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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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偉い人の仕事と血薔薇の騎士

「あのー、キティー?集合場所ってここであってるんですよね。なんか全然人が居ないんですけども。」


「お偉いさん達はまだ中央通りで出立パレードの真っ最中よ。私達はそれまでここで待ち惚けってわけ。」


「傭兵連中はちらほら集まってきてるみたいだけどなー。暇だからアタシ達ももう一回荷物の確認でもやっとくか?」



 お兄様との話し合いの席を持ったあの日からさらに数日。いま私達三人が待機しているのは王都郊外の開けた場所で、いよいよ国境沿いの諸侯軍と合流すべく出発するというのに出鼻を挫かれて暇を潰している最中です。


 遠くから聞こえるのは歓声の音。城壁に近づいているであろうその音の大きさから察するに、パレードもようやく終わりに差し掛かった頃でしょうか。


 きっとコチコチに固まったルミアン君も、そして仏頂面をしたお兄様もその中に加わって、王家が民を守るに相応しい存在であるという意思表示の片棒を担がされている事でしょう。



「この期に及んで出立パレードとは、さすがに悠長が過ぎるんじゃあないでしょうかね?」


「こないだの話にも出たでしょう? 王城では今回の戦いを、自分たちの求心力を取り戻す為の良い機会だと見ているのよ。だから民草に対して、俺達がお前達を外敵から守ってやってるんだぞー。って主張しておくのが大事なわけ。まあこれが、私達が今日まで待たされることになった要因の一つでもあるんでしょうけどね。」


「王家の求心力、そして王太子派と王女派の派閥争いですか。理解は出来ますが納得は致しかねますね。王太子派と王女派相争い、余力を持ってオーク達と対峙する。というやつです。」


「あら、上手い事言うわねノマちゃん。」



 銀髪の少女はそう言いながら、降ろした背嚢から硝子瓶を取り出してしげしげと眺めます。どうやら作り置きした瓶詰食料が割れていないかが気になる様子ですが、それもそのはず。


 彼女の考案した瓶詰という代物は保存にはなるほど便利ですが、いかんせん硝子瓶に入っているという点で戦闘行動には向いていないのです。移動中のちょっとした贅沢ではありますが、台無しになる前に食べてしまう必要があるでしょう。


 ゼリグの奴も同じように瓶詰を取り出していますが、あれは確認とは違いますね。ただ食い意地が張っているだけでしょう。まあ気持ちはわかります、なにせこれで一時とはいえ、あの岩のようなビスケットだの味気の無い麦粥だのに頼らなくても良くなるのですから。



 周囲には段々と私達以外にも傭兵集団が集まり始め、その中にはドーマウス家お抱えの者である火炎獅子の方々の姿も窺う事が出来ました。


 ふと、部下達へ指示を出して回るグスタフ老と目が合って、こちらへ向かい深々と会釈をする彼に対して私も軽く会釈を返します。彼も律義な方ですね、私はもう貴方の雇用主であるドーマウス家の娘では無いというのに。



「暇だなー。おいノマ、お前ここんとこさ、なんか木片を削って遊戯盤みたいなもんを作ってたろ?アレって持ってきてないのかよ?」


「あれは神様に奉じる為に作っていた物でしたからね。ここに来る途中で教会に寄らせてもらったでしょう?あの時に祭壇に供えてきてしまいましたよ。」


「あら、ノマちゃんにもいつの間にか信仰心が芽生えていたとは知らなかったわ。神職である私としてはぜひとも褒めてあげなくちゃあね。」



 ノマちゃんの長い銀髪をさらりと撫でて、ついでにプニプニとほっぺたをつつきます。テーブルゲームの類は学生時代に級友と随分とやり込んだものでしたが、彼女の作っていた遊戯盤は私にも見覚えの無いものでした。


 誘ってもらえるのを楽しみにしていたのですが、既に五色の神に奉じて手放してしまったのであるならば諦めざるを得ないでしょう。今度もう一組作って欲しいとお願いしてみましょうか。




 さらに待ち続ける事しばし。周囲がごつい男達で賑わいを見せるようになり、歓声の渦もすぐ近くにまでやってきました。いい加減に待ちくたびれてきましたね。


 三人して地面の上に座り込み、暇つぶしにノマちゃんから教えて貰ったマルバツゲームとやらに興じながら土をほじくり返していた私の視界に、高価そうな衣服をまとった男性の脚が映り込みます。


 わざわざ私達のような一傭兵に声を掛けてくるお偉方などそうはおりませんので、ならばこの脚の持ち主は……。



「……良い年をして土くれ遊びとは感心しないな、キルエリッヒ。やはり、お前はもう少し自分の血筋というものを考えたほうが良い。」


「散々待たせておいて第一声がそれとはご挨拶ですね、お兄様。何度も言うようですが私はもう市井の者であるのですし、それにこれはこれで中々面白い遊びなのですよ。意外と頭も使いますしね。」



 どうやらお兄様、我が兄であるドーマウス卿はパレードの隊列から外れ、一足先にこちらへと向かっていたようです。顔を合わせるなり嫌味を言い合うのは相変わらずお互い直りませんね。


 しかし口の端から多少の笑みが零れているあたり、先日の歌劇鑑賞に同行した折にお互い腹を割って話し合った事は私にもお兄様にも良い影響を与えてくれたと見て取れて、私も自然に口角が上がってしまいました。


