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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十三章 風霜の彼方
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天水の戦い

 背中に衝撃がきた。

 想像し得なかった苦痛を受け、盛大に咳き込む。


 転送があった。

 わかるのはそれだけ。他はすべて、立ち上る煙の渦中にある。

 飛ばされた場所も、敵がどこにいるかも、そして青銀の真導士の無事も知れない。


 首元で、ぎしぎしという気味悪い音がしていた。絡みついている"呪い"の荊は、成長し続けている。

 荊が育つに従い、身の内の真力が減っていく。

 引き千切ろうとしてみたけれど、手に何本か傷をつけただけで、成果は一切出なかった。

「……バトさんっ!」

 狭い気道から出た声は、いかんせん震えがひどい。

「バトさん! どこですか……!?」

 みっともない声であの人を呼び、応答を待つ。




 その時、思いがけない気配に触れた。

 暗く苦しいばかりの世界に、ぱっと日が射したようだった。

 足元に真円が描かれる。

 透明な筆で描かれた三重の円。左に流れる白い円から、ふわりと浄化が香り立つ。

 その途端、"呪い"の荊が苦しみはじめた。

 憎たらしくも長く伸びた手足が、光によって断ち切られていく。

 ぶつぶつと千切れた後も、床の上で往生際悪く蠢いていたが、真力あふれる真円に触れ、ついに灰となり朽ちていく。

「あ……」

 "呪い"から解放された両手をまじまじと見つめ、顔を上げて気配の主を探す。


 煙で曇った空間。

 いまだ痺れを残している真眼を叱咤し、気配の出処を辿っていく。

 その途中で、白い人影を見つけた。

 どうやら、青銀の真導士も無事のようだ。

 あの人の足元にも、左に旋回する真円が出現している。あちらの真円からは、強く守護が香っていた。


 閉じられた罠の世界。

 突如として生まれた二つの真円。

 自分達を包むのは、やすらぎと暖かさが混在した心強い気配。

 まるで暖炉の前にいるようなぬくもりは、緊張しきっていた神経をやさしく宥めてくれる。

 このやすらぎに、直接触れた機会は少なかった。けれど、記憶にはしっかり根付いていた。

 失礼にもその質を意外だと感じたため、深く記憶に残ったのだ。

 気配を辿り、頭上の真円を見上げる。

 やすらぎの気配を帯びた光が、天から――空間上部にある、毒の真円から射してきた。


「道を違えてしまったか」


 落胆混じりの声が、姿より先に円から落ちてきた。

 空隙を支え続けている蠱惑の円。空間唯一の入り口が輝いたのを見て、"森の真導士"と淪落の男が距離を取る。

 ほどなくして、真円から初老の親鳥が姿を現した。

「ナナバ正師!」

 長い羽を翻し、混沌の世界へと降り立った親鳥は、すでに役目を終えた円を弾いて、新たに癒しを展開した。

 自分とバトを包んだその真術は、濃い香りを放ちながら急速に傷を埋めていく。

 癒しを収束させた後、正師はじっくりと世界を見渡して、遠い場所に視線を定めた。

 見ている先にあったのは、先ほど意識に引っ掛かったあの印。


(やはり、何かある?)


