表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十三章 風霜の彼方
133/195

目覚めの時

 意識が浮かんでいく。

 上へ、上へと昇っていくごとに、身体の重みが増している。

 目覚める時がきたようだ。

 悟ると同時に、哀切が心を埋め尽くす。


 ……もう、戻れない。


 彼女とは。


 彼等とは共に在れない。


 あんなに深く触れ合ったのに、二度と交わることはないのだ。

 唐突な別れは、卑怯と思えるほど呆気なかった。




 右手が動いた。

 指先に感触がある。それを得た途端、大きなものが押し寄せてきた。

 膨大な知覚の波。

 様々な感覚が一度にやってきたせいで、取り戻したはずの意識が押し流されてしまいそうになる。


 静かな場所だ。

 寒くもなく、暑くもなく……ひたすらに暗い。


 額が痺れていた。どうにもならない不快感が、頭にきつく巻き付いている。

 暗い場所に、光が射した。

 一瞬だけ光り。すぐに消えて、しばらく経ってからまた光る。

 雷だろうか。

 雷にしては静かだ。雷鳴どころか雨音すらもしない。

 もしかしたら、自分の耳がおかしくなっているだけだろうか?


 身体中が痛んでいる。

 真眼も同様で、周囲を探るどころか、真力を吐き出すことも難しそうだ。

 許されるなら、それらに意識を向けたくはなかった。気を逸らしていれば、少しは苦痛を和らげられるように思っていた。

 でも、いけない。

 まだ混乱は残っているけど、記憶はしっかりとしている。


 自分は囚われていた。

 恐らく、いまもそうなのだろう。


 確信を胸に、呼吸を整えていく。

 助けは来ていない。来ていれば、こんな状態で放置されることもないはず。

 自分はいまだ、敵の手中にある。

 最悪の状況を前提にすえ、まずは呼吸を整える。

 少し楽になってきた。

 痛みは消えていないけれど、どうにか動けそうだった。

 真眼は開いていたようだ。しかし、機能のほとんどが失われている。

 右手をついて、静かに身を起こす。

 目の中に星が散っている。いまひとたび瞼を下ろし、大きく大きく息を吸った。


「あら、お目覚め?」


 咄嗟に目を開き、声とは逆側に飛び退いた。

「おはよう。ご機嫌いかが」

 ぐらつき痛む頭の中で、あり得ないと騒ぐ声がある。

「……いやね、挨拶も返せないの。導士の分際で失礼な子。特別扱いに慣れて、すっかりいい気になってるのかしら」

 目の前に、いてはならない女がいる。

 第一部隊に捕縛され、いまも中央棟の地下に捕らえられているはずの――淪落となった女。

 笑みが浮かぶ白い顔と、頬に添えられていた赤い爪。

 対称的な色彩の上に、光がかかった。真横からやってきた強い光によって、取り戻した視界が塞がれてしまう。

 無音の雷が消え、元の薄暗さに戻った時、女は目と鼻の距離までやってきていた。

 赤に彩られた指が、右頬に触れる。

 それだけで全身が総毛立ち、冷や汗が浮かんだ。


「…………驚きました」

 ようやく出した声は、震えがひどい。

「幻影なのに、体温まで再現できるのですね」

 震えてはいたが、どうにか最後まで言い切った。

 妖艶な女の白い顔が、露骨に歪む。

 気に食わないといわんばかりの表情は、真術とは思えないほど精巧だった。

「本当にいやな子。海で仕留めそこねたのが悔やまれるわ」

 気分を害した様子のまま、幻が後退した。

 その足元には、左右交互に回る円。鈍い真眼を可能なかぎり凝らしてみれば、女の胸元からも水晶大の光が漏れている。

 ……やはり幻影だ。

 だからといって、気を緩めてはいけない。

 人をここまで再現できるなら、術者の力量はかなり高い。

 例え真術であろうとも。そして、即座に攻撃を仕掛けてくる気配はなくとも、危険な相手に変わりない。


 不安に巻かれている最中、またも光が射してきた。

 視界を眩ませる、轟音を伴わない雷。

 これは何だろう?

