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第3話 歩行開始、それは「世界の危機」の始まり

1歳の誕生日を迎え、初めての言葉がまさかの『ゆうしゃ』と『まおう』だったという、全米(と前世のオタクな私)が震撼した衝撃のあの日から数ヶ月。

我が家の双子、長男タケルと次男エヴァは、ついに「二足歩行」という人類の偉大なる一歩を踏み出していた。

――そう、それは同時に、我が家の屋内における「物理的・魔法的破壊活動」が爆発的に広がることを意味していた。

「タケルちゃん! そっちに行っちゃダメ! そこはマーサさんからもらった大事なガラス瓶が……あぁっ!」

「たっ、たこ(タケル)、いくじょー!」

ドゴォォォン!!

赤髪のタケルがトコトコと小気味よい足音を立てて歩いた瞬間、その小さな足から黄金の闘気が炸裂し、床板を蹴り飛ばしながら突進した。まだ歩き方がおぼつかないため、実質的には「制御不能の超高速ミサイル」である。タケルがぶつかった部屋の隅の木箱が、跡形もなく粉砕された。

将来、世界を救うために魔王城の城門を蹴り破るはずの脚力が、完全に我が家のインテリアを破壊するために使われている。

「ばぶ、エヴァもー」

対する黒髪のエヴァは、歩くのが面倒くさくなったのか、早くも空中をふわふわと浮遊しながら移動していた。しかも、手には前世の私が愛用していた(なぜか一緒に転生した)総務部時代の電卓を持っている。

「エヴァちゃん! お母さんのお仕事道具で遊ばないの! それ、この世界にはない貴重なプラスチック製品なんだから!」

「……やだ。これ、エヴァの。おちゅかい、ちゅる」

エヴァが電卓をぎゅっと抱きしめると、その瞳が深紅にギラリと光った。

次の瞬間、電卓の数字キーが勝手に「99999999」と明滅し、謎の暗黒魔力が電卓から漏れ出し始める。魔王の魔力によって、しがない事務用品が『終末の演算器アポカリプス・カウンター』へと強制エンチャントされかけていた。

「にゃーお(おいカオリ、のんきに実況してないで早く止めるにゃ。あの電卓が暴走したら、ルミナ村が地図から消えるにゃ)」

縁側で優雅に毛繕いをしていた三毛猫のララが、人間の言葉(日本語)で鋭く突っ込んできた。

「わ、わかってるわよ! 二人とも、お座りぃぃぃ!」

私は元総務部仕込みのマシンガントークと、鍛え上げられた母性の威圧感を全開にして叫ぶ。

「お母さんに怒られたら、今日のおやつ(甘い蒸しパン)は抜きですからね!」という絶対的な脅し文句と共に、私は突進するタケルをフライングキャッチし、宙に浮くエヴァをハエ叩きのように優しくベッドへとはたき落とした。

「「うぅ……」」

勇者と魔王が、同時にベッドの上でへたり込み、涙目で私を見上げてくる。

この圧倒的な破壊力と、それに見合わない「お母さんに見捨てられたら死んじゃう」と言わんばかりのウルウルした瞳。このギャップこそが、現在の私の最大の癒やしであり、同時に最大の頭痛の種だった。


そして双子は1歳半を迎え、育児における最大の難所、俗に言う『イヤイヤ期(第一次反抗期)』へと突入した。

通常の赤ん坊であれば、「ご飯食べない!」「お着替え嫌だ!」とひっくり返って泣き叫ぶだけの時期だが、我が家は勇者と魔王である。その「イヤイヤ」のスケールは、国家存亡の危機レベルだった。