 そう思って印ばかりを見ていたら、ふいにしゃがれ声が自分を呼んだ。

 ふわりと運ばれ、降り立った先は、ナナバ正師の真横。

「援軍は」

 自ら転送で渡ってきたバトが、上空の二人に視線を留めたまま正師に聞く。

「まだだ。大挙して渡れぬ仕掛けとなっている。……気づいておるか」

 言われて、バトも横目であの印を見やった。

「無論」

 そうと答えてから、今度は自分の頭を軽く小突いてきた。

 むっとしながら睨んだ相手は、悪びれる様子もなく続けて言う。

「自ら割って出てきたが、こいつが捕らえられていた場も、あの印で固められていた」

 ――封印の一種と見て、間違いないかと。

 バトが答えると、正師が頷いた。

「そうか……では、近づくでないぞ。確かに何かが封じられている。罠に違いあるまいて」


 例の番が、戦いの場として用意していたらしいこの場。封じられているとすれば"魔獣"の可能性もある。

 あれに近づいてはいけない。

 変に触りでもしたら、雷のようなお説教が落ちてくる。"魔獣"も怖いが、お説教の方がもっと怖い。

 恐々としつつ決意し。親鳥の横顔を眺めてから、はっとした。


「正師。……あの、皆は?」

 酷薄そうな目が、静かに自分を見る。

 心臓が、きゅっと縮まる感覚がした。

 視線を合わせた相手は、自分の緊張を透かし見ながら、小さな笑みを落とす。

「揃って中央棟に帰還した。いまごろキクリ正師と共に、モンテレオ湖へ避難している。……案ずるな」

 喜びで埋め尽くされ。大きく膨らんだ心臓が、幸福な鼓動を奏でた。


 瞼の裏を、光景が過ぎっていく。

 毅然と顔を上げ、脅威に向かって歩いていく友人達。

 互いに励まし合う声と、白く、誇り高い守護の森。


「……よかった」

 じわりと熱いものが目に沁みた。

 うれしさがこみ上げてきて、たまらず顔を両手で覆う。指で目を押さえ、涙を堪えていると、大きな手が肩に乗った。

 ローブ越しに触れた温度が、おだやかな気配を連れている。

『選定の儀』から、ずっと縮まることがなかったナナバ正師との距離。断崖のように感じていたそれが、この時やっと消失したようだった。

「遺跡に阻まれるゆえ、まだ地上には帰してやれぬ。決して私から離れるでないぞ」

「はい……正師」

 一つ頷いた親鳥が、顔を上げてかつての教え子に問う。

「バト、戦況は」


 正師がたずねた時、上から害意の気配が流れてきた。

 展開された二つの真術が、広がりながらより合わさって、視界を埋め尽くすほどの火炎流へと姿を変える。

 バトが風を呼び、それに向かって飛び立った。

 飛ぶ青銀の真導士から、"風牙の陣"が放たれる。弱い風の刃が、それでも炎の一部を削っていった。

 一連の出来事を見届けた親鳥が、転送を放って炎から逃れる。

 渡った場所で待つことしばらく。苦戦を強いられつつも火炎流をしのいだバトが、目の前に着地した。

「……ご覧の通り」

 とても不機嫌そうに言ったバトへの返事は、深い深い溜息だった。

「無駄とわかっているのなら真術の使用を控えよ。お前といい、ティートーンといい、どうして報告を省略しようとするのか」

 溜息の次に出されたのは苦言。

 これに不機嫌な真導士が「手間ゆえ」と返したせいで、またも大きな溜息が出た。


 二人の会話は、学舎で聞いていた会話と大差ない。

 大差ないというか同じだ。

 親鳥と雛。

 その関係性は、いくら時が経とうとも変わりづらいものであるらしい。


「なるほど、長らく精霊を飼っていたのか。同属との戦いとあれば、いかにお前でも分が悪かろう」

 溜息を吐き切った正師が、現状を的確に指摘すると「ご明察です」という声が落ちてきた。

「天水である貴方が、この場まで出向いてくるのは想定外でしたが……。どうです、正師の名にかけ、お一人で我ら二人をねじ伏せてみますか?」

 言外に勝機がないと滲ませた台詞。

 焦りを煽るような言葉であったのに、正師は訝しげに眉を寄せ、低い声を落とした。


「……二人?」


 すると何故か、ジーノの顔からすべてが失せた。

 初めて見せた露骨な顔。

 その急激な変化が示すものは何か。探るよりも早く、強烈な攻撃が"森の真導士"から放たれた。

 膨れ上がりながら捻じれた炎豪が、地面を這ってやってくる。

 それを、正師の守護が真正面から受け止めた。

 とても滑らかに描かれた三重の円は、炎を受けてもびくともしない。

 すっかり表情を消した淪落の男が、追撃を放つ。

「いかに正師と言えど、天水は天水。戦場で燠火に敵うはずもなかろう!!」

 旋風が炎と混ざり合い、またも激しい火炎流となった。

 荒れ狂う真術が、守護の壁を打ち砕くべく、火勢を強めながらやってくる。


「正師っ!」

 熱に喉を焼かれながら呼べば、貫禄のあるしゃがれ声が返ってきた。

「伏せなさい」

 正師は守護の上に真新しい円を重ね、やってきた火炎流をするりと弾いた。

 しかし炎の大蛇は、しのいでもしのいでも、次々と生まれてはこちらに向かって飛んでくる。


「サキよ」

 顔を上げた。

 炎に照らされている正師の横顔は、戦いの場にあるというのに普段と変わりない様子だった。

「いま一度だけ聞く。そなたは真導士として生きるか」

 この状況で、どうしてそれを聞くのだろう?

