天水の戦い
背中に衝撃がきた。
想像し得なかった苦痛を受け、盛大に咳き込む。
転送があった。
わかるのはそれだけ。他はすべて、立ち上る煙の渦中にある。
飛ばされた場所も、敵がどこにいるかも、そして青銀の真導士の無事も知れない。
首元で、ぎしぎしという気味悪い音がしていた。絡みついている"呪い"の荊は、成長し続けている。
荊が育つに従い、身の内の真力が減っていく。
引き千切ろうとしてみたけれど、手に何本か傷をつけただけで、成果は一切出なかった。
「……バトさんっ!」
狭い気道から出た声は、いかんせん震えがひどい。
「バトさん! どこですか……!?」
みっともない声であの人を呼び、応答を待つ。
その時、思いがけない気配に触れた。
暗く苦しいばかりの世界に、ぱっと日が射したようだった。
足元に真円が描かれる。
透明な筆で描かれた三重の円。左に流れる白い円から、ふわりと浄化が香り立つ。
その途端、"呪い"の荊が苦しみはじめた。
憎たらしくも長く伸びた手足が、光によって断ち切られていく。
ぶつぶつと千切れた後も、床の上で往生際悪く蠢いていたが、真力あふれる真円に触れ、ついに灰となり朽ちていく。
「あ……」
"呪い"から解放された両手をまじまじと見つめ、顔を上げて気配の主を探す。
煙で曇った空間。
いまだ痺れを残している真眼を叱咤し、気配の出処を辿っていく。
その途中で、白い人影を見つけた。
どうやら、青銀の真導士も無事のようだ。
あの人の足元にも、左に旋回する真円が出現している。あちらの真円からは、強く守護が香っていた。
閉じられた罠の世界。
突如として生まれた二つの真円。
自分達を包むのは、やすらぎと暖かさが混在した心強い気配。
まるで暖炉の前にいるようなぬくもりは、緊張しきっていた神経をやさしく宥めてくれる。
このやすらぎに、直接触れた機会は少なかった。けれど、記憶にはしっかり根付いていた。
失礼にもその質を意外だと感じたため、深く記憶に残ったのだ。
気配を辿り、頭上の真円を見上げる。
やすらぎの気配を帯びた光が、天から――空間上部にある、毒の真円から射してきた。
「道を違えてしまったか」
落胆混じりの声が、姿より先に円から落ちてきた。
空隙を支え続けている蠱惑の円。空間唯一の入り口が輝いたのを見て、"森の真導士"と淪落の男が距離を取る。
ほどなくして、真円から初老の親鳥が姿を現した。
「ナナバ正師!」
長い羽を翻し、混沌の世界へと降り立った親鳥は、すでに役目を終えた円を弾いて、新たに癒しを展開した。
自分とバトを包んだその真術は、濃い香りを放ちながら急速に傷を埋めていく。
癒しを収束させた後、正師はじっくりと世界を見渡して、遠い場所に視線を定めた。
見ている先にあったのは、先ほど意識に引っ掛かったあの印。
(やはり、何かある?)
