第7話 王子とお受験戦争
「カオリ殿、本日の夕食の……その、何と言ったかな。【からあげ】という魔惑の肉料理の準備は順調だろうか? 私は既にいつでも胃袋の受け入れ体制を最適化できているのだが」
ルミナ村の我が家のリビングで、サラサラと白銀の長髪をなびかせながら、翡翠色の瞳を期待に輝かせている超絶爽やか美青年。見た目は二十代前半だが、その実年齢は六百歳を超えているというエルフ族の伝説の大魔導士――シリウスが、今日も今日とて我が家の食卓に居座っていた。
三歳の頃に『豚の生姜焼き』で胃袋を完全掌握されて以来、彼は近所の森に拠点を構え、我が家の専属ガードマン兼双子の家庭教師(主に手品感覚の魔法の遊び相手)として完全に身内化していた。報酬は私が作る日本の家庭料理である。
「はいはい、シリウスさん。今お肉を二度揚げしてカリカリに仕上げてるところだから、タケルとエヴァと一緒に大人しく待っててね」
私がキッチンから声をかけると、今年で六歳になった双子がリビングの丸椅子から身を乗り出した。
「おかーたん、タケル、からあげ十個食べる!」
「ふん……タケルは相変わらず食欲の制御ができていないな。お母さん、僕は十一個もらうよ。光の御子の摂取量を闇の皇子が下回るわけにはいかないからね」
燃えるような赤髪の長男タケルは黄金の『勇者の闘気』をパチパチと無駄遣いさせ、漆黒の髪の次男エヴァは『魔王の魔力』でマヨネーズのボトルを空中浮遊させている。相変わらずの規格外スペックだが、中身はお母さんが大好きな超絶マザコン双子に育っていた。
「うにゃ(カオリ、のんきに揚げ物をしてる場合じゃないにゃ。玄関の前に、この辺境の村には絶対に似合わない【超高級な馬車の波動】が接近しているにゃ)」
私の足元から、人間の言葉(流暢な日本語)で鋭く警告を発したのは、前世から一緒に転生してきた愛猫のララ先生だ。我が家の絶対的権力ピラミッド第二位の三毛猫将軍が、珍しく尻尾をピリッと緊張させている。
直後――トントン、と上品で、しかし力強いノックの音が響いた。
「はいはい、どなたかしら?」
私が揚げ物箸を持ったまま玄関の扉を開けると、そこにはルミナ村の素朴な風景から完全に浮き上がった、目も眩むような光景が広がっていた。
豪奢な純白の馬車から降り立ってきたのは、眩い金髪を完璧に整え、深い青の王族用礼服を身に纏った、容姿端麗という言葉を具現化したような少年だった。年齢は十歳前後だろうか。その立ち振る舞いには、幼いながらも絶対的な気品と王者の器が満ち溢れている。
「――初めまして、鈴木カオリ殿。私は中央聖王国ミッドガルドの第一王子、ファン・フォン・ミッドガルドだ」
少年――ファン王子が、非の打ち所がない完璧なロイヤルスマイルを浮かべて一礼した。
(お、お、お、王子のファン様だぁぁぁぁぁーーーーー!!!)
