第7話─僕がずっと、言わなかったこと。
眠りについた後、私は夢を見ていた。ずっと過去の、私が”何か”だった頃の夢。
「おはよう、我が娘。」
冷たい眼差しで見下ろす者
「人間の命を奪う前に一つだけ願いを叶えてあげたまえ。」
優しく、温かい考えを持つ者
「もう泣くな、これはお前の使命だ。鎌を持て、何を言われても命を裂け。」
使命を守る事しかできない者
私は嫌いだった。あの世界が、死神の自分が。どれだけ優しい人間も、どれだけ凶悪な人間も、みんな平等に命を奪わなきゃいけなかった。
死神には、任期がある。1400年と5ヶ月。果てしなく続く無の時間と人間の苦しみながら息絶える姿を見る時間。その果てしない時間の中で何人の人間を殺したのか、数え切れない。
最初の頃、私は色々な人の願いを聞いて、色々な人の想いを聞いた。たとえそれが無意味で苦しくなるだけの時間だとしても。
でも、無理だった。1400年という長い時間は、次第に私の心を闇に蝕んでいった。そして、人間に情を持つことが出来なくなった。小さい時は、なんでみんな人間に優しくしないのかわからなかった。でも彼らはきっとしなかったんじゃない、できなかったんだとわかった。情を持つほど、苦しくなるから。
1000年も経つ頃、私は誰にも期待できなくなった。誰の事を愛することもできなかった。情を持てば持つだけ、無駄だと分かってしまったから。
そんなある日、私はある話が耳に入った。
「死神は最期の仕事を終えると人間になる。」
もし、私が人間になれたら、もう何も気にせずに人間を愛せるだろうか。もし愛せたとして、その人は愛してくれるだろうか。
期待と不安が混じって、表現のできない感情に戸惑った。
1400年と5ヶ月目、私の最後のお仕事。訪れた場所は、質素で、無機質で、薄汚れた家。錆びた窓を開けて、中を覗き込む。
『…それなら、僕が死ぬまでの間そばに居て欲しい。』
彼の願い。それは、私の希望だった。彼が本当に望んだものなのかは知らない。だけど、そこで私の地獄のような仕事の終わりを告げた。
正直、怖かった。人間になるということが、彼と一緒に居るという事が。彼がどんな人間なのかもわからない。ただ1つ、分かることは彼が優しい人間だということだけ。どう優しいのか、何が優しいのかも分からない。でも、彼と一緒に料理を作ったあの日、私の不安は消えた。手を重ねられた時、この人となら、一緒に居られる。そう直感した。
私は、ちゃんとあなたを愛せているかな。
ピピピピピピピ………。
今日で6日目。明後日には彼が居なくなっちゃって
…それからは私独りで生きていかなきゃいけないんだよね。
つらいよ、そんなの。もう少し長くあなたと居たい。あなたとたくさん笑いたいよ、泣きたいよ、喜びたいよ、話したいよ。
「おはよ、レイナ。」
彼はいつもと同じ挨拶だった。だけど、その言葉には少し元気が無い気がした。
「おはよ…ダーリン。」
一番つらいのは彼なのだろう。だって、明日が自分にとって最期の日…なんて、私なら到底受け入れられないよ。
「今日はお菓子作りをしようか。昨日買ってきた材料でクッキーとか、プリンとか、ケーキもいいね!」
彼は明るくそう言った。そうだ、今だけは忘れよう。彼の前では元気な私で居よう。じゃなきゃ、彼の”望み”なんて叶えられないから。
「うんっ、全部作ろう!」
「よし、決まりだね。」
彼はキッチンへ行き、両手いっぱいの材料を冷蔵庫から取り出した。彼はスマホで事前に調べていたのか、作り方をまとめたメモを開きながら言った。
「さて…何から作ろっか?」
「うーん…クッキーがいい!」
