第8話 生意気貴族ローラン様
「そこだ、タケル! 宮廷夜会における挨拶の際、右手の角度は三十度、目線は相手の眉間のやや下だ。闘気を漏らすなと言っているだろう、床が細かく振動しているぞ!」
「うえぇぇん、シリウスお兄ちゃん……じゃなくてシリウス先生! 姿勢を固定するだけで勝手に闘気バリアが発動しちゃうんだよぉ!」
我が家のリビングは、今日も今日とて熱血進学塾のような熱気に包まれていた。
三十歳独身OLからこの『ドラゴンクロニクル』の世界へとスピード出産転生を果たした私、鈴木カオリの前に、第一王子ファン殿下が王立学校初等科への入学招待状を持ってきたのが先月のこと。
六歳になった双子の将来のため、私は一大決心を固め、我が家に行き着いた実年齢六百歳超のエルフ大魔導士・シリウスさんを家庭教師に迎えて「お受験戦争」へと突入していた。
「……ふん。タケルは相変わらず身体操作が雑だな。シリウス先生、古代帝国語の第三文型における魔力付与の例外処理、こちらの記述で間違いありませんか?」
「どれ……。素晴らしいな、エヴァ! 完璧だ。複文の構造まで完全に理解している。六歳児の脳のキャパシティではないな」
黒髪の次男エヴァは、魔王のハイスペックな知能をフル活用し、すでに大人が読むような魔導書をサクサクと読破していた。彼の背後で蠢く闇のオーラ(便利触手)が、辞書を自動でめくっている。相変わらずのツンデレマザコンだが、お受験においては超優等生だ。
「よし、本日の座学はここまで! さあカオリ殿、本日の私への、いや私と生徒たちへの報酬である【オムライス】の提供をお願いできるだろうか! この日のために私は朝から胃袋のマナを空っぽにして調整してきたのだ!」
シリウス先生が白銀の長髪を美しく翻しながら、翡翠色の瞳を爛々と輝かせてキッチンを覗き込んできた。伝説の大魔導士の威厳は、我が家の日本食の前に完全敗北し、今やただの給食を心待ちにする大型犬のようになっている。
「はいはい、お疲れ様でした! 今ちょうど、ふわふわの半熟卵の上にケチャップで可愛いララ先生のイラストを描いた特製オムライスが人数分できたわよ!」
「うにゃ(私の顔をケチャップで汚すのは感心しないが、スプーンで崩して食べる分には極上の味わいだにゃ。早くよこすにゃ)」
私の足元から、流暢な日本語で催促してきたのは、前世からの相棒である三毛猫のララ先生だ。我が家の絶対的権力ピラミッド第二位の最高軍事顧問も、オムライスの前にはただの食いしん坊猫である。
「わーい! おかーたんのオムライスだ!」
「……お母さん、僕の卵の半熟加減、完璧だね。やはり世界で一番お母さんを愛しているのは僕だ」
タケルとエヴァが嬉しそうにスプーンを動かす。こうして美味しいご飯を食べている時は普通の可愛い六歳児なのだが、明日はいよいよ、王都で開催される「王立学校初等科・合同模擬試験」の日だった。田舎の村で育った二人が、どれだけ通用するのか、母親としては少しドキドキしていた。
翌日。私たちはファン王子から手配してもらった馬車に乗り、中央聖王国ミッドガルドの王都へとやってきた。
王立学校の巨大な白亜の校舎の一角、模擬試験の待合室には、きらびやかな衣装を身に纏った貴族の子息たちが大勢集まっていた。誰もが家庭教師を引き連れ、お受験独特のピリピリとした「エリートの空気」を醸し出している。
「あらあら、みんな高そうな服を着てるわねぇ……」
私が場違いな総務部目線で周囲を見回していると、タケルとエヴァの前に、一人の少年が立ちはだかった。
完璧に切り揃えられた艶やかな金髪に、プライドの塊のような鋭い琥珀色の瞳。仕立ての良い高級な青い外套を羽織り、六歳にして既に「エリート貴族」のオーラを完璧に放っている美少年だった。
(あ、あ、あの顔……! 間違いないわ、『ドラクロ』原作で、将来勇者タケルの【生涯のライバル】として登場する貴族の天才魔導士――【ローラン】じゃないのぉぉぉぉ!!)
