第9話 父という名の不可侵領域
「さあ、皆さん! いよいよ王立学校初等科の最終関門、三次試験の『個人面接』が始まりますよ!」
白亜の王立学校、その大講堂に響き渡る明るい女性職員の声。
前日の第一次試験(実戦魔力・属性適性測定)、そして第二次試験(古代帝国語・高等算術の筆記試験)という、一般の受験生にとっては悪夢のような難関を、我が家の双子――長男タケルと次男エヴァは、まさに史上最速のスピードで「軽々クリア」してしまっていた。
第一次の魔法試験では、タケルが試験官の予想を遥かに超えた黄金の『勇者の闘気』をほんの少しうっかり漏らしてしまい、測定用の魔導水晶を粉々に爆散させた。エヴァに至っては、出題された最上級の元素分解魔法を「あ、それ昨日シリウス先生が三秒で教えてくれたやつだ」と呟きながら、指先一つで完璧に再現し、試験官たちを失神寸前まで追い込んだ。
続く第二時の筆記試験でも、エヴァは開始十分ですべてを解き終えて裏面に私の似顔絵を描き、タケルもシリウス先生のスパルタ授業の成果を発揮して高得点をマーク。ライバルのローランくんが「くっ……! なぜあの田舎者どもはこんなに頭がいいんだ……!」と悔し涙を流しながらも、無事に上位合格を果たしたことは言うまでもない。
そして迎えた、最終関門の第三次試験――『個人面接』。
待合室の硬い椅子に座りながら、私は自分のエプロンの裾をギュッと握りしめていた。
「にゃーお(カオリ、そんなに緊張してどうするにゃ。あんな規格外のバケツ一杯の魔力を持った怪獣どもが、面接ごときで落とされるわけがないにゃ)」
私の足元で、愛猫のララ先生が優雅に毛繕いをしながら、いつもの気だるげな日本語でツッコミを入れてくる。
「だ、だってララ先生! 筆記や実技なら気合で乗り切れるけど、面接って何を聞かれるか分からないじゃない! 『特技は何ですか?』って聞かれてエヴァが『次元の狭間に野菜を追放することです』とか答えちゃったらどうしよう!」
「……お母さん、僕はそんな不真面目な回答はしない。面接官の心理的プロファイリングを完了しているからね。王国の理念に則った模範解答を十七パターンほど脳内で構築済みだ」
隣の席で、漆黒の髪を綺麗に整えた次男エヴァが、どこか冷徹に、しかし心なしか誇らしげに言い放つ。その背後では、なぜか「合格祈願」と書かれた魔導の影がうねうねと祝福のダンスを踊っていた。
「うん! タケルね、面接官のおじいちゃんが優しかったら、お母さんの手作りの【からあげ】の美味しさについて熱く語るって決めたんだ!」
反対側で、赤髪のタケルが黄金の闘気をパチパチと弾かせながら元気よく宣言する。
――頼むから面接で唐揚げの布教活動だけはしないでちょうだい。お母さん、胃が痛くなりそうよ。
「おい、平民の双子」
ふと、横からツンとした声が飛んできた。
振り返ると、昨日の模擬試験で3位だった金髪の少年・ローランくんが、高級な外套をピシッと着こなして立っていた。彼の顔には相変わらず生意気な笑みが張り付いているが、その目はどこか真剣だった。
「……なんだ、金髪」
エヴァがギロリとローランを睨みつける。
「勘違いするなよ! 僕はね、今回の面接で試験官の度肝を抜いて、首席合格をもぎ取る予定なんだからね! 君たちみたいな田舎者に一番の座を譲る気なんて毛頭ないからな!」
相変わらずのツンデレ全開なライバル宣言に、私は思わずフフッと微笑んでしまった。
「ローランくん、頑張ってね。応援してるわ」
「っ……! な、馴れ馴れしいぞ、平民のおば……お姉さん! ――とにかく、面接室で後悔させてやるからな!」
ローランは真っ赤になりながら、自分の受験番号の順番が来て、面接室へと早足で消えていった。
*
「次、受験番号三四番、タケル・鈴木! 受験番号三五番、エヴァ・鈴木!」
ついに、我が家の双子の番がやってきた。
「「はい!」」
シリウス先生から叩き込まれた宮廷マナー通り、背筋をピンと伸ばして美しい角度で一礼し、タケルとエヴァは重厚な木の扉を開けて面接室へと足を踏み入れた。
――ガチャリ、と扉が閉まる。
待合室に残された私は、祈るような気持ちで両手を組んだ。
(大丈夫、二人なら絶対にやれるわ……!)