 兄の心情を決めつけずに向き合ってみるべきだと、この口下手な男の心中を察してやれと忠告してくれたシャリイちゃんには感謝してもしきれません。


 ついでに自他共に認める激情家であるこの私を、羽交い絞めにして取り押さえてくれた事にも感謝です。でなければあの話し合いの席で、カチンときた私はお兄様の腹をぶん殴っていた事でしょう。三回くらい。



「それにしても王太子派の代表者の一人が途中抜けなどと、宜しかったのですか?」


「あのお遊戯会も直に終わる頃合いだ、十分に責務は果たしたさ。さて、待たせてしまって済まなかったな君達。」



 兄が咳ばらいを一つして、それを合図に私達の言葉の応酬をぎょっとした顔で見ていたノマちゃんがわたわたと立ち上がって背筋を伸ばし、次いでゼリグもゆるりと立ち上がります。


 先日の話し合いの席といい、ノマちゃんには偉い人の前でみっともない姿を見せてはいけないという意識が強いようですが、本当にこの子はどこで教育を受けたのでしょうね。保存食の事といい相変わらず謎は深まるばかりです。



「早速だがノマ君。あちらに集まっている輜重隊の所に八頭立ての特注した荷馬車が置いてあってな、それを君に運んで欲しいのだが頼まれてくれるかね?」


「ま、また馬車馬扱いですか……。ドーマウス卿、なにもそんな些末な情報までお耳に入れることは無いでしょうに。しかも八頭立てて……小屋でも動かすおつもりですか。」



 ああ、そういえば先日のはぐれ化け物討伐の一件で、彼女は使えるものは何でも使おうとばかりに荷馬車を曳かされていましたね。私達から上げた報告には含まれていない情報ですが、おそらくはシャリイちゃんあたりが話の種にでも喋ったのでしょうか。



「君はずいぶんと自己評価が低いようだね。些末などであるものか、荷駄獣というものは軽く人間の十倍は飲食をするのだから、それが幾分かでも抑えられるという事は君が思っている以上に大きな影響を与えるものなのだよ。まして君は切り札と言ってよい程の戦闘要員でもあるのだから、これほど効率の良い話はそうはあるまい。」


「はあ……。まあ仰ることはわかりますし、私なんかがお役に立てるようでしたらご協力はさせて頂きますが……。」


「よろしく頼む。既に君を前提として兵站が考えられてしまっていてね、これは輜重隊からのたっての願いでもあるのだよ。責任者も五体を投げ出して喜ぶことだろうし、なんならそのまま踏みつけてやってくれ。」


「ご遠慮させて頂きますよ、私にそのような趣味はございませんので。」



 銀髪の少女はそう返し、次いできょろきょろと周囲を見渡します。どうやら背の低い彼女では周囲の雑踏に阻まれて向かうべき方向がわからないと見てとれて、焦って口をへの字にする彼女を見かねたゼリグに手を引かれつつ、二人の姿は傭兵達の影に隠れて消えていきました。


 足元に残されたのは格子状に引かれた線に、大量のマルとバツ。ちなみに私の十連勝です。本当に目先の事しか見えていませんね、あの二人は。



「で、お兄様。あの二人を遠ざけて私に何かお話でも?」


「……単刀直入に言おう。お前は救護要因として後方に下がれ、直接戦闘に参加する事は許可できん。」


「お断りさせて頂きます。私の真価は血肉の舞う最前線の修羅場でこそ発揮されるものでありますので。」



 ノマちゃん達にひらひらと手を振って送り出し、お兄様へ背中を向けたまま言葉を交わします。どうやら兄は私を少しでも安全な場所に置いておきたいようですが、なら鳥かごにでも閉じ込めておけば宜しいのに。まあその鳥かごを蹴り破って飛び出したのが私であるわけなのですが。


 少し前の私であれば、また私の事を己の思うがままに動かそうとするのかと反発をしたことでしょう。しかし今であれば、兄の言葉はただ単純に私の身を案じてくれているだけということが理解できます。


 そしてそれが故、なんとなく気恥ずかしくて顔を見れずに背中を向けたままであるわけですが、そこはまあ許して頂く事としましょうか。



「キルエリッヒ、お前は……。いや、止めておこう。シャリイにも持って回った言い方はお前に対して逆効果だと言われたしな。」


「貴人にありがちな迂遠な物言いは好きませんね。とはいえお兄様のお心遣いも理解しておりますが、何を言われようと私の考えは変わりませんよ。それ以上のお話は不要です。」



 ようやく腹を括って振り返り、自分と同じ桃色をした兄の瞳を真っ直ぐに見つめます。その瞳はわずかに揺らぎをみせていて、私の身を心配をしてくれているであろうお兄様の内面を窺わせるものがありました。


 先日のはぐれ化け物の一件においても、私の参加を事後で知らされたであろうお兄様はこのようなお顔をなさっておいでになったのでしょうか。



「お兄様、自分でこう言うのも何ですが、私の治癒術士としての腕は王国随一であると自負させて頂いております。後方に運び込まれる前に息絶えてしまうような負傷であっても、私ならば癒す事が出来るでしょう。切り結ぶ戦士の間近にこそ、私が最も必要とされる場所があるのです。」


「……教会も馬鹿な真似をしたものだ、お前ほどの腕を持つものをむざむざと野に下らせようとは。女の身でありながら王国史上最年少で司教の座につくのでは無いかと噂をされて、私としても鼻が高かったのだがな。」


