幸せになってね
「だいじょうぶ? ほんとごめんね。私のせいだよね……」
「だ、大丈夫……琴音のせいじゃないよ。僕がそうしたかっただけだから。殴り合いなんて子供の時以来だ」
アキは鼻血を出しながら、何故か顔は笑ってた。ポケットからハンカチを取り出し、鼻を拭いてあげる。
「何があったんですか? ストーカー男がきて今にも殺されそうだと通報が入ったのですが」
警察が音を立てながら、階段を駆け上がり、私たちに事情を聞いてくるが、アキが友達と喧嘩したみたいなことを言って、後々、問題にならないように説明してくれていた。
またなにかありましたら、相談に乗ると言ってくれて、帰っていった。女性警官なので、状況的に親身に相談に乗りたいと思ったのだろう。隣人がドアの隙間を少し開けてこちらを覗いていたので、申し訳なさそうに頭だけ下げた。
「家入る? そんな血だらけの顔じゃ外歩けないから」
私のせいで、この人はとんでもない目に合わされてしまった。
鼻血ブーでニヤッと笑うと歯も赤く染っているアキが、腹を押さえながら。
「いや、どうしても聞きたいことがあるから、ティッシュだけ借りてもいい?」
うちに入れる。コタツの部屋でティッシュを鼻に詰めてカーペットに寝ころぶアキが、少し経つと口をモゴモゴさせて。
「ごめん。うがいしてくる」
「血は止まったの? どうぞ。お腹とか大丈夫なの? なんか蹴られてたけど」
うん。と、頷きながら、洗面所から戻ってくる。
「そこまで、無茶苦茶やられたわけじゃないから、骨も折れてないと思うし、それより入院先で聞いたんだけど、琴音病気にかかってない? 前から気になってたんだけど」
「え……? あー」
ドキッとした。まさかそんな話を振られるとは思ってなかったから、もう今日で会うのは本当に最後なのだから、適当に話を誤魔化してもいいよね。
「その事なんだけど、胃の病気でピロリ菌って聞いたことない? 誰にでも生息するのが増えて異常をきたしてるから、定期的に病院に通ってたの。多分半年ぐらい薬飲みながらで、治ると思うんだけど、それで血を吐いたんだよね」
訝しげな表情をする彼は、口をしばし閉じると。
「そう……。あともう1つだけ。教えて欲しいことがあるんだけど」
何よ!? そんな涙ぐんだ目をしないでよ。大体分かるけどカエルのキーホルダーのことでしょ。そんなこともうどうでもいいじゃない。
「何? もうあなたには大好きな可愛い彼女さんもいるんだし、私とこんなお話しててもしょうがないよ。まさかあんな乱闘になるなんて思ってなくて、ほんとごめんなさい」
「そのことはいいんだ。助けられたし、本当に良かった。琴音……子供の時、僕と会ってない? これだけ言えば分かるよね?」
「え? あなたと? 私はずっと愛知県にいたのだから、あなたも愛知の人なの?」
とぼけるしかない。ここで運命の人なんてフレーズ出されたら、困ってしまう。いや、それはないか。自意識過剰になってる自分にビンタでもお見舞いしたい。
「いや、そのカエル、僕のなんだ。何処で手に入れたの?」
「何言ってんの。それは旅行で買ったのよ」
男なんて信用しても意味が無い。みんな翔のように最後は裏切るんだ。アキとは楽しい時間の中でさよならしたいの。分かってよ。
「それ足の裏にAって、子供の時に掘ったんだよ。だから同じものなんて二個ないんだ」
嘘っ。私は鍵を手に取りカエルの足をみる。確かにAと掘られていた。何このシンデレラの靴の持ち主を見つけました。みたいな結末。
私は五年後にはこの世界にいないし、あなたには彼女もいる。それを邪魔する気もさらさらない。
「そう……。あっ、そうだ。これ友達に貰ったんだ。その子が引っ越すとか言ってて、勘違いしてたんだ」
いい嘘が、降臨した。これなら、誰にも迷惑かけることも無いし、彼だって諦めがつくだろう。
「そう。そっか。これは奈良に、以前住んでたんだけど、その時に困ってた女の子にあげたんだよ」
「そうなんだ。いい思い出なの? コーヒー飲む?」
「うん」
「すごく可愛い子で、魅力的だった。目がキラキラしてて、心が引き込まれたんだ。ちょうど休みで、僕はあの公園で鹿とじゃれてた」
「へえー。その子、確か高校生の頃引っ越したけど。もう少し早くここに来てたらチャンスあったのにね」
あの時の、彼がここに座っている。もっと早く会いたかった。何度も夢に出てきた。少年の彼。
いつもカエルのキーホルダーを私の手の平に置いて、そっと上から彼の手で包み込むところで、目が覚めてしまう。
「それがさ、困ってたみたいで、震えながら声をかけたら、えらいことになってしまってね」
「そうなんだ……」
「気にならない?」
「気になる」
分かってるわよ。私が漏らした話でもして盛り上げようとしてくるんでしょ。また私の世界に最低なヤツが一人増えるだけじゃない。コーヒーぶっかけてやろうか。
私は小声で返事すると、彼は笑いながら。
「声掛けたら、僕がおしっこを漏らしちゃってね、その子に幻滅されるって話なんだけど」
「な、何よ! そんな話あるわけないじゃない。その手でその子にカエルのキーホルダーあげたの?」
彼は柔らかい視線を私に送り、微笑むと彼の鼻から詰めてたティッシュが落ちた。
「あっ」
瞬間的にそれを拾い、手渡す。
ん? 彼は私の手の平のホクロをじっと見たような気がした。
「ううん。手は綺麗に洗ってから、お守りをあげたんだ。そうしないと神様のバチがあたるだろ。お守りなんだから」
「そうね」
「あと、花屋の子なんだけど振られたよ。最初のデートで焼肉行こうと言われて、行ったら高いのばかり頼むもんだから……」
「そっか」
「それで琴音のこと考えて仕事してたら電話来るもんだから」
「そっか」
私に惚れたか……。心が締め付けられる。もし治せる病気なら、どれほど良かったか。このまま彼に抱きついていただろう。アキなら何があっても助けてくれる。そんなの分かってるわよ!
「もし良かったら、こんな俺ですけど、付き合って貰えませんか」
彼は一点の曇りもない熱い眼差しで私の目を見てきた。待て待て、おかしいでしょ。私の目頭も同じように涙でいっぱいになる。運命の人、できるなら私も一緒になりたいよ……。
――ねえ、神様っ。運命の人に最後に一つだけ嘘つかせて……。そして、彼の目を覚まさせてよ。
「私、あなたみたいな人、大っ嫌いなの」




