第15話:夏休みの宿題と、爆誕した『魔力暴走アサガオ』の脅威
「さあ、皆さん! いよいよ待ちに待った王立学校初等科の『夏休み』が始まりましたよ!」
白亜のエリート校舎から離れ、ルミナ村の我が家の木造平屋。
青々とした緑が広がり、セミの鳴き声が心地よく響き渡る夏空の下、私はエプロンのポケットに両手を突っ込みながら、庭先で元気に跳ね回る双子を見上げてニッコリと微笑んだ。
一学期の期末試験でエヴァが総合首席、タケルが次席という見事なワンツーフィニッシュを飾り、ライバルであるローランくんとの熱い友情も育まれ、我が家の生活は文字通り「ハッピーの絶頂」にあった。
「やったあ! 夏休みだぁぁぁ!」
赤髪の長男タケルは、嬉しさのあまり黄金の『勇者の闘気』をパーンと弾けさせ、庭の芝生をパタパタと軽快に駆け回る。
「……ふん。夏休みといえども、油断は大敵だ。僕はこの一ヶ月間で、王立学校の図書館から借りてきた古文書五十冊を読破し、次学期の魔導理論の先取り学習を完璧に完了させる予定だよ」
黒髪の次男エヴァは、相変わらず冷静沈着に冷徹な美少年を気取りつつも、その深紅の瞳は「お母さんと一緒に過ごせる長い時間」に歓喜のあまり潤んでおり、背後で蠢く漆黒の魔力(便利触手)が嬉しそうにフリフリと揺れていた。マザコン全開の素晴らしい二ヶ月の幕開けである。
「にゃーお(まったく、夏休みだからといって気が緩んでいると、ろくなことにならないにゃ)」
縁側の特等席で、我が家の絶対的権力ピラミッド第二位・三毛猫のララ先生が、優雅に毛づくろいをしながら日本語で冷静に釘を刺した。
「ふっ、ララ先生の言う通りだ。だが、この夏、我々には学術的探求と食欲の追求という、二大重大ミッションが残されている。……そう、カオリ殿が約束してくれた、夏休み初日特製の【冷やし中華】の提供時間を心待ちにしているのだがね?」
サラサラと白銀の長髪をなびかせた高身長イケメン――実年齢六百歳超のエルフ大魔導士シリウスさんが、胃袋のマナを完全開放した状態でキッチンをじっと覗き込んでいた。相変わらず、我が家の平和はこの美味しい家庭料理の香気によって完璧に維持されている。
だが――。
この平和な夏休みの初日、私の母としての「総務部仕込みの危機管理能力」を根底から揺るがす、恐るべきトラップが仕掛けられていたことを、この時の私たちはまだ知る由もなかった。
*
その事件の引き金は、王立学校から出された一冊の「夏休みの宿題プリント」だった。
【初等科一年生・夏休みの自由課題:『植物の育成観察日記』】
植物の成長を通じて、自然界のマナ(魔力)の循環を学ぶという、至って普通の、一般の子供たちにとっては微笑ましい健全な課題である。学校から全員に、小さな「アサガオの種」が一粒ずつ支給されていた。
「へぇ、アサガオの種かぁ。昔、お母さんも小学校の時に育てたことがあるわ懐かしいわねぇ」
私は台所で冷やし中華の麺を茹でながら、リビングの机でその小さな種をじっと見つめている双子の様子を眺めていた。
「アサガオ……か。植物の光合成サイクルと、土壌中の養分吸収効率に関する実地データか。ふむ、面白そうだね」
エヴァが、机の上に出された小さなアサガオの種を、興味深そうにピンセットでつまみ上げた。
「うん! タケル、この種を一番大きくて綺麗なアサガオに育てて、おかーたんにプレゼントするんだ!」
タケルも嬉しそうに小さな鉢植えと黒々とした土の入った袋を用意し始めた。
ここまでは、本当に、心の底から「よくある平和な夏休みの風景」だった。
――問題は、我が家の双子が「常人とは違う圧倒的なバケツ(魔力容量)」の持ち主であるという、致命的な事実を私たちが(一時的に)忘れていたことだ。
「……ねえ、エヴァ」
タケルが、プランターに種を植えながら首を傾げた。
「この種、なんだか少し小さくて寂しそうじゃない? もっと元気に、お母さんがびっくりするくらい立派に育ってくれたら嬉しいよね」
「確かに。王立学校の一般基準の育成スピードでは、僕たちの美的基準を満たさない可能性があるな。……少しだけ、僕たちの『微量のマナ』を注ぎ込んで、成長をブースト(加速)させておこうか」
「うん! じゃあ、せーので一緒に魔力を注ごう!」
――カチッ。
二人の頭の中で、何かの危険なスイッチが入った。
いや、彼らにとっては「ほんのり愛情を込めたつもり」の軽い気持ちだったのだ。タケルが黄金の『勇者の闘気』をほんの一滴、エヴァが漆黒の『魔王の魔力』をほんの一匙、それぞれ植木鉢の土の中に染み込ませた。
シューーーーーーッ……!!!
