第6話「接触」
空間が、歪んでいる。
足を踏み出すたびに、感覚がズレる。
地面はあるはずなのに、踏みしめた感覚がない。
「……ここ」
ミナが小さく呟く。
その声が、わずかに遅れて届いた。
音すら、まともに機能していない。
「離れるな」
短く言う。
自分の声も、どこか遠い。
一歩、踏み込む。
視界が揺れた。
同じ場所に立っているはずなのに、景色が違う。
崩れたビルが、元の形に戻りかけては崩れる。
人影が、何度も同じ動きを繰り返す。
(記録が、混ざってる)
時間じゃない。
“結果”だけが、ここに残っている。
「……気持ち悪い」
ミナが顔をしかめる。
だが、足は止まらない。
「戻るか?」
「やだ」
即答だった。
「ここ、なんかある」
前を指さす。
そこだけ、空間が深い。
沈み込むように、歪みが集まっている。
黒が、そこに集まっている。
「……あそこだ」
確信する。
だが同時に――
(知ってる)
この場所を。
この感覚を。
何度も、ここに来た。
何度も、ここで終わった。
記憶が、滲む。
手を伸ばす。
届かない。
崩れる。
飲み込まれる。
繰り返し。
繰り返し。
「……やめろ」
思考を切る。
今は違う。
ミナがいる。
それだけが、今までと違う。
「クロノ?」
「……行くぞ」
前に出る。
一歩。
二歩。
距離が縮まる。
その瞬間。
“見られた”。
「――っ!」
頭の奥に、何かが入り込む。
視界が黒に塗り潰される。
音が消える。
代わりに――
“理解できないもの”が流れ込んでくる。
言葉じゃない。
意味でもない。
ただ、“そうであるもの”。
「……ぁ……っ」
膝が崩れる。
立っていられない。
(やられる)
これは、防げない。
今までと同じだ。
ここで、終わる。
――違う。
「……クロノ!」
声。
手を引かれる。
現実に、引き戻される。
ミナ。
その手が、震えている。
「だめ」
彼女は、黒を見ていた。
「それ、触っちゃだめ」
直感。
でも――正しい。
黒が、形を持ち始める。
輪郭のない輪郭。
こちらへ、伸びる。
逃げ場はない。
「ミナ、下がれ――」
「いや」
遮る。
そのまま、一歩前に出る。
「止める」
その言葉に、迷いはない。
だが。
体が、軋んでいる。
呼吸が浅い。
無理をしている。
「やめろ、それは――」
「でも、やる」
ミナが手を伸ばす。
黒へ向かって。
空間が、震えた。
歪みが、押し返される。
黒の動きが、止まる。
「っ……!」
ミナが息を詰める。
顔が歪む。
苦しそうに。
それでも――止めている。
さっきより、長く。
(……維持してる?)
止める、じゃない。
“押し留めている”。
「……これ」
無意識に呟く。
「止めてるんじゃない」
違う。
「書き換えてる……?」
(……いや)
(“結果”を、上書きしてる)
黒が、歪む。
抵抗するように、揺れる。
ミナの膝が、崩れかける。
「……っ、は……っ」
「……あれ、なんで……こんな……」
限界だ。
「もういい、離れろ!」
腕を引く。
その瞬間。
黒が、一気に弾けた。
衝撃。
視界が白に染まる。
次に見えたのは――“奥”だった。
歪みの向こう。
さらに深い場所。
そこに――
“何か”があった。
巨大な。
静かな。
終わりのようで。
始まりのようなもの。
「……あれ」
ミナが、呟く。
「まだ……ある」
当然だ。
これは終わりじゃない。
ここは――
「起点の、“入口”だ」
言葉にする。
理解してしまった。
今まで、ここで終わっていた理由。
その先に、進めなかった理由。
でも――
今回は違う。
ミナがいる。
「……行けるか?」
「うん」
少しだけ膝を震わせながら。
それでも、笑った。
終わりの奥へ。
初めて、踏み込もうとしていた。
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