「ほら、タケルちゃん。お外にお散歩行くから、この可愛いお洋服着ましょうね」

私がルミナ村の特産である麻で編んだ、動きやすい緑色の子供服を差し出す。

すると、1歳半になったタケルは、ぷいっと赤髪の頭を横に振った。

「いや! これ、いや! タケル、あか(赤)がいい!」

「えぇ? でも赤いお洋服は今お洗濯中でしょ?」

「いやあああああ! あかがいいのぉぉぉ!」

タケルが激しく身をよじってイヤイヤをした瞬間、彼の身体から放たれた『勇者の咆哮マインド・バースト』が衝撃波となって室内に吹き荒れた。

バリバリバリッ! と、窓の隙間から風が逆流し、壁に掛けてあった干し草の飾りが一瞬で消し飛ぶ。幼児の癇癪が、実質的に高ランクの範囲物理攻撃(範囲ノックバック)になってしまっているのだ。

「うにゃ(危ないにゃ! 私の美しい毛並みが逆立つにゃ!)」

ララが素早く天井の梁の上に避難する。私は前世の総務部時代、理不尽なクレーマーの怒号を正面から受け止めていた経験を活かし、足を踏ん張って衝撃波を耐え切った。

「タケルちゃん、お洋服に属性のこだわりを持つのは、せめて第二段階の転職クラスチェンジの年齢になってからにしなさい! 今はこれを着るの!」

「いやあああ! おかいたんの、ばかぁぁぁ!」

タケルがポロポロと涙を流しながら部屋の隅に逃げ込み、闘気のバリア(絶対防御)を張って引きこもってしまった。触ると感電しそうな黄金の壁である。これでは着替えをさせることもできない。

私がハァとため息をついていると、今度は左側から不穏な冷気が漂ってきた。

振り返ると、黒髪の次男エヴァが、目の前に置かれたスプーン(ニンジンの裏ごしが入っている)を、冷徹な深紅の瞳で睨みつけていた。

「……いや」

「エヴァちゃん、ニンジンさんよ? これ食べないと、大きくなって格好いい魔導書が読めなくなっちゃうよ?」

「……いや。これ、光の眷属の食べ物。闇の皇子たるぼくは、これを拒絶する」

「何その無駄に洗練されたセリフ回し!? 1歳児が『拒絶する』とか言わないの! ほら、あーん」

私がスプーンを近づけた、その瞬間。

エヴァが小さな唇をきゅっと結び、指先をニンジンに向けた。

「――『暗黒消滅ダーク・バニッシュ』」

シュン。

「あ、消えた」

スプーンの上に乗っていたはずのニンジンが、空間ごと完全に消滅ロストしていた。魔王の最上級即死・消滅魔法を、「嫌いな野菜の廃棄処分」のために使用したのだ。なんという贅沢な魔力の無駄遣いだろう。

「エヴァちゃん!! お野菜を次元の彼方に追放しちゃダメって言ってるでしょ! マーサさんが一生懸命育ててくれたニンジンさんなのよ!」

「……にんじん、いや。お母さん、きらい」

「がーん!!!」

お母さん嫌い。

その一言は、タケルの衝撃波やエヴァの消滅魔法よりも遥かに鋭く、私の胸を深く突き刺した。前世でどんなデスマーチを経験しても折れなかった私の心が、1歳半の魔王の一言で粉々に砕け散る。

「う、嘘……エヴァちゃん、お母さんのこと嫌いになっちゃったの……? あぁ、私の育て方が悪かったのね……原作の通り、やっぱり魔王は人間に心を開かないのね……シクシク……」

私がその場にしゃがみ込んで嘘泣き(半分は本気でショックだったが)を始めると、部屋の空気が一変した。

「……え?」

エヴァがハッと目を見開いた。私の涙を見た瞬間、彼の瞳から「魔王の威厳」が綺麗さっぱり消え去り、ただの焦った赤ん坊の顔に戻る。

「あ、う……おか、たん? ちが、ちがう……っ!」

エヴァは慌ててベッドから飛び降りると、よちよちと私の元へ駆け寄り、私のスカートの裾を必死に引っ張った。

「おかたん、きらい、ちがう! にんじん、きらい! おかたん、じゅき(好き)! せかいで、いちばん、じゅき!!」

必死に言葉を紡ぎながら、エヴァの瞳から大粒の涙が溢れ出す。そのあまりの必死さに、部屋の隅のバリアに引きこもっていたタケルも、慌ててバリアを解除して突進してきた。

「おかーたん! タケルもお洋服着る! 着るから泣かないでぇぇぇ!」

タケルは緑色のお洋服を自分で頭から無理やり被り(前後が逆だったが)、私にダイブしてきた。エヴァも私の首に腕を回し、顔中を涙とよだれでベタベタにしながらギューッと抱きついてくる。