瞬間。
プランターの土から、この世のものとは思えない不気味な高密度マナの奔流が噴き上がった。
「「えっ……?」」
双子がぽかんと口を開けたその直後――。
バリバリバリッ!!! ドカッ!! ボンッ!!!!!
植木鉢がまず粉々に爆散した。
そして、その中から飛び出した一粒のアサガオの芽は、常識の物理法則を完全に無視して、一瞬で「怪樹」へと変異を遂げた。
ぐねぐねとうねる漆黒と黄金の太いツルが、マザコンの執念を具現化したかのように猛烈なスピードで四方八方に爆発的繁殖を起こし始めたのだ。
「なっ……!? なんだこれ!? ツルが勝手に動くぞ!?」
「論理的予測値を超えている! 僕たちの魔力を吸収したアサガオが、独自の自立思考と無限増殖の生物兵器に進化している……!?」
ブワァァァァァァ―――ッ!!!
止まらない。ツルはリビングの床を突き破り、壁を這い上がり、窓ガラスを突き破って外へと溢れ出した。
わずか十秒足らずの出来事だった。
我が家の木造平屋の周囲には、すでにビル三階建ての高さに匹敵する「超巨大アサガオのジャングル」がそびえ立ち、その巨大な青や紫の花々は、不気味なまでに禍々しい魔力の光をパチパチと放ちながら、さらなる拡散を続けていた。
「うにゃあああ!? 何だこの植物テロはーーーっ!!!」
縁側でお昼寝をしていたララ先生が、もの凄い勢いで飛び起き、天井の梁へと必死に避難しながら絶叫した。
「な、何事だぁーーーっ!? 我が家の敷地が、謎の巨大植物に完全に侵略されているぞ……っ!!」
キッチンから冷やし中華の皿を持ったまま飛び出してきたシリウスさんが、あまりの光景に美形を盛大に歪めて腰を抜かした。
そして、我が家の庭だけでなく――その爆発的な魔力植物の勢力は、ルミナ村全体の空を覆い尽くし始めた。
*
「ひ、ひえぇぇぇぇーーーっ!? 村が、村が巨大なアサガオのモンスターに飲み込まれるぅぅぅーーーっ!!」
「助けてくれぇ! 家の玄関が花びらで塞がれて出られないぞ!!」
「誰だ! 村の真ん中にこんな危険な魔導植物を植えたバカ野郎は――っ!!!」
ルミナ村の広場は、一瞬にして大パニックのるつぼと化していた。
村人たちが鍬やバケツを持って右往左往し、あちこちで「お助けをーー!」と悲鳴が上がっている。村全体が、鈴木家の双子が育てた(魔力ドーピングしすぎた)アサガオのツルによって完全に監禁状態に陥っていた。
その村の只中に、我が家の双子を連れて、私は冷や汗を滝のように流しながらトボトボと歩み出ていた。
「……タケル、エヴァ」
「「はい……」」
二人の天才児は、自分たちがしでかした大惨事のスケールの大きさにようやく気づき、耳をピタリとしおれさせながら、縮こまって小さくなっていた。
そこへ、ルミナ村の絶対的最高権力者にして、村の生き字引である村長の【ハン爺】が、怒髪天を突く勢いで杖をカンカンと鳴らしながら猛烈なスピードで近づいできた。
ハン爺は、幾多の修羅場を潜り抜けてきた村の長老だが、今日の怒りは歴代最高潮に達していた。
「おい、カオリさーーんっ!! 一体どういうことだ、これはぁーーっ!!!」
ハン爺の怒声が、村中に響き渡った。彼の頭の上には、なぜかピンク色の巨大なアサガオの花が一輪、ピョコンと乗っかっている。
「はん、ハン爺さん……! 本当に申し訳ありません……っ! これはですね、子供たちの夏休みの宿題で……その、少しだけ愛情を注ぎすぎたら、魔力が暴走しちゃって……!」