「上にあがっていく者に求められる能力は、本人の実力では無く対人間の調整能力。そうおっしゃっていたのはお兄様ですよ。私が職を辞する事となったあの一件が無かろうとも、いずれにせよ生き死にの現場に拘る私が出世していく事など無かったでしょうね。」



 これは癒しを施す者としての私の覚悟です、お兄様のお気持ちが汲み取れようとも、これを譲るつもりはありません。なによりゼリグの奴には私有りきで戦闘をする癖がついてしまっているので、近くにいてやらなければ危なっかしくて仕方が無いのです。


 一瞬たりとも視線を外さずに言い切る私に対しお兄様はそれでも何事かを言おうとしたようでしたが、私の覚悟を覆す事は出来そうに無いとみてとったか、やがてため息を吐きながら肩を落としてしまいました。



「…………お前は、本当になんで貴族の娘になんぞ生まれついてしまったんだか。わかった、私にお前を言い包められるとも思えんし、もう何も言わん。その代わりに今回もシャリイを付ける。危険が迫った時はあの娘を頼れ。」


「お任せ下さいませ旦那様。このシャリイ、命に代えてもお嬢様を守り抜いてごらんに入れます。」



 突然背後で上がった声に、びくりとして思わず振り向きます。


いつの間に背後を取られていたのか、そこに居たのはくすんだ金髪をした見知った少女で、彼女は私に向かって一礼をすると静かに微笑んで見せました。


 ……彼女が自らの意思で私をからかうような真似をするとは思えません。と、くればこれは兄の差し金でしょうか。



「……お兄様、あまり良いご趣味とは言えませんね?」


「すまなかったな、キルエリッヒ。だがお前に一切気取られる事無く背後を取ったそのシャリイは、オーク共の放っていた斥候に対して後れを取った。言いたい事はわかるな。」


「…………肝に銘じておきましょう。」



 なるほど、オークとは一筋縄ではいかない連中であると、よく理解が出来ました。兄も中々小憎らしい演出をするものですね。


 少々心細くなってきました。多少は腕っぷしに自信があるとはいえ、私は所詮非戦闘員なのです。なるべくゼリグやノマちゃんから離れてしまわないよう心掛けておく事としましょうか。



「では、私はこれで王城に戻るよ。マッドハット卿と今後の事を協議せねばならぬのでね。」


「おや、私達やルミアン君を戦場へ向かわせておいて、ご自身は危ない場所には出ないおつもりですか?」



 踵を返そうとする兄へ声を掛け、いたずらっぽくそう言ってやります。とはいえ、別に本心で言っているわけでもありません。


 なにせこの戦の勝敗次第で動くであろうデーモン達や衆国の動きにいち早く対応する為、これから兄をはじめとしたお偉方は昼夜を問わず、王城に詰めっぱなしになるのでしょうから。そこは直接命のやり取りをする私達とは違う、もう一つの戦場であるのです。



「ああ、その通りだ。私の戦場は王国議会であるのでね。」


「兵卒達からはまた嫌われますわね。俺達が前線で身体を張っているっていうのに、お偉いさんは王都に篭ってぬくぬくしていると。」


「ははは、部下に嫌われるのも仕事の内だ。まったくもって偉くなるというものは面倒くさくて割に合わないものだな。」



 自嘲気味にそう笑う兄の目元には既に隈が出来ており、ここ数日の激務を思わせるものがありました。「お偉いさんは良いよなー、アタシらが現場で不味い飯食ってる間にも楽が出来てよ。」とはゼリグの言ですが、上流も下流も知ってしまった私にはそれに同意することは出来ません。


 誰かに責任を押し付けて人を嫌うことが出来るのであれば、それはとても楽な事なのですけれどね。



「物資の手配にあたって頼る事となった商会の男にも言われたよ、お偉い方々と違って私共は下々の些末な事まで精通している故、どうぞお任せ下さい。とね。」


「……王城のお偉いさんはふんぞり返ってばかりで、足元が見えてらっしゃらない、と?」


「ふん、偉いからこそ全体の状況が良く見えるのだ。見えてしまうのだよ。先の事を考えれば悠長にふんぞり返っている余裕などあるものか。」


「でも結局は、その商会を頼る事になったのでしょう?お兄様。」


「口惜しいがな。私だけでは無い、誰しも己の考える最善の行動を取ろうとして、そして足並みが揃わずに空回りするのが世の常だ。中々思うようにはいかぬものだな。」



 さすがの兄も派閥間の調整続きで大分お疲れの様子。これからも王城での辛いお勤めは続くのでしょうし、ここは一つ吉報でも渡してあげるとしましょうか。


 降ろしていた背嚢へと手を差し込んで、瓶を一本引き抜きます。そして物珍し気に目を光らせる兄の手元へ、ずしりと重たいその一本を押し付けてやりました。



「お兄様、良い物を差し上げますので、後でお召し上がりになってくださいな。その造りをたっぷりとご覧になった後にね。」


「これは……中に入っているのは豆と塩漬け肉か?瓶の口は蝋で固められているようだが……。」


「行軍中の味気ない携帯食が嫌だと言って、ノマちゃんが考案した保存食の一つですよ。煮込んだ瓶に調理した食材を入れたら瓶ごともう一度煮立たせて、最後に栓をして蝋で固める。あの子はサッキンとミップウだとか言っていましたかね。」



