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第2話 愛猫ララは夜中を許さない

「ふ、ふえぇぇぇぇん!!」

「ぎゃああああああん!!」

深夜三時。静まり返るルミナ村の木造平屋に、地天を震わせるような爆音のツインボーカルが響き渡っていた。

生後三ヶ月を迎えた双子――長男タケルと次男エヴァの、恐るべき「夜泣き」の開幕である。

「はいはい、ごめんね、今お人肌の温度のミルク作るからね……! 待っててね……!」

私は髪を振り乱し、パジャマ姿で部屋の中を右往左往していた。

異世界に転生してからというもの、元総務部のマルチタスク能力をフル活用して育児に励んできたけれど、この「夜泣き」だけは次元が違った。なぜなら、我が子はただの赤ん坊ではない。将来、世界を二分して戦うはずの勇者と魔王なのだ。

「ふにゃあああああ!」

赤髪のタケルが激しく泣きじゃくると、その小さな身体から黄金のオーラ(勇者の闘気)がパチパチと放たれ、部屋の温度が急上昇する。

「ぎゃああああう!」

黒髪のエヴァが負けじと声を荒らげると、周囲の空間に漆黒の魔力が渦巻き、近くに置いてあった知恵の輪や木製のマグカップがガタガタと浮き上がり始める。

ただの夜泣きなのに、部屋の中はすでに「ラスボス戦の一歩手前」みたいなサイコキネシス空間と化していた。

「タケルちゃん、闘気でお部屋をサウナにしないで! エヴァちゃんも引き寄せの法則(物理)を発動して家具を浮かすのやめてぇぇぇ!」

私は二人を同時に両腕に抱っこし、スクワットのように優しく揺らす。

現実世界の三十歳独身OL時代、満員電車やクレーム対応でメンタルは鍛えられたつもりだった。だけど、睡眠時間二時間で、片腕に勇者、片腕に魔王を抱えながら、世界の崩壊を止めるために深夜の部屋を徘徊するなんてイベント、前世のどのビジネス書にも書いていなかった。

ミルクの準備をしようにも、二人をベッドに置いた瞬間、さらに魔力と闘気が暴走して家が吹き飛びかねない。

腕は限界、意識は朦朧。

「お母さん、もうダメかも……」と白目を剥きかけた、その時だった。

トコトコと、足元に小さな影が近づいてきた。

一緒にこの世界に転生してきた、我が家の愛猫――三毛猫のララだった。

「ニャーオ(やれやれ、うるさくて眠れないにゃ)」

ララは呆れたように一つ鳴くと、驚くべき行動に出た。

なんと、私の足元からピョンと跳躍し、私の腕の中にいるタケルとエヴァのちょうど真ん中、私の胸元へと器用に滑り込んできたのだ。

そして、焦る私を無視して、ララはゴロゴロと喉を鳴らし始めた。ふんわりとした温かい尻尾を、タケルの赤髪とエヴァの黒髪に、交互に優しくポンポンと当て始めたのだ。

「――『究極静寂アルティメット・サイレンス』。……なーんてね」

「……え?」

今、信じられない音が耳に届いた。

猫の鳴き声ではない。完全に、低めで落ち着いた、どこか知的な「大人の女性の日本語」だった。

しかし、私の混乱を置き去りにして、効果は絶大だった。

ララが二人の頭を肉球で優しく揉みほぐし、交互に毛並みを擦り付けると、タケルの黄金の闘気がスーッと霧散していく。エヴァの周地で浮いていた家具たちも、重力を取り戻して静かに床へと着地した。

「あぅ……?」

「ふにゅ……」

さっきまで世界を滅ぼさんばかりに泣き叫んでいた双子が、ララのフカフカの毛並みに顔を埋め、嘘のように静かになった。二人は小さな手でララの背中の毛をギュッと握りしめ、そのままスースーと規則正しい寝息を立て始めた。