 疑問に思った時、女が右手側に顔を向けた。動きにつられ、自分の視線もそちらへ流れていく。

 何もかもが不明瞭な薄暗い場は、右手側だけ透き通った真術の幕で区切られている。光は、その硝子のような幕の向こうからやってきていた。

 こちらより、ずっと明るいあちら側。

 まだ眩みが残る目を凝らし、じっと覗いて――思わず立ち上がった。


「――バトさん!?」


 幕に張り付き、その名を呼ぶ。

 透き通った幕は、触れた拍子に大きくたわんだ。それでも、突き破ることはできなかった。

 あちら側に、青銀の真導士がいる。

 手を伸ばせば届きそうな場所なのに、声すらも聞こえてはいなさそうだ。

 低空を飛ぶバト。

 唐突に、その姿が二つに分裂した。

 驚きの声を落とした直後、さらに一つ、人影が増えた。

「あ……」


 鏡だ。

 バトの周囲に、鏡の壁がある。


 あちら側は上下も、そして左右も、すっかり鏡で埋め尽くされている。

 形に規則性はない。ばらばらと並んだ壁と柱に、青銀の真導士の姿が映り込んでいるのだ。


 目に光が飛び込んできた。

 バトが真術を放つ。周囲にある鏡がいっせいに輝く。

 反射によって膨れ上がった輝き。それが、雷と見間違うほどの光量となり、ありとあらゆるものを照らす。

 刺激に耐えきれず目を瞑る。

 次に目を開いた時、光景は一変していた。


 鏡の壁が動き、今度は細長い迷路のような形となっている。

 うねった通路を、白いローブが飛んでいく。

 鏡の雲間から、炎の雨が降り注いできた。

 次々にやってくる炎が、白を執拗に追いかける。

 赤い豪雨をすべて回避し、鏡の床に降り立った青銀の真導士。この動きは読まれていたらしく、時をおかず別の角度からも攻撃がやってきた。

 巨大な炎から間一髪の状態で逃れ、バトは再び風をまとって空を駆けていく。

 フードの影にある青銀が、ひときわ強く輝き、真円に導かれた鋭利な風が上空へ向かう。

 目指す先は鏡の雲間。

 そこにちらりと見えたのは、緑の人影。

 フィオラと似た笑みを浮かべている男は、やってきた風を難なく消し去った。


 そう、それこそ腕の一振りで。


 真術を放ったのは確か。

 でも、それは大きな力とは言いがたいものだった。

 だからこそ、いま目にした事柄を、とても信じることができなかった。


 バトが放つ風の真術は、常に凄絶な力を有している。

 極めに極め抜かれた鋭い風。

 驚異的なまでに鋭利な風は、もはや旋風と呼べるものではなく。そのため、"風牙の陣"という名を与えられている。

 幾度もその力を間近で見て、それと同じだけ結果を見た。

 だからわかる。

 いまジーノが放った真術は、とても対抗しうるほどの威力はない。

 しかしながら、バトの風牙を跡形もなく掻き消してしまった。

 理解しがたい事象が、硝子の向こうで起きている。


「驚いてくれたかしら」

 いっそ無邪気とも思えるような口調で、幻が問う。

「素敵でしょう。造るの大変だったんだから」

 楽しげに語る幻を見つめ、隙を見て周囲を確認する。

 境界はある。

 けれど、はっきりとした形がない。

 こちらも、あちらも。

 視界にあるどの場所をとっても、建物らしき構造が見られない。


「お嬢ちゃん、蟻地獄って知っている?」

 幻の女が、妖艶に微笑みながら語りはじめる。


 すり鉢状の砂の穴。

 そこに落ちた蟻は、たくさんの砂に降られ。徐々に足を滑らせて、最後には底へ落ちてしまう。


「いいと思ったの。十二年ぶりにやってくる大願の日。記念すべき風渡りに、邪魔しに来るだろう愚か者の棺。これ以上ないほどお似合いだってね」


 術の名は、"空隙(くうげき)の陣"。

 一度入れば最後。二度と生きては出られない。


「馬鹿みたいだわ」