 硝子瓶を大鍋に入れて煮始めた時は何をまた妙な事をと思いましたが、彼女に言わせれば腐敗というものは目に見えないほどの小さな生き物が悪さをしているとの事で、こうして加熱をする事でその生き物を殺す事が出来るのだと言うのです。


 小さな世界というのは不思議なもので、蛆虫やカビもその世界の住人なのだとか。見えもしない物だというのに確信を持っているかのように語るノマちゃんのその姿はまるで千年の知識を蓄えた賢者のようにも見えましたが、その直後にドボンと熱湯を跳ねさせて叫び声を上げながら転げ回る様で色々と台無しになりました。


 神学校でその手の代物は空気と水と光の中から沸き出でるモノであると教わった私にとってはにわかに信じがたい話ではありましたが、初日に作った瓶詰は未だ変色すること無く、今こうして私の手元にあるのです。もしかすれば、彼女の言こそが真実であるのかもしれませんね。



「……保存食と言ったが、こんなものは私からすればすぐ腐るようにしか思えんな。どれくらい日持ちするものなのか検証は済んでいるのかね?」


「今お手元にあるそれが十日ほど前に作ったものです。腐ってもカビてもいないでしょう?ノマちゃんによれば素人の手作り品でも、日光に晒して高温のまま放置などをしなければ一月程度は持つんじゃないかという事ですよ。」


「…………ほう?」



 手の中の瓶詰をしげしげと眺めるうちに、疲れたお顔をなさっていたお兄様はその口角を吊り上げて、たちまちに悪い顔へと早変わりをしていきます。あれは兄としてでは無く、貴族家当主としてご商売の事を考えておられる顔ですね。本当に悪いお顔ですこと。



「その瓶詰の知識については好きに扱ってくれて良いと、既にノマちゃんから言質を取ってあります。いかんせん割れやすいものでして行軍中の糧食にはお世辞にも向いておりませんが、その価値、お兄様ならお分かりになられますでしょう?」


「わかるとも。実に良い情報をもたらしてくれたものだな、キルエリッヒ。早速我が家の料理人に色々と試させて、他所に感づかれる前に事業を起こす事を検討せねばな。」


「あらあら、元気を出して頂けたようですが、またお仕事が増えてしまいましたわね。」


「ははは、まったくだ。さーてこれはいよいよ忙しくなるな。事が終わればあの生意気な商会頭を、こいつで出し抜いて悔しがらせてやることにしようか。」



 既に頭の中で銭勘定をなさっておいでになるのか、兄はそう言って意地悪そうにクツクツと笑います。


 それもそのはず、この瓶詰は野戦における携行食としては不向きであるというだけで、都市間の長距離移動や冬に備えての保存食としては十分な性能を有しているのです。商売に無知な私でさえその有用性にはすぐに気づいたのですから、この術が兄の手に渡ればさぞや多くの金貨を生み出す事になるでしょう。


 まったくもって現金なお方であること。しかしまあ元気が出たのであれば何よりです、これで王城でも張り切って働いて頂きたいものですね、馬車馬のように。



 気づけば私の後ろに立つシャリイちゃんも、興味深そうに瓶詰をしげしげと眺めているのが感じられました。つい先日に国境沿いまでの移動をこなした彼女にとっても行動中に美味しい食事が摂れるとくれば願ったり叶ったりというわけで、興味が出るのもわかろうというもの。


 私の可愛い従者として同行してくれるのです。あまり数はありませんが、後で彼女にも分けてあげるとしましょうか。


 というかお兄様、いつまでいやらしい笑い方をしていらっしゃるんですか。引き止めておいてなんですが、王城にお戻りになられるのではなかったのですかね。






 上機嫌で去っていくお兄様へと別れを告げて、シャリイちゃんと二人、手頃な岩に腰掛けて瓶詰の話をしながらゼリグとノマちゃんの戻りを待ちます。


 話を振ったお兄様は一足先に帰ってしまいましたが、まあ具体的な指示は輜重隊やルミアン君の側から出されるのであろうからしてさほど気にするものでも無いでしょう。むしろ八頭立ての巨大荷馬車に括りつけられたノマちゃんがどんな姿になっているのかが楽しみで、そちらが気になって仕方ありません。


 気づけば歓声の音も聞こえなくなり、出立パレードは無事に終わりを迎えたようです。そろそろ代表者がこの場を取りまとめて行軍が開始される頃合いでしょうか。



「ふざけた事をおっしゃらないで頂きたい! 此度の出兵の代表はこのわたくし、血薔薇騎士団団長たるメルカーバ・スヴレ・マーチヘアーが王女殿下より直々に賜ったのです! 王太子派の軟弱者など引っ込んでいなさい!!!」



 ……どうやら無事に、とは行かなかったようです。突然に場を駆け抜けた女の声にシャリイちゃんがぎょっとして顔を上げ、するりと懐に手を入れました。私を守ろうとしてくれているのは分かりますがおよしなさいな、ここで抜いたら面倒くさい事になりますよ。


 どうやら未だに現場での責任者を決めていなかったようでなんとも呆れた話ですが、まあここは仕方の無い話であるのやもしれません。


 かつてノマちゃんがドーマウス家とマッドハット家の力関係を気にしたように、ここで決められた代表者の属している派閥は一時的にとはいえ、相手派閥を従える格好になってしまうのですから。


