6. 殴ってもいいんですか?
「殴りかかってすみません……」
「いい筋だ。気にしていない」
私は冷や汗が止まらないのに、ライアン様は手をグーパーして、謎に頷いています。
「……聖女よりも戦士の方が向いていないか?」
「自分でも薄々感じてました」
真顔で答えてしまいました。どうやら、殴られた時の感覚を思い出して考察していたようです。
……そんなことより、もっと衝撃的な場面に出会したはずでは?
「ライアン様、あの、怒らないのですか? 人を癒す聖女とは程遠い行いですけど」
私の切実な問いに、ライアン様は不思議そうに答えます。
「怒る? まさか。あの殴り飛ばしの武闘会を見てから誘っているんだ。逞しいのは悪いことじゃない」
何も考えず喜ぶべき場面だとはわかりますが、ライアン様相手に空気を読む必要性はありません。私は考えます。
昨日出会ってから今この時まで、ライアン様は合理的で、紳士で、苦労人で、筋肉で、すごく良い人だと思っていました。
でも、あれ? この人、少しおかしくないですか?
……自暴自棄になった暴力聖女を雇う、引き抜き防止のためとはいえ、それも妻としてって、凄いことなのでは??
「えっと、ライアン様が危険な目に遭った時は守りますね……?」
「なぜそうなる。そこは守らせてくれ」
ライアン様は困ったように笑うと眉が寄って、八重歯が見えます。宥めるように頭を撫でられました。妹さんなどによくやっているのか自然で、少し雑で。撫でられたのなんて初めてです。
「俺は聖女を雇ったわけじゃない。エステルを雇ったんだ」
ライアン様はなんてことのないことのように仰いながら、路地裏から出るように促します。
大通りに戻ると、うっすらと春の匂いのする暖かい風が吹いていました。
「ライアン様って、変ですね」
「よく言われるが、エステルには言われたくないな」
昨日の今頃は、笑顔を張り付けて、空気を読んで、無理して誰かを癒していたのに。
こんな穏やかで居心地の良い生活で良いのでしょうか。
ぼけっと眺めていると、目の前で大きな手が上下に揺れています。
「生きてるか?」
「生きてます」
ライアン様のおかげで現実に戻れました。とうに過ぎた感傷に浸る必要はありません。
「うん、じゃあ、買い物を終えて移動するぞ。辺境伯家まではまだまだ遠い」
「そうですね。お尻が三つに割れないようにクッションも買いましたし」
……結局、クッションはあまり役立ちませんでした。
馬車に乗って、酔って、馬車を止めてもらって、吐いて。横になっても気分が悪く、とはいえ一人で座ってもいられないので、ライアン様の膝の上で過ごしました。白目を剥いた元聖女が麗しの辺境伯にあやされている図です。
昨日から、色々な王道をぶち壊している気がします。
「うぇぇぇぇ……」
「やはり手前の町の宿に泊まろう」
「うぇぇぇぇぇぇ……」
「早く領地に着きたいと言われても、健康第一だろう」
私がずっと「うぇうぇ」言ってるものですから、ついには「うぇ」だけで会話できるようになりました。
「昼間にピンピンしていたのがおかしいのであって、今までの生活を考えればごく自然だ。気に病むことはない」
「うぇーーーー」
「うえーーーーと抗議されてもな」
早く王都から遠くに行きたいし、どうせ今後も馬車に乗るのならさっさと進んでしまいたい私と、私の健康を気遣い、ゆっくり進むことを提案するライアン様。
それでも結局また馬車を止めてもらって、地面に足をつけます。グラグラが和らいで、生き返ります。
馬が心配そうに擦り寄ってきました。いい子達です。
「大丈夫、大丈夫。たくさん止めてごめんなさ……ん?」
馬を撫でている時に気づきました。馬車の中で酔うのなら、馬に乗ればいいのです。
「ライアン様!」
「いい笑顔だが、まずは試乗してみてだろう」
「あの、ツッコミはいないんですか?」
御者が顔を出しました。ツッコミ……はよくわかりませんが、これで解決すれば、すぐに辺境伯領に帰れますよ!




