行方と予感
「く……ぅっ……!」
足元から、浄化が勢いよく立ち上っている。
しかし、荊の勢いは増していた。
上空では、戦いがはじまっている。
開始そうそう、戦況は悪化の一途を辿っている。
ただでさえ不利な状況。その上、敵は数的優位も得ている。
このままでは、敗北は必至だ。
皮下に蠢きを感じつつ、足掻くための手を探す。
おぞましい動きに鳥肌を立てながら、ポケットをまさぐった。
(ない……)
あんなに入れておいたのに、持っていた輝尚石は跡形もなく姿を消していた。
探る手を外に出し、自分を抱きしめ直す。
精一杯の力で吐き出した息にも、震えが伝染していた。事実をあえて黙殺し、言霊を出す。
身体を包んでいる浄化の上に、自分で浄化を描く。
(助けて)
ひたすらに願っていると、光の粒が近づいてきた。
やわやわと周囲に舞い、ゆっくりゆっくりと真円に降りていく。
展開した真円は、多少の乱れがあった。けれど、その真術はいつもと同じくらいの力を有している。
「あ……」
展開を支えながら、気づきを得た。
この場を満たしているのは、敵の……長く、里と敵対していた者の真力だけ。
番は燠火と蠱惑。
そして、ジーノと共に火炎流を造り出している"森の真導士"も……どうやら燠火。
そのせいだろう。
天水寄りの精霊は、まったく影響を受けていない。
気づきを胸に、空を見上げた。
上空では、激しい光の応酬が続いている。
重なるほど近い二つと、離れた場所で輝く一つ。
光の具合を見ただけで、バトが苦境に立たされているのがわかった。
どこか苦しげなその光に、手を伸ばす。震えながら伸ばした右手にも、細い荊が絡みついていた。
……伝えなければ。
天水ならいける。
もちろんバトは燠火だ。伝えたところで、どうにもならない。
だがしかし、伝える必要があると感じた。
泣き叫びばかりを出す本能の下で、直感が行動を促している。
この気づきのかけらが、何かを呼ぼうとしているのだ。指揮勘が言うことには、粛々と従おう。
そうだ。
いつだってそうなのだ。
大きく流れを変えるきっかけは、見逃してしまいそうなほど小さく、心もとない姿をしている。
天水ならば、この場で戦える。存分に力を発揮できる。
いまはまだ弱い、この直感。
これをあの人に伝えたい。伝えなければ――。
手を伸ばし続けていたら、上空から光の球が落ちてきた。
かん、と高い音を立てて盛大に跳ねたのは、光りながらうるむ一つの輝尚石。
転がってきた水晶に、真新しい血液が付着していた。
荊に締められつつ、ようようと膝を折り、その光を手にする。
光の気配を探って――ついつい、笑みを漏らす。
場違いな笑いは、泣きそうなほどの安堵を共連れにしていた。
ああ……、どうしよう。
大変なものを拾ってしまった。他の正師に見つかったら、きっと大目玉だ。
(秘密にしておいてくれ。内々の話だから)
近頃よく耳にする言い訳が、記憶の中で響いている。
第一部隊の出身者は、融通が利く。
でも、さすがにこれはどうだろう?
