一方その頃、世界の救世主は
ついにこの瞬間が来ました。
(…………は?)
一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
「リィナがいない……?」
だってそんなこと、ある訳ないと思っていた。
アドルファスが魔王を倒したのは、ついこの間のこと。
魔王討伐という、勇者としての大きな責務を達したアドルファスに、凱旋や盛大なパーティーなどの開催を促すものが多く届いた。自国の王からだってもちろん届いていたし、世界中からそれを望まれていることは分かりきったことだった。
けれど。それらは全て後回しだ。
派手な祝いはアドルファス自身は必要としていないし、向けられる数多の称賛にも興味がない。体裁や各国の思惑、世界の慶事という様々な理由から考えて、やらなければならないということは理解できるが、個人的な感想としては煩わしいだけだ。
それよりも、早く己が育った村に帰りたかった。
そうして全てをキャンセル(という名のボイコット)をして、どうしても出来ないものは後に回して。脇目も振らずに、一目散に帰ってきたアドルファスは愕然とした。
アドルファスの最愛の幼馴染みは、待っていてくれなかったらしい。
(どうして、)
待っていてくれなかったのか。
その衝撃にアドルファスの魔力が騒めく。精神的な打撃を受けたことでコントロールを失った魔力の不安定さを帯びた金眼が、その魔力の強さに不規則に輝いた。
待ってくれていると思っていた。アドルファスが勇者として村を出る日、確かに気持ちは通じ合っていたはずだったし、まさかカリーナが、最愛の彼女がアールトス村を出ているなんて、微塵も思っていなかったのだ。
一瞬、気が触れるかと思ったが、そうしたところでどうにもならないと持ち直す。
未だ荒れ狂う心境の最中、少しだけ落ち着いた部分から立ち見て思考を回す。そうすると、逆に感心すら湧いてきた。
まぁ、リィナだもんね、とアドルファスは頷いた。
金眼に明らかなほど現れるくらい波打っていたアドルファスの魔力が、平素の安定した状態に戻る。
知的好奇心に忠実で、行動力が有り余っているのがカリーナ・ウィローという女の子だ。そりゃあ大人しくなんて待っていないだろう。
カリーナが予想のつかない行動をするということなんて、昔から分かっていたはずなのに、全然そんなこと忘れていた。
(俺も馬鹿だなぁ)
そうへらりと笑って納得するが、アドルファスの目は全く笑っていないのでお察し案件である。
いっそ気が触れそうなほどに衝撃が強すぎて、まだ完全には立ち直れてはいなかったが。
(まだ、拒否されたわけじゃない)
アドルファスは改めてそう思い直す。
拒否するなら、面と向かってしてもらわなければ。そも、拒否されるような事態にはしないよう努めるので、そんな展開は来ない──来させない。
アドルファスは、そう簡単にカリーナを諦めることはできないのだ。
できていたのなら、こうも執着することはなかった。
自分はいわゆる重い男である、ということをアドルファスは知っていた。
それは本能的に分かっていたことでもあるし、他の人達の恋模様を見て気がついたことでもあるし、人からの恋愛話を聞いていて知ったことでもあった。
アドルファスがカリーナに抱く感情は、決して綺麗なものだけでは出来上がっていない。
ひどく眩い彼女を離せない己は、きっと恐ろしく狡くて卑しい人間だという認識すら湧いてくるほど、アドルファスは彼女を人生の中心にしすぎている。自覚はあるが、しかし直す気はない。
アドルファスは、己が他への興味を抱けない人物であることを理解していた。
幼い頃から、あらゆる全てにおいて、他の人よりも興味感心が薄く、執着が湧いてこなかった。それは生来の性質で、これから先もずっと、ほとんどのことをどうでもいいと思いながら生きていくのだと思っていた。
両親を失った時でさえ、確かに人並みには悲しかったけれど、嘆き悲しんで途方に暮れるということはなかった。
まだ親の庇護が必要なほど幼い子どもだったにも関わらず、絶望するほどのことではないと感じていたのである。
血の繋がった、敬愛していた両親に対してすらそんな感じだったので、本当に感情が動きにくいというか、情が薄いのだと思っていた。
何にも執着を持てず、さらには関心すら寄せられず、ただ俯瞰した目線でしか物事を見られない自分は、きっと人としての何かが欠けているのだと。
こうやって、何にも心を動かされることのないまま生きて死んでいくのだろう。
幼いながらにそう思ってから、その通りにずっとアドルファスは過ごしてきた。
そんなアドルファスの元に突然、恒星のように現れたのが、カリーナだ。
離せるものか。
しかし、そういったいわゆる“重いもの”を、態度にはできるだけ出さないようにしていた。
理由は簡単。表に出せば恐怖を抱かせること必須なくらい、大きいものだから。
態度に出せば際限がないだろうし、何より、全ての欲は彼女に向くのだ。他では無理だ。彼女にしか向けられない。
だが、それに耐えきれなかったとき、彼女は離れていってしまうだろう。人というものは得てしてそういうものだ。
カリーナを失うということは、アドルファスにとっては世界を失うのと同じことだった。彼女と二度と会えないかもしれない。そう思うだけでも、アドルファスは酷く動揺してしまう。とても冷静ではいられなくなる。
仮定の想像だけでも、これだけ世界が色褪せるのだ。カリーナのいない人生なんて、まさかそんなもの、生きていられるわけがない。
それくらい、カリーナの存在は大きかった。
どうしたって手放せない。何をしてでも失えない。
だから。
彼女が怖がってしまわないように。
彼女を怖がらせてしまうことがないように。
重く暗く、到底開けっぴろげにできないような大きさの感情を、見せないように努めてきたのだ。
けれど。
伝わっていなかったというのならば。
それは今度こそ、感情を隠さなくていい、ということになるのではないだろうか。
否、もう隠さないことにした。
もちろん、この感情でカリーナを潰してしまうようなことはしない。したくなかったからこそ、見せなかった。けれど、こんなことになるくらいなら、遠慮なんてしなければ良かったのだ。
だから。もういっそ溺れるくらいに注いでしまえ。溢れて、止まらないくらいに。頭のてっぺんからつま先まで、全身余すことなく浸すように、身動きが取れないくらいになるまで。
この恋情にくくるには、あまりにも激しい感情を、惜しみなく。
だって、手加減をしていたら逃げられたのだ。アドルファスの好意は、一粒も正しく伝わっていなかった。
(じゃあもう、遠慮はいらないよね)
恨むなら、自分を恨んだらいい。手加減してあげられる段階はとうに過ぎた。
うっそりと、いっそ艶やかなほどに笑ったアドルファスの撓んだ金色が、ゆらりと光る。
「───絶対に、逃がさないから」