私の脳内の『ドラクロ』公式設定資料集が高速でページをめくり、限界オタクとしての全神経が狂喜乱舞の悲鳴をあげた。
ファン王子! ゲーム『ドラゴンクロニクル』において、次期国王にして圧倒的なカリスマを誇る超人気キャラクター! 美麗な容姿と冷徹さと優しさを兼ね備えた彼の登場に、前世のオタク女子たちがどれほど公式に課金したことか! もちろん、私もその熱狂的なファンの一人であった。
「は、はひっ! 第一王子殿下!? ど、どのようなご用件でしょうか……!?」
箸を持ったままドギマギする私に対し、ファン王子は懐から、金色の刺繍が施された極上の封筒を取り出し、恭しく差し出してきた。
「我が王国の耳に、このルミナ村にハイオークの群れを瞬時に壊滅させた神童の双子がいるという噂が届いてね。父上――国王陛下からの勅命だ。タケルとエヴァ、二人の才能を我が国の至宝として育てるべく、来年度より『王立学校初等科』への入学を打診しにきた。これは、その公式な招待状(受験票)だ」
――王立学校初等科。
それは、ゲーム本編において世界中のエリート貴族や天才魔法使いが集う、物語の中盤の舞台となる最高峰の教育機関だった。
「王立学校、ですか……?」
ファン王子を居間に迎え入れ、急遽お出しした唐揚げ(王子は「何だこの美味な肉料理は……!」と完璧なポーカーフェイスの裏で激しく感動していた)をつまみながら、私は手渡された書状を見つめた。
原作ゲームのシナリオであれば、六歳のこの時期にこんなイベントは存在しない。エヴァが孤独に闇堕ちしなかった結果、村の英雄として噂が広がり、王国の情報網に引っかかったのだ。歴史が完全にハッピーな方向へ書き換わっている。
しかし、招待状の裏面を見た瞬間、私の元総務部としての現実的な計算脳が冷や水を浴びせられた。
【王立学校初等科・入学試験内容:古代帝国語の読み書き、宮廷マナー基礎、実戦魔力測定、高等算術】
「ちょっと待って……これ、めちゃくちゃガチの『お受験』じゃないの!!」
いくらタケルとエヴァが規格外の戦闘力を持っているとはいえ、中身はのびのびと育った田舎の六歳児だ。宮廷マナー? 古代帝国語? そんなハイレベルな英才教育、ルミナ村のどこで受けられると言うのか。
「フッ、心配は要らないよ、カオリ殿」
その時、それまで静かに唐揚げを咀嚼していたシリウスが、スッと立ち上がり、白銀の髪をかき上げた。翡翠色の瞳に、かつてない知的な光が宿っている。
「忘れてもらっては困るな。私は六百年以上の生涯を持つエルフの大魔導士だ。古代帝国語など私の青春時代(二百歳頃)の公用語だし、王宮のマナーなど嫌というほど叩き込まれている。……この私が、二人の『お受験講師』として立候補しよう」
「シリウスさん……! 本当ですか!?」
「あぁ。ただし――」
シリウスは私の目を真剣に見つめ、長い耳の先を少し赤くしながら言った。
「お受験対策カリキュラムの期間中、毎日の報酬として、カオリ殿の手作り晩ご飯……特にあの【しょうがやき】と、今日の【からあげ】、そしてまだ見ぬ【はんばーぐ】という料理をローテーションで提供してもらうことが条件だ」
「うにゃ(完全に胃袋の欲望だけで動いてるにゃ、この駄目エルフは)」
足元からララ先生の辛辣な日本語ツッコミが入るが、背に腹は代えられない。
「いいわ! 契約成立よ! 二人の将来のためだもの、お母さん、毎日三ツ星レストラン級の家庭料理を作ってあげるわ!」
「よし、交渉成立だ。タケル、エヴァ、今日から私のことは『シリウス先生』と呼ぶといい」
こうして、世界最強の双子による、前代未聞の『異世界お受験戦争』の幕が開けたのだった。
翌日から、我が家のリビングは完全なる進学塾へと変貌した。
「いいかい、タケル。宮廷マナーにおいて、夜会でのスープのスマートな啜り方はこうだ。決して音を立ててはならない」
シリウスが完璧な美動作でスプーンを操る。
「うぅ……シリウスお兄ちゃん、手がプルプルするよぉ! 木刀を振り回す方が百倍簡単だよ!」
赤髪のタケルが、闘気バリアを無意識に張るほどの緊張感でスープを掬っている。頑張れ勇者、その繊細な力加減が将来の聖剣の制御に繋がるはずだ。
