害意の真導士
軽快な破裂音が、辺りに響いた。
境界を成していた薄い幕は粉となり、悲鳴を上げながら飛び散っていく。
再びの落下。
突き刺さる、二つの視線。
「――バトさん!」
落ちながら呼んだ相手は、光をまとって姿を消した。
視界から失われた色を必死になって探していると、上空の気配が濃くなった。
鏡の道の果てにいる宿敵と、視線が絡み合う。
ジーノの右手が、自分に照準を合わせようとしていた。
ぎらぎらと輝く真円をみとめて、真眼を大きく見開く。
やってくる力には敵わない。
だからと言って、何もしないわけにいかない。
そうと決めて、今日という日までやってきた。覚悟はいまも、この心に備わっている。
守護が編み上がるかどうかという時、後方に気配が出現した。
目に飛び込んできたのは、白を帯びた青い瞳。
光輝く冴えた色を見て、胸に痛みを覚え――罪に味があることを知った。
白が炸裂する。
飛んでくる光。間近で放たれた光。
二つの眩しさから逃れようと両目を閉じて、身を固く縮めたまま収束の時を待つ。
わずかな浮遊の後、渡った先で真術が弾けた。
周囲に広がるは、冷気の気配。よく知った冷たい真力は、深い安堵と切ない気分を胸にもたらす。
それからすぐ、何の前触れもなく地面に降ろされた。
思わず身体が傾いでしまい。結果、床に這いつくばるという情けない格好となる。
これに文句を言うべく大きく息を吸って――奇妙な模様を見つけた。
鏡の床の上、脈絡もなく刻まれている不思議な絵柄。
大輪の華のような……。見ようとすれば、ラーレフィアにも見える光の線。
「"待て"と言い置いたはずだろう。いい加減、覚えたらどうだ」
冷笑を含んだ声が、思考から意識を釣り上げた。
はっと我に返り。口内に広がった苦味を噛みしめながら、どうにか言葉を絞り出す。
「……わたしは犬ではありません。何度言ったら覚えるのですか」
笑顔を作れていればいい。
せめて、泣き顔だけは作りたくない。
泣きたかったのは。この時を望んでいたのは、自分ではなかった。
これ以上、彼女から何も奪いたくはない。深い罪を味わいながらも、それだけを願っていた。
「これは面妖な」
真上から男の声が落ちてきた。大慌てで立ち上がり、空を見る。
「まさか、あの封印を破るとは……」
上からの声を遮るように、バトが真力を放った。
膨大な力が壁と化して、自分達を守るように渦巻く。
「貴様が執拗に構っていたのも、これで理解ができた。……導士の分際ながら、"神具"の持ち手となる理由があるわけだ」
盛大な舌打ちが響く。
知られてはいけないことが、最も知られてはいけない相手に漏れてしまっていた。
空間に沈黙が落ちた。
鏡に囲まれた無音の場で、仇敵とあらためて対峙する。
過去に、一度だけ見えた高士。
淪落となったいまも、風貌には変化がない。真導士の証である白いローブを脱いだというだけ。
しかし、こちらを見下ろしている男の顔から、以前は確かにあったはずの表情が消えていた。
一切の感情が失われたその顔は、どこか蝋人形を思わせる。
一瞬だけ、男と視線が絡んだ。
それだけで心臓から悲鳴じみた声が出た。
何故だろう?