「あぁもう、二人とも大好きよー!」

私は二人をまとめて腕の中に抱きしめる。

さっきまでの世界の危機(イヤイヤ期)はどこへやら、我が家は瞬時に「世界一濃厚なマザコン空間」へと修復されたのだった。

「にゃーお(相変わらずチョロい奴らだにゃ。カオリの涙一つで、勇者と魔王が完全無力化されるんだから、この世界の最強キャラは間違いなくカオリだにゃ)」

梁の上から、ララが呆れたようにその様子を見下ろしていた。


双子が2歳に近づくにつれ、彼らの言葉の発達は凄まじいものがあった。

前世の私の記憶や知識、そしてララが日常的に喋る日本語を吸収しているため、彼らの語彙力は2歳児のそれを遥かに超えていた。

しかし、そのせいで、兄弟間の「口喧嘩」も徐々に高度なものへとなっていく。

「エヴァ、それ僕のオモチャ! 先に僕が使ってたんだよ!」

タケルが、木で作られた小さな剣を構えて主張する。

「却下する、タケル。この玩具の所有権は、先に物理的接触を果たした僕にある。光の御子たる者が、既得権益にしがみつくのは見苦しいぞ」

エヴァが、前世の弁護士ばりの冷徹な口調で(2歳児の可愛い声だが)オモチャの馬を抱え込んで言い返す。

「そんなの屁理屈だ! エヴァのわからず屋! 魔王のいじわる!」

「ふん、正義を盾に暴力を振るうのが勇者の常套手段か。かかってくるがいい、タケル」

また始まった。

二人の身体から、再び黄金と漆黒のオーラが立ち上り、リビングの空気がピリピリと震え始める。2歳にして、早くも原作の因縁(ライバル関係)が、オモチャの奪い合いというセコい理由で再現されようとしていた。

私が「こら、また部屋の中で――」と止めに入ろうとした、その時。

シュバッ!!!

空間を切り裂くような鋭い音が響いた。

私の背後から放たれた「何か」が、超高速でタケルとエヴァの脳天を直撃する。

「ぎゃうっ!?」

「ふにゃっ!?」

二人の英雄(および大悪党)が、同時に頭を押さえて床に転がった。

そこへ、静かに着地したの一匹の三毛猫。ララだった。ララの右前脚は、まだ残像を残している。

「にゃ。あんたたち、うるさいにゃ。私の昼寝の時間を邪魔する奴は、勇者だろうが魔王だろうが、この『神速の猫パンチ』で等しくお仕置きだにゃ」

ララの瞳が、猫特有の縦長の細い目になって二人を威嚇する。

驚くべきことに、ララの放った猫パンチは、タケルの闘気バリアを貫通し、エヴァの魔力障壁をも無効化して、正確に二人の急所おでこを捉えていたのだ。

「ラ、ララ……あんた、いつの間にそんな神速のスキルを……」

私すら驚愕するレベルの強さである。

「カオリ、猫を舐めないでほしいにゃ。この世界のマナ(魔力)は、猫の身体構造と非常に相性がいいんだにゃ。ちょっと本気を出せば、これくらいの幼児の小細工、お茶の子さいさいだにゃ」

ララはフンと鼻を鳴らすと、床に転がっているオモチャの剣と馬を、両前脚で器用に手繰り寄せた。

「オモチャは仲良く順番に使うものだにゃ。それができない悪い子には、どちらのオモチャも没収だにゃ。分かったか、タケル、エヴァ」

「「……はい、ごめんなさい、ララ先生……」」

2歳の勇者と魔王が、三毛猫の前でペコペコと頭を下げて謝っている。

このルミナ村において、我が家の権力ピラミッドは、【第1位:お母さん(カオリ)】、【第2位:ララ先生(猫)】、【最下位:双子タケル・エヴァ】という形で完全に固定されていた。

