第4話 異次元おままごと
双子が2歳になって数ヶ月。
歩行もすっかり安定し、彼らの語彙力は(前世の私の記憶やララの日本語を吸収しているせいで)2歳児としては不自然なほどに達者になっていた。
そんなある日の午前中。私が庭に溜まった洗濯物を干していると、生垣の向こうから、ちょこちょこと可愛らしい足音が近づいてきた。
「カオリおばちゃん、おはよー!」
現れたのは、お隣の農家に暮らす女の子、エミリアちゃんだった。
双子より1歳年上の3歳。柔らかく波打つ亜麻色の髪を二つの三つ編みに結い、エプロンドレスを着た、まるでお人形さんのように愛らしい女の子だ。
彼女は我が家に双子が生まれてからというもの、何かと「お姉ちゃん」ぶって面倒を見にきてくれる、このルミナ村での貴重な幼馴染だった。
――そして同時に、前世の限界オタクである私の目から見れば、彼女は『ドラクロ』原作における、勇者タケルを支える超重要メインヒロイン『聖女エミリア』その人であった。
(あぁ……本物のエミリアちゃんだわ……! 3歳にしてすでに将来の聖女の気品と、お世話焼きなヒロイン属性がカンストしてる……尊い……!)
鼻血が出そうなのをプロのポーカーフェイスで耐えながら、私は満面の笑みで応じる。
「エミリアちゃん、おはよう! 今日も遊びに来てくれたの?」
「うん! 今日はね、エミリアがお姉ちゃんとして、タケルくんとエヴァくんの面倒をしっかり見てあげるの!」
ちっちゃな胸をふんす、と張るエミリアちゃん。その健気さに、私の母性バロメーターは限界を突破して急上昇する。
「まあ、頼もしいわね! じゃあ、お家の中で二人が遊んでいるから、お姉ちゃん、よろしくお願いね?」
「まかせて!」
エミリアちゃんは元気よく返事をすると、トコトコと我が家のリビングへと入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、梁の上に寝そべっていた三毛猫のララが、あくびをしながら日本語で囁きかけてくる。
「にゃーお(相変わらず将来のキーパーソンが、何のひねりもなく隣家に住んでる都合のいい世界観だにゃ、カオリ)」
「しっ! ララ、そんなメタな発言は禁止よ! とにかくエミリアちゃんは将来、タケルの大切な人になるんだから、幼少期から良好な関係を築いておくのは親としての義務なの!」
「まぁ、あのマザコン双子が、大人しくお姉ちゃんのお世話を受けるとは思えないにゃ。ちょっと見物してくるにゃ」
ララは尻尾を揺らしながら、エミリアちゃんの後を追ってリビングへと入っていった。私も洗濯カゴを抱えて、様子を窺うようにリビングを覗き込んだ。
リビングでは、タケルとエヴァが床に積み木を広げて遊んでいた。
エミリアちゃんが入ってくると、二人は同時に顔を上げた。
「エミリアおねえちゃん、おはよう!」
タケルが、人懐っこい笑顔で(しかし2歳児とは思えない綺麗なフォームの正座で)挨拶する。
「……エミリア、おはよう」
エヴァは、少し気取った仕仕草で、積み木を片手にクールに会釈した。3歳のエミリアちゃんに対して、2歳のエヴァの方が明らかに精神年齢が高そうに見えるのは、やはり転生の影響だろうか。
「タケルくん、エヴァくん、おはよう! 今日はエミリアお姉ちゃんが、二人に絵本を読んであげるね!」
エミリアちゃんは、村の教会から借りてきたという、古びた絵本を取り出した。
内容は、この世界に伝わる一般的な創世神話。人間と魔族の戦いを描いた、子供向けの絵本だ。
「ええとね、むかしむかし、わるい魔王が世界をまっくらにしようとしました。そこに、かっこいい光の勇者様がやってきて、やっつけました。おしまい!」
3歳児らしい、超シンプルな要約読みである。エミリアちゃんは「どう? お姉ちゃん上手でしょ?」とドヤ顔をしている。