「りょうかい。じゃあバターと砂糖と卵、小麦粉を出して?」
「バター、砂糖、卵…は冷蔵庫の中…。」
私は卵を取ろうとしたが少し身長が足らず、手を伸ばしてもギリギリ届かない。
「しょうがないなぁ。」
彼が私を優しく持ち上げて卵を取れるように助けてくれた。
「あ…ありがと。」
「ふふ。レイナは少しちっちゃいね」
「なっ…このぉ!」
私は彼の背中を数発叩いた。彼は笑いながら「ごめんごめん」と謝って受け止めていた。
「ほら、クッキー作るよ。」
「わかった…!」
彼のメモには
”クッキーの作り方:バターを柔らかくして、砂糖と混ぜ、卵を入れてなじませる。そこに小麦粉を入れてこねながら丸めて焼く。”
と書いてあった。
「まずはバターを溶かして……」
彼は初めてとは思えないくらいテキパキと作業をしてあっという間に丸っこくてかわいいクッキーを作り上げた。
「は、はやい…。」
「ふふ、じゃあ真似して作ってみて?」
「わ、わかった…。」
私は彼がやっていた通りに真似して作ってみた。結果的に見た目は不格好だけどちゃんとクッキーを作ることが出来た。
「ふぅ…できた!」
「レイナ上手だね。」
「え、えぇ?あなたのほうが上手だよ。」
「そんなことないよー。」
「あるもーん。」
「じゃあ、食べ合いっこしようか?」
「食べ合いっこ?」
「そうそう。」
彼は自分の作ったクッキーを、私は私が作ったクッキーを持ってお互いあーんをする…というものらしい。
「じゃあ、持って?」
「うん。」
「あーん。」
「あーん…。」
…おいしい。それ以外の言葉が見つからないくらいおいしかった。私はたくさん噛んで、たくさん味わって、彼が作ったクッキーの味を自分の舌によく刻み込んだ。
「僕の作ったクッキー、どう?」
「…とってもおいしい。」
「それはよかった…。」
彼は安堵のため息をついてにっこりと笑顔を浮かべた。
「わ、私の作ったクッキーは…どう?」
「すごくおいしいよ。今まで食べたクッキーの中で一番ね。」
「…えへへ。」
彼に褒められると、自然と口角が緩んでしまう…。
それから、あっという間にお互いのクッキーを食べ切った。次は2人でプリンを作ることにした。
彼のメモには
”卵、牛乳、砂糖を混ぜ、型に流して湯煎で蒸す。その間に砂糖を溶かしてカラメルを作っておく。”
と書いてあった。
「じゃあ次は一緒に作ろうか。」
「うんっ…!」
私は材料をしっかりと用意し、彼はその材料でプリンを作っていく。その間に私は湯煎で砂糖を溶かし、少し苦味が強いカラメルを作った。
「ごめん、ちょっと苦くなりすぎちゃった。」
「大丈夫、その分こっちをいっぱい甘くすればいいから。」
私は型にカラメルを注ぎ、その後に彼がプリンを優しく注いだ。そして湯煎でゆっくりと蒸した。結果、上が苦く下がとても甘いというなんともアンバランスなプリンが出来上がってしまった。
2人で一緒に1口食べてみた。変な味にならないか不安だったけれど、以外と口の中で綺麗に混ざってくれた。
「ん…おいしい。」
「ふふ…おいしいね。」
それから時間をかけて味わい、気づけばプリンを2人で綺麗に平らげていた。
最後に、パウンドケーキを作ることにした。
彼のメモには
”バター、砂糖、卵、小麦粉を同じ量ずつ混ぜて型に流し、オーブンで焼く。”
と書いてあった。
同じ量ずつ測る…というのが不器用な私には少し難しかった。でも、彼が一緒に手伝ってくれて、どうにか同じ量にできた。そして一緒に混ぜて、慎重に型に流した。最後に彼がオーブンに入れてスイッチを押した。
そしてケーキは静かに膨らんでいく…。