 しかしマーチヘアー侯爵家の名が出てきた時から嫌な予感はしていましたが、よりにもよってアイツですか……。王女殿下の子飼になっていたとは知りませんでしたが、おそらくこの場に集まった人間でアイツを御しきれるのは私だけでしょう。面倒ですが、ここは私が腰を上げてあげるとしましょうか。




 シャリイちゃんを後ろへと従えつつも、野次馬を掻き分けて騒ぎの中心へと向かってみれば、そこに居たのは実用性があるのかさっぱりわからない煌びやかな鎧を身に着けた若い女とそれに対峙するルミアン君の小さな姿。


 王女殿下の威光という力を得たアイツに向かって立派に向かい合っているだけでも大したものですが、やはりと言うべきか既に腰が引けてしまっています。このままでは押し切られるのも時間の問題でしょう。


 ルミアン君の後ろには先日の化け物討伐でご一緒させて頂いたマリベルさんの姿もありますが、彼女は立場を弁えて口を出すつもりは無い様子。あるいは、これも少年にとっての良い経験になると思っているのでしょうか。



「し、しかしメルカーバ卿。此度の出兵においてはマッドハット侯爵の名代であるこの私と、卿との二人で共同して指揮を執るとの話になっているはずです。父からもそう伺っておりますが…………。」


「ふん! 如何にも荒事を知らぬ軟弱な男の考えそうな事ですこと! 宜しいですか!? 迅速な判断が求められる戦場において意思決定の大本が二つに分かれているなどと愚の骨頂! この場は王女殿下より全権を委ねられたこのわたくしに全てを任せておけば良いのです!!!」


「その、王女殿下が卿に全権をお与えになったというお話も、国王陛下がそれをお認めになったというお話も私は存じ上げておりませんが……その…………。」


「無論そのようなお話は出ておりませんが、王女殿下の臣としてその御心を推し量って差し上げるは当然の事です。わたくしの決定に何か不服がお有りですか?」



 言っている事はまあもっともであるのですが、導き出された結論は滅茶苦茶です。とはいえルミアン君にそれを指摘して論破出来るだけの胆力はまだ備わっていないとみてとれて、彼女の勢いに全く抗することが出来ないご様子。


 あーあー、もう。見てられませんね。緑の神の恩寵たる身体強化術の使い手であるアイツは腕っぷしもさることながら、口先もそれなりに回ります。まあ暴力を背景にしたごり押しではあるのですが、無理を通せば道理が引っ込むというのもまた事実。そろそろ手助けをして差し上げましょうかね。


 ちょっとどいてくださいなと言わんばかりに人垣をぺしぺしと押しのけて、目の前で激昂する女の元へと向かいます。久しぶりに出会う我が級友の姿は全くその姿を変えておらず、むしろあの頃よりも若々しさと自信に溢れているかのように見えました。



「そのへんでおよしなさいな、メル。よしんば貴方の言う事に理があるとしても、将帥同士の口論など下の者に見せるものではありませんよ。特に私のような一傭兵などにはね?」



 ぴくりと動きを止めた彼女はこちらへ振り向き、その大きな目を零れ落ちそうなほどにさらに大きく見開きます。


 どうやら私の姿がこの場にあるなどとは思いもしていなかったようで、神学校時代の我が級友は一瞬だけ動揺を見せたものの、すぐに気を取り直してこちらを睨みつけるとギリリと歯噛みをしてみせました。


 彼女の注意が逸れた事で緊張から解放されたのか、視界の端にルミアン君がふらりとよろめき、マリベルさんに抱き留められる姿が映ります。羨ましいですね、後で私にもやらせてくださいマリベルさん。



「…………キルエリッヒ、貴方、なんで……ここに。」


「私が教会で馬鹿をやって、親元とも喧嘩して市井に下った事くらいは貴方の耳にも入っているでしょう?もっともただの一傭兵となった私の動向までは掴んでいなかったようですけれどね。」



 両腕を腰にやり、白の神の法衣の下の、大きな胸を突き出しながらふんぞり返って虚勢を張ります。地位と名誉という点ではこちらが圧倒的に劣っていますが、私の良く知るメルであるならばそんなものを笠に着て私に勝つことを良しとはしないでしょう。


 必ず私の挑発に乗ってくるはずです。そしてそのうえで、私を論破して叩き潰そうとするはずです。あの頃の私達のように。



「メル、王女殿下の御心だなんて偉そうに言っているけども、これが独断専行である事くらい貴方にだってわかるでしょう?結果いかんによっては王女殿下の顔に泥を塗ることになるわよ。」


「……黙りなさい、キリー。貴方に私に向かって口答えするような権限がどこにあるというのですか。市井に下った貴方と、父上から爵位の一つを譲り受けて騎士団長にまで上り詰めたこのわたくし。どちらの言い分に力があるかなど一目瞭然。」


「あらあら、権力を笠に着ないと口喧嘩も出来なくなってしまったのかしらねぇ貴方は。お互いに実家の権威なんて気にせずに、神学に対する解釈で夜通し語り合ったあの頃がもう戻ってこないなんて寂しいわねぇ。」



 煽りに煽る私に向かい、メルの大きな瞳がスッと細まって吊り上がります。一見して己の立場を強調しているようですが、知ってか知らずかあの頃の愛称で私の名を呼ぶあたり、こと私に関してはあの頃の彼女のままであると見て取れて、ならばそこにこそ付け入る隙があるでしょう。