 いま必要な問いだろうか。

 ちらと抱いた疑問は、やってきた感覚によって吹き消されていった。

「真導士として生きていくとあれば……。強き真導士の翼であろうとするならば、此度の戦いだけでは終わらぬ。次から次へと脅威が現れ、そなたの前に立ちはだかるであろう」


 未完成の大地には、常に争いがある。

 各国の調和のため。そして大地の平和のため、真導士は戦い続ける宿命にある。

 誰よりも高く飛ぼうとしている強き翼。その対とあれば、なおのこと。


 炎の隙間に、青い輝きを見た。

 一人で飛び、戦い続けている人影。

 高速で飛ぶその人影が、真術の光を受け。わずかな間だけ、深い黒へと変化した。

 気高い彩りを見て、目を瞑る。

 それから胸に手を置き、いま一度自分に問いかけ直す。


 真導士として生きるのなら、戦いは切り離せず。切り離そうとするなら、ようやく形となった夢を失う。それは、やっと色を着けてきた自分自身を失うことにも通じている。

 ならば、答えは一つ。

 一つだけの答えは、絶対に手放せないものだった。


「……それでもわたしは、真導士でいたいです」

 終わりなき戦いの連鎖。

 女神の大地に、まったく似つかわしくないこの事実。立ち向かうのは、いつだって困難だ。

 それでも。

 そう、それでも。

 どれだけ辛くとも。前を向いて歩いていきたい。

 顔を上げて、色鮮やかなこの世界を見つめていたい。


「まだ雛だと言われても。いくら天水が戦いに向かないとしても」

 ――例え、本来の姿が人ではないとしても。

「真導士として……生きていきたい」

 自分に与えられた、あの気高い翼と共に大空を舞い。鮮やかな景色に酔い。たくさんの色に触れてみたい。

 そして、いつか……。

 彼と二人で、彼方からやってくるだろう"いつか"を夢見ていたい。


「どうあっても決意は変わらぬようだな」

「…………はい!」

 本当に困った娘だ。

 笑いを含んだ声が、正師の口からこぼれ落ちた。

「強情な。……いや、お前は今年一番の剛健な雛だったようだ」


 もう何も言うまい――。

 噛みしめるように言った正師の額に、新たな紋様が浮かんだ。

「"第三の地 サガノトス"に孵りし強き子よ。そなたは、じきに羽ばたきの日を迎える。大いなる巣立ちの前に、いま確かな知識を与えておこう」


 ――まず、指摘せねばならぬ。


 強く言った正師が、両手を上空に向けてかかげた。

「先ほどのそなたの言葉に、一つだけ間違いがあった」

 語る正師の真眼。

 すでに紋様を持っているそれに、もう一つの紋が描かれていく。

「天水が、戦いに向かぬということはない」

 さらさらと描かれる、光り輝く白い線。

「戦場において力無きと言う者もいる。だが、天水とて真導士。他の真導士と等しく、女神の寵愛を受けていることに変わりない」

 多量の真力を放っている真眼。

 真眼の中で光る守護の上、映し出されたのは重なり合った五つの円。

 鋭さすら見せて輝く――"流水の陣"。

「愛し子よ、しかと見ておれ」

 言葉と一緒に、両手をきつく握る。

 そして、強い期待を抱いた。

 この教えは、生涯に渡って忘れ得ぬものになるのだと。


「――天水には、天水の戦い方がある!」


 上空に、ひときわ白い輝きを誇る円が生まれた。

 展開された"流水の陣"は、細く、固く束ねられ。まるで矢の如く空間を走り抜けていく。

 閃光にも似た水の矢が、"森の真導士"の胸部を貫いた。

 暗黒色のローブをはためかせながら、害意の主が落ちていく。光景の端で、淪落の男が大きく目を見開いていた。

 表情を強張らせながらも、新たな一手を打とうとしたジーノ。

 その後方に、気つけば青銀が輝いている。



 ――絶好の好機!



 千載一遇の機を得たバトが、目にも止まらぬ早さで風牙を描き出す。

 ジーノが存在に気づき、背後を振り返った。

 緑の目が、驚愕一色に染まる。


 次の瞬間、苛烈な輝きが空を埋め尽くした。


 空隙の中を、衝撃の余波が渡っていく。

 薄目を開けて見やった世界で、暗黒色のローブが煽られている。

 結果を見届けるべく、かなり強引に開いていた視界だったが。白の輝きに押されて、ついに蓋をしてしまった。

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