私の限界オタク脳が瞬時に叫んだ。
原作でのローランは、名門貴族の跡取りとしてのプライドが高く、最初は田舎者としてタケルを見下し、学力や魔力で激しいマウンティングを仕掛けてくる生意気ライバルキャラだ。しかし、中盤のイベントでタケルと共闘し、巨大なドラゴンを協力して倒すという胸熱な展開を経て、不器用なツンデレ相棒へとデレる人気キャラの一角である。
「ふん、見慣れない顔だと思えば、辺境のルミナ村とかいう泥臭い田舎からわざわざやってきた平民か」
ローランがちっちゃな腕を組み、ふんす、と鼻を鳴らした。六歳の子供らしい生意気さ全開のマウンティングである。
「僕の名前はローラン・フォン・アルベルト。この若さで古代帝国語の基礎文法を修め、魔力測定でも並の大人を超える数値を叩き出した、アルベルト公爵家の次期当主だ。ファン殿下が直々に招待状を送ったというからどんな天才かと思えば、ただの芋臭い双子じゃないか。王立学校は、君たちのような平民がママのスカートの裾を掴みながら通うような甘い場所ではないよ」
ローランの後ろには、いかにも高級そうな老魔導士の家庭教師が控えており、「ローラン様の言う通りですな」とフンぞり返っている。
「ちょっと、そこの金髪の男の子」
私が母親として割って入ろうとした、その時だった。
私の足元にいた双子の空気が、一瞬にして変わった。
「……なんだ、あの金髪」
長男タケルの澄んだ青い瞳が、すっと細められた。彼の身体から、無意識のうちに黄金の『勇者の闘気』がパチパチと漏れ出し、周囲の空間の気圧が目に見えて急上昇していく。
「ふん……。お母さんのスカートの裾を掴むことの何が悪い。それはこの世界において最も神聖で至高の権利だ。それを侮辱するとは、万死に値するぞ、虚飾の貴族」
次男エヴァの瞳が妖しく深紅に輝き、彼の背後の影から、ゾワリとするような漆黒の『魔王の威圧』が滲み出た。
ドクン……!と、待合室全体の空気が物理的に重くなる。周囲の貴族の子供たちが「ひっ……!?」と声を漏らして後ずさりし、ローランの後ろの老家庭教師も「な、なんというプレッシャーだ……!?」と冷や汗を流し始めた。
しかし、流石は将来のライバルキャラ・ローランである。彼は双子の放つ恐るべき覇気に気圧されそうになりながらも、グッと足を踏ん張り、琥珀色の瞳をぎらつかせて言い返した。
「は、覇気だけで僕を威圧できると思うなよ! 王立学校の試験は魔力だけではない、知識の戦いだ! 君たち、古代帝国語の動詞の不規則変化がいくつあるか答えることすらできないだろう!」
「……不規則変化? 基本の七十二種と、魔導詠唱における特例の二十四種、合わせて九十六種だ。そんなものは生後半年(※実際は五歳)で暗記する基礎知識だろう。ついでに言えば、君のその外套の刺繍、古代語の文法が第三格の解釈を誤っているぞ。そんな間違った魔導衣を着て恥ずかしくないのか?」
エヴァが、シリウス先生のスパルタ授業で培った超マニアックな脳内知識をマシンガントークで披露し、ローランの学力を一瞬で完全論破した。
「な、何だと……っ!? この僕の間違いを指摘するなんて……!」
「それに、魔力だって僕たちの方がすごいもん! シリウスお兄ちゃんとの『魔法かけっこ』なら、僕、いっつも森の木を十本まとめて吹き飛ばしてるよ!」
タケルがちっちゃな拳を握りしめて無邪気に言い放つ。五歳児の「かけっこ」の規模が戦術兵器レベルだ。
「き、木を十本だと……!? そんなデタラメを信じるわけが――」
「おいおい、そこまでにしてもらおうか、少年」