そう思って印ばかりを見ていたら、ふいにしゃがれ声が自分を呼んだ。
ふわりと運ばれ、降り立った先は、ナナバ正師の真横。
「援軍は」
自ら転送で渡ってきたバトが、上空の二人に視線を留めたまま正師に聞く。
「まだだ。大挙して渡れぬ仕掛けとなっている。……気づいておるか」
言われて、バトも横目であの印を見やった。
「無論」
そうと答えてから、今度は自分の頭を軽く小突いてきた。
むっとしながら睨んだ相手は、悪びれる様子もなく続けて言う。
「自ら割って出てきたが、こいつが捕らえられていた場も、あの印で固められていた」
――封印の一種と見て、間違いないかと。
バトが答えると、正師が頷いた。
「そうか……では、近づくでないぞ。確かに何かが封じられている。罠に違いあるまいて」
例の番が、戦いの場として用意していたらしいこの場。封じられているとすれば"魔獣"の可能性もある。
あれに近づいてはいけない。
変に触りでもしたら、雷のようなお説教が落ちてくる。"魔獣"も怖いが、お説教の方がもっと怖い。
恐々としつつ決意し。親鳥の横顔を眺めてから、はっとした。
「正師。……あの、皆は?」
酷薄そうな目が、静かに自分を見る。
心臓が、きゅっと縮まる感覚がした。
視線を合わせた相手は、自分の緊張を透かし見ながら、小さな笑みを落とす。
「揃って中央棟に帰還した。いまごろキクリ正師と共に、モンテレオ湖へ避難している。……案ずるな」
喜びで埋め尽くされ。大きく膨らんだ心臓が、幸福な鼓動を奏でた。
瞼の裏を、光景が過ぎっていく。
毅然と顔を上げ、脅威に向かって歩いていく友人達。
互いに励まし合う声と、白く、誇り高い守護の森。
「……よかった」
じわりと熱いものが目に沁みた。
うれしさがこみ上げてきて、たまらず顔を両手で覆う。指で目を押さえ、涙を堪えていると、大きな手が肩に乗った。
ローブ越しに触れた温度が、おだやかな気配を連れている。
『選定の儀』から、ずっと縮まることがなかったナナバ正師との距離。断崖のように感じていたそれが、この時やっと消失したようだった。
「遺跡に阻まれるゆえ、まだ地上には帰してやれぬ。決して私から離れるでないぞ」
「はい……正師」
一つ頷いた親鳥が、顔を上げてかつての教え子に問う。
「バト、戦況は」
正師がたずねた時、上から害意の気配が流れてきた。
展開された二つの真術が、広がりながらより合わさって、視界を埋め尽くすほどの火炎流へと姿を変える。
バトが風を呼び、それに向かって飛び立った。
飛ぶ青銀の真導士から、"風牙の陣"が放たれる。弱い風の刃が、それでも炎の一部を削っていった。
一連の出来事を見届けた親鳥が、転送を放って炎から逃れる。
渡った場所で待つことしばらく。苦戦を強いられつつも火炎流をしのいだバトが、目の前に着地した。
「……ご覧の通り」
とても不機嫌そうに言ったバトへの返事は、深い深い溜息だった。
「無駄とわかっているのなら真術の使用を控えよ。お前といい、ティートーンといい、どうして報告を省略しようとするのか」
溜息の次に出されたのは苦言。
これに不機嫌な真導士が「手間ゆえ」と返したせいで、またも大きな溜息が出た。
二人の会話は、学舎で聞いていた会話と大差ない。
大差ないというか同じだ。
親鳥と雛。
その関係性は、いくら時が経とうとも変わりづらいものであるらしい。
「なるほど、長らく精霊を飼っていたのか。同属との戦いとあれば、いかにお前でも分が悪かろう」
溜息を吐き切った正師が、現状を的確に指摘すると「ご明察です」という声が落ちてきた。
「天水である貴方が、この場まで出向いてくるのは想定外でしたが……。どうです、正師の名にかけ、お一人で我ら二人をねじ伏せてみますか?」
言外に勝機がないと滲ませた台詞。
焦りを煽るような言葉であったのに、正師は訝しげに眉を寄せ、低い声を落とした。
「……二人?」
すると何故か、ジーノの顔からすべてが失せた。
初めて見せた露骨な顔。
その急激な変化が示すものは何か。探るよりも早く、強烈な攻撃が"森の真導士"から放たれた。
膨れ上がりながら捻じれた炎豪が、地面を這ってやってくる。
それを、正師の守護が真正面から受け止めた。
とても滑らかに描かれた三重の円は、炎を受けてもびくともしない。
すっかり表情を消した淪落の男が、追撃を放つ。
「いかに正師と言えど、天水は天水。戦場で燠火に敵うはずもなかろう!!」
旋風が炎と混ざり合い、またも激しい火炎流となった。
荒れ狂う真術が、守護の壁を打ち砕くべく、火勢を強めながらやってくる。
「正師っ!」
熱に喉を焼かれながら呼べば、貫禄のあるしゃがれ声が返ってきた。
「伏せなさい」
正師は守護の上に真新しい円を重ね、やってきた火炎流をするりと弾いた。
しかし炎の大蛇は、しのいでもしのいでも、次々と生まれてはこちらに向かって飛んでくる。
「サキよ」
顔を上げた。
炎に照らされている正師の横顔は、戦いの場にあるというのに普段と変わりない様子だった。
「いま一度だけ聞く。そなたは真導士として生きるか」
この状況で、どうしてそれを聞くのだろう?
