第12話 放課後のダンジョン探索
「さて、皆さん。午後の授業は『初等科初級ダンジョン・実地探索実習』を行います!」
王立学校初等科の一日目、午後。
担任であるマチコ先生が、いつものキリッとした銀縁メガネを中指でクイッと押し上げながら、教壇の上からクラス全体を見渡した。彼女の顔には、午前中の『唐揚げテロ』の件ですっかり胃袋を掌握された面影はなく、再びプロフェッショナルなスパルタ教師の冷徹なオーラが戻っていた。
――もっとも、教壇の端に置かれた彼女の私物バッグからは、なぜか「予備の唐揚げが入ったタッパー」の匂いがほのかに漂っていたが、それは大人の優しさとしてそっとしておいてあげよう。
「この学校の敷地地下には、初等科の生徒が安全に魔力戦闘の基礎を学ぶための小規模な『人工ダンジョン』が完備されています。本日の実習は三人一組のチーム戦。ダンジョン内に潜む低級魔獣を討伐し、最奥にある『試練の石版』を持ち帰るまでのタイムを競ってもらいます」
マチコ先生の言葉に、教室の空気が少しだけピリリと引き締まった。
貴族の子息たちは「よーし、僕の華麗な魔法で首席を取ってやるぞ」「足を引っ張るなよ」と、早くもチームメイト同士で小声の作戦会議を始めている。
そんな中、我が家の双子――長男タケルと次男エヴァの席の周りには、なぜか奇妙な緊張感が漂っていた。
「ねえ、君たち……!」
ガタッ、と勢いよく立ち上がったのは、午前中の唐揚げで完全に胃袋を屈服させられたライバル貴族の少年・ローランくんだ。彼は顔を少し赤らめ、誇り高いプライドと抗えない食欲の狭間でプルプルと震えながら、二人の机の前に歩み寄ってきた。
「な、なんだい、金髪くん。お昼の唐揚げがまだ足りなかったの?」
赤髪のタケルが、黄金の『勇者の闘気』をパチパチさせながら純粋な疑問を投げかける。
「ち、違うわっ! 唐揚げの話なんて一言もしてないだろうっ!」
ローランくんは慌てて顔を背け、しかしすぐにキリッと澄ました顔を作って胸を張った。
「い、いいかい? マチコ先生が『三人一組のチーム』と言った時、僕の頭脳と君たちの……その、なんだ、変な火力の高さを組み合わせれば、この実習で圧倒的なスコアを出せるという論理的結論に至ったんだ! だ、だからね、仕方なく、僕が特別に君たちとチームを組んであげてもいいと言っているんだよ! 感謝したまえ!」
完璧なまでのツンデレ王国代表スピーチである。
エヴァは冷徹な深紅の瞳を細め、ローランくんをじっと観察した。彼の背後で蠢く漆黒の魔力(便利触手)が、ペラペラとローランくんのスペックを脳内査定するような動きを見せる。
「……ふん。論理的構築力と魔導知識の面において、君をチームに組み込むことは、僕たちの『作業効率の向上』にわずかばかり寄与するだろう。だが条件がある。放課後のお母さんのデザートの配分権を主張しないことだ」
「なんだと!? 誰がそんな食い意地の張った条件を――って、デザートって何が出るんだよ!?」
「今日のデザートは、カオリ殿特製の【なめらか濃厚プリン】だがね」
教室の後方、見学席に座っていたシリウスさん(白銀の髪をなびかせた六百歳のエルフ大魔導士・兼・我が家の居候)が、すっと手を挙げて爽やかに宣伝をブッ込んだ。
「プリン……だと……!? 王宮の晩餐会でも滅多にお目にかかれないという、あの伝説の卵とミルクの黄金デザートが……っ!」
ローランくんの琥珀色の目が、一瞬で欲望の光に染まった。彼はゴクリと大きな喉を鳴らし、即座にプライドをゴミ箱へダンクシュートした。
「わ、分かった! そのプリンの権利……いや、チーム結成を承認する! さあ、行くぞタケル、エヴァ!」
こうして、光の勇者、闇の魔王、そしてツンデレ貴族という、前代未聞の「最強かつ最果ての小学生チーム」が爆誕したのだった。
*
王立学校の地下、初等科用ダンジョン『ガーデン・ラビリンス』。
ひんやりとした石造りの通路、微かに発光する魔導ゴケの青白い光が、神秘的な雰囲気を醸し出している。
「すごいね、エヴァ! ここ、本物の冒険のダンジョンみたいだ!」
タケルは黄金の闘気を纏った木刀を軽快に振り回しながら、ワクワクした表情で周囲を見回している。
「……タケル、はしゃぎすぎないことだ。このダンジョンに生息しているのは、初等科用の『アイアン・ボア(鉄の猪)』や『ウィンド・スライム』など、低級の魔獣ばかりだ。僕の魔導計算によれば、秒速で殲滅可能だね」
エヴァが冷静に分析しつつ、その手から漆黒の魔力を小さな球体として漂わせている。
「ちょ、ちょっと二人とも! もう少し緊張感を持ちたまえよ!」
ローランくんは、震える手で精巧な金色の魔導杖を構え、周囲を警戒しながら二人の後ろをピタリと追従していた。六歳の貴族エリートにとって、本物のダンジョンは本来なら失神レベルの恐怖体験なのだが、なぜか目の前の双子がマイペースすぎて恐怖を感じる暇すらなかった。
「にゃーお(おや、前方の十字路から、さっそくお邪魔虫の群れがやってきたにゃ)」
チームの引率(という名の試食係兼お散歩)として後ろからついてきていた我が家の愛猫・ララ先生が、優雅に前足を舐めながら声を上げた。
ズシン、ズシン……!