ローランが言い返そうとしたその瞬間、私たちの背後から、サラサラと白銀の髪をなびかせた高身長エルフ――シリウス先生が静かに歩み寄ってきた。彼は翡翠色の瞳でローランの後ろの老家庭教師を一瞥し、フッと爽やかに微笑んだ。
「私の愛弟子たちの学力と魔力に疑いを持つのは勝手だがね、アルベルト家の家庭教師殿。私が半年間、カオリ殿の【生姜焼き】と【唐揚げ】の栄誉を賭けて叩き込んだ二人の知識は、そちらの机上の空論とは格が違うよ」
「し、シリウス様……!? なぜ伝説の大魔導士が、このような平民の子供の家庭教師を……!?」
老家庭教師はシリウスの姿を見た瞬間、腰が抜けたようにガタガタと震え出した。王都の最高峰の魔導士にとって、シリウスは歴史の教科書に載っているレベルの絶対的な雲の上の存在なのだ。
「ローランと言ったかね。君もなかなかの魔力の持ち主だ。だが、私の生徒たちに挑むには、まだ百年……いや、五百年ほど早かったね」
「くっ……う、うるさい! 模擬試験の本番で勝負だ! 僕が君たち平民の双子に、本当の貴族の力を見せつけてやるからな!!」
ローランは顔を真っ赤にしてフンとそっぽを向き、大股で試験会場へと去っていった。そのちっちゃな後ろ姿は、生意気ながらも、負けず嫌いなライバルとしての魅力に溢れていた。
「うにゃ(なかなかの骨のあるガキだにゃ。将来、タケルと良いコンビになりそうだにゃ)」
私のバッグの中からこっそり顔を出したララ先生が、満足そうに日本語で呟いた。
その後、始まった模擬試験の本番。
タケルとエヴァの二人は、まさに「圧倒的無双」を展開した。
筆記試験において、エヴァは開始十分で全ての古代語と高等算術の問題を解き終え、残りの時間を「お母さんの似顔絵」を問題用紙の裏に描くことに費やした。
実戦魔力測定において、タケルが測定用の魔導水晶に小さなおててをポンと触れた瞬間、水晶が黄金の輝きに耐え切れずパリンと粉々に爆発し、試験官たちが「ひゃあああ!? 測定不能だぁぁぁ!?」と絶叫する大騒ぎになった。
そして昼休み。
試験会場の裏庭のベンチで、私は持参した特製の重箱型お弁当箱を広げていた。
「はい、二人ともお疲れ様! 午前中のテスト、よく頑張ったわね。お昼ご飯はね、みんなが大好きな【いなり寿司】と、シリウス先生の大好物の【厚焼き玉子】よ!」
「わーい! おかーたんのお弁当!」
「……さすがはお母さんだ。この甘酸っぱいお米の味付け、緊張した脳細胞に最高のマナが補給されるよ」
「おぉ……カオリ殿、この黄色いフカフカした卵料理(厚焼き玉子)の出汁の深みは一体何なんだ……! お受験講師を引き受けて本当に良かった……!」
みんなで仲良くお弁当を突っついていると、少し離れた木陰から、じーっとこちらを覗き込んでいる金髪の影に気づいた。ローランだった。
彼は高級な貴族用の冷えたサンドイッチを片手に持ちながら、私たちの楽しそうな笑い声と、お弁当から漂う醤油と出汁の香ばしい匂いを、羨ましそうに(しかしプライドのせいで眉間に皺を寄せながら)見つめていた。
「あら、ローランくんじゃない。もしよかったら、一緒に食べない? お弁当、たくさん作ってきたから余ってるのよ」
私が優しく声をかけると、ローランはハッとして身体を強張らせ、フンとそっぽを向いた。
「こ、断る! 貴族の僕が、そんな平民の怪しい泥臭い料理を口にするわけが――」
「おい、金髪」
エヴァがお箸でお肉を掴んだまま、冷徹な声でローランを見つめた。
「お母さんの料理を『怪しい』と言ったな。その不敬、万死に値する。……だが、君のそのお腹の虫の音を聞くに、素直に認めれば一切れ分けてやってもいいぞ」
ぐぅぅぅぅ……と、ローランの下腹部から、可愛い音(腹の虫)が響いた。ローランは耳まで真っ赤にして俯く。
