第8話「奥」
境界の奥は、静かだった。
あれほど歪んでいた空間が、嘘みたいに整っている。
音もない。
風もない。
ただ。
存在だけが、そこにある。
「……なんだ、ここ」
思わず呟く。
違和感がある。
だが。
今まで見てきた“壊れた世界”とは違う。
(……整いすぎている)
不自然なほどに。
ズレがない。
歪みもない。
だからこそ。
異常だった。
足を進める。
地面はある。
踏みしめた感覚もある。
現実に近い。
それでも。
どこか違う。
隣で、ミナが辺りを見回した。
「ここ……変」
「どこがだ」
「全部」
即答だった。
思わず、少しだけ笑いそうになる。
(……正しい)
ここは。
何もかもが“正しすぎる”。
そのとき。
視界の奥に、何かが見えた。
「……あれ」
ミナが指をさす。
そこに、“それ”はあった。
巨大な、何か。
形は曖昧。
輪郭も定まらない。
だが。
確かに、そこにある。
空間の中心。
すべてが、そこへ集まっているようだった。
(……これが)
喉が乾く。
(起点)
今まで。
ここまで来ることはできなかった。
いつも。
その手前で終わっていた。
だが。
今は見えている。
「……近づくぞ」
ミナが頷く。
二人で歩き出す。
不思議と。
歩幅が揃っていた。
一歩。
二歩。
距離が縮まる。
その瞬間。
“それ”が、動いた。
「――っ」
空間が揺れる。
視界が歪む。
何もしていない。
なのに。
こちらだけが、変わっていく。
足元が消える。
重力が反転する。
上下の感覚が消えていく。
「……っ、クロノ!」
ミナの声。
だが。
位置が分からない。
音だけが遠ざかる。
(干渉されてる)
あれは触れていない。
ただ。
存在するだけで、書き換えてくる。
世界が。
崩れては組み直される。
知らない景色。
見覚えのある終わり。
記憶が混ざる。
何度も見た崩壊。
何度も迎えた終わり。
その全部が、一斉に流れ込む。
「……やめろ」
思考が削れる。
意識が奪われる。
(また、ここで終わる)
そう思った瞬間。
「クロノ!」
手を掴まれた。
世界が戻る。
ミナだった。
膝を震わせながら。
それでも、立っている。
「……だめ」
荒い呼吸のまま。
「これ……近づいちゃだめ」
直感。
だが。
それだけじゃない。
ミナは、何かを見ていた。
「何を見ている」
「……わかんない」
首を振る。
「でも……これ、違う」
「違う?」
「終わりじゃない」
その言葉に。
胸の奥が、小さく揺れた。
「……続きがある感じ」
沈黙が落ちる。
目の前の“それ”を見る。
終わりじゃない。
むしろ――
「……始まりか」
自然と、言葉が漏れた。
何度壊れても。
何度終わっても。
ここだけは、終わっていない。
「クロノ」
ミナが、小さく呼ぶ。
「これ……変えられる?」
今までなら。
答えは決まっていた。
無理だと。
何度も試したと。
結果は変わらなかったと。
でも。
「……分からない」
初めて。
そう答えた。
「でも」
一歩、前へ出る。
「やる価値はある」
ミナが、少しだけ笑う。
「うん」
その瞬間。
“それ”が、わずかに脈打った。
まるで。
二人の存在に応えるように。
世界の終わりの、その奥で。
何かが、静かに動き始めていた。
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