第3話─意外と頭がいいんだね。
朝になった。カーテンで閉め切った窓からは日光の明かりが漏れている。残りの時間は、あと5日。
僕は、あとたった5日で何ができるのだろうか。あと120時間の命で、あと数万秒程度の命で、僕はこの世界に何を残せるのだろう。
そんなことを考えていると、突然不安になってしまった。そして、僕はここに僕の”生きた証”を残すことにした。
カキカキ……
「ん…おはよぉ、だーりん。」
僕が夢中になっていると、後ろでまだ眠そうな様子でおはようと言う彼女の声が聞こえた。
「おはよ、レイナ。まだ寝てていいよ。」
「やだ…勿体ないじゃん。」
彼女はそう言うとゆっくりと伸びをして布団から起き上がる。
「どこいくの?」
「ちょっとお風呂入ってくる……。」
「わかった。待ってるね。」
「ん。」
そして彼女がお風呂に行ったのを確認した後、僕はほとんどまっさらだったノートに、たくさんの走り書きをした。
僕が生きたという証を刻めるように、僕の事を彼女が忘れないように。
数分経った後、彼女はお風呂から上がって、ソファに座り髪を乾かしていた。
「ふぁ〜、朝風呂気持ちよかったぁ。」
僕はノートを机の引き出しの中にそっとしまうと、彼女の隣に座った。
「髪サラサラだね、レイナ。」
「ふふ、そうでしょ。」
「綺麗だよ。」
「…あ、ありがと。」
「今日はたくさん勉強するから覚悟してね。」
「うぅ…やだなぁ。」
「まぁ…とは言っても常識的な事を勉強するだけだから、ね?」
「…はぁい。」
「ノート買ってくるから少し待っててね。」
「待って、私も行く。」
「ほんと?じゃあ一緒に行こう。」
「やったぁ!」
彼女は多分、僕と一緒に居たいと思ってくれているのだろう。僕としてはとても嬉しい。
でも、かえってそれが彼女を苦しめてしまわないか心配だ。
「よし、準備できたよ。行こう!」
彼女の元気そうな声を聞き、ドアを開けて外に出た。
「本屋さんはここから大体1時間とちょっとの場所だから、”自転車”で行こうか。」
「”じてんしゃ”?なにそれ。」
「僕の昔使っていた自転車…まだ動くかなぁ。」
家の隣にある小さなガレージの扉をゆっくりと開けると、そこにはもうとっくに錆びきった自転車が静かに佇んでいた。
外装は所々剥がれ、チェーンは完全に錆びて、サドルはぼろぼろ、ハンドルも折れないか心配なくらい緩くなっている。
「…。」
「……。」
2人で沈黙した後、彼女は言った。
「これ、動く?」
「…多分?」
「やめよう?」
「そうだね。」
流石にこんなものに身を預けるのは気が引けた。なので結局タクシーを呼ぶことにした。ちなみに、タクシーがここに来るまで大体15分程かかる。
「さっむい…。」
秋だと言うのに、もう冬のように肌寒くなっていた。少し震えながらベンチに座る彼女に僕は温かい缶コーヒーを買って渡した。
「これで温まって。」
「ありがと…これ、なに?」
「コーヒー。飲んだら頭良くなるよ。」
「本当!?飲む!」
そう言って彼女は迷わずに缶を開けて一気にごくっと飲んだ後に、むせた。
「なにこれぇ、めちゃめちゃ苦いじゃん…。」
「嘘?ちょっと見せ……」
よくよく缶を見ると僕が押そうとしたミルクコーヒーではなく、その隣にあったブラックコーヒーを押してしまっていた。
「あ、まちがえた。」
「ちょっと…!!」
彼女はムスッとした表情で僕を睨んできたので、慌ててミルクコーヒーを買って再び彼女に渡した。
「こ、こっちなら大丈夫、さっきのはすごい苦いやつだっただけ。」
「……ごくっ。」
彼女は半信半疑でそのコーヒーを飲むと、落ち着いて言った。
「おいしい。」
「よかった…。」
僕が安堵のため息をつくと、彼女は隣に座れと言わんばかりに少し左にずれた。
「ごく…ごく…。」
僕がブラックコーヒーを飲んでいると、彼女は少し苦笑いしながら言った。
「よくそんな苦いの飲めるね……。」
「昔からこういうのはよく飲んでたからね。」
「へぇ〜……まだ私、あなたのこと全然知れてないな。」
「これから知っていけばいいよ。僕も、レイナのこと全然知らないから。」
「まぁ、それもそっか…。」
「うん。」
そうしていると、タクシーが来た。
「ほら、乗ろう?」
「うん。」
彼女の手を引き、タクシーに乗せてもらった。
「お客さん、どちらまで?」
「◆◆書店まででお願いします。」
「わかりましたー。」
中年くらいだろうか。人の良さそうな白髪のおじさんだった。
「おふたりはご夫婦ですか?」
