女神マルヴィナ
冷たい、全ての熱が消え去っていくような感覚の中で俺は目を開いた
燦々と雪が降るなか、うつ伏せに倒れている状態の俺はやけに重い瞼を必死に開けたまま周囲を見渡す
コンクリート造りの塀が立ち並びアスファルトによって舗装された道路、周囲には平屋や二階建てといった民家の数々、異世界に召喚されてから見る事の出来なくなった筈の日本の風景だ
そして横を向いている視界の中で雪がうっすらと積もり始めたアスファルトの上に金色の何かが見える
それもボヤけて見えにくかったそれに少しずつ焦点が合ってくる、それは瑠璃だった
金糸のような髪とサファイアのような瞳、これもまた日本に居た時と同じ色をしている彼女は何処か大人びて見える、だがその背に血が滲んでいるのが目に入り俺の心臓は早鐘のように鼓動を繰り返す
全く自由の効かない身体を動かし、何とか手を伸ばす、瑠璃も同じように俺に向けて手を伸ばし、二人の手が重なる
背中の負傷から瑠璃も辛いのだろう、だが手が触れたのを見た時、儚げに微笑んだ彼女を見届けて俺の視界は暗転する
それと同時に今まで薄れかけていた意識がはっきりとしてくる、まず目に入ってきたのは神殿だ
「此処は……」
周囲を見渡せば俺が立っているのは小さな浮島のようなものだった、縁から下を見下ろすと地面も何も見えず白い空間が広がっており、空も同じように真っ白な色をしている
そもそも何故このような場所に居るのか、その理由も分からない、だが何か重要な事があった筈である
俺の居る浮島には神殿に通じる階段が続いている、半透明なガラス板のような階段が宙に浮く形で並んでいる
この空間もそうだがそのような非現実的な光景に少し踏み出す事を躊躇うが、此処で留まっていても仕方がないと一歩踏み出す
体重を掛けた途端に落ちる、なんて事はなくしっかりと俺の体を支えた階段を昇っていき、俺は神殿に辿り着く
パルテノン神殿のような大量の太い柱に支えられたギリシャ風の意匠が見られる神殿、更に中へと続く扉が見えるが、俺が近付くと独りでに開いた
誰かが俺の事を待っているのか、分からないが先に進む
そして中に入り祭壇のような形になっている場所に視線を向けると、そこには御神体などの石像ではなく装飾の施された椅子に腰掛けた女性の姿がある
これもまたギリシャのキトンと呼ばれる古い時代の衣装に見える装いに身を包み、その傍らには槍や剣、弓といった武具が置かれている
「戦女神マルヴィナ……」
その姿と神殿という場所も相まって俺は自身の記憶の中から該当する存在の名を呟く
それが聞こえたのか、女性は椅子から立ち上がると此方を見据え―――
「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない」
「誰が勇者だ」
某国民的RPGで聞いた事のあるような事をのたまった
途端にそれまであった威厳のような物も霧散している、だが女性の方は俺の反応が良かったのか笑い声を上げているだけだ
「やっぱりあの時代の日本人の勇者の反応は良いな!いや、これは今は置いておこう。初めましてだな、灰村奏多。アタシはマルヴィナ、十柱の女神が一柱、戦女神マルヴィナだ」
「もしやとは思っていたが、本物の女神か……それで、何故俺は此処に呼ばれたんだ?」
「ん?ああ、成る程。直前までの記憶が吹っ飛んでるのか。なら簡単に説明しよう。灰村奏多、お前は地上で斬られ、今は生死の境をさ迷っている。今の地上の様子はこうだ」
本物の女神だと名乗った女性、この空間や先程までは纏っていた神々しさからそれが嘘だとは言わないが直ぐに受け入れられるものではない
だがマルヴィナが手を翳すとそこに幾つかの画面のような物が現れる、そこに映るのは和風の装備を身に付けた鬼人族の少女、その少女に袈裟斬りされ他の探索者からポーションを掛けられている俺、そして負傷した俺が回復するまでの時間を稼ごうと魔法で応戦している瑠璃の姿だった
「そうだ、俺は―――」
「そういう事だ。だが慌てるにはまだ早い。お前の肉体が地上にある事から分かるように、今のお前は言うなれば魂だけ此処に居るような物だ。地上より時間の流れを早めている、多少の話を聞いておいて損はないぞ」
「むぅ……」
気持ちの上では今すぐにでもあそこに戻りたいが、確かに女神が映した映像は酷いスローモーションのように見える、注視すれば僅かに動いているのが見えるが傍目には静止画に見えるような動きなのだ
それをそのまま鵜呑みにも出来ないが、そこで嘘を言ってこの女神に何の得があるのかという事も考えられる為に、今は信用する事にした
「それで、何故俺は此処に居る?」
「結構。まずお前を此処に呼び出せたのは幾つものイレギュラーが重なった結果だ。アタシのダンジョンの中で、人為的に引き起こされた《魔の行軍》、加えてお前が対象だという事もあるな」
「俺が?どういう事だ?」
「それは―――長くなるから今は割愛しよう」
「ハァッ!?」
「時間を加速させているから話す時間は確保出来たが、それをやるにも力を使うからあまりにも長時間の話は不可能なんだ、解れ」
「えぇ……」
どこぞの紅茶の国の名探偵みたいな事を言う女神マルヴィナ、だが時間の流れを操作するというのは神であっても難しいもの、なのだろうか?
「兎に角、アタシからの依頼は一つ、邪人族に囚われたあの英雄を打ち倒し、救え、それだけだ」
「アレをか。だが、今の俺では無理だ、地力が違い過ぎる」
特にあの居合いだ、一撃目は抜刀の姿勢から軌道を読めた為に防げたが続く斬り返しは全く反応出来ない程の剣速だったのだ
斬られて、その斬り傷を実感してどのような太刀筋をあれだけの剣速で正確に放ったのかをようやく理解出来た程だ、戻ったところで再び同じように斬られて終わりだろう
「いいや、それはお前がまだ半端な状態であるが故に、だ。専用の武具は用意してやる、後はお前がその答えに辿り着けるかどうかだ」
「どういう意味だ?」
「それは自分で見付けるしかない。アタシが言っても、それだけでは全てを引き出す事は出来ないからな」
そこまで言うと女神マルヴィナは一つ手を叩く、それと同時に周囲の空間に言い様のない違和感を感じられるようになる
「武具の転送も考えると、もう時間加速は使えない。お前の肉体も修復されたようだし、魂を返した方が良いだろう」
「それは……まだ腑に落ちない点は多いが……」
「知りたければ皇都エクレニウスにあるアタシの神殿を訪ねると良い。今は何よりも時間が惜しい、その時になったら話すとしよう。ではな」
そう言い残すと女神マルヴィナは指を鳴らす、すると俺が立っている足元の床が忽然と消え、足場を失った俺はそのまま落下していく
「おまえーっ!?」
地上に魂を戻すからってこういう戻し方なのか!?
事前に何も伝えないあまりの方法に叫ぶが女神マルヴィナはただ笑っている
「行け、かつての英雄。もう一度この世界にその力を示して来い!」
だが、俺の意識が切り替わる直前、そのような言葉を掛けられた事はしっかりと聞こえていた
この章を書き終えたら、モチベーション維持の為に主人公の過去篇という名のVRMMOものを独立した小説として書こうと思います