真力が高いわけでもない。金の獣のような、おぞましい気配とも違う。
だというのに、どうしてか逃げ出したい衝動にかられる。
不快な衝動を残した後、緑の視線は隣へと移っていった。
しかし、余韻が身体を覆っている。それがひどく耐え難く、思わずその人の隣に沿い、長いローブの影に隠れた。
続く睨み合い。
間を塗うように、真力の風が届いてきた。
風を受けて、隠していた身体が大きく震える。
自分の震えを感知したのか。青銀の真導士の腕が、背に回ってきた。
背中を支える手に、力が込められている。しっかりしろと言ってきているような動きだったが、どうしても震えが止められない。
予感がした。
予感の正しさを証明するように、遠くから高い音がやってくる。危機を感じ取ったせいか、真眼の機能が急速に戻ってきた。
冷気でできた壁を、突き破ろうとしている真力が視える。
分厚い壁の隙間から、わずかに開いている世界。そこは、濃厚と言えるほど真力で満ちているようだ。
大気を埋め尽くしている真力は、複数の気配がより合わさっている。
毒の気配を放つ、女の真力。
特徴が薄く、捉えどころがない男の真力。
最初は、その二つだけだと思っていた。
しかし、真眼を凝らしてよく視てみれば、もう一つ、別の気配が存在しているようだった。
「大願の時が近づいている。お遊びはここまでにしようか」
表情をちらとも動かさないまま言って、男がおもむろに腰を折った。
戦場には似つかわしくない動き。それはまるで、貴族に仕える執事のような動きだった。
突然、耳に音の槍が突き刺さる。
本能が声高に叫び出した。
途切れることなく。声を枯らさんばかりに、高く悲鳴を出し続けている。
身体の震えが止まらない。
真眼はひどく痛み、吐き気すら覚えた。
閉じてしまった方が楽になる。そう思うのに、理解が行動と繋がることはなかった。
繋げることができなかったのだ。
震えに支配された身体は、動くことを放棄しかけていた。
「喜べ」
蝋のような敵の顔に、"呪い"の仮面に似た、不気味な笑みが浮かぶ。
次いで、上空に"転送の陣"が描かれた。
「偉大なる我らが首領が、わざわざこの場までお運びくださった」
男が天を示し――暗闇が舞い降りてきた。
場に出現したのは、暗黒色のローブを羽織った誰か。
見た目だけでは、男かも女かも知れない相手は、誰よりも高くに浮き、鏡の世界に君臨する。
足元から、痺れるような感覚が走り抜けていった。
大きい。
こんなにも巨大な力は、過去に触れたことがない。
それでも、確かに記憶していた。
この気配を知っている。
首領と呼ばれるその人物を、自分は確実に知っている。
この感覚は、はっきりと覚えていた。忘れようもなかったのだ。
気分が悪くなるような、強烈な害意の気配……。
――これは、"森の真導士"の真力だ。
「俺一人の手で、貴様等を始末すべきだったが……。これ以上の失態も、失敗も許されない」
今日は風渡り。
十二年待ち続けた、大願成就の日。
「サガノトスが滅びた後、王となりこの地を統べるお方だ。本来なら拝謁することですら不敬にあたる。光栄に思うがいい。長年、我らの邪魔をしてきた貴様と、"神具"の持ち手となったその小娘に、首領自ら褒美を与えてくださるそうだ」
まるで透明な台本を読んでいるような、いやに淡白な口調で男が続けた。
「死は、この世にある何よりも甘美だと聞く。――さあ、受け取るがいい」
発声と同時に暗黒色のローブから光があふれ、渦巻くように大気が動く。
「ああっ!」
衝撃が意識を貫いていった。
どうしていいかわからず、咄嗟に自分を抱き締める。
肩の周囲では、現れた真円が忙しなく旋回していた。
光源は右頬。
幻の女が撫でた箇所から、毒の匂いがただよっている。
光の向こうで、青銀が大きく見開かれた。
しかし、互いが何かを発するよりも早く、頬に刻まれた真術が展開してしまう。
全部が昏くなったと同時に、耳から音が逃げていく。
一瞬にして全身が毒の気配にまみれてしまった。
手足は凍りつきそうなほど寒いのに、肺は焼け焦げそうなほど熱い。
冷たく熱い痛みに苦しんでいると、気配の上から真術をかけられた。
頭からかぶったのは"浄化の陣"。
間近で放たれている真術が、右頬から生まれた"呪い"を直撃した。
鳴り響く、金属的な叫び。
脳髄に突き刺さる、不愉快な音。
気がおかしくなりそうな狂騒の隙間から、淪落となった男の高笑いが響いてきた。
「無駄だよ、"鼠狩り"! フィオラが作った"呪い"は、容易く解けはしない。それこそ、輝尚石程度ではどうにもならん」
頬に根付き、うねうねと動いているのは、毒の匂いを帯びた荊。
長く伸びたそれが足に巻き付き、腕を捉え、首を締め付けるようにしてさらに育っていく。
「そいつは、憑代の力を吸って育つ」
まずは真力。
お次は気力。
それをも吸い尽くせば、生命そのものに手を伸ばす。
「……終いには、全身の血を啜り尽くす。その小娘の真力では、長くは持たんだろう」
台詞のすべてを聞き終える前に、青銀の真導士が姿を消す。
合わせるように、敵達も転送を描いてそこからいなくなった。
その直後、上空が目を焼き潰すような輝きに包まれた。