「あ…えっと…。」
僕が返答に困っていると、彼女は迷わずに答えた。
「恋人です。少し、訳ありの。」
「ほぉ、訳ありですか。とても気になりますね。」
「ふふ、ねっ?」
彼女は僕に視線を向けた。その目は優しく、僕をしっかりと見てくれている目だった。初めて会った時とは、まるで違う。
「うん、そうだね。」
「おふたりは仲良しですなぁ。」
「それほどでも……。」
そんな他愛もない会話をおじさんと繰り広げていると、あっという間に本屋に着いた。
「おふたり、帰りは歩きですか?それともまた乗っていきます?」
運転手のおじさんは僕たちが降りる前にそう聞いてきた。
「えっと…またタクシーを呼ぼうかと。」
「待つのは大変でしょう?よければ私がここで待ってますので、おふたりはゆっくりお買い物してきてくださいな。」
「なんて紳士的。」
彼女はそう冗談交じりに言った。漢字はあまり読めないくせに、こういう言葉は知っているようだ。
「とりあえず、行きのお会計は2700円ですよ。」
「わかりました。」
そう言って僕は3000円を置き、お釣りを受け取る前にさっとタクシーを出た。
「お客さん、お釣りは?」
「大丈夫です、タダで待たせる訳にはいきませんから。」
「そんなそんな、私の気まぐれなのでお気になさらず。でも、ありがたくもらっておきます。」
そして彼女の手を引き本屋に入った。
「ねぇ、お金勿体なくない?」
「全然。恩返しは大事だからね。」
「そうだね。ダーリン、優しい。」
「ふふ。」
「ねぇねぇ、このノート欲しい。」
彼女は猫の絵が描かれたノートを持ってきた。
「いいよ、それとペンも必要かな。」
「ぺん?」
「そうそう、ペンはこっちに売ってるかな…?」
本屋を少し探してみるとたくさんのシャープペンシルが並んだ場所があった。
「ほら、好きなの選んで。」
「えー!!たくさん可愛いのがある…!!」
「ふふ、2本までだよ。」
「わかったぁ。」
そして少しの間悩んだあと、木のようなデザインのシャーペンと猫のイラストがたくさんデザインされたシャーペンを選んだ。
「この2本がいい!」
「了解。」
「わーい!」
「ふふ。なんか子供みたい。」
「なっ、こんにゃろ。」
僕たちは必要なものを揃えた後、レジへ行き会計をする。
「シャーペンが2点、シャー芯が3点、小説が1点、ノートが2点…」
「…ねぇ、これ欲しい。」
彼女が指さしたのはレジ前にあるチョコレートのお菓子だった。
「いいよ。すみません、これもお願いします。」
「はい、チョコレートが1点。合計で2350円になります。」
彼女が少し不安そうな目で見つめてくるので、僕は安心させるように言った。
「今日は僕が払うから大丈夫だよ。」
そう言うと彼女は安堵のため息をついた。
「ちょうどお預かりいたしまーす。ありがとうございましたー。」
そして会計を済ませると2人で本屋を出て、待ってくれていたタクシーの中に乗った。
「お待たせしてごめんなさい。」
「いやいや、いいんですよ。さて、帰ります?」
「はい、お願いします。」
それから少しして、おじさんと軽く会話を交わしながら家の前に着いた。
「ありがとうございます。」
「はいよ、お会計2600…あ、いや2300円ね。」
「…メーターには2600円って書いてますよ?」
「まぁまぁ、2300円でいいんですよ。」
「…じゃあお言葉に甘えて。」
「いいえ、また今度ゆっくりお話しましょうね。」
「また”今度”………。」
「運転手さん。」
彼女は運転手に耳打ちをした。何を言ったのかは分からない。けれど、多分大事なこと。
「あぁ…えぇっと…そう…でしたか。」
「……?」
「お兄さん、悔いのないように。」
「あ、ありがとうございます…?」
「じゃあ、また会えたらね。」
そう言うとタクシーは去っていった。
「何言ったの?レイナ。」
「…なんでもないよ。」
そう返事をする彼女の表情が少し曇っていて、心配になったが、大体伝えるものなど予想がついた。だから、これ以上は詮索しないことにした。
「ねぇ…。」
彼女は少し涙目になりながら言った。
「私、ちゃんと勉強できるかな?」
予想とは違う彼女の心配事に少し驚きつつも、優しく言葉を返した。
「大丈夫だよ、簡単だから。」
そして家のドアを開けて買ってきたものを机の上に置いていると、既に彼女は布団の中に潜り込んでいた。
「こら、レイナ。」
「…んーん。」
どうやら勉強したくないらしいので、掛け布団を勢いよく引き上げて無理やり起こした。