秒殺だった。私が一時間かけてもダメだった夜泣きを、我が家の飼い猫がわずか三十秒で完全鎮圧したのだ。

「ふぅ。これでよし。……おい、カオリ。いつまで呆けてるんだにゃ。腕が痺れる前に、早くベッドに運ぶといいにゃ」

ララが私の顔を見上げ、不敵に微笑む(ように見えた)。

やっぱり喋ってる。めちゃくちゃ流暢な日本語だ。

「ラ、ララ……あんた、喋れるの!?」

「にゃ。この世界に転生した時に、なんか脳のストッパーが外れたみたいだにゃ。前世の記憶もはっきり思い出したし、カオリのオタク知識もだいたい共有してるにゃ」

「前世の記憶って……あんた、元は人間だったの!?」

「違うにゃ。前世もただの猫だにゃ。でも、カオリが夜な夜な『ドラクロ』をプレイしながら『タケルきゅん尊い!』って大声で独り言を言ってたのを、ずっと特等席(カオリの膝の上)で聞いてたから、日本語もゲームの設定も全部覚えちゃったんだにゃ。おかげでこの赤ん坊たちが勇者と魔王だってことも知ってるにゃ」

なんというプライバシーの崩壊。私の黒歴史はすべて愛猫に握られていた。

ララはフンと鼻を鳴らし、私の腕から器用に抜け出すと、ベッドの上で丸くなった。

「とにかく、私はこの家のお目付け役だにゃ。勇者と魔王の育児なんて、カオリ一人じゃ荷が重すぎるにゃ。これからは、この世界最強の『猫の手』がサポートしてあげるから、感謝するんだにゃ」

「ララ……! あんたって子は……!」

「いいから早く寝るにゃ。明日からも過酷な育児レースは続くんだからにゃ」

最強の(喋る)育児パートナーを得て、私の異世界子育てライフは、一気に心強いものへとレベルアップしたのだった。



ララの参戦により、我が家のワンオペ育児は劇的に改善された。

ララが日本語を話せることは、当然ルミナ村の人間には完全な秘密だ。ただ、家の中では普通に喋っているため、タケルとエヴァは「猫は日本語を話す生き物」だと生後数ヶ月にして深く誤解することになったが、まぁファンタジー世界だし些細な問題だろう。

時は流れて、生後六ヶ月。

育児の第一関門とも言える「離乳食」の時期がやってきた。

「はい、タケルちゃん、エヴァちゃん、今日はお野菜のトロトロ粥ですよー。あーんして」

私がスプーンですり潰したお粥を差し出すと、二人はじーっとそれを見つめた。

ゲーム本編の魔王エヴァの好物は「高級な魔界の果実」や「極上のワイン」だったはずだが、今はただの三頭身の赤ん坊である。

「ばぶぅ」

エヴァが不満そうに小さな声を漏らした。どうやら、ただの野菜粥ではお気に召さないらしい。

すると、エヴァがスプーンに向けて小さな、ぽてっとした手をかざした。

瞬間、エヴァの瞳が妖しく深紅に輝く。

「ぶぶぅ!」

ドサササササッ!!!

「ひゃあ!?」

どこからともなく、禍々しい紫色のオーラを纏った「謎のスパイス(おそらく魔界の塩的な何か)」が空間から召喚され、お粥の中に大量に投入された。

お粥は一瞬にしてドス黒い紫色に変色し、ポコポコと不穏な泡を立て始める。どう見てもRPGの毒沼か、暗黒物質ダークマターにしか見えない物体への変貌だ。

「ちょっとエヴァちゃん! お料理に勝手に闇属性を付与しちゃダメでしょ! 食べ物で遊んだらメッ、ですよ!」

「うにゃ(カオリ、そいつはエヴァが無意識に発動した『物質変異魔法』だにゃ。まぁ、毒は入ってないみたいだけど、見た目が最悪だにゃ)』

ララが冷ややかに解説する。エヴァは「ぼくのほうが美味しいの作った」と言わんばかりにドヤ顔をしている。

「ばぶばぶー!」

それを見た長男タケルが、激しい対抗心を燃やして叫んだ。兄としてのプライドが許さないらしい。

タケルがそのお粥の器に向かって、これまた小さな手をビシッと構える。

「あぅー!」

キィィィィン!!!

