、善意と、思い込みによって、より噂は確証のない入り組んだものになっていくのだ。
まだ、その兆しは小さいものの。
この追走劇は、周囲を大きく巻き込んでいくことになる。
超越した能力持ち同士の壮絶な追いかけっこが今、幕を開ける────!