「寒っ!!!」
「勉強するよ。」
「やだぁ。」
「はやく。」
「うー…。」
「いいから。」
「うぅ…。」
彼女はついに押し負けて大人しく机の前に座り、ノートを広げた。
「…ねぇ、これどうやって使うの?」
「あぁ、えっとね…」
どうやら彼女はペンを初めて使うようで、丁寧に持ち方を教えてあげた。
「そしたら、そのままノートに何かかいてみて?」
「うん…。」
カキカキ…
レイナはノートに黒い丸を描いた。
「できた!」
「…これは?」
「お金!」
「ぶっ。」
あまりにも予想外のものを描いていて思わず吹き出してしまった。どうやらこれは硬貨を描いたつもりのようだった。
「そしたら…まずは自分の名前を書けるようになろうか。」
「私の名前…レイナ?」
「そう。ひらがなで書くと…」
僕はノートに少し小さな文字で れ い な と書いた。
「これが…私の名前!」
「そうだよ。真似して書いてみて?」
彼女は頑張って真似しようとしたみたいだったが… れ がどうにも上手くいかないようだった。
「うーん、こうじゃない…こう?こ、こう??」
「…まず線を縦に書いてみて。」
「うん。」
「そしたら、そこから横に引いて、斜め下に引いて…ってゆっくり繋げていくと書けるよ。」
彼女は拙い文字で れ と書くと、まるで世紀の大発見をしたかのように大喜びした。
「私の名前書けた…!」
「いとなも書かなきゃ名前にならないよ…。」
「ふふ、わかったぁ!」
彼女はそのまま れいな とノートに書いた。
「これが私の名前!」
「そう、初めてにしては上手だね。」
「えっへん。」
「じゃあ次はカタカナで書いてみようか。」
「うん!」
「カタカナで書くと…」
僕はノートに レ イ ナ と書いてみせた。
「簡単そう…!」
「真似して書いてみて。」
彼女は拙い文字で レイナ と書いた。
「書けた!」
「ふふ、上手!」
「わーい!」
「じゃあ次は本格的に漢字と算数をやっていこうか。」
「わかった…!」
そして数時間ほどかけて彼女に簡単な漢字と算数を叩き込んだ。彼女は最初ずっと頭に「?」を浮かべていたようだったが、終わる頃には理解したという達成感に浸っていたようだった。
「これで基本的な漢字と加減乗除はできるようになったね。これが分かるだけでだいぶ違うはずだから。」
「うん…!ありがとう、いっぱい教えてくれて。」
「全然大丈夫だよ。」
「…ダーリンって、意外と頭が良いんだね。」
「ふふ、そんなことないよ。」
「嘘だー。」
「嘘じゃないよー。」
「ねぇ、ゲームは?」
「ゲーム?あぁ、するって約束したね。」
「うん!何のゲームするの。」
「んー…簡単にできるやつならボードゲームかな。」
「じゃあ、それやる!」
「わかった。少し待っててね。」
数年前に買ってから一度も使う機会がなく、タンスの奥底にずっと眠っていたオセロを取り出した。
「うわぁ…ちょっと埃被っちゃってる…。」
埃を軽く払って、中身だけ取り出して箱はすぐさまゴミ箱に投げ込んだ。幸い、中身は新品同様に綺麗なままだった。
そしてオセロのステージを机の真ん中に置き、机を両方で挟むようにして2人で向かい合って座った。
「さて、ルールを簡単に説明すると…僕は白、レイナは黒の石を打つ側で………」
簡単にルールを説明して確認した後、初めての対決を始めた…。
数分後
「よーし!また私の勝ちっ!」
「…本当に初めてだよね?」
「もちろん初めてだよー!」
彼女は初めてにも関わらず、10回戦して9勝1敗だった。最初はルールが曖昧で僕が強く出ることができたが、2回戦目からは瞬く間に端を取り、最終的に打つ手が無くなるまで追い詰められた。
「強いよ…。」
「私、もしかして天才かも。」
「十分天才だと思うよ。」
「ふはは…!」
「楽しんでくれているようでよかったよ。」
「これ楽しい。また今度時間空いたら一緒にやろう?」
「いいよ、また今度ね。」
「うん!」
そしてオセロを片付けた頃にはもう8時を回っていた。
「もう夜か…早いなぁ。」
「ね、あっという間。」
「…読み聞かせ、する?」
「してくれる?」
「もちろん。」
「やったぁ!」
そして彼女と一緒に布団に入った後、僕は本屋で買った短編小説を取り出して読み聞かせを始めた。
本の内容は…正直あまり分からなかった。最初は意気揚々と読むことが出来ていたが、読んでいくうちに眠くなってきて、多分20ページ目をめくる頃には既に僕も彼女も寝落ちていたと思う。おやすみ、レイナ。また明日。