暗い通路の曲がり角から、ゴツゴツとした黒い装甲を持つ巨大な猪の魔獣――『アイアン・ボア』が三頭、興奮した様子で突進してきた。その口からは不気味な泡が垂れ、通常の子供なら一撃で跳ね飛ばされるほどの威圧感を放っている。
「ぎゃ、魔獣だ……っ!? 誰か、防御結界を――!」
ローランくんが青ざめて杖を掲げようとした、その瞬間。
「僕がやる!」
タケルがパッと前に飛び出した。
彼の身体から、眩い黄金の闘気が一気に爆発する。
「――『聖剣・破邪の一撃(簡易・育児モード)』!」
ボコンッ!!
タケルが木刀を軽く振り抜いただけで、発生した衝撃波が通路の壁の石造りを綺麗に避けて、正面のアイアン・ボア三頭の突進エネルギーを完全に相殺。さらに、優しく「ポスッ」と頭を撫でるような威力の打撃が加わり、三頭の巨大な猪は「ブヒーッ」と情けない声を上げながら、同時に白目を剥いてひっくり返った。
秒殺だった。戦闘時間、わずか二秒。
「ふふん、どうだ! タケルの特訓の成果だよ!」
タケルが胸を張って振り返ると、ローランくんは口をポカーンと開けたまま、杖を取り落として固まっていた。
「い、いまの……魔力を使わず、純粋な肉体の闘気だけでアイアン・ボアの群れを……!? 嘘だろ、あんなの、高位の騎士団長クラスの物理技じゃないか……!」
「驚くのは早いよ、ローラン。次は僕のターンだ」
エヴァが冷徹に微笑み、指先をピッと鳴らした。
通路の天井から不意打ちを狙って飛び降りてきた『ウィンド・スライム』(酸性の粘液を飛ばす厄介な魔獣)の群れに対し、エヴァは静かに手をかざす。
「――『暗黒消滅・空間隔離(衣類洗浄プログラム)』」
シュンッ!
スライムたちは悲鳴を上げる暇もなく、エヴァの精密な魔力制御によって、その身体の粘液成分と不純物だけが綺麗に分離・浄化され、あっという間に「ただの透明な水玉」と「無害なゼリー」へと変換されて床にポトポトと落ちた。
「す、スライムの生態系を分子レベルでハッキングして無力化しただと……!? 君は一体、何者なんだ……!」
ローランくんは頭を抱え、自分のエリートとしてのプライドが音を立てて崩壊していく音を聞いていた。ルミナ村の田舎者だと思っていた双子は、魔王と勇者という名の「反則級のバグキャラクター」だったのだ。
「ふぅ……これで雑魚の掃討は完了だね。さあ、最奥の『試練の石版』を回収して、お母さんの待つ家に帰ろう」
エヴァが何食わぬ顔で歩き出そうとした、その時だった。
ドゴォォォン……ッ!!!
ダンジョンの奥深くから、これまでの低級魔獣とは比較にならない、地獄の底から這い上がるような凄まじい「闇の地鳴り」が響き渡った。
「な、なんだ今の音は……!? 地震か!?」
ローランくんが恐怖で腰を抜かす。
その瞬間、ダンジョンの遠くの通路から、紫色の禍々しい瘴気が凄まじい勢いでこちらに向かって押し寄せてきた。
「うにゃ(おや、これは面白い趣向にゃ。初等科の安全なダンジョンのはずなのに、下層の封印が解けて【上位変異種・アビス・キマイラ】が迷い込んできたみたいにゃ)」
足元で、ララ先生が全く焦る様子もなく、むしろ「どれどれ」といった感じで尻尾をパタパタさせている。
アビス・キマイラ。ライオンの頭、ヤギの胴体、そして毒を持つ蛇の尻尾を持ち、黒い炎を吐き出す中級〜上級ダンジョンクラスの凶悪な魔獣だ。なぜそれが初等科の練習用ダンジョンにいるのか――それはもちろん、物語のドラマを生み出すための「お約束のトラブル」である。
「みんな、下がって!」
タケルが前に立ち塞がり、黄金の闘気を全身全霊で解放した。彼の背後に、聖剣の幻影がうっすらと浮かび上がる。
「あの魔獣、さっきの猪よりずっと強い……! でも、僕たちがここで退いたら、お母さんにカッコいいところを見せられない!」
「……同感だ、タケル。あんな醜悪なキマイラが、僕たちの平穏な放課後の時間を邪魔する権利はない。――消し去る」
エヴァの背後から、闇のオーラが巨大な翼のようにブワッと広がり、周囲の空間の重力を歪め始めた。
二人の少年から放たれる「光と闇の極致のプレッシャー」の前に、突進してきかけたアビス・キマイラは、本能的な恐怖でピタリと足を止め、全身の毛を逆立ててガタガタと震え出した。魔獣のくせに、自分が狩られる側であることを察知して泣きそうになっている。
「ま、待て……! 君たち、二人だけでそれを倒すつもりかい……!? あ、相手は一歩間違えれば初等科の生徒全滅クラスの危険種だぞ!」
ローランくんが青ざめながら叫ぶ。
「大丈夫さ、ローラン。君も一緒に『試練の石版』を持ち帰るチームメイトだろ? 後ろで見ていていいよ」
タケルが振り返り、太陽のような眩しい笑顔を向けた。
その圧倒的なまでの自信と、底知れぬ強さの前に、ローランくんは言葉を失った。自分は何てちっぽけなことでライバル意識を燃やしていたのだろう。この双子は、次元が違う――。
「いくよ、エヴァ!」
「ああ、一瞬で終わらせる。『双極交差・光闇烈破』!」
ドゴォォォン!!!