 ゆっくりと硝子の前に進んだ幻影の女が、ひとりごとのように呟く。

「拾った命を、わざわざ捨てに来るなんてねえ」

 かっと熱い感情がせり上がってきた。

「バトさんは負けません!」

 女の台詞が許しがたかった。そして、どうしようもなく悔しい気分だった。


 バトは負けない。

 あの人はすごく強いのだ。だから、この二人に負けるわけがない。


 信じることだって、こんなにも容易い。

 それなのに、悔しくて悔しくて……胸が苦しい。

「まあまあ、よく懐いていること。まったく何がいいのかしら。どちらの気持ちも、私にはさっぱりわからないわ」

 いかにも人を馬鹿にしたような顔で、フィオラが言う。

「……二度と出られないというのは、真術が展開されている間だけの話。どんな真術であろうと、真円を弾けばいいだけです!」

「導士にしては博識ね。でもね、お嬢ちゃん。この"空隙の陣"は特別。あの男に、真円を弾くことはできないの。……せっかくだから、とっておきの秘密を教えてあげる」

 色のついた爪が、鼻の先までやってきた。

 視界が、艶めいた赤で埋まる。

「あの男は、空隙の中で全力を出せない」

 ご覧なさいと言って、突きつけられていた人差し指が、硝子の幕へと向けられた。


 透明な幕の先。ぎらぎらとした光に満ちた鏡の世界では、戦いが続いていた。

 戦いの行方を追っている間に、違和感がどんどん膨らんでいく。

 膨らみに合わせるように、豆粒ほどだった不安が大きく育ち、心臓を圧迫しはじめた。


 おかしい。

 青銀の真導士が押されている。そんなこと、あり得ないはずなのに――。


 首謀者とみなされている男は、長く外勤の高士として活動してきた。

 でも、実力者だとは聞いていない。

 力を隠していたとも思えなかった。

 放つ真術は、船の実習で見かけたものと同程度。だから、里の調査結果は事実だったのだと思う。

 合同実習から昨日までの間。里で指折りとされる高士達の真術を、この目で見てきた。

 男が展開している真術は、彼等の真術とは比較にもならない。

 だというのに、里で随一とされている青銀の真導士が、ひどく苦戦を強いられている。


 バトの頭上に出現した、いくつもの炎。

 雨のように降り注ぐ、攻撃の数々。

 数え切れないほどの炎を紙一重の状態でかわし、転送で渡って反撃を試み――あえなく弾かれる。


「ほら、言ったとおりでしょう?」

 くすくすとした笑いが、いやに大きく聞こえた。

 いつからか握りしめていた両手は、じっとりと汗に濡れている。

「何で……」

 弱気に染まった言葉が落ちる。

 否定の要素を探し、必死になってあちらを見つめて――それに気づいた。


 男の近くで舞う光の粒と、青銀の真導士を囲む粒達。

 二人の周囲にいる彼等の数が、明らかに偏っている。


「精霊が……」

 ぽつりと出した言葉を聞いて、女が声を上げる。

「まあ意外。気がついたの」

 ちらりと見た顔が、わずかな間だけ歪みを見せた。

 それから「本当にいやな子だわ」と言い、うんざりしたように顔をしかめる。

「習ったでしょう。真術は、真力と精霊を元にして放たれる」


 放たれる真術の威力は、籠められた真力と精霊の数に比例して高くなる。

 多量に真力を籠めただけ、多くの精霊が集まる。

 しかし、精霊は――。


「特定の真力に、懐くことがある」


 より多くの餌を求め、世界をただよい続けている精霊達。

 彼等は、真力あふれる場所を見つければ、そこに棲まおうとする性質を持つ。

 常時、得ている真力を好み、愛する。

 そのため、慣れた真力が含まれている真術に対してなら、他では見られないような力を発揮する。

 また精霊は、精霊を呼び集める力も有している。