「……ローランくん、はい、どうぞ」
私が笑顔で、いなり寿司と厚焼き玉子をお皿に乗せて差し出すと、彼はプライドと食欲の激しい葛藤の末、震える手でそれを受け取った。
はむ、と小さな口で厚焼き玉子を噛みしめる。
「――っ!?」
ローランの琥珀色の瞳が限界まで見開かれた。
「な、何だこの優しい甘みと、奥深い旨味の奔流は……っ!? アルベルト家の専属シェフの料理よりも、遥かに身体の芯に染み渡る……! 美味い……美味すぎる……!」
「でしょ? お母さんのご飯は世界一なんだから!」
タケルが自慢げに胸を張る。ローランは無我夢中でいなり寿司をかき込み、食べ終えると、少しだけ素直な目で私を見つめた。
「……カ、カオリ殿、と言ったか。……今日のところは、この美味な料理に免じて、君たちの平民らしからぬ無礼を許してあげるよ。……でも、試験の結果では絶対に負けないからな!」
「ふふ、楽しみにしているわね、ローランくん」
私は微笑みながら、彼の金髪を優しく撫でてあげた。ローランは「な、なにするんだ!」と赤くなって手を振り払ったが、その表情には先ほどの刺々しさは消え失せていた。
夕方、模擬試験の全日程が終了し、速報値として順位が発表された。
【第1位:エヴァ(筆記満点・魔力特級)】
【第2位:タケル(筆記高得点・魔力測定不能)】
【第3位:ローラン・フォン・アルベルト】
「く、くそぉぉぉぉーーー!!! この僕が、平民の双子に負けて3位だとぉぉぉ!!」
掲示板の前で、ローランが悔し涙を流しながら絶叫していた。
タケルとエヴァは、そんなローランの横をトコトコと通り過ぎながら、フッと不敵に笑いかけた。
「ローラン、君もなかなかやるね! 3位なんて凄いよ! 学校に入ったら、今度は剣の試合で勝負しようね!」
「……ふん。僕の引き立て役としては及第点だ、ローラン。入学するまでに、もう少しその貧弱な魔力回路を鍛え直してくるがいい」
「な、何だと……っ!? 入学したら絶対に君たちを追い抜いて、僕が学年首席になってやるからな! 覚えていろよ、タケル、エヴァ!!」
ローランは涙を拭いながら、力強く宣戦布告をして去っていった。
原作ゲームの鬱展開では、タケルは孤独の中でライバルたちと衝突し、心をすり減らしていた。だが、今ここに成立したのは、過酷な敵対関係などではなく、「お母さんの美味しいお弁当」を通じて少しだけ心の距離が縮まった、健全で熱い【ライバル関係】の第一歩だった。
「にゃ。これで完璧なフラグ構築で大団円だにゃ。あとはカオリが、来年の入学本番に向けて、さらに料理のレパートリーを増やすだけだにゃ」
馬車の中で、ララ先生が満足そうに喉を鳴らす。
「ええ、もちろんよ! 王立学校に入学したら、ローランくんも我が家の手料理(胃袋無双)の常連にして、将来のドラゴン共闘イベントをさらに熱くハッピーに書き換えてあげるわ!」
「おぉ……カオリ殿、次なる未知の料理【はんばーぐ】の提供時期について、そろそろ具体的な日程の協議を――」
横でシリウス先生がまた涎を堪えながらおねだりしてきた。
光の勇者タケル、闇の魔王エヴァ、伝説のエルフ大魔導士、そして生意気だけど可愛いライバルのローランくん。
すべての運命のキャラクターたちが、私のおいしい家庭料理の元で、少しずつ、けれど確実にハッピーな未来へと引き寄せられていく。
鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、迫る王立学校への入学本番に向けて、さらに美味しく、そして最強のマザコンパワー全開で突き進んでいくのだった。