黄金の光の奔流と、漆黒の闇の刃が一つに絡み合い、ダンジョンの天井を吹き飛ばすほどの凄まじいエネルギーの閃光が一直線に放たれた。
閃光が通り過ぎた後、そこにあったのは、もはや形すら留めていないアビス・キマイラの消え残り(炭)と、綺麗に真ん中から両断された最奥の部屋、そして――壁に埋め込まれていた『試練の石版』だった。
石版は、衝撃で勝手にポロッと床に転がり落ちていた。
「……よし、ミッションコンプリートだね」
エヴァが小さく息を吐き、闇のオーラをスッと引っ込める。
タケルも木刀を収め、「ふう、いい運動になったなぁ!」と爽やかに汗を拭った。
静まり返るダンジョンの通路。
そこには、床に座り込んだまま、ぽかーんと口を開けて口を閉じ忘れているローランくんが一人。
「……ば、化け物め……」
ローランくんは小声で呟くと、崩れ落ちるようにその場にヘタリ込み、しかしなぜか、どこか清々しいような、笑うしかないような顔で両手で顔を覆った。
*
放課後。
王立学校の初等科教室。
「――というわけで、初日のダンジョン実習において、タケル君、エヴァ君、ローラン君のチームが、過去最速の記録を更新して最速帰還しました。しかも、最奥のキマイラを単独撃破したとのことです」
教壇の上で、マチコ先生が少し呆れたような、しかし教師としての誇らしげな笑みを浮かべながらクラス全体に告げた。
教室中から「ええっ!? キマイラを討伐したの!?」「化け物すぎるだろ……!」と驚愕とどよめきの声が上がる。当の本人であるローランくんは、クラスメイトたちから「すごいぞローラン!」と称賛され、「ふ、ふん、僕の卓越した指揮能力のおかげさ!」と必死にツンデレを取り繕っていた。
授業が終わり、夕暮れ時の王立学校の校門前。
「お疲れ様、みんな! ダンジョン実習、すごく頑張ったみたいね!」
私――鈴木カオリは、大きなクーラーボックスを抱えながら、満面の笑みで双子とローランくん、そしてシリウスさんに出迎えた。
「おかーたんただいま! ダンジョン、ちょっと簡単すぎたけど、僕たち頑張ったよ!」
「お母さん、ただいま。任務は完璧に遂行した。したがって、契約通りの報酬を要求する」
タケルとエヴァが私の両足にそれぞれのっそりと抱きつき、甘えてくる。
「もちろんよ! 今日は合格祝いの続きと、ダンジョン実習の成功を祝して、特製の【なめらか濃厚プリン】をご用意してあります!」
「プリン……っ!!」
エヴァの背後で、プリンという単語に反応した魔導の影が、喜びのあまり美しいステップを踏み始めた。
ローランくんも、帰り際に「じゃ、じゃあね! 明日も学校で会おう!」と少し赤くなりながら手を振り、自分の馬車へと乗り込んでいった。
馬車の中で、夕日を浴びながらルミナ村の我が家へと帰る道中。
「ふぅ……カオリ殿。今日のプリンの甘味は、ダンジョンで疲れた私の魔力回路を最高に癒やしてくれそうだね」
シリウスさんが満足そうに白銀の髪を撫でる。
「にゃ(プリンの次は、明日の晩ご飯のメニューは何にするかにゃ、カオリ)」
ララ先生が私の膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす。
双子は私の左右の膝をしっかりとキープし、「お母さんの膝が一番落ち着くね」「ああ、世界で一番安全な場所だ」と満足そうに目を細めていた。
王立学校という新しいステージでも、我が家の平和とマザコン全開の最強日常は全く揺らぐことがない。
光の勇者と闇の魔王を両腕に抱え、鈴木カオリの異世界子育て奮闘記は、さらなる美味しい笑顔と美味しいご飯を乗せて、明日へと力強く走り続けるのだった。