その頃、広々とした面接室の中では、想像を絶する「重力」が支配していた。
部屋の中央に置かれた一脚の豪華な椅子。そこに深く腰掛け、片足を組んでいる老人がいた。
長く伸びた純白の髭、幾多の修羅場を潜り抜けてきたことを物語る隻眼の猛禽類のような鋭い眼光。そして何より、その老人が発している魔力は、これまでの試験官たちとは次元が違っていた。
空間が、彼の呼吸に合わせてミシミシと軋んでいる。
彼は、中央聖王国ミッドガルド王立学校の現役校長にして、大陸最強の魔導士と謳われる伝説の男――【シャンタク】その人であった。
(……ほう)
シャンタク校長は、目の前に並んで立った六歳の双子をじっと見据えた。
彼の「鑑定眼」は、一目見ただけでこの子供たちの異常性を理解していた。右の赤髪の少年からは、世界を救う聖剣の如き神聖なる光の闘気が、左の黒髪の少年からは、すべてを滅ぼす漆黒の魔導の底知れぬ深淵が立ち昇っている。
通常の人間であれば、この部屋に入った瞬間におののき、気絶しているか、あるいは恐怖で泣き出しているはずだ。しかし、この双子は違う。お互いの手をギュッと繋ぎ合い、まったく怯える様子もなく、むしろ「早く終わってお母さんのところ(唐揚げの待つ家)に帰りたいな」という空気感を漂わせている。
「……座りなさい」
シャンタクの低く、地底から響くような声が講堂の空気を揺らした。
「失礼します」
エヴァが完璧なマナーで椅子に腰掛け、タケルもそれに倣う。
「一次の魔法試験、二次の筆記試験、ともに満点どころか規格外の成績だ。君たちの才能に疑いはない。王都の貴族の子息たちも君たちには敵わなかったな」
シャンタクはふっと髭を揺らして笑ったが、その眼光はすぐに鋭さを増した。
「だがね、私が君たちをこの学校に受け入れるにあたって、一つだけ……どうしても気になっていることがある。いや、私の個人的な『疑問』と言ってもいい」
双子はピクリと眉を動かした。
「校長先生、質問は何ですか? 難しい計算ならエヴァが全部答えます!」
タケルが元気よく手を挙げると、シャンタクは苦笑しながら首を横に振った。
「学問的なテストではないさ。……私が聞きたいのは、君たちの『身元』についてだ」
シャンタクの翡翠色(あるいはそれより深い古の魔力の色を宿した)瞳が、じっと双子の目を射抜く。
「提出された戸籍によれば、君たちは辺境のルミナ村で、母親である鈴木カオリの手によって育てられたことになっている。だがね――」
シャンタクは身を乗り出し、その圧倒的なプレッシャーを強めた。
「君たちのその膨大すぎる魔力、そしてその血脈に流れる『神話級の素質』は、いかに優れた平民の女性から生み出されたとしても、説明がつかない。君たちの『父親』は一体誰なのだね?」
――その瞬間、面接室の空気がピタリと凍りついた。
*
父。
その一文字が、タケルとエヴァの脳内に深く突き刺さった。
物心ついた頃から、彼らの世界には「お母さん」がすべてだった。毎朝美味しいご飯を作ってくれて、泣いている時は優しく抱きしめてくれて、時には厳しく叱ってくれる、世界で一番美しく、偉大な母親――鈴木カオリ。
しかし、彼らとてバカではない。物心がつき、本や他の村人たちの様子を見るうちに、一つの疑問に行き着いていた。
――僕たちのお父さんは、どこにいるのだろう?
タケルは、お友達のエミリアちゃんのお父さんや、村の大人たちを見るたびに、「自分たちにはお父さんという存在がいない」ことに薄々気づいていた。
エヴァに至っては、前世の記憶や魔王としての知識の断片から、「これほどまでに特異な光と闇の血統が、単一の人間から自然発生するなど遺伝子工学的にあり得ない」という冷徹な分析結果を頭の中で弾き出していた。
だが、その疑問を、彼らは一度も口にしたことがなかった。
なぜなら――お母さんを悲しませたくなかったからだ。
あの優しくて温かいお母さんが、ふと寂しそうな顔をしたり、「お父さんはね……」と語りづらそうに困ったりする姿を、二人は想像するだけで胸が締め付けられるような痛みを覚えた。だからこそ、その話題は彼らにとって、家庭内における「絶対に触れてはならない不可知領域」として、心の奥底に大切にしまわれていたのだ。
「……お父さん、ですか」
最初に口を開いたのは、次男のエヴァだった。
彼の背後で、常に冷静だった漆黒の魔力が、少しだけ波打っている。
「僕たちには、記憶の限り、父親という存在はいない。物心ついた時から、そばにいたのはお母さんだけだ。……それが何か?」
エヴァの声音には、いつもの冷徹なトーンの裏に、わずかなトゲが混じっていた。母親の領域に土足で踏み込んできた者に対する、魔王としての威圧感すら漂っている。
「そうか。母親一人で、君たちほどの怪物をここまで歪みなく育て上げたというのは、それだけで奇跡的だがね……」
シャンタク校長は、ふうと深々と息を吐いた。彼の隻眼には、どこか遠い過去を見つめるような、複雑な色宿っていた。
