22. 知らない
「え……?」
ライアン様は私をきつく抱き寄せ、自分の身を盾にして守ります。
腕の中で、何が起こったのか、何もわかりませんでした。
「全員、無事か!?」
人為的なものとは思えない惨状に、思わず手で口を覆います。
「エステル、落ち着け。見なくていい。エステル」
ガラスの破片が粉々に、人を避けた形で散らばっています。晴れていたはずの空は雲で濁り、割れ目から一筋の光が差します。目の前のステンドグラスの、女神様と妖精だけが割れずに煌めいていました。
「なん、で……」
耳鳴りがうるさくて、どこか遠くで変な音がします。なぜか苦しくてたまりません。
女神様は、いいえ、妖精は、私を祝福していない。妖精って、何。聖女って、何。わたしって、何……。
「エステル!」
体が揺れました。真っ暗だった視界がぼんやりと開けて、赤金が私を見つめています。
「……ヒュッ」
名前を呼ぼうとしたのに、水路で溺れた時のように、口から声が出ませんでした。息を吸おうとしたのに、喉から出るのは変な音だけで、苦しさが増します。
「返事はしなくていい。大丈夫だ。大丈夫だから、座って、俺の指示通りにただゆっくり息を吐いてくれ」
吐いて。吐いて。吸って。吐いて。吐いて。吸って。
ライアン様に合わせて単調に繰り返していると、次第に落ち着いてきました。体から力が抜けて、その場にへたり込んだところを、ライアン様が抱き上げてくれました。
「怪我人はいないな。ガラスを踏まないように避難するように」
重いドレスです。それでもライアン様は軽々と持ち上げて、淡々と指示を出し、無事に避難が終わりました。私はただライアン様にしがみついて、本能的な恐怖から、目を逸らすしかありませんでした。
皆が心配そうな不安な顔をしています。ライアン様たちは薄々感じながらも、わかっていません。
「ライアン様、妖精についての書物、知識を持つ人を集めてください」
私には、やらなければならないことがあります。
「まだ外部の犯行ではないと決まったわけでは……」
これはきっと、私のせいで、私にしかわからないこと。
「いいえ。これは、人がやったのではありません」
初めてヴェクサン家に来た時に知った、原初の神話。その中に出てきた、選ばれた子供にしか見えない、悪戯好きで人の世をかき乱す妖精。王都では忘れた去られた存在。
「妖精の、警告です」
私を嫌う彼らの仕業。それはつまり、私しか解決できないことです。
ライアン様は顔が険しくなります。優しい人です。
「……確かに不可解ではある。一応呼ぶが、あまり気負いすぎないでくれ」
ライアン様が私の手を握りました。何度も安心してきた暖かさに、虚勢が剥がれて、強い力をもらいました。
屋敷の応接室に文献が運び込まれ、司教や研究者が集まります。
妖精は未知の部分が多いですが、それでも。
「我が領の山には、妖精を祀った神殿があります。聖女様なら、もしかしたら」
一番欲しかった情報は得られました。
広げられた地図を早々に丸め、席を立つ私を、ライアン様が止めます。
「待て、どうするつもりだ」
「少しでも可能性があるのなら、会いに行きます」
「なぜ」
「……なぜって、聖堂も、式も大変なことになったんですよ!?」
私の手首を掴む力が、強くなります。
理由なんて、ライアン様もわかっているはずです。なのに、どうして……。
「そうじゃない。俺には、エステルが追い詰められているように思える」
「っ!」
私を見透かす目に、言葉が詰まりました。
なんとかしなくてはならない。これ以上迷惑はかけられない。でも、それだけでは、ない。ライアン様には、隠し通せない。
「わたし、何もしらないんです……」
女神様の声が聞こえたことは一度もありません。誰から生まれたのかも、なぜ癒しの力を持っていたのかも、神託も、本当に聖女なのかすら、もう。
「怖い……怖いんです……」
そう、私は、怖い。このままでいるのも、大切な人が傷ついてしまうかもしれないのも、何もかも。
「ライアン様。お願いですから、行かせてください」
危険かもしれません。それでも、このままでいるよりもずっといい。
私を愛してくれる人の優しさを跳ね除けるのが辛くて、顔があげられなくて、下を向いたまま、私は必死に懇願しました。
「わかった。俺も行こう」
降ってきたのは、予想外な返答でした。