「……ふん。マナーなど所詮は人間が作った虚飾のルールだ。だが、お母さんが『お利口にして入学しなさい』と言うのなら、完璧にマスターしてみせる」
黒髪のエヴァは、魔王の圧倒的な記憶力をフル活用し、古代帝国語の魔導書を凄まじいスピードで暗記していく。エヴァの背後でうねる闇のオーラが、教科書をめくるための便利触手と化していた。
「素晴らしいぞ、エヴァ! 古代語の文法を半日で理解するとは、まさに天才だ。……よし、今日のご褒美はカオリ殿の特製ハンバーグだな!」
シリウス先生も、完全にモチベーションが料理に向かっているため、指導の熱が入りまくっていた。
そんな過酷な(?)お受験勉強の合間、ファン王子も時折、我が家に視察(という名の唐揚げのつまみ食い)に訪れるようになった。
「いや、驚いたな。タケルとエヴァの成長速度は、王都の最高峰の家庭教師たちが束になっても敵わないだろう。……そしてカオリ殿、この【肉じゃが】という煮物料理も、実に素晴らしい深みだ」
十歳のファン王子が、気品溢れる仕草で肉じゃがのジャガイモを口に運び、目を丸くしている。
「ふふふ、殿下に気に入っていただけて光栄ですわ」
私はお淑やかに微笑む。推しキャラであるファン王子が、私の手料理を美味しそうに食べてくれる。これだけでも、この世界に転生した甲斐があったというものだ。
「おい、金髪の男」
「おかーたんの肉じゃが、僕たちの分まで食べちゃダメだぞ!」
気がつけば、タケルとエヴァが、ファン王子を左右からジロリと睨みつけていた。
タケルの身体からは黄金の『勇者の闘気』が、エヴァの瞳からは『魔王の威圧』が放たれ、リビングの空気がピリピリと張り詰める。将来の主君となるはずの第一王子に対しても、お母さんの手料理と独占権を脅かす存在として、容赦ない警戒モードを発動させていた。
「はは……相変わらず凄まじい覇気だね、二人とも。学校に入ったら、君たちと剣を交えるのが今から楽しみだよ」
ファン王子は流石のカリスマ性でそのプレッシャーを笑顔で受け流し、双子の頭を優しく撫でた。その光景の尊さに、私のオタク脳は限界突破のバーストを起こしそうだった。
お受験勉強が始まって数ヶ月。夜、子供たちとシリウス先生が眠りについた後、私はリビングでララ先生と一緒に、ファン王子から手渡された王立学校の資料を眺めていた。
「ねえ、ララ。王立学校に入学すれば、タケルとエヴァはたくさんの人と出会うことになるわよね。原作のシナリオとは大きくズレていくけど……本当にこれでいいのかしら」
私の呟きに、ララは机の上に飛び乗り、真面目な顔(猫だけど)で私を見つめた。
「うにゃ。原作のシナリオなんて、カオリがエヴァを救った時点でとっくに粉々に砕け散ってるにゃ。あの子たちはもう、孤独な魔王でも、心をすり減らす孤高の勇者でもないにゃ。ただの、カオリが大好きな最高に贅沢な双子だにゃ」
ララは私の手にぽてっと肉球を乗せた。
「どこへ行こうと、どんな学校に入ろうと、あの子たちの特等席はカオリの膝の上だけにゃ。その絶対的な愛の土台がある限り、どんな試練が来ようと、二人は仲良く世界をハッピーエンドに変えていくにゃ」
「ララ先生……! そうよね! お母さん、弱気になってる場合じゃないわ!」
私は拳をギュッと握りしめた。
王立学校の入学試験なんて、シリウス先生の最強の授業と、お母さんの美味しい栄養満点のご飯があれば、トップ当選(無双)で合格してみせるわよ!
翌朝、リビングには「おかーたん、今日の朝ご飯は何!?」と元気いっぱいに叫ぶタケルと、「お母さん、今日の分の古代語暗記は終わったよ」とドヤ顔で報告するエヴァ、そして「カオリ殿、そろそろ【生姜焼き】のターンではないかね?」と涎を堪える伝説のエルフの姿があった。
光の勇者も、闇の魔王も、伝説の大魔導士も、すべて私の美味しい手料理の元で繋がっている。
鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、来たるべき王立学校でのお受験無双に向けて、さらに絆を深めながら、最高に美味しく突き進んでいくのだった。




