第4話「起点」
世界は、まだ壊れていない。
それだけで、異常だった。
空はひび割れたまま止まり、街は崩れかけの形で静止している。
時間が引き延ばされたみたいに、すべてが中途半端に残っていた。
「……どれくらい持つと思う?」
ミナの声。
「分からない」
即答する。
「でも、長くはない」
視線を上げる。
ひびの奥で、黒がゆっくりと脈打っている。
止まっているようで、止まっていない。
(侵食は続いてる)
静かに。
確実に。
境界を溶かすように、それは広がっている。
「ねえ」
ミナが袖を引く。
「さっきの、やってみる?」
軽い調子だった。
だが、それしかないのも事実だ。
「……やれ」
短く言う。
ミナは少しだけ真剣な顔になって、空を見上げる。
「えっと……止まれ?」
何も起きない。
沈黙。
「……違う」
「だよね」
あっさり引く。
「もう一回やれ」
「うん」
今度は目を閉じる。
何かを思い出すように。
「……逃げなきゃって思ったとき、だったよね」
呟く。
空間は、変わらない。
ひびの奥の黒が、わずかに広がる。
「ダメか」
「うーん……」
ミナは首をかしげる。
「怖かったから、かな」
「何が」
「全部。壊れるの」
その言葉。
感情。
(……トリガーはそこか?)
極限状態。
強い恐怖。
無意識の選択。
理屈は組める。
だが――
「再現性がない」
それでは意味がない。
「じゃあ、怖くなればいい?」
「やめろ」
即座に否定する。
無理に引き出すものじゃない。
壊れる。
何が、とは言わない。
そのとき。
地面の影が、揺れた。
「……っ」
視線を落とす。
影だけが、遅れて動く。
「え?」
ミナも気づく。
周囲の建物は止まっている。
空も止まっている。
なのに。
影だけが、ズレる。
(侵食が深くなってる)
境界が、曖昧になってきている。
安全じゃない。
むしろ――
黒は、はっきりとこちら側に近づいている。
(侵食が――違う)
一瞬の違和感。
思考が、書き換わる。
(これは、侵略だ)
「加速してるな」
「え、やばくない?」
「やばい」
即答する。
ひびの奥にあったはずの黒が、距離を失っている。
向こう側ではない。
もう、すぐそこだ。
「ミナ」
「うん?」
「一回でいい。さっきみたいにやれ」
「だからそれが分かんないって!」
少しだけ声を荒げる。
焦りが出ている。
当然だ。
世界が壊れる中で、“やり方不明の力”を使えと言われている。
普通なら、折れる。
でも。
「……でも」
ミナは、空を見る。
「止めたいとは思ってるよ」
その一言。
それだけだった。
空間が、歪む。
「っ――!」
ひびが、わずかに縮む。
黒の侵食が、ほんの一瞬だけ押し返される。
成功。
だが――
次の瞬間、戻る。
むしろ、さっきより濃く、重く広がる。
「……っ、はあ……」
ミナが息を吐く。
「今の……できた?」
その直後。
「……あれ?」
ミナが、少しだけ眉をひそめる。
「なんか……変な感じした」
——来た。
ほんのわずかだが。
確実に、“何かが削れている”。
「一瞬だけな」
使える。
だが、不安定すぎる。
このままじゃ意味がない。
(条件が必要だ)
(そして——代償もある)
何が引き金で。
どうすれば再現できるのか。
それを掴まない限り――
勝てない。
「……なあ」
口を開く。
「これには“起点”がある」
「きてん?」
「始まりだ」
空を指す。
ひびの奥。
黒の中心。
「あれが、どこから来てるのか」
「何で起きてるのか」
「それが分かれば、止められる可能性がある」
ミナは少し考えて、
「じゃあ、探す?」
軽い。
いつも通りの調子。
だが。
「……ああ」
それでいい。
初めてだ。
こんな選択をするのは。
終わりを待つんじゃない。
終わりに、向かう。
「次の崩壊までに」
「起点を見つける」
それが――今回のルールだ。
黒が、さらに広がる。
その奥で。
“何か”が、こちらを見ていた。
世界が、軋みを上げる。
残された時間は、少ない。
でも。
もう、止まらない。
——止まれない。
「……行くぞ」
「うん!」
止まった世界の中で。
初めて、“先に進む”ために動き出した。
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