 彼等は仲間が集まっている場所にやってきて、自然と集団を作り上げていく。そうやって作り上げられた精霊の集団は、真導士の戦いにおいて、心強い味方となるのだ。

「だから馬鹿だと言ったのよ」


 ――十二年。

 それだけの時間を、有意義に使わないはずがない。


「何年もかけて、私達の真力に懐かせた。ここにいる精霊は、他の真力には見向きもしない」

 隙を探し、反撃を続けているバトの姿を追う。

「迷惑なことに、あの男は用心深くてね。常に真力を撒いて精霊を飼っている。だから、それを上回るだけの精霊を閉じ込めておいたの。本当に素敵でしょう。"空隙の陣"は、精霊にも有効なのよ」

 女は硝子の幕に手を添わせ、楽しげに語り続ける。

「……でも、こんなに粘るとは思わなかった。どう足掻いても、勝ち目なんかないとわかっているでしょうに」

 苦戦しながらも、縦横無尽に飛ぶ白い影。

 じわじわと追い詰められ、行き場を失い。転送で渡っては、何かを探して首を動かしている。


 青銀の真導士が探しているのは、状況を変えるための一手だ。

 けれども、真術で構築された鏡の世界に、それらしきものは見当たらない。


「無駄なのにね。諦めが悪いったら……」

 滑稽だと言わんばかりの横顔。

 笑みをたたえた女の顔は、見ているだけで胸に荒い熱を生む。

「罠が敷かれていると知っていたでしょうに。そんな場所に、単騎で乗り込んでくるなんて愚か。どれだけ自信過剰なのかしら」

 女は、あの日、あの時と同じ笑いを浮かべ。「それとも」と落としてから、さも可笑しそうにこう言った。

「ずっと捨てたかったのかしらね」

 ――屑みたいな、その命を。




 血が沸騰した。

 そして唐突に思い出す。

 微動だにもできなくなった身体。痛みすらも感じなくなった世界で、最期の最期に見た、あの光景。


 小ぶりの杖に添えられた、赤い色。

 身動き一つ取れなくなった彼女に跨って嗤う、あの醜悪な顔――。




 ――許さない。

 額に光があふれた。


 ――許せない。

 何をすべきか。どう念じればいいのか。

 その瞬間、誰に言われなくとも全部を理解していた。


 ――絶対に、許してたまるものか!

 彼女と彼と。

 自分に渡されたすべての悔しさが、一気に火を噴いた。


 頭の中で、何かがぐるりと旋回する。

 それには構わず、両手を前にかざし、強く強く念じた。

 理屈などわからない。

 そもそも目の前にある真術が、いったいどのようなものかは知らないし、いま放とうとしている力の名も不明だ。

 でも、これで正しい。

 そしてこの感覚だけあれば……それでいい!


「――放て!!」


 心臓の近くに、力を視た。

 身の内へと取り込んだ時に感じた、あの神秘的な光が真眼から迸る。

 真眼の奥からやってきた美しい七色が、暗い場所を明るく染め変えていく。


「馬鹿ねえ」

 何もない場所に、女の声が落ちた。

 心底呆れたような声だった。

「力の使いどころもわからないような子供を、所有者とするなんて……」


 本当に馬鹿ね――。


 最後にそれだけ言って、女の姿が消えた。残されたのは、粉々に散らばった水晶のかけらのみ。

 時同じくして、硝子の幕にもひびが入った。

 硝子の向こうは戦場。

 そんなこと重々に承知している。

 危険からは、極力遠ざかるよう言い含められていた。自分の行動は、指示と対極の行いだ。

 それでも、強く強く念じ続けた。


 境界すらもはっきりとしない狭い世界に、女神の風は吹いていない。

 それでいい。かまうものか。

 加護がなくても結構だ。




 悔しさと悲しさと。

 渡された思いのすべてを携え。

 大きく開いた運命の場に、勢いをつけて頭から飛び込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