私は平身低頭、これ以上ないほどの最敬礼で必死に謝罪した。元総務部として培った「理不尽なトラブルにおける最速の土下座謝罪スキル」が全開で稼働している。
「宿題だとぉ!? こんな凶悪な人食いジャングルみたいなアサガオがあるかぁ! おかげで私の大切な畑も、村の集会所も、すっかりあの怪奇植物のツルに占領されてしまったじゃないか!! 村長としての私の威厳が丸潰れだぞ、コンチキショーめ!!」
ハン爺は杖を激しく地面に突きつけ、真っ赤な顔をして怒鳴り散らした。
当然である。村のインフラが、一小学生の夏休みの宿題によって完全に機能停止しているのだから。村人たちも「そうだそうだ! 村長、あの問題児の双子を厳重注意してくれ!」と後ろから同調の声を飛ばす。
その時だった。
双子の次男エヴァが、少し青ざめながらも、すっと一歩前に出た。
「……村長。騒音を立てて申し訳ない。だが、この植物の生態系データはすでに僕の脳内で完全に解析されている。僕たちが放出した魔力の逆流波長を測定し、根元のコアを特定の周波数で中和すれば、三十分以内に全てのツルを安全に消滅させることが可能だ。……今すぐ、僕が責任を持って原状復帰の処理を行おう」
エヴァの冷徹で理路整然とした説明に、ハン爺は「お、おう……?」と少し気圧されたが、すぐに「そんな小難しい理屈を並べるんじゃない! とにかく一刻も早くこの不気味な花をどうにかしなさい!」とさらに怒声を浴びせた。
「タケルも、お手伝いする! 村の皆さん、ごめんなさい……!」
赤髪のタケルも、しょんぼりとしおれながら、黄金の闘気を細くコントロールし、アサガオのツルの除去作業の準備を始めた。
(はぁ……せっかくの夏休みの初日だというのに、我が家の双子が村中で大目玉を食らうハメになるなんて……。お母さん、ちょっとショックだわ……)
私はハン爺の怒号を浴びながら、心の中で深々とため息をついていた。
せっかく村の英雄としてみんなに愛されていたのに、今回の「アサガオ大繁殖事件」で、子供たちのメンタルが少しでも凹んでしまったらどうしよう。そんな母親としての心配が、胸の奥をチクチクと刺していた。
*
それから一時間後。
エヴァの完璧な魔力中和プログラムと、タケルの精密な力加減による撤去作業のおかげで、村中を覆い尽くしていた「魔力暴走アサガオ」は、綺麗さっぱり跡形もなく消滅し、ルミナ村は無事に平和な日常を取り戻した。
村人たちも「やれやれ、何とか元に戻ってよかったよ」「まあ、子供のすることだからな」と、苦笑しながらそれぞれの家路についていった。
だが、我が家のリビングは、まだどんよりとした「反省ムード」に包まれていた。
タケルとエヴァは、ダイニングテーブルの椅子に小さく縮こまって座り、下を向いたまま一言も喋らない。
「……おかーたん、ごめんなさい。僕たちが調子に乗って魔力を込めすぎたから、村中が大騒ぎになっちゃって……。もう、二度と宿題で変な魔法は使わないよ……」
タケルがポロポロと涙を浮かべながら謝る。エヴァも「僕の魔導計算の甘さが招いた致命的なミスだ。お母さんの名誉に泥を塗ってしまった……」と、完全に自己嫌悪のどん底に落ち込んでいた。
その姿を見た私の胸の奥で、母性の炎がパッと激しく燃え上がった。
(あぁもう……! 反省している子供をこれ以上叱るなんて、お母さんのできることじゃないわ!)
確かに大迷惑な事件だったけれど、二人が一生懸命に解決して、自分の非を素直に反省しているのだ。こんな時こそ、母親の特製愛情料理で、子供たちの傷ついたハートを優しく包み込んであげなければならない!