 彼女もわかっているはずです。将帥の口論など、本来下の者に見せるものでは無いという事を。その醜態は下の者に対して疑心を植え付けて信頼を損なわせ、上の者を軽んじさせる土壌を作ってしまうのですから。



 おそらくメルはこの場でルミアン君をやり込めて彼に恥をかかせ、それを利用して実質的に主導権を握るつもりであったのでしょう。しかし今やそのルミアン君は論戦の舞台から退場し、代わりに舞台に上がったのは己が言い負けたところでなんら痛手にはならぬ、ただの傭兵であるこの私。


 彼女にとっては完全に誤算であったはずです。メルの立場を考えれば一傭兵である私など容易に一蹴をして当然であるはずで、勝っても得るものなど何も無く、負ければ大恥をかいてしまう事になるのですから。


 権威をかざせば私を退ける事など簡単でしょうが、学生時代の好敵手であった私に対してその手札を使うことは彼女の矜持が許さないはず。と、くれば例え得るものが無かろうと、彼女はこの場で私を言い負かしてねじ伏せるしかないのです。



「貴様!一傭兵の分際でメルカーバ卿になんたる口の利き方を!!?」


「……お前たちは下がっていなさい。こと彼女との争いに関しては、手出しをすること許しません。」


「し、しかし団長、このような者を相手に……。」


「下がれっつってんだろぅが!? あ!!? 挽肉にされてえかテメェ!!!??」


「だ、団長ぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!!?」



 ははははは!地が出た地が出た!やっぱり人間、どれだけ上辺を取り繕っても性根は変わらないものですね。私に言い負かされてブチ切れて、夜明けまで殴り合って寮監に怒鳴られたあの頃そのままです。


 こちらの無礼に溜まりかね、彼女の部下と思しき騎士たちが私のことを取り押さえようと前に出ますが、メルの一喝と共に振り回された腕に弾き飛ばされて天高く吹き飛ばされました。ちょっとこんなところで身体強化を使わないでくださいよ。後で治療する事になるのは私なんですからね。


いや愉快愉快。さあて、メルはどう出てきますかね?



「キリーぃぃぃ!!! てめぇ! なんで立場を捨てて市井になんて下りやがった!? あのままなら司教にまで上り詰められる事は間違いなかったんだろう!? なんでだ!!?」



 ん、あれ。なんだか変な方向に飛び火しましたよ。今この場と全く関係の無い予想外の質問にいささかばかり面食らいましたが、フーフーと息を荒げて興奮するメルの姿には取り付く島もありません。


 顔を合わせる事すら無かったこの数年。かつての級友に対して募っていた不平不満が、私が下手に呼び水を与えてしまった事で爆発してしまったというところでしょうか。とはいえ回答は簡単です。私は己の歩んできた道に後悔など一切無いのであるからして、思っているままの事を述べれば良いのですから。



「私が、何を求められてあのような愚行に至ったのかは貴方の耳にも入っているはずです。私は貴人であることよりも、ただのキルエリッヒとして己の権利を求めたのですよ、メル。」


「詭弁だ!貴人たるもの家の為に国の為に、剣を捧げた者の為に己を投げ打って尽くすなど当然の事!お前は己の身を守るために果たすべきその義務を放棄したのだ!!!」


「では貴方ならどうしましたか?貴方の言うお家の為に、求められるままに自分の身体を差し出して、それを良しとしたのですか?答えなさい、メルカーバ・マーチヘアー。」


「それは…………っぐ……む……うぅ。」



 ふん、自分に出来もしない事を他人に求めるからこんなしっぺ返しを食らうのです。大体にして私なんかより貴方のほうがずっと気性が荒いでしょうに。


 おまけに私と違って癒しの力が使えるわけでも無いのですから、きっと身体を差し出せと求められたのがメルであったのならその場で殴り殺していたかもしれませんね。


 ちなみに己の権利などともっともらしい事を言っておいて、ただ不当な要求に激昂して暴れただけだろう何言ってんだというド正論が私にとって最も痛い返し方でしたので、メルがそれに思い当らなかったのは幸いでした。相手がゼリグであれば即座にこれで殴り返してきたことでしょう。


 さて、言うだけの事は言いました。両腰に手を添えてふんぞり返ったままに彼女の言葉を待ってやりますが、やはり彼女にこの質問を是とする事は出来なかったようで、揺れる瞳は泳ぎに泳ぎ、やがて観念したのか下を向いて静かになってしまいます。



「…………なあ、キリー、なんでだよ。私はな、嬉しかったんだ。この身体強化の術を王女殿下に見込まれて、腹心の部下としてとんとん拍子に出世して、お父様からも褒められて子爵位を譲り渡されて、偉くなったことが嬉しかったんだよ。」


「……要領を得ませんね、メル。何が言いたいのかはっきりなさい。」


「嬉しかったんだよ! 私はな! 神学生時代に何をやってもお前には勝てなかった!!! 勉学で負けて! 論戦で負けて! 遊戯盤でも負けて! 喧嘩でだって術無しではお前に勝てた試しがない!!!」



 咆哮のような叫びと共に彼女はその足元をずどりと踏みつけ、爆発して吹き飛んだ土砂は飛び散り四散して、物見高く集まっていた兵卒や傭兵達を吹き飛ばします。もう出発前から大惨事なんですけどこれ。