しかし、この読み聞かせに対して、我が家の双子の反応は極めて不穏なものだった。
「……意義がある(異議あり)」
最初につぶやいたのは、エヴァだった。彼は冷徹な深紅の瞳を細め、2歳児とは思えない達者な口調で、エミリアちゃんに反論を始めた。
「エミリア、その絵本は著しい偏向報道だ。歴史は勝者によって作られる。魔王が世界を暗黒に落とそうとしたのではない。光の勢力が、魔族の生存領域を不当に侵略したことに対する、正当防衛としての反撃だったと、ミッドガルドの古文書にも記されている」
「え……? へんこう……? こぶんしょ……?」
3歳のエミリアちゃんは、エヴァが何を言っているのか一ミリも理解できず、目を白黒させて固まってしまった。
「そうだよ、エヴァ!」
今度はタケルが立ち上がり、タケル自身の身体から黄金のオーラ(勇者の闘気)をパチパチと放ちながら、熱く語り始めた。
「でもね! 勇者様は魔族をいじめたくて戦ったんじゃないんだよ! 誰も傷つかない世界を作るために、話し合いができなかったから、悲しいけど剣を抜いたんだ! 僕なら、魔王が悪いことをする前に、一緒におにぎりを食べてお友達になるよ!」
「お、おにぎり……? お友達……?」
エミリアちゃんの小さな脳細胞は、すでに処理許容量を超えて、完全にフリーズしかけていた。
2歳児の口から飛び出す「侵略と正当防衛の歴史論」と「武力を用いない超次元の和解論」。しかも、タケルの周囲には物理的な光が舞い、エヴァの背後には薄暗い闇のオーラが漂っている。
「うにゃ(おいおい、3歳の純真なヒロインに、マニアックな脳内知識を押し付けるのはやめるにゃ。エミリアが知能の暴力で泣いちゃうにゃ)」
梁の上から、ララが冷や汗を流しながら突っ込む。
私は慌ててリビングに入り、エミリアちゃんをフォローした。
「エミリアちゃん、ごめんね! この子たち、ちょっとお母さんの影響で、難しい言葉を覚えるのが流行ってるの! エミリアちゃんの読み聞かせ、とっても上手だったわよ!」
「……ホント? エミリア、お姉ちゃんだもん。もっと違う遊び、しよ!」
私の言葉に救われたエミリアちゃんは、すぐに気を取り直して、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあね、次は『おままごと』をしよう! エミリアがお母さんで、タケルくんとエヴァくんが、エミリアの子供ね!」
「「……えっ?」」
その提案を聞いた瞬間、タケルとエヴァの顔が、同時に引きつった。
「おままごと」といえば、子供たちの微笑ましい役割分担が定番だ。
しかし、我が家の双子にとって、「お母さん」という存在は、世界で最も神聖で、最も絶対的な、唯一無二の座(鈴木カオリ)であった。
「却下する」
エヴァが、ピシャリと冷徹に(しかし可愛い声で)言い放った。
「ぼくのお母さんは、世界にただ一人、カオリだけだ。エミリアがいくら1歳年上とはいえ、お母さんの座を僭称することは容認できない。家族の秩序が崩壊する」
「僕もエヴァに賛成! お母さんはおかーたんだけだよ! おままごとでも、他のお母さんは嫌だ!」
タケルも激しく首を横に振り、エヴァと完全にガッチリ同盟を組んだ。
普段は私の特等席(膝の上)を奪い合うライバル同士だが、「カオリ以外をお母さんと認めない」という一点において、二人の絆は鉄壁だった。
「え、えぇ〜……。でも、おままごとは、女の子がお母さんをやるのが決まりなんだよ?」
エミリアちゃんは、少し泣きそうになりながら唇を尖らせた。お姉ちゃんとしての威厳を保ちたいのに、2歳児の双子にロジックと熱意で完全論破されかけている。
これはいけない。将来のヒロインを2歳にしてトラウマにさせるわけにはいかない。