「私の知る限り、世界の歴史において、これほどまでの『光の御子』と『闇の皇子』が同時に、しかも血を分けた双子として産み落とされた例はない。片方は世界を救う聖剣の器、もう片方は世界を滅ぼす魔王の器。……そんな二つの極みが同じ腹から生まれ、同じ愛に包まれて育ったなど、神の気まぐれにしては出来すぎている」
シャンタクは立ち上がり、窓の外の王都の景色を見下ろしながら呟いた。
「彼らの父親が何者であるかによって、この世界の運命は大きく変わる。……君たちは、自分の父親が誰なのか、知りたくはないのかね?」
部屋の中の重圧が、さらに一段階跳ね上がった。
校長シャンタクの言葉は、単なる好奇心ではない。大陸の最高学府の長として、国家の安全保障に関わる重大な問いかけだった。
だが、その問いを聞いたタケルは、眉をハの字に下げながら、力強く首を横に振った。
「……そんなの、どうだっていいよ!」
「タケル?」
「僕たちには、お母さんがいればそれで十分だもん!」
赤髪のタケルは、黄金の闘気を引っ込め、子供らしい純粋な怒りと誇らしさを全開にして、校長を見据えた。
「お父さんがどんなにすごくて、強い人だったとしても……僕たちを作ったのは、毎日美味しいご飯を作ってくれて、僕たちをぎゅって抱きしめてくれたお母さんだ! お母さん以外の父親なんて、僕たちは知らないし、必要ない!」
その言葉に、エヴァも深く頷いた。
降って湧いたような父親の存在など、彼らにとっては母親の愛の前では無価値の瓦礫に等しかった。
「その通りだ、校長。僕たちのルーツは母・カオリの愛の他には存在しない。それを探ろうとする行為は、我が家の平和に対する不当な侵略行為とみなす」
六歳児の口から飛び出した「不当な侵略行為」という物騒なワードに、さすがの伝説の魔導士シャンタクも苦笑するしかなかった。
「ははは……! 参ったな。すっかり、あの母親の教育が行き届いているようだ」
シャンタクは、先ほどまでの厳格な威圧感をすっきりと消し去り、豪快に笑い声をあげた。
「いいだろう。自分のルーツよりも、目の前の母親の愛を選ぶか。……これほどまでに精神が安定し、かつ規格外のバケツを持つ双子なら、王立学校のいかなる問題児たちも逆に圧倒してくれることだろう」
シャンタクは自分のデスクに戻ると、分厚い合格通知書のスタンプを、ガチャンと力強く押した。
「合格だ、タケル・鈴木。エヴァ・鈴木。君たちの入学を心より歓迎する。……ただし、あの母親には伝えておきなさい。『あまり息子たちを美味しいご飯で甘やかしすぎると、いつか世界を救うか滅ぼすかではなく、母親の料理中毒になって国が傾きますぞ』とな」
*
「――合格ですってぇぇぇーーーっ!!?」
王立学校の応接室。合格通知書を手に持った私は、嬉しさのあまり大声を上げて飛び跳ねていた。
「やったね、おかーたん! タケル、面接も合格したよ!」
「お母さん、当然の結果だね。僕とタケルの知性とマナーの完璧さが証明されたよ」
タケルとエヴァが私の両足にそれぞれのっそりと抱きつき、嬉しそうに見上げてくる。私はもう感極まって、二人の頭をめちゃくちゃに撫で回した。
「二人とも、本当によく頑張ったわね……! お母さん、涙が出ちゃうわ……!」
「にゃ(無事に合格して何よりだにゃ。これで明日から、あの美味しい学食のパンフレットを読めるわけだな)」
足元でララ先生が優しく尻尾を揺らしている。
廊下の向こうから、シリウス先生が白銀の髪を揺らしながら歩いてきた。
「おや、合格したかい。おめでとう、タケル、エヴァ。……で、カオリ殿。合格祝いのディナーは、もちろん私の大好きな【ハンバーグ】で間違いないかね?」
「もちろんよ、シリウス先生! 今日は世界一豪華なハンバーグパーティーにするんだから!」
「やったあ! ハンバーグだ!」
家族みんなの笑顔が、王立学校の華やかな廊下に広がっていく。
――ただ、私の心の片隅には、ほんの小さな引っかかりが残っていた。
面接の最中、シャンタク校長が何を語ったのか。双子たちが「お父さん」についてどう思っているのか。
彼らは何も言わなかった。私を傷つけないように、いつものように私の腕の中に飛び込んできた。
(……私自身、身に覚えのない処女受胎からの双子出産だったわけだし、この世界の神様か何かのイタズラなのかもしれないけれど……)
だけど、そんな疑問や不安なんて、今目の前で「おかーたん、お腹空いた!」と笑っている二人の愛しい息子の温もりに比べれば、ちっぽけな砂粒のようなものだ。
父親が誰だろうと関係ない。この子たちの母親は、この私、鈴木カオリなのだから。
世界最高の魔法学校の門戸をくぐり、光の勇者と闇の魔王の学園生活が、いよいよ幕を開ける。
最強の三毛猫と、生姜焼き中毒の伝説の大魔導士を従え、鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、さらなる賑やかなステージへと突入していくのだった。