「私は教会を辞して親元も飛び出して野に下り、一方の貴方は出世したことで私を見下ろす立場になった。それが嬉しい、と?」


「違う! 私は取り立てられた! 偉くなった! これでお前の横に並び立てると思ったんだ!!! 私なんかよりずっと出来が良くて、当代一の治癒の使い手と称えられて、将来は教会の上層部に食い込む事間違いなしと言われた天才のお前の横に立っても! 恥ずかしくない自分になれたと思ったんだよ!!! それがお前は勝手に居なくなっちまって!!!!!」


「……迷惑ですね。」



 一刀両断。彼女の悲痛な叫びをばっさりとぶった切ります。後ろからシャリイちゃんがさすがにそれはと言わんばかりに私の袖を引っ張りますが、事実であるのですから仕方がありません。


 勝手に私を持ち上げて、その私が居なくなれば隣に並び立てなくなったからどうしてくれるなどと迷惑千万。自分勝手も良い所でしょう。


 絶句して立ち尽くし、大人しくなってしまったメルに向かって一歩二歩と踏み出して、私より頭一つ小さな彼女の肩をぽんと叩いて抱いてやります。まったくもって手のかかる子だこと。



「メル、貴方が私の事をどう思っていたかなんて知りませんし、興味もありません。でもね、貴方は私の事を上に見ていたようですが、私にとっては神学生時代も、そして今も、貴方は上も下も無い私の友人。喧嘩っ早くてすぐに怒って、けれども気のおけない友、メルカーバなのです。それを勘違いして貰いたくはありません。」


「……じゃあ、なんで、連絡くれなかったのさぁ……。友人だと思ってくれてたのなら、なんで、私を頼ってくれなかったのさぁ…………。うぐぅっ…………。」


「こちらも色々と忙しかった、と言えば嘘になるでしょうかね。貴方もよく知るようになにせ私も強情なもので、自分で選び取った道とはいえ市井に落ちた私の姿を貴方に見られたくなかったのかも知れません。」



 そのまま騎士団長殿は私の腕を抜けてするするとへたりこみ、声も上げずに顔を覆って泣き出してしまいました。うーん、いちおう、私の勝ちと言っても良いのでしょうか。正直に言って気まずい事この上ありませんが。


 彼女の部下達もやや遠巻きながら、それでもこの場をなんとか収めようと身を乗り出しているのですが、さすがにここで彼女に向かって情けない姿を見せるなと叱咤する胆力は無いとみえて右往左往とするばかり。


 まあ迂闊に手を出して、ぶん殴られでもしたら死にかねませんからね。彼らの判断は正解でしょう。



 しかしまあどうしたものやら。王女派と王太子派、どちらが主導権を握るのかというそもそもの本題もいつのまにやら明後日の方向に吹き飛んでいってしまいましたし、ここはメルが弱っている隙にルミアン君に音頭を取ってもらう事としましょうか。


 そう思い立ち、怒涛の展開についてゆけずに目をぱちくりとさせるルミアン君へ向き直り、跪いて伏せてみせると彼とその背後のマリベルさんに向かってスッスッと指で合図を送ります。


 小さな彼にその意図を察する事は出来なかったようで、ぎょっとした顔で私の事を見下ろしましたがマリベルさんに背中を小突かれた事で合点がいったか、こほんと一つ咳払いをして一歩を踏み出すと私に向かって鷹揚に頷いてみせました。



「ルミアン様、ご覧になられているとおり、騎士団長殿は何やらお身体が優れないご様子。ここは治癒術士であるこの私めが引き受けます故、ひとまずはルミアン様に指揮を執って頂いてこれ以上遅れが出ぬうちに出立を…………。」


「あー!!! いたいた! キティ~~! ルミアン様~~! これ輜重隊の方から持って行ってくれって言われたんですけども、どこに持って行ったら良いんでしょうか~~!!? ってあれ、やばっ、これやばいっ! 止まらない!!?」




 …………話の腰が、完全に音を立てて砕け散りました。もう修復出来る気がしません。


 小山のような荷馬車を曳いてこちらに向かってくるのは日除けの帽子を目深に被ったノマちゃんで、自重に耐える為なのか金属部品が多く使われて重量の嵩んだその馬車は、車輪を地面にめり込ませながら轟音を上げています。


 っていうかあれ、馬八頭じゃ絶対に曳けないでしょう。もう完全に荷駄獣が引くことを想定されていませんね。ノマちゃん専用です。荷ノマ車です。あはは。あ、やばいこのままだと引き潰されそう。



 私達が勝手に場所を移して姿を消していた事で不安を募らせてしまったのか、迂闊に速度を上げてしまったとみえる巨大な荷馬車は若干速度を落としつつも、それでも停止には程遠い勢いでこちらへ向かって迫ってきます。


 見れば車体の後ろではゼリグの奴が僅かばかりの抵抗をみせ、そして動力である肝心要のノマちゃんは体中に括りつけられた鎖のおかげで身動きが取れず、既に地面にめり込んだまま引きずられている状態でした。一応本人的にはあれで制動をかけようとしているつもりなのかもしれません。


 何がどうしてこうなった。



 そして巨大な金属の塊が目の前にまで迫り、陽の光が遮られていよいよ覚悟を決めたその瞬間、私の足元でへたり込んでいたメルが全身のバネを使って飛び起きて、かざした右手のひらで掌底を一発。