いま必要な問いだろうか。
ちらと抱いた疑問は、やってきた感覚によって吹き消されていった。
「真導士として生きていくとあれば……。強き真導士の翼であろうとするならば、此度の戦いだけでは終わらぬ。次から次へと脅威が現れ、そなたの前に立ちはだかるであろう」
未完成の大地には、常に争いがある。
各国の調和のため。そして大地の平和のため、真導士は戦い続ける宿命にある。
誰よりも高く飛ぼうとしている強き翼。その対とあれば、なおのこと。
炎の隙間に、青い輝きを見た。
一人で飛び、戦い続けている人影。
高速で飛ぶその人影が、真術の光を受け。わずかな間だけ、深い黒へと変化した。
気高い彩りを見て、目を瞑る。
それから胸に手を置き、いま一度自分に問いかけ直す。
真導士として生きるのなら、戦いは切り離せず。切り離そうとするなら、ようやく形となった夢を失う。それは、やっと色を着けてきた自分自身を失うことにも通じている。
ならば、答えは一つ。
一つだけの答えは、絶対に手放せないものだった。
「……それでもわたしは、真導士でいたいです」
終わりなき戦いの連鎖。
女神の大地に、まったく似つかわしくないこの事実。立ち向かうのは、いつだって困難だ。
それでも。
そう、それでも。
どれだけ辛くとも。前を向いて歩いていきたい。
顔を上げて、色鮮やかなこの世界を見つめていたい。
「まだ雛だと言われても。いくら天水が戦いに向かないとしても」
――例え、本来の姿が人ではないとしても。
「真導士として……生きていきたい」
自分に与えられた、あの気高い翼と共に大空を舞い。鮮やかな景色に酔い。たくさんの色に触れてみたい。
そして、いつか……。
彼と二人で、彼方からやってくるだろう"いつか"を夢見ていたい。
「どうあっても決意は変わらぬようだな」
「…………はい!」
本当に困った娘だ。
笑いを含んだ声が、正師の口からこぼれ落ちた。
「強情な。……いや、お前は今年一番の剛健な雛だったようだ」
もう何も言うまい――。
噛みしめるように言った正師の額に、新たな紋様が浮かんだ。
「"第三の地 サガノトス"に孵りし強き子よ。そなたは、じきに羽ばたきの日を迎える。大いなる巣立ちの前に、いま確かな知識を与えておこう」
――まず、指摘せねばならぬ。
強く言った正師が、両手を上空に向けてかかげた。
「先ほどのそなたの言葉に、一つだけ間違いがあった」
語る正師の真眼。
すでに紋様を持っているそれに、もう一つの紋が描かれていく。
「天水が、戦いに向かぬということはない」
さらさらと描かれる、光り輝く白い線。
「戦場において力無きと言う者もいる。だが、天水とて真導士。他の真導士と等しく、女神の寵愛を受けていることに変わりない」
多量の真力を放っている真眼。
真眼の中で光る守護の上、映し出されたのは重なり合った五つの円。
鋭さすら見せて輝く――"流水の陣"。
「愛し子よ、しかと見ておれ」
言葉と一緒に、両手をきつく握る。
そして、強い期待を抱いた。
この教えは、生涯に渡って忘れ得ぬものになるのだと。
「――天水には、天水の戦い方がある!」
上空に、ひときわ白い輝きを誇る円が生まれた。
展開された"流水の陣"は、細く、固く束ねられ。まるで矢の如く空間を走り抜けていく。
閃光にも似た水の矢が、"森の真導士"の胸部を貫いた。
暗黒色のローブをはためかせながら、害意の主が落ちていく。光景の端で、淪落の男が大きく目を見開いていた。
表情を強張らせながらも、新たな一手を打とうとしたジーノ。
その後方に、気つけば青銀が輝いている。
――絶好の好機!
千載一遇の機を得たバトが、目にも止まらぬ早さで風牙を描き出す。
ジーノが存在に気づき、背後を振り返った。
緑の目が、驚愕一色に染まる。
次の瞬間、苛烈な輝きが空を埋め尽くした。
空隙の中を、衝撃の余波が渡っていく。
薄目を開けて見やった世界で、暗黒色のローブが煽られている。
結果を見届けるべく、かなり強引に開いていた視界だったが。白の輝きに押されて、ついに蓋をしてしまった。