ララのおかげで、二人の兄弟喧嘩はいつも大惨事になる前に鎮圧され、二人は「ララ先生に怒られないように、仲良く遊ぶ」という高度な協調性を身につけていくのだった。


そして、2回目の誕生日がやってきた。

2歳になったタケルとエヴァは、もう赤ちゃんとは呼べないほど、はっきりと言葉を話し、自分の意志を持って行動できるようになっていた。

誕生日の夜。私は前世の記憶を頼りに、この世界のお肉と野菜を使って、特製の「お子様ランチ風プレート」を作った。旗の代わりに、小さな木の手製ピックを刺してある。

「タケル、エヴァ。2歳の誕生日おめでとう!」

「おかーたん、ありがとう! タケル、これ、しゅき!」

タケルが嬉しそうに、お肉のハンバーグをスプーンでパクリと食べる。

「……お母さん、美味しい。ぼく、お母さんの作ったご飯なら、毎日でも食べられる」

エヴァも、少し気取った仕草で(しかし口の周りにケチャップをいっぱいつけながら)微笑む。

二人の成長した姿を見ながら、私は胸がいっぱいになっていた。

原作ゲームの2歳といえば、エヴァはまだどこかの路地裏で孤独に震え、世界への憎しみを募らせていた時期だ。タケルもまた、運命の過酷さに翻弄される準備をさせられていた。

だけど、今ここにいる二人は、私の作ったご飯を笑顔で食べ、お互いに「タケル、お口にケチャップついてるよ」「エヴァこそ、ついてるもん」と言い合いながら、ティッシュで拭き合っている。

ご飯を食べ終えると、二人は私の元へとトコトコ歩いてきた。

いつもの「お母さんの膝の上(特等席)」を巡る時間がやってきたのだ。

いつもならここで闘気と魔力の聖魔大戦が勃発するのだが、2歳になった二人は、少しだけ違っていた。

「エヴァ、今日は僕が右側で、エヴァが左側ね」

タケルが提案する。

「認めよう、タケル。お母さんの膝は二つある。右と左で等分すれば、紛争は回避できる。……ただし、お母さんの頭を撫でてもらう回数は、完全に平等でなければならない」

エヴァが厳格な条件を提示する。

「うん、わかった! じゃあ、せーので座ろう!」

「「せーのっ!」」

二人は同時に、私の右太ももと左太ももの上に、ちょこんと座った。

そして二人して、私の顔を見上げて、満面の笑みを浮かべる。

「おかーたん、だいすき!」

「お母さん、愛してる」

左右から同時に押し寄せる、天使の癒やしエネルギー。私はあまりの尊さに、脳内から幸せのドーパミンが溢れ出るのを感じた。

「あぁもう、お母さんも二人とも、世界で一番大好きよ!」

私は二人をギュッと抱きしめ、交互に頭を撫で回す。二人は嬉しそうに、私の胸に小さな顔を埋めてきた。

その様子を、ケーキの残りのクリームを舐めていたララが、満足そうに見つめていた。

「にゃ。まぁ、2歳にしては上出来な精神的成長だにゃ。カオリの変態的なマザコン教育も、あながち間違いじゃなかったみたいだにゃ」

「変態的って言わないでよ! 純粋な愛よ、愛!」

私はララに反論しながらも、我が子たちの温もりを全身で受け止めていた。

光の勇者も、闇の魔王も、我が家においてはただの「可愛い2歳児」であり、私の愛しい息子たちだ。

この溢れんばかりの愛の絆がある限り、五年後に訪れるという原作の「運命の神官襲来イベント」なんて、法律論と母性の力で粉々に粉砕して見せる。

最強の三毛猫ララ先生と、マザコン全開の最強の双子を両手に抱え、鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、さらに絆を深めながら、激動の3年目へと突き進んでいくのだった。

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