思えば、私はこのたった6日間の間に、彼に対する感情が一気に膨れ上がった気がする。たった6日、されど6日過ごしただけ。だけど、少しずつ彼のことを知って、少しずつ彼を好きになって…。私と彼は恋人からのスタートだった。でも多分、友達から始まっていたとしても私は彼のことを好きになっていたんだろうなぁ。
そんな事を、オーブンの中で膨れ上がるケーキを見つめながら考えていた。
出来上がったケーキを見ると、ずいぶんと膨れ上がっていて、不格好な見た目だった。普通はこんなに膨らまないのだろう。
「もしかしたら僕の愛情を込めすぎたかな…。」
彼はそう冗談交じりに言う。私はそれを本気にしたふりをする。そうすると、彼は慌てて
「ご、ごめんごめん。冗談だよ。」
って言う。その姿が愛おしくて、かわいくて、私の心を満たしてくれる。そして、感情が溢れてしまいそうになる。
「ねぇ、ダーリン。」
「ん?どうしたの?」
「ケーキ、おいしい。」
「うん、おいしいね。」
「……。」
私が言いたいことはそんな事じゃない。だけど、今はまだ言えない。
ケーキを2人で瞬く間に平らげて、そして彼は満足気に言う。
「こんなにお菓子いっぱい食べたの久しぶりだぁー。」
「私、こんなにお菓子食べたの初めて。」
「ふふ、お腹いっぱい?」
「うん。お腹いーっぱいだよ。」
「それはよかった。」
彼はお腹がいっぱいになって眠くなったようで、お布団の中に先に入ってしまった。
「レイナもおいで。一緒にお昼寝しよう?」
残り少ない時間を彼はなぜお昼寝なんて行為で消費しようとするのだろう。私は、もっと残された時間を大切にしてほしいよ…。
でも、彼と一緒に居られるなら、それも悪くない。私は迷わずに彼の腕の中に抱かれて、そっと眠りについた。
『おやすみ、レイナ。』
彼がそう言ってくれたのをぼんやりと聞きながら………。
僕は、今日確信したことがある。彼女は僕のことが好きだ。しっかりと好きでいてくれているんだ。僕はなんて馬鹿なことを考えていたんだろうと後悔した。彼女はこの6日間、ずっと一緒に居てくれたんだ。”恋人”として、僕の”彼女”として。
僕の残された時間は、あとたった1日と数時間だけ。あとたったこれだけの時間で、彼女の世界に何が残せるだろうか。彼女の世界から僕が居なくなってしまったら、彼女には何が残るだろうか。だから僕は、僕が生きた証なんかじゃなく、彼女のための僕の痕跡を残すことにした。彼女が僕を感じられるように、彼女が”独り”になってしまわないように。
スマホを開き、何度も何度も録り直す。自分が納得いくまで。そしてある”リスト”を作った。彼女の助けになればいいな…という願いを込めて。
それから、前に書いたものは捨てることにした。元々、それは自分のために書いたものだった。彼女が起きずにまだ寝ている隙に走り書きをしたもの。内容なんて、自己中心的で誰にも愛されなかった自分を恨むようなものだ。だから、彼女には見られたくなかった。
最後に、花を箱の中にしまう。彼女が見つけてくれることを願って。
薔薇を7本渡すと、ある言葉を伝えられる。それは、僕がずっと言わなかったこと。言えていなかったこと。彼女に伝わりますように、そう願いを込めて。
明日は僕にとって最期の日でも、明後日、明明後日とレイナは人間として生き続けるだろう。だから、これから生きるのに支障がないように彼女の情報を作った。そして、明日は遊園地に連れて行って、特大のプレゼントを渡すつもりだ。きっと、彼女は喜んでくれる。
一通りの準備を終えて、僕はレイナのそばで横になる。ふと、僕は右手でレイナの頬に軽く触れてみた。手の内からじんわりと温まっていくのが感じた。
おやすみ、レイナ。またあした。