今度はタケルの手から神聖な光の波動(勇者の浄化魔法)が放たれ、エヴァのダークマターお粥を直撃した。

凄まじい光と闇のつばぜり合いが器の中で展開され、次の瞬間――お粥はピカーッと眩しく発光し、純白の、神々しい後光を放つ特級呪物ならぬ「聖なるお粥」へとクラスチェンジした。一口食べればHPが全回復しそうな輝きである。

「うにゃ(今度は光属性の過剰付与だにゃ。器が割れなくてよかったにゃ)」

「もう、二人ともお利口ねぇ……って、感心してる場合じゃないわよ! 普通のお粥を食べなさい!」

私はため息をつきながらも、二人の規格外の才能に苦笑するしかなかった。

ゲーム本編の鬱シナリオでは、エヴァは孤独の中で「誰も僕の力を認めてくれない」と闇に落ちた。だが今のエヴァには、魔法でご飯をめちゃくちゃにしても、ちゃんと叱って、その後で「器用に魔法が使えて凄いね」と頭を撫でてくれる母親(私)がいる。

「ほら、お粥は普通が一番美味しいの。あーん」

「……もぐ」

「……むにゃ」

光と闇の属性が相殺されて元に戻ったお粥を、二人は美味しそうに口に運ぶ。

エヴァが私の指に小さな手を添え、タケルがそのエヴァの頭をよしよしとなだめるように撫でる。

属性過剰な離乳食バトルを繰り広げつつも、二人の絆は、私の溢れんばかりの愛情の元で、確実に深まっていた。



季節は巡り、生後十ヶ月。

双子は信じられないスピードで成長し、ついに「ハイハイ」をマスターした。

当然、彼らのハイハイは、ギネス記録を余裕で塗り替える代物だった。

「よーい、どん! タケルちゃん、エヴァちゃん、お母さんのところまでおいでー!」

私が部屋の端で両手を広げると、毛布の上に並んだ二人が同時に臨戦態勢に入る。

「ふにゃー!」

「くぅー!」

ズドォォォォン!!

タケルが小さなおててを床についた瞬間、凄まじい風圧が発生した。ハイハイの推進力が強すぎて、床の毛布が後ろへと吹き飛んでいく。それはもはやハイハイという名の突撃チャージだった。時速に換算したら原付バイクより早い。将来、聖剣を手に戦場を爆走する勇者の片鱗が、すでに驚異的な脚力として現れている。

「ばぶぅ!」(意訳:兄貴には負けん!)

対するエヴァが負けじと動く。エヴァの周囲の重力が歪んだ。

フワリ、とエヴァの小さな体が床から数センチほど浮き上がる。

ハイハイではない。サイコキネシスによる低空飛行(ホバー移動)である。赤ちゃん特有のモチモチした太ももを一生懸命前後に動かしてはいるが、床に触れてすらいない。魔王の圧倒的な魔力が、無意識のうちに飛行魔法として発動してしまっているのだ。

「ちょっと二人ともー! 床が抜けちゃうから突撃スキル禁止! エヴァちゃんも浮かないの! ハイハイはね、ちゃんとおててとあんよを床につけて進むんですよー!」

私はごく普通のトーンで注意する。

普通の人間なら、床を陥没させる赤ん坊や、空中浮遊する赤ん坊を見たら恐怖で教会に通報するレベルだ。だが、私は前世で『ドラクロ』を数千時間プレイした限界オタク。

(ま、光の御子と闇の皇子だし、これくらいは標準仕様デフォルトよね!)

むしろ、二人のステータスが順調に育っている証拠として、微笑ましくすらあった。

「ばぅ!」

「あぅ!」

ほぼ同時に、二人の小さな頭が私の膝に突っ込んできた。

タケルは私の右足にしがみつき、エヴァは私の左足にしがみつく。そして二人して、澄み渡る青空のようなタケルと、神秘的な深紅のエヴァで私を見上げてくる。

「キャッキャ!」

「ふにゅー!」

「あぁもう! 二人とも一等賞! 世界一可愛いわよー!」

私は二人を同時に抱き上げ、交互に頬ずりをする。

それを見ながら、部屋の隅で爪を研いでいたララが呆れたように声を放つ。

「うにゃ。お母さんの膝の上(特等席)を巡る聖魔大戦は、もう始まってるみたいだにゃ。将来が思いやられるにゃ」

「いいのよ、仲良く私の奪い合いをしてるうちは、世界は平和なんだから!」



そして、ついにその日がやってきた。

双子が生まれて丸一年――1歳の誕生日だ。

私は村のマーサさんにも手伝ってもらい、ささやかながら誕生日ケーキ(赤ん坊でも食べられる果物たっぷりの特製ケーキ)を作った。部屋にはララが魔法(?)で少し華やかに飾り付けをしてくれた。