 ずしんっっ!!! という重い音と共に巨大な荷馬車は動きを止めて、車体を軸に一回転したノマちゃんは私の眼前に落下して、頭から地面に突き刺さりました。


 何がどうしてこうなった。



「うおお! やっと止まった!? おーいキティー! 生きてるか!? おい!!?」


「……ゼリグ。とりあえずあんた、殴らせなさい。」


「なんでだよ!? やらかしたのはアタシじゃなくてノマの奴だって! っていうかそもそもこの馬車が金属部品だらけでやたらと重くてよ! どのくらいの速度出したらいいのか全然配分がわかんねーんだって!」


「それでも構わないから殴らせなさい。」


「ええい、おだまりなさい! 貴方たち! こんな子供を鎖に縛り付けて何という事をさせているのですか!!?」



 もうもうと上がる土煙の中、無表情でゼリグの胸ぐらを掴み上げてがっくんがっくんと揺する私に向かい、メルが声を上げて非難します。いやまあ確かに絵面は最悪でしたが、私がやらせたというわけでもありませんのでそんな事を言われましても。


 土煙が晴れるにつれて視界が開け、そこに現れたのは目を回したノマちゃんを大根のように引っこ抜いて抱きしめる我が級友の姿。ノマちゃん雑な扱いをされるのが本当に似合うなあと思ってしまいましたが、それはこっそりと心の中に留めておく事にしましょう。



「キリー、この子は何者ですか!? これほどの車体を引けるほどの身体強化を長時間に渡って持続できるなどと、私以上の使い手に他なりません! それほどの能力を持った者が、なぜこのような獣の如き扱いを受けているのですか!?」


「あ、そのですね、メル、これはですね、そのー、この子の能力がすごいから、荷駄獣の代わりに馬車を引いて貰ったら物資のやりくりが格段に楽になるからとお兄様が……。」


「貴方の兄……ドーマウス伯爵の差し金ですね。ふん! こんな子供に無体な仕打ちを働くなどと、やはり王太子派に碌な男がおりませんね!」



 いやまあ、否定は出来ません。私達も最近は感覚が麻痺してきてしまったのか、それともノマちゃんが気にするそぶりを見せないせいか、すっかりノマという少女とはこういうものだという感じで接するようになってしまっていたのです。知らぬ者からすれば非道以外の何物でも無いでしょう。


 なにせ、彼女がめり込んだ地面が延々と耕されているくらいです。ノマちゃんの形に地面が抉れているのです。もはや拷問以外の何物でもありません。普通なら死んでいます。



「同じ緑の神から加護を賜る者として、この子の身はわたくしが保護させて頂きます! ルミアン殿! 指揮権については後ほど改めてお話をさせて頂きます故お覚悟を! お前達、兵を取りまとめて行軍開始の合図を出しなさい。」


「え、あ……りょ、了解致しました!メルカーバ卿!」


「結構です。それではキリー、後の事は任せましたよ! あなた方も、わたくし達に遅れずについてくるように! わかりましたね!!!」



 声を掛ける暇も無く、引っこ抜かれたノマちゃんは目を回したまま連れ去られ、後に残されたのは巨大な荷馬車と抉れた地面、そして巻き込まれて逃げまどい、ぶっ倒れた兵卒と傭兵達。


 任せるって何をですか。まさかこの死屍累々の有様を、私一人でなんとかしろというのですか。


 とはいえざっと見る限り重傷者はいないと見えて、これならば蹴りでも入れてやれば起き上がってくる事でしょう。後は移動しながら道すがらに癒してやれば十分です。



 ルミアン君はぽかんと口を開けてしまい、マリベルさんは額に手を当ててかぶりを振って、ゼリグは苦笑いをし、そして私はただ頭を抱えるばかり。


 そしてそんな私を心配してか、シャリイちゃんはそっと背中に手を添えて、私の事を労わろうとしてくれています。ありがとうシャリイちゃん。後で私の心の平穏の為、心置きなく抱きしめさせてください。



 散々な出だしではありますが、弱ってしまったメルが調子を取り戻してくれた事は一応の収穫と言えるでしょうか。まあそのおかげで指揮権の問題が再燃してしまいそうですが、幸いな事にいま彼女の懐にはノマちゃんがいます。


 あの子はあれで意外と周囲の和というか調整を気にして大切にする子なので、場合によっては上手くメルの奴を言い包めてくれるかもしれません。


 しかしまあ、お兄様は先に王城へ戻っておいて正解でしたね。この有様、おそらくこの場に残っていたならば今頃胃を押さえて倒れていたことでしょう。



「さて、まあとりあえずは、これ、どうしましょうかねえ…………。」



 そう独り言ちながら、私は目の前に鎮座まします巨大な荷馬車のその車輪を、ぴんと指で弾いてみせたのでした。



書いておきたい事を詰め込んだ結果、詰め込み過ぎて過去最長になってしまいました。


ノマの知識チート、ゼリグの帰郷、キティーの兄との確執、メルカーバのコンプレックス等、お話の本筋と関係ない部分はキャラクターの味付けついでにどんどんと消化していきます。


メルカーバについては初登場で掘り下げるのもどうかと思いましたが、ここでやっておかないとただ無能で性格の悪い人物として暫く登場し続ける事になるのでこなしておきました。単純に筆が乗ったというのもあります。


そしてギャグ時空発生装置と化した主人公と異世界ファンタジーなのに一向に始まらない戦闘パート(´・ω・)

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[一言] ほんとギャグ時空に生きてるなあ
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