私は慌てて、前世の総務部仕込みの「折衷案」を提示した。
「よし! じゃあね、エミリアちゃんが『王国の女王様』で、タケルちゃんとエヴァちゃんが、女王様に仕える『かっこいい騎士様』っていう設定はどうかしら?」
「じょおうさま……? きしさま……?」
エミリアちゃんの瞳が、ぱぁぁっと輝いた。女の子にとって、プリンセスや女王様というのは、お母さん役に匹敵する、あるいはそれ以上の憧れのポジションだ。
「うん! エミリア、女王様やる! タケルくんとエヴァくんは、エミリアを守る騎士ね!」
「それなら合意できる。女王というシステムは、国家運営において妥当な役割だ」
エヴァが偉そうに頷く。
「僕、騎士様! エミリア女王様を、かっこいい聖剣で守るよ!」
タケルも嬉しそうに、木刀をビシッと構えた。
こうして、一触即発のおままごと(家族崩壊の危機)は、無事に「超次元ごっこ遊び」へとシフトしたのだった。
「女王様! 大変です! あそこに、わるいドラゴンがいます!」
庭に出たタケルが、生垣の向こうを指さして叫んだ。
タケルの指す先には、ただの大きめのトカゲ(この世界ではごく普通の無害な爬虫類)が日向ぼっこをしていた。だが、タケルたちにとっては立派な「討伐対象の巨獣」である。
「まぁ! 騎士様、あのドラゴンをやっつけて!」
エミリアちゃんが、お盆の王冠を頭に乗せて、お淑やかに(?)命令を下す。
「御意、女王陛下。……我が漆黒の魔力をもって、あのトカゲを次元の狭間へと追放しよう」
エヴァが小さな人差し指をトカゲに向けると、その指先から、バチバチと禍々しい漆黒の魔力球(明らかに幼児の遊びの枠を超えた即死魔法)が形成され始めた。
「待て、エヴァ! ここは僕の『聖剣斬』で、一刀両断にするのが王道だよ!」
タケルが木刀を構えると、その木刀が黄金の闘気を帯びて、キィィィィンと高音の風切り音を立て始める。
二人の気迫に圧されて、生垣のトカゲは恐怖で完全に硬直していた。
というか、その魔法と斬撃が放たれたら、トカゲどころか、我が家の庭と生垣、さらにはお隣の農地までが爆風で消し飛ぶのは確実だった。
「あんたたち、ストーーーップ!!!」
私が叫ぶよりも早く、生垣の上から「影」が躍り出た。
シュババババッ!!!
「ぎゃうっ!?」
「ふにゃっ!?」
タケルとエヴァの脳天に、正確無比な『神速の猫パンチ』が炸裂した。
黄金の闘気も、漆黒の魔力も、ララの容赦のない肉球の物理衝撃によって、一瞬にして綺麗に霧散させられた。
「にゃ。庭を壊す不届き者は、女王の命令だろうが何だろうが、この私が許さないにゃ」
着地したララが、鋭い爪をシャキッと光らせて二人を睨みつける。
その圧倒的な強さと、威厳。
それを見たエミリアちゃんは、恐怖するどころか、そのキラキラした瞳を限界まで輝かせた。
「わぁぁぁ! すごい! しゃべる猫の、かっこいい格闘家さんだわ!」
「……にゃ?」
ララが思わず、片耳をピクッと動かした。
「しゃべる猫さん! エミリアの国の、一番えらい『大将軍』になって! おねがい!」
エミリアちゃんは、ララの手元(前脚)をぎゅっと握りしめて、拝むように見つめた。将来の聖女のピュアな信仰心が、3歳にして早くも発揮されている。
「う、うにゃ(こ、このガキ……私を大将軍に任命するとは、なかなかの審美眼を持ってるにゃ……。まぁ、そこまで言うなら、一時的に軍事顧問になってあげてもいいにゃ……)」
ララは照れ隠しにそっぽを向きながらも、尻尾をパタパタと嬉しそうに揺らしていた。どうやら「お姉ちゃん」を自称するエミリアちゃんの純真な可愛さに、あの偏屈な三毛猫も一瞬で陥落してしまったらしい。
「やったー! 猫の将軍様、タケル騎士、エヴァ騎士、みんなでドラゴン(トカゲ)を捕まえにいこう!」