「二人とも、顔を上げなさい!」
私がピシッとエプロンの紐を締め直して声をかけると、双子はビクッと肩を揺らして顔を上げた。
「失敗することは誰にでもあるわ。大切なのは、その後どうするかでしょ? 落ち込んでいる暇があったら、お母さんと一緒に、今日お世話になった村の皆さんと……特に、一番怒らせちゃったハン爺さんのところに、お詫びの品を持って謝りに行きましょう!」
「お詫びの品……?」
「そうよ! 実はね、この夏休みの初日のために、お母さんはとびきりの秘密兵器を用意していたの!」
私はキッチンに駆け込み、大きな大きなお櫃と、専用の重箱を持ってきた。
蓋をパカッと開けた瞬間、リビングに広がる甘酸っぱくて香ばしい、最高の匂い。
そこに鎮座していたのは、ふっくらと炊き上げた白米(大麦ブレンド)に特製の甘辛いお揚げを丁寧に巻き上げ、中にゴマと香ばしいクルミを混ぜ込んだ、我が家の最高傑作――【特製・極上いなり寿司】の山だった。
「わあぁ……! これ、いなり寿司だ!」
「お母さん、これは……?」
「よし、このいなり寿司をきれいに重箱に詰めて、ハン爺さんの家にお詫びの挨拶にいくわよ! きっと、ハン爺さんもこの美味しさを一口食べれば、さっきの怒りなんて一発で吹き飛んじゃうんだから!」
*
ルミナ村の村長・ハン爺の自宅。
私たちは、すっかりしょんぼりした双子を引き連れ、ハン爺の家の玄関の扉を叩いた。
「はーい、どちらかな……って、おい! お前たちはさっきの……!」
扉を開けたハン爺は、私たちの顔を見るなり、また眉間に険しい皺を寄せようとした。
「はん爺さん、先ほどは本当に、うちの子たちがご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした……! 村の皆さんの分の復旧も、すっかり終わりましたので……! それで、これは我が家からの心からのお詫びの品です。どうか受け取ってください!」
私は満面の笑みを浮かべ、重箱の蓋をパカッと開けて、あの黄金色に輝く【特製・極上いなり寿司】をハン爺の目の前に差し出した。
――瞬間。
いなり寿司から立ち昇った、甘辛いお揚げの出汁と、炊き立てご飯の酢の爽やかな香気が、ハン爺の鼻腔をダイレクトに強襲した。
「ほ、ほう……? これは……また、見事な黄金色の……」
ハン爺は、さっきまでの「怒れる村長」としての威厳をすっかり忘れ去り、いなり寿司のあまりの美しさと香ばしさに、思わずゴクリと大きな喉を鳴らした。
「お揚げがしっかりと出汁を吸って、このテリとツヤ……! よければ、一ついかがですか? お口に合うか分かりませんが……」
私が促すと、ハン爺は「う、うむ……そこまで言うなら、村長としての『毒見(味見)』の義務として、一つだけいただくとしよう……!」と、プライドを保ちつつも、震える手でお皿からいなり寿司を一つ掴んだ。
そして、それをパクリと口に含んだ。
「――っ!!?」
ハン爺の老いた身体が、ビクンと激しく硬直した。
彼の濁りのない(しかし食欲に満ちた)目が限界まで見開かれ、そのシワの刻まれた顔に、衝撃の感動が走る。
「こ、これは……っ!! 甘辛く煮込まれたお揚げのジューシーな旨味が噛んだ瞬間にジュワッと溢れ出し、中の酢飯の絶妙な酸味とクルミの香ばしいアクセントが完璧に調和している……! 何だこの、魂が震えるような懐かしくも新しい味わいは……美味い……美味すぎるぞぉぉぉーーーっ!!!」
ハン爺は、完全に陥落した。
彼は止まらなくなり、もう一つ、さらに三つと、次々にいなり寿司を口へと運び、あっという間に重箱の半分を一人で平らげてしまった。
「ふぅーーーっ……! 参った……完全に参ったぞ、カオリさん……!」
ハン爺は最後のいなり寿司を飲み込むと、満足そうに大きなお腹をポンと叩き、それから私の後ろでビクビクしていたタケルとエヴァを優しい目で一瞥した。
「まったく、あんなとんでもない怪奇アサガオを咲かせるからには、どんな大悪党の息子たちかと思ったが……これほど絶品な『いなり寿司』を作れる母親の元で育った子供たちだ。根が悪い奴らであるはずがない!」
「はん爺さん……!」
「わかった! 今回の件は、あの巨大アサガオのツルを我が家の薪用に全部提供してもらうということで、一件落着、不問とする! ……ただし、今後あの美味しい『いなり寿司』を月に一回、我が家に差し入れること、これが和解の条件だ!」
ハン爺は豪快にガハハと笑い声をあげた。
その言葉を聞いた瞬間、タケルとエヴァの顔に、パァァッと明るい笑顔が戻った。
「やったぁ……! ハン爺さん、ありがとうごさいました!」
「……おじいさん、ご迷惑をおかけしました。これからは、月に一回のいなり寿司の定期便を必ず約束するよ」
二人は心底ホッとしたように、私の両手(あるいはエプロンの裾)をギュッと掴み、安心した顔を見せた。
夕暮れ時のルミナ村。
夏休みの初日は、盛大なハプニングから始まったけれど、最後は我が家の「最強の家庭料理」の力によって、すべてが最高に温かいハッピーエンドへと着地したのだった。
「にゃーお(まったく、騒々しい夏休みの始まりだったにゃ。だが、いなり寿司の味は最高だったにゃ)」
帰り道、私の肩の上でララ先生が満足そうに喉を鳴らす。
「さあ、みんな! お家に戻って、今度こそ冷やし中華を食べましょうね!」
「「「おーーーっ!!!」」」
光の勇者と闇の魔王、そして最強の仲間たちを両腕に抱え、鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、波乱万丈の夏休みをさらに美味しく、賑やかに駆け抜けていくのだった。