「タケル、エヴァ、1歳の誕生日おめでとう! 生まれてきてくれて、本当にありがとう」

私が満面の笑みで呼びかけると、1歳になり、少しだけしっかりとお座りができるようになった二人が、ケーキを前にして嬉しそうに手を叩いた。

二人の頭の上には、相変わらず鮮やかな真紅の髪と、美しい漆黒の髪が輝いている。

ララがケーキの横に座り、真面目な顔で二人の赤ん坊を見つめた。

「おい、二人とも。1歳になったんだから、そろそろハッキリと言葉を話してみせるにゃ。まずは基本の『おかあさん』からだにゃ。ほら、言ってみるにゃ」

ララの催促に、タケルとエヴァが顔を見合わせた。

二人はゴクリと小さな喉を鳴らし、真剣な表情で私を見つめる。

最初に口を開いたのは、長男のタケルだった。澄んだ青い瞳をきらめかせ、私をまっすぐに見つめて――。

「……お、おか、たん!」

「っ……!」

言った! 今、「おかいたん(お母さん)」って言ったわよね!?

私の胸に猛烈な感動の嵐が吹き荒れる。全米が泣いた。私が泣いた。

「タケルちゃん! 今お母さんって言ったのね!? あぁもう、なんてお利口さんなの!」

私がタケルを抱きしめようとした、その瞬間。

負けじと、次男のエヴァが私の服の裾を小さな手でグイッと引っ張った。エヴァの深紅の瞳には、明らかにタケルへの激しい嫉妬と、私への並々ならぬ執着が宿っていた。

エヴァは小さな胸を大きく膨らませ、1歳児とは思えない、妙に発音のハッキリした、しかし最高に可愛い声で告げた。

「……ま、まお、う」

「……え?」

今、なんて?

「まおう! ぼく、まおう!」

エヴァはちっちゃな両手を広げ、満面の笑みで「まおう」と連呼した。

「うにゃあああ!? 何て言葉を最初に覚えてるんだにゃ、このマザコン魔王は!」

ララがずっこけた。

「エ、エヴァちゃん!? 違うの、そこは『お母さん』よ! なんで自分のクラス(職業)をファーストワードに選んじゃったの!?」

「まおーう! おかたん、まおーう!」

どうやらエヴァの中で「まおう」という響きが格好良かったのか、あるいは私の脳内知識を何らかの形で察知していたのか、彼は嬉しそうに自分の属性を主張し続ける。

それを見たタケルが、「エヴァずるい! タケルも!」と言わんばかりに立ち上がり、

「ゆ、ゆうしゃ! タケル、ゆうしゃ!」

と、これまた自分の職業を叫び始めた。

「1歳児の口から『勇者』と『魔王』の単語が同時に飛び出す家庭なんて、前代未聞だにゃ……」

ララが前脚で頭を押さえてため息をつく。

室内では、赤髪の「ゆうしゃ」と黒髪の「まおう」が、互いに「ばぶー!」「ぶぶー!」と言い合いながら、1歳児の言葉で激しいつばぜり合い(兄弟喧嘩)を始めていた。

だけど、エヴァがバランスを崩して転びそうになると、タケルが慌ててその小さな手を掴んで支え、エヴァはタケルにお礼を言うようにお粥の残りの果物を差し出している。

「あはは……まぁ、いっか!」

私は二人をまとめてギュッと抱きしめた。

初めての言葉が「お母さん」じゃなくて「勇者」と「魔王」だったのは、オタクの母親としてはちょっと面白いし、何より二人がこんなに仲良く、元気に1歳を迎えられたのだ。

「勇者でも、魔王でも、お母さんにとっては世界一可愛い我が子よ。二人とも、これからもっともっと、お母さんと一緒に幸せになろうね!」

「「キャッキャ!!」」

二人の天使(と、世界最強の三毛猫)に見囲まれて、私の異世界子育て奮闘記は、最高のスピード感で2年目へと突入していくのだった。

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