先日の一件について、こってりと絞られたと言っていたのに。正師ったら、またこんなことをしている。
――息を整えなさい。どんな時も、まずは呼吸を整える。
それが、真導士の基本だ。
最初の最初に習った事柄を、本能が記憶から取り出してきた。
――そしてしっかり目を開き、相手を見る。
どこに。誰にそれを成すのか。
目標を定めなければ、矢を放つこともできない。
――最後に意思を固める。……そう。そうだ。
(お前は、なかなか勘所がいいな)
親馬鹿と評されることが多いその人を、記憶の中から引っ張り上げた。
手の平にある気配は心強く、ともすれば昏く落ちていく視界を、松明のように明るく照らす。
選定の日に見た明るい炎が、不安の闇を照らし、進むべき道を示してくれる。
親しみ深い声が、合図を出した。
疑う必要はない。
だから、素直に従った。
手に握り込んだ輝尚石が、煌々と輝く。
自身の境界を消し去るほど強く輝き、鏡の壁を越せとばかりに光の帯が走っていく。
輝尚石の中身は、正師お得意の結界だった。
束ねて強化された真術を、最初から全力で放ち、神経を注いで支える。
そうだ、全力でいこう。
証拠は早く隠滅するに限る。そうしないと、またキクリ正師が怒られてしまう。
――正師の輝尚石は、分配禁止。
新たに設けられた規則を思い浮かべながら、せり上がっていく壁を見つめる。
それは、実に不可思議な光景だった。
光の壁は、そそり立つと同時に、青銀の真導士に襲いかかろうとしていた火炎流をせき止めた。
敵が二人ががりで造り出した火炎流は、行き場を失って上へと流れた。
轟々と音を立てて、駆け去ろうとした炎を、突如として折れ曲がった結界が捕まえる。
氷が割れるような音を響かせ、器用に折れ曲がっていく光の壁。
器用な結界は、三人の間でぐるぐると曲がりくねった挙句、あの二人の眼前で口を開いた。
狭苦しい通路を抜け出した火炎流は、ようやく得た自由を喜び、大きく燃え盛りながら術者達に向かっていく。
思いがけない反撃に、淪落の男の口が大きく開いた。
上空で、炎と光が炸裂する。
爆発を演じた熱が、火の粉を散らし、余韻を残しながら消えていく。
輝尚石を掴んだ状態のまま、顔をかばう形となっていた右腕に、固い力が加わった。
ぐいと引かれ、白いローブに顔が着地する。
「よくやった」
それから頭に手が乗ってきた。
ぐしゃぐしゃと回されたフードの下で、髪がもみくちゃにされている。
「痛いです」
相変わらずの犬扱い。
しっかりと苦情を出してみたが、返ってきたのは皮肉めいた笑いのみ。
まあ、今回は我慢しておこう。
言った自分の声にも、笑いが滲んでしまっていた。本気で受け取られなくとも、致し方ない。
左上の空間で転送の円が開き、敵達の気配が渡ってきた。
「…………まだ動けたのか」
声に潜む、男の感情。
その薄さは変わらない。けれど、口調に小さな変化が見られた。
"呪い"に縛られながらも姿勢を整え、敵達と向かい合う。
その時、真眼が何かを知らせるように疼いた。
第三の目が視るように促しているのは、巨大な力を放つ"森の真導士"ではなく、ジーノの方。
真正面から改めて捉えた、淪落となった男の真力。
額飾りに塞がれているせいか、輝き自体が乏しい。
周囲にある女の真力や、隣にいる"森の真導士"と比較するならば、その特徴もひどく薄い。
……いいや、他の真導士と比較しても薄く、どこか頼りない。
男が有しているのは、そんな気配だ。
例えられるような色も形もなく。わかるのは、そこに在るということだけ。
そうと認識した時、背中に冷たいものが走っていった。
その冷たさが何を訴えているのか。この時はまだ、皆目わからなかった。
「悪足掻きもいいところ。どうせ死ぬなら、楽に逝けばいいだろう」
熱でこもった息を肺から出し、すっと大気を吸い込んだ。
「お断りします。わたしは、まだ戦える。諦める気はありません」
「小娘が……。粋がったところで、お前では戦力にはならん。いまだそれから逃れられんところを見ると、"神具"を思うままに使えぬようだな」
――"神具"は神域の力。
神域の力は、人の手に余る。
古の民の信念は、往々にして後世の意には沿わぬ。
「予想外だったろう。本来、神域の力は不可触のもの。持ち手となっただけでは、力を行使できぬ。お前のような小娘では、死んでも不可能だ」
「そうかもしれません。でも、戦います。……天水が邪魔ですか? この空間で力を落とさない存在が、そんなにも目障りなのでしょうか」
緑の目が、はっきりと眇められた。
「それがどうした。貴様如きを、我々が戦力と数えるとでも?」
青銀の真導士のローブから離れて、横に並び立った。
バトからの制止は来ない。
だからそのまま、手の平の輝尚石を、男の目の高さに合わせてかかげた。
「まったく……。苦し紛れにもほどがある」
蔑みを隠そうともせずに、ジーノが言う。