「「おー!」」
エミリアちゃんの号令のもと、タケルとエヴァ、そしてララ大将軍が、庭を駆け回り始めた。
トカゲを傷つけないように、けれど全力で追いかける2歳と3歳の子供たち。
その微笑ましい(一部、超高速移動や空間転移が混ざっているが)光景を見ながら、私は縁側に腰掛けて、お茶を一杯すすった。
(うん、いいわね。やっぱり子供は、こうして近所のお友達と元気に遊ぶのが一番よ)
原作ゲームでは、孤独と使命感に押し潰されそうになっていたタケルとエヴァ。
だけど、この温かいルミナ村で、お世話焼きなエミリアちゃんや、喋る猫のララと一緒に、泥だらけになって遊ぶ日常。
この何気ない、けれど絶対に失いたくない「子供らしい時間」こそが、将来、二人を最強の絆で結びつける最強の防壁になるのだ。
夕方になり、空が美しい茜色に染まる頃。
エミリアちゃんの家から「エミリア、ご飯よー!」とお母さんの呼ぶ声が聞こえてきた。
「あ、もう帰らなきゃ。カオリおばちゃん、今日もありがとうございました!」
エミリアちゃんは、すっかり泥だらけになったドレスの裾をはたきながら、お行儀よくお辞儀をした。
「ううん、こちらこそ遊んでくれてありがとうね、エミリアちゃん。またいつでもおいでね」
「うん! タケルくん、エヴァくん、また明日ね! 明日もお姉ちゃんが、いっぱーい遊んであげるからね!」
そう言って、エミリアちゃんは元気に手を振りながら、生垣の隙間を通ってお隣の家へと走っていった。
その小さな後ろ姿を、タケルとエヴァは、並んでじっと見送っていた。
タケルの澄んだ青い瞳にも、エヴァの神秘的な深紅の瞳にも、かつての「警戒心」や「拒絶」の光はどこにもなかった。あるのは、ただの「また明日ね」という、幼馴染への純粋な親しみだけだ。
「タケル、エミリアお姉ちゃん、楽しかった?」
私が尋ねると、タケルは嬉しそうに私の足にしがみつきながら答えた。
「うん! エミリアおねえちゃん、ちょっとうるさいけど、とっても優しいよ! 僕、もっと強くなって、おかーたんと、エミリアもお守りするんだ!」
「まぁ、嬉しい。頼りにしてるわね、タケルちゃん」
タケルを撫でていると、今度はエヴァが、私の反対側の足にしがみつき、少し悔しそうに口を開いた。
「……ぼくも、エミリアの『おままごと(国家ごっこ)』は、非科学的だけど嫌いではない。お母さんの次に、少しだけ、あのお姉ちゃんのことは認めてあげてもいい」
「ふふ、エヴァちゃんもエミリアちゃんのことが大好きなのね」
「……ち、違う! ぼくは、ただ、臣民としての資質を評価しただけで……っ!」
エヴァは真っ赤になって私のエプロンに顔を埋めた。相変わらずツンデレのクオリティが高い。
「にゃ。とりあえず、第4話(近所の子供との交流)は、これ以上ない大団円だにゃ。あとはカオリが、この子たちに『女の子への正しい接し方』を今のうちから叩き込んでおくことだにゃ。じゃないと、将来、勇者と魔王が、一人の聖女を巡って修羅場を展開することになるにゃ」
ララが私の肩に飛び乗り、耳元で恐ろしい予言を囁いた。
「ひえっ……! そ、それだけは絶対に阻止するわ! 将来のヒロイン争いなんて、私の健全な全年齢対象(全年齢向け)小説のコンセプトに反するわ!」
光の勇者タケルと、闇の魔王エヴァ。
二人の男の子が、一人の少女、そして一人の「母親」の元で、少しずつ、けれど確実に、優しい「人間」としての心を育んでいく。
その幸せな日常の先に待つ未来は、血塗られた殺し合いなどではなく、きっと、もっと温かい、みんなで食卓を囲むような世界のはずだ。
私は双子を両腕にしっかりと抱きしめ、茜色の空を見上げながら、これからの賑やかな日々に、改めてワクワクとした決意を燃やすのだった。