「いかに"神具"の持ち手だとて、所詮は導士。神威の力なくしては、"役立たず"でしかないだろう」
これに、青銀の真導士が語気を強めて応じた。
「罠を据え、誘い込んだだけで大層な自信だ」
用心と策を重ね、時を重ね続けた結果がこの程度とは。
「やるというなら、天水も封じておくのが常道。貴様等の策は、必ず手落ちがある。こちらとしてはやりやすいが――」
返礼と呼ぶには、あまりに無様。
バトは男を煽りながらも、多量の真力を放出した。
言霊の応酬は、真導士の戦術において必要不可欠とされている。
気力を乱し、削ぐことによって戦いを有利に運ぶ。
また、偽りや企みを暴くのにも適している。企みだらけのこの場において、少しでも多くの情報を得たい。
回復しはじめた真眼に、意識を集中する。
男の真力や、態度の変化を。
そして、並ぶように浮かんでいる暗黒色のローブの奥深くを、殊更に意識して探っていく。
「こいつを"役立たず"と呼ぶか。なれば、すぐにでも潰してみるがいい。所詮は雛というならば、赤子の手を撚るようなものだろう」
たかが導士。
そう侮ってきたために、駒を失うはめになったのだ。
青銀の真導士は強く言い切って、皮肉な笑みを浮かべた。
自信ある物言い。
これに反論するべく、男が口を開いた。
「何を――」
「報告がきた」
しかしバトは反論を許さず、また新たな言葉を押し出した。
ふいに、左手が頭に乗ってきた。相変わらず失礼な手を伝ってやってきたのは、思いがけない吉報だった。
「"封印の間"に入る直前、中央から連絡が入った。行方不明となっていた導士達を発見。貴様等と繋がっていた一名を除き、全員を無事保護したと」
男の顔色が、明確に変化した。
「……十二年前は上手くいった。同じようにすればいい。里も警戒しているが、種は割れていない……そう考えたのだろう」
皮肉な笑みが深くなる。
「貴様等の仕込みは、雛達が砕いたそうだ」
親鳥の救援を待たず。
見回り部隊の手も借りずに、雛達の力だけで戦い抜いた。救援の手が届いたのは、導士達が勝利を掴んだその後だった。
「知らなかったろう。今年の雛は、変種揃いだ」
どいつもこいつも、常識と想像の範疇に収まらぬ。
「せっかくゆえ、もう一つ教えてやろうか。貴様が"役立たず"と呼んだこいつは、その変種の極みだ。……所詮は雛。そのように思うのならやってみればいい」
隣から放出された冷たい真力を、全身で受け止め、両足に力を入れた。
立とう。
自分の両足でしっかりと立って、場に挑もう。
これだけの信頼を与えられて、怯んでなどいられない。そんな情けないこと、絶対にできはしない。
「――貴様如きに、できるものならな」
冷気の放出に合わせて、力いっぱい真力を放つ。
小さい。
本当に小さいと思える真力だった。
比較する相手が隣にいることで、矮小さがより際立っている。きっと上空にいる二人からは、自分達の力の差がよく視えていることだろう。
それすらも誇ってみせようと敵を睨み、胸を張る。
男の動きがぴたりと止まった。
暗黒色のローブも、ただ静かになびくばかり。
思案しているようにも見える。間を測っているようにも、奥の手を警戒しているようにも見える。果たしてどうか――。
訪れた空白の時。
固唾を飲んで待っていると、相手側に動きが出た。
暗黒色のローブが舞う。
ジーノの真上に陣取ったその人物は、いまだ何も語らない。
目の前に姿を現したにも関わらず、現在も正体不明な"森の真導士"が、ローブの内側で真力を放つ。
そそけ立つような気配が、空間に満ち満ちていく。
青銀の真導士の力をはるかに上回る真力が、鏡の居城を染め上げ、自分達に覆いかぶさろうとしてくる。
腹部に力を入れた。
強烈な一撃がやってくるはずだ。
どうにもならない力の差と、圧倒的に不利な状況。好転の機会は皆無。
それでもまだ、強い予感がしていた。
先ほど拾い上げた、小さなかけら。
誰の目にも価値として映らないはずの気づきが、流れを招き寄せようとしている。
「バトさん……」
呼びかけたら、視線だけが返ってきた。
「一つ、お願いがあります」
空間に、強い害意が匂い立つ。
炎と風。
左右に、高く伸びた鏡の壁。自分達の背後には、それ以上高くまで銀が伸びている。
どうにもならない袋小路で、普通ならば無茶と思える願いを口にした。
「動かないでください」
赤が、視界に広がった。
相手からの返答はない。そして、何故か恐怖もなかった。
不思議な感覚に包まれたまま、握りしめていた輝尚石を放つ。
すでにひびが入っていた水晶は、結界を成した後、呆気なく四散してしまった。
一度は結界に弾かれ、上方へと流れた火炎流が、うねりながら降りてくる。
燃える大蛇が口を開いた。
飲み込まれようとしているのに、やはり心は凪いだまま。
願いは、疑われることもなく聞き入れられていたようだ。
その瞬間、自分達はただ静かに、光の中へ入り込